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年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『去年の冬、きみと別れ』中村文則

 

あなたが殺したのは間違いない。……そうですね?」 

 

まもなく劇場公開を控えている中村文則『去年の冬、きみと別れ』を読みました。

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主演のEXILEの岩田剛典をはじめ、山本美月斎藤工浅見れいな土村芳北村一輝らが出演することでも話題になっています。

僕にとっては初の中村文則作品。

かなり短い事もあって、一日であっという間に読み終えてしまいました。

 

【追記】その後処女作である『銃』も読んでみました。

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新潮新人賞の受賞作とあって少し文章に重きを置いた作品ですが、本書と空気感や登場人物の造形は似通ったものを感じます。是非ご一読を。

 

 

あらすじ

冒頭の言葉のように、“僕”が殺人犯の下を訪ねるところから始まります。

“僕”の目的は犯人についての本を書くこと。

しかし明らかに異様な犯人の言動に、翻弄されるばかりで終わってしまいます。

 

物語はこのようにして、“僕”が事件に関わる人々に相対する形で進められていきます。

ところがどの相手も言動に一癖も二癖もある奇妙な人間ばかり。

 

まるで湊かなえ『白ゆき姫殺人事件』を彷彿とさせるようです。

そういえば僕、ああいうのあんまり得意じゃなかったんだよなぁ……

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入り乱れる“僕”と“きみ”……避けられぬ混乱

“僕”が書こうとしている相手は木原坂雄大

二人の女性を殺害した罪で起訴され、一審で死刑判決を受けたという猟奇殺人の犯人。

 

すると「1」「2」と続いてきた章題が突然「資料2」という表記に変わります。

 

“きみ”に対して呼びかけるような文章……どうやらこれは、犯人である木原坂雄大が書いた手紙のようです。

“きみ”とは当然、最初に出てきた名も無き主人公の事でしょう。

普通はそう受け取ります。

 

……思い返せば、ここでメモを用意すれば良かった。

 

僕は登場人物が多い作品や推理小説の場合、必ずメモを用意します。

人物名やキーワードを書き取って、後々読み返したりする手間を省くためです。

でもこの時、僕はそれを怠りました。

よく内容もわからないまま読み始め、加えて「中村文則芥川賞をとった文学小説」のイメージがありますから、まさかこれが推理小説だなんて思いもしませんでしたから。

 

続く「3」では“僕”が木原坂雄大の姉である朱里に会いに行きます。

その後の「資料3」は雄大から朱里に向けた手紙。

 

「4で」“僕”は雄大の友人であるという加谷に会い、

「資料4」では再び雄大から“きみ”へと向けられた手紙が載せられます。

 

きみがなぜK2のメンバーになったのかを、次の手紙では絶対に知らせて欲しい。

 

……K2ってなんぞや???

 

もうこの辺りで確信を抱きました。

みんな言っていることがちぐはぐです。

登場する誰もが気の触れたような言動ばかりを繰り返しています。

まるでドグラマグラを読んでいる時のような混乱に陥ります。

間違いなく作者の意図に陥っています。

 

核心に触れるのは「9」が終わり、「資料5」に入ってからです。

ここでは再び、木原坂雄大から“きみ”に対しての手紙が書かれています。

 

しかしこの中で、雄大「本を書こうとしている人間がもう一人いる」と語ります。そのもう一人の人間が「会いに来た」とも

 

だから、一度根本的な質問をしなければならないね。いったい……、きみは誰だ?

 

 

ここで、ようやく混乱の種明かしがされます。

“僕”=“きみ”=主人公だと思い込んで来ましたが、“僕”≠“きみ”である事が明らかになったのです。

そうすると一つの謎が浮かび上がります。

それこそが、

 

“きみ”は誰だ?

 

という謎です。

そのままストレートに雄大に言わせるなんて、作者のあざ笑う声が聞こえて来そうです。

 

ここまで来ればもう後戻りはできません。

再度メモを取り直しながら読み返すという手段もあったのですが、このまま作者の思惑通り、最後まで読み通す事にしました。

 

「(11)」となぜか括弧書きの章を挟み、以降の資料で全てが明らかにされていきます。

 

あーなるほど。……ふむふむ……あれ? ちょっと待てよ。だとすると前に出てきた○○と○○は……あれ?

 

……

 

……

 

……

 

……

 

……

 

読了。

 

あーさっぱりよくわからん。

 

……結果、ブログを書くためにも再度読み返す必要があるのでした。

 

でもさ、一回読んだだけじゃよくわからないままって作品としては結構問題じゃない?

 

僕的にはイニシエーション・ラブ『葉桜の季節に君を想うということ』という二つの作品の手法に似てるかな、と思えるんですが、この二つを比べても、後者の方がわかりやすさという点では圧倒的に勝っているもの。

 

イニシエーション・ラブ』は読み返して、さらに解説しているブログでも読まない限りは全貌は掴めない。

 

本作もそれに近い作品と言えそうです。

 

正直読後感を重視する僕にとっては、いちいち読み返したり確認したりしないと良さがわからない本作は、やっぱり苦手なタイプの作品でした。

 

以降、ネタバレ

悔しいので読み返しながら分析しなおしました。

主題は“僕”は誰か。“きみ”は誰か。

二人称で曖昧にされている人物を明らかにする事で、物語の全貌を掴みなおします。

以下はざっくりとしていますが、実際のメモ書きを書き出したものです。

 

1 僕(主人公)と木原坂雄大のやり取り


2 僕(主人公)

資料2 木原坂雄大ときみ(編集者小林)


3 僕(主人公)と木原坂朱里(小林百合子)

 ※雪絵から電話が来ることから、編集社小林ではなく主人公であるとわかる。

  (編集者小林と雪絵は関わりがない)

 ※朱里は「過去の写真は捨てた」と供述(←朱里ではなく百合子であるため)

 

資料3 弟(木原坂雄大)から姉(木原坂朱里)へ向けての手紙
 ※朱里が一人目の被害者(吉本亜希子)の遺族に辛辣な言葉を吐いたらしい

  (亜希子を誘拐し、殺したのは朱里だから)

 

4 僕(主人公)と加谷
 ※雪絵からメールで主人公であるとわかる。

 

資料4 木原坂雄大ときみ(編集者小林)のやりとり

 ※“きみ”がK2のメンバーであると明かされる。

  (主人公はK2とは関係がない)

 

5 木原坂朱里(小林百合子)の部屋に僕(主人公)
 ※子どもの頃の雄大と朱里(本物)の写真を見せられる。
 ※朱里(小林百合子)が「私を助けて」

  (編集者小林と弁護士から、という意味)

 

6 僕(主人公)と木原坂雄大が面会
 ※雄大は二人の死を「自殺」だと言う
 ※姉が追い詰めた
 ※朱里にトラブルがないか確認するが、雄大は何も知らない。

  (朱里に成りすました百合子が主人公に対し助けを求めていたから。

  しかし雄大は成りすましの事実を知らない)

 

7 僕(主人公)と斎藤(K2のメンバー) 
 ※雪絵からメールで主人公であるとわかる。

 

8 僕(主人公)と斎藤(K2のメンバー)

 

9 木原坂朱里(小林百合子)の部屋に再び僕(主人公)
 ※朱里から「殺して欲しい人間がいる」ともちかけられる

  (この時点で事件の全容を百合子の口から聞かされる)

 

資料5 木原坂雄大ときみ(編集者小林)のやりとり
 ※きみ(編集者小林)がK2のメンバーだったらしいと雄大の台詞からわかる。
 ※さらに、雄大の本を書こうとしている人間がもう一人いると語られる(主人公のこと)

 ※一人称で表される「僕」や「きみ」が同一人物ではなく、二人の人間であると読者に提示される。

 

10 僕(主人公)と人形師

 ※人形師は吉本亜希子が燃えている写真を持っている。

  しかし写真は失敗であったという。

  だから二人目の小林百合子の殺人に及んだと証言

 (人形師は写真を持っているだけで事件とは無関係)

 

(11) 僕(主人公)と編集者(小林)
 ※ここだけ数字に()がつく!!!

資料6 第三者により男と女の性行為を盗撮したシーンが語られる

 ※編集者小林と弁護士が入れ替わり、朱里を凌辱するシーンを収めたもの

 

資料7 10歳の雄大の作文

資料8 僕(雄大)がらきみ(主人公)への手紙
 ※二つの事件は僕のせいじゃない、と無罪を主張する雄大

 ※吉本亜希子は盲目であった、
 ※火事は偶発的で写真なんて撮っていない

 ※二件目の小林百合子は相手から近づいてきた。
 ※監禁したなんて陰謀
 ※やはりこの時も写真は撮っていない

 ※死刑になりたくない、無罪だと訴える

雄大は実際に何もしていないので一切嘘をついていない)

 

資料9 小林百合子のツイッターと手記

 

資料10 小林百合子と男(小林)

 ※死んだのは小林百合子ではなく木原坂朱里だと明かされる。

 

資料11 僕(編集者)ときみ(吉本亜希子)

 ※僕と吉本亜希子の関係、及び木原坂朱里と出会う経緯。

 

資料11-2 僕(編集者)と弁護士

 ※僕と弁護士は手を組み、木原坂姉弟への復讐を計画

 

11 編集者と僕(主人公)

 ※木原坂朱里(小林百合子)から全てを打ち明けられ、
  編集者に迫る僕(主人公)

 

こんな風に二人称(僕、きみ)を明確にするとともに、ストーリーも浮かび上がってきます。

混乱を招いていたのは木原坂朱里のせいもあります。

二回目の殺害以降は小林百合子に入れ替わっていますから。

事件の前後や主観となる人物によって、表記は木原坂朱里であっても実際には小林百合子であったりもするのです。

 

よくもまぁ滅茶苦茶にしてくれたもんだ

 

でも全ての人物が明確となることで、ようやく散りばめられていた伏線も理解できるようになりますね。

 

タイトルはどこから?

資料11-2の中で、僕である編集者の台詞の中から抜き出したもののようです。

去年の冬、きみと別れ、僕は化け物になることに決めた

彼が木原坂朱里を抱いた後、吉本亜希子殺害の真相を聞かされ、復讐を決めた段階で彼は化け物になることを決めた。

それまでは吉本亜希子から別れを告げられても、死んだと聞かされても真の意味では彼女から離れられず、彼女を求めるがゆえに人形まで求めた彼は、復讐を志した段階で自分を捨ててしまった。

 

尚、どうして彼がそこまでえげつない復讐を試みたのか。

それもまた、吉本亜希子自身の口からヒントが与えられています。

二人で見ていたテレビにとある殺人事件のニュースが流れた際、吉本亜希子はこんな事を口走ります。

もしあなたが殺されたらどうしよう

もしあなたが殺されたら私は復讐を考える。……もちろんそれは正しいことじゃないし、私はどちらかといえば、死刑にも参加してない。だけど……、大切な人が殺されてしまったら、復讐を初めに考えてしまうのは仕方ないことなんじゃないかな。 

 対して彼はこう感想を残します。

あの時僕は何も言わなかったけれど、僕もね、きみと同じことを考えていたんだ。 

彼はその言葉通り、吉本亜希子を殺した相手に復讐を試みただけなのです。

読み返してみたからこそ気づき、じんわりと胸に響く悲しさです。

 

冒頭のイニシャルM・M、J・Iって誰?

物語の最後に男(編集者小林)の口からヒントが語られています。

彼女にもこの本を捧げる。彼女は目が見えない。だから映像の資料も全部文字になっているんだよ。さらに後で点字にもしないと。……だから、物語の最初のページには彼らの名前を書くことになる。外国の小説のように。……でも日本人には気恥ずかしいから、アルファベットにしよう。これは『小説』だから本文でも仮名を用いたけど、そこには彼らの本名を。……まずはあの死刑になるカメラマンへ、そして大切なきみに」

……全く同じ本を、片方には憎悪の表れとして、そして片方には愛情の現われとして……。M・Mへ、そしてJ・Iに捧ぐ。

おわかりでしょうか?

M・Mは木原坂雄大、J・Iは吉本亜希子の本名を表すイニシャルなのです。

これが本書の中にも献辞として収められているという事は……

 

本書そのものが、男(編集者小林)が書き上げた本である事を表しているのです!

 

ブックインブックと言いますが、最後まで推理小説のような仕立てでした。

 

おすすめの本

さて、すっかり長くなってしまいました。

アマゾンのレビュー等々でも評価が二分されている本書ですが、もし気に入ったという方がいらっしゃれば、途中似たような本として紹介した『イニシエーション・ラブ』『葉桜の季節にきみを想うということ』のリンクを貼っておきますね。

イニシエーション・ラブ』も実写映画化されていますから、よろしければそちらもご覧になって下さい。

 イニシエーション・ラブ

■ 葉桜の季節に君を想うということ

https://www.instagram.com/p/BgFkhQOldxG/

#去年の冬きみと別れ #中村文則 読了いやはやまさか推理小説だとはいつも用意するメモなしで読んでしまったので、完全に混乱したままで終わってしまいました。 もう一度読み返してようやく腹落ちす仕上がり。#イニシエーションラブ や #葉桜の季節に君を想うということ を彷彿とさせます。形式的には #白ゆき姫殺人事件 にも近いかな?これは確かに賛否分かれるのも納得です。明日、 #岩田剛典 主演で劇場公開。どう映像化するのか気になるなぁ。#本 #本好き #本が好き #活字中毒 #読書 #読書好き #本がある暮らし #本のある生活 #読了#どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい 尚、いつものようにブログも更新しています。よろしければプロフィールのリンクからご覧になって下さい。

 

 

 

『神々の山嶺』夢枕獏

そこに山があるからじゃない。ここに、おれがいるからだ。

ここにおれがいるから、山に登るんだよ 

僕は実は山登りも好きで、月に1、2度登山に出かけたりします。

と言ってもここに出てくるような危険な山ではなく、せいぜい2,000m級の山ですが。

 

なので一時期は「山岳小説」というジャンルを色々と探してみた時期がありました。

 

必ずと言って良いほど出てくるのがこの神々の山嶺

他には新田次郎孤高の人井上靖氷壁と並んで山岳小説のベスト3と読んでも過言ではないぐらい有名な作品かと思います。

ところが僕の場合、後の2つについては既に読んでいましたが、『神々の山嶺』だけは未読だったんですね。

 

というのも、上に書いた通り登る山って日本国内の、しかも低めの山ばかりですから。

エヴェレストとかK2とか外国の8,000m級の山が舞台になってしまうと、なんか世界が違い過ぎる気がして敬遠していたんです。

 

今回、ようやく満を持して読む事が出来ました。

 

G・マロニーとは 

そこに山があるからだ

登山に興味が無い方も、一度は耳にした事があろうかと思います。

「どうして山に登るんですか?」という質問に対して答えたという登山家の言葉。

その言葉の主こそ、本作で重要な役割を果たすジョージ・マロニーなのです。

※実際には「なぜあなたはエベレストに登りたいのですか(Why did you want to climb Mount Everest?)」という記者の質問に「そこにそれがあるから(Because it's there.)」と応えたのが上記の形に翻訳されてしまったそうですが。

 

物語の冒頭は、まさにマロニーとパートナーであるアーヴィンが1924年の第3次遠征隊の一員としてエヴェレストの頂上を目指すところから始まります。

パーティの一員であるオデールは第五キャンプから第六キャンプに移動する道中、二人がエヴェレストの山頂近くまで上っているのを見ますが、すぐに雲に阻まれて見失ってしまいます。マロニーとアーヴィンはそのまま帰らぬ人へ。

 

当時はまだエヴェレストの登頂が誰にも果たされず、各国が争うようにこぞって遠征隊を送っていた時代。マロニーとアーヴィンが登頂を果たしたか否かは謎に包まれたままとなってしまったのです。

 

キーワードは「マロニーのカメラ」

そこから舞台は一気に1995年まで飛びます。

遠征隊の一員としてエヴェレストに挑み、仲間を2人失った末に敗れ、下山してきたカメラマンの深町は、カトマンドゥの中古登山用具店で一つの古びたカメラを見つけます。

これこそが事件の始まり。

カメラの機種から、カメラマンである深町は一つの推測にたどり着きます。

 

もしこのカメラが――

深町は、登山用具店で手に入れたカメラを手にとった。

これがもし、本当にマロニーのカメラであったら――

 

このカメラこそ、マロニー自身が持参して登ったものかもしれない。

カメラの中に収められている写真によっては、マロニーたちが登頂を果たしたか否か、長年世界中で論争を呼んできた謎に一つの答えをもたらすものかもしれない。

 

ところが深町の言動を不思議に思った店主をはじめとする怪しい人間たちに、いつの間にかカメラは盗まれてしまいます。そこに現れたのが、「ビカール・サン(=毒蛇)」という異名を持つ謎の男。

 

深町は男が数年前から消息を絶っていた孤高の登山家、羽生丈二だと気づきます。

そしてどうやら羽生はカメラに関係しているらしい。

いや、もしかしたら羽生こそがカメラを見つけ出した張本人なのでは?

 

 

孤高の登山家 羽生丈二

羽生は国内で誰も登ったことのな八ヶ岳の難所をパートナーとともに登り、一躍世の中に名前を知られることになった登山家。

しかし当時のパートナーですら「二度とザイルは組まない」と言ってのける程、孤立した存在。

仕事も生活も全てを山に捧げ、周囲との協調性もほとんどありません。

弟子のようなパートナーを滑落死させてしまったり、エヴェレスト遠征の際に「自分が一番じゃないならやらない」と途中で投げ出し、日本の登山界からは忌み嫌われてしまっています。

その彼の前には、常に長谷常雄という一人の登山家が常に見え隠れします。

羽生がパートナーと登った谷川岳の鬼スラを単独で登り、それを聞いた羽生は同じく鬼スラを単独で。

羽生が大怪我を負い、奇跡の生還を果たしたグランドジョラスで彼を救ったのも、後から登ってきた長谷でした。

羽生が投げ出したエヴェレスト遠征では、長谷は違う組として見事エヴェレスト登頂を果たしています。

そんな長谷も、K2の冬季単独登頂を目指した結果、雪崩によってあっさり命を落としてしまいました。

 

深町、再度ネパールへ

日本へ戻り、羽生丈二について調査を続けた深町の元に、一人の女性が現れます。

滑落死した羽生の弟子である岸文太郎の妹、涼子。

文太郎を死なせた償いのつもりか、羽生は涼子に慰謝料を送り続けていたのです。

それだけではなく、羽生の恋人でもあるのでした。

しかし数年前から送金も途絶え、音信不通になっていると知ります。

 

深町は再度ネパールに渡ります。

表向きには「消えたマロニーのカメラ」を追うという口実ですが、それと同時にキーマンである羽生丈二も追い続けます。

再びカメラを巡り二転三転、駆けつけた涼子が誘拐されたりといった事件へと発展しますが、無事カメラは羽生の手元へと戻ります。

そのさ中、深町と涼子は羽生が現地に妻と子を持っている事、さらに、エヴェレスト冬季南西壁に単独無酸素で挑もうという前人未到の挑戦を計画していると知ります。

 

深町は羽生とともに、エヴェレストへ

失意の涼子とともに一旦は日本へ帰ろうとする深町でしたが、気を取り直してネパールへと戻ります。

深町は羽生の挑戦を見届ける為に、彼とともにエヴェレストに登ることを決意。

一切助け合わないことを条件に、二人はエヴェレスト南西壁へと望みます。

 

そしてここから舞台は本格的に山岳小説として、厳しい自然との戦いへと移って行きます。

 

正直なところ、冒頭以降は山登りの下りが意外と少ないんですよね。

 

ここからはクライマックスへと入っていきますので、あらすじはこの辺りまでにしておきましょう。

 

雑感など

「中盤がダレる」「冗長」などと噂には聞いていましたので覚悟はしていましたが、やはり中盤はちょっと退屈感が否めません。

  • 孤高の登山家羽生丈二の生き様
  • マロニーのカメラの行方

という2つのテーマが混在しているせいかもしれませんが、どうにもカメラの下りが邪魔をしてしまっている気がします。

羽生のこれまでの人生やエヴェレストへの想いについてようやく分かってきて、感情移入し始めた頃に、カメラを追って盗賊紛いの悪者とのやり取りが始まってしまったり……。

 

正直もうカメラはどうでもいいから。それより羽生どうなった?

 

と文句を言いたくなってしまいます。

あとがきで夢枕獏

すべて書きました。

残ったものはありません。

と述べていますから、本当に書きたいシーンを全て入れ込んでしまったのでしょうね。

 

しかしながら羽生の関わるターンは本当に秀逸です。

羽生って基本的に寡黙なんです。台詞が少ない。にも関わらず、周囲の人間の証言や遺したメモ等によって、羽生という人間の事がよくわかった気になり、最終的には大いに感情移入してしまいます。

ここがすごいですよね。

最終的には深町もまた、エヴェレストに単独無酸素で挑戦するんですが……本来はカメラマンであり、登山パーティの中でもサブメンバーのような扱いだったはずの彼がどうしてそんな行動に駆り立てられてしまうのか。

そんな心情の変化も素直に納得させられてしまいました。

 

(おまけ)ネタとして有名?

神々の山嶺』は谷口ジローの手により漫画家もされています。

その中で、某掲示板やTwitter等で度々ネタとして取り上げられるのが下記のシーン。

 

「何度も雪を足しながら、湯を沸かし、砂糖のたっぷり入った厚い紅茶を淹れ、それを飲む。

 一日に、三リットル余りの水分を、それで摂る。

 ビスケットを五枚。

 茹でたジャガイモを幾つか。

 チーズをひときれ。

 一日に、林檎を一個齧る。 

 

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一日に摂取すべき水の量は、基本的に、ひとりあたり四リットルをベースとする。血液中の水分濃度を、標準値に近く保つためには、それだけの量の水を飲まねばならない。 

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黙々と質素な食事を口に運ぶシーンが、「グルメ漫画じゃねえか」などと度々話題にされています。

tozanchannel.blog.jp

 

僕は先に“ネタ”の方を知っていたので、実際に本文中に同じシーンを見つけた際、原作の空気感がほぼそのまま漫画に表現されている事に思わず感心してしまいました。

 

逆に言うと漫画はこういった食事シーンしか見たことがないので、他の場面についてはどんな風に描かれているかも気になります。

 

山岳小説の紹介

最後に、冒頭にも出てきた代表的な山岳小説のリンクを残しておきます。

興味のある方、未読の方はぜひ手にとってみてくださいね。

 ■新田次郎孤高の人

 実在した単独行の第一人者加藤文太郎を書いた本です。

山岳小説ではNo,1と言っても良いのではないでしょうか?

 

井上靖氷壁

 1955年に実際に起きたナイロンザイル切断事件をモデルにしています。

ラストは本作ともかぶるなんとも言えない感慨を抱かせます。

 

横山秀夫クライマーズ・ハイ

著者が上毛新聞記者時代に遭遇した日本航空123便墜落事故を題材としています。

山岳小説というより、当時の新聞社や世相を抱いた社会派小説と呼べるかもしれません。

 

 

https://www.instagram.com/p/BgDbFyDlxep/

#神々の山嶺 #夢枕獏 読了#新田次郎 #孤高の人 や #井上靖 #氷壁 とならんで山岳小説のバイブルとされる本書。ようやく読むことができました。#そこに山があるから という名言を遺し、エベレストで命を経った登山家マロリー。彼が死んだのは登頂した後だったのか、それとも登頂は敵わなかったのか。歴史上の謎とされるマロリーの死に、彼のものと思われるカメラが見つかった事で自体は急変。カメラを巡る深町の前に、孤高の登山家 #羽生丈二 が姿を現す。標高8000mを超える山中からカメラを持ち帰ったのは羽生なのか。また、どうして彼がここにいるのか。山岳小説と思いきや、山岳ミステリーであり冒険小説でもあります。下巻はほぼ一日で一気読みしてしまいました。上下合わせて1100ページを超えるボリューム感にも満足です。いやぁ、読んで良かった。#本 #本好き #本が好き #活字中毒 #読書 #読書好き #本がある暮らし #本のある生活 #読了#どくしょ #読書好きな人と繋がりたい  #本好きな人と繋がりたい あわせてブログも更新しますので、プロフィールのリンクからご覧になって下さい。

 

 

『君たちに明日はない』垣根涼介

 

「これを機会に、新たに外の世界にチャレンジされるのも一考かと思われますが、いかがでしょう?」

 

さて、現在進行形の読書ブログです。

今日は東京で21℃とかいう3月とは思えない陽気だったせいで、物凄く花粉が飛んでる感覚がありました。

数日前に通院して薬を処方してもらってたので平気でしたけど。

それでも目がしょぼしょぼしたり、鼻が詰まるような症状が感じられます。

ブログのアクセス数を伸ばすためには「花粉症予防に役立つ読書」とかの記事が書ければ良いのかもしれませんけど、僕に出来るのは読んだ本を紹介する事ぐらい。

花粉症予防には出来るだけ外出を控えて、屋内で読書を楽しむのが一番良いのかもしれません。

 

現在進行形とあってTwitterでも度々触れていたんですが、

第18回(2005年) 山本周五郎賞受賞作である 君たちに明日はないはだいぶ気持ちを入れて没頭できた本でした。

リストラ請負会社に勤める主人公が、怒り狂う女、オモチャの男、旧友、八方塞がりの女、去り行く者という5章5つのリストラに関わる連作短編となっています。毎度の面談で主人公の口から繰り返されるのが、冒頭の台詞という訳です。

建材メーカーのキャリアウーマン、玩具会社の研究者、主人公と同級生の銀行員、自動車メーカー子会社のPR担当、音楽プロデューサーがそれぞれの対象ですが、一人ひとりに様々な人間性や物語が生まれます。

というのも主人公は頼まれたからといってただリストラを宣告するわけではなく、相手の経歴や考え方、バッグボーン等を詳細に調べ上げてから面談へ向かうという特異な手法を用いています。その為、相手の人となりも如実に浮かび上がらせられてしまう、といった格好。本当によく出来ています。

また、第一章である怒り狂う女に出てきた陽子だけは主人公のヒロイン役として、最後まで関わり続けますが、一般的に言われるヒロインではありません。自らがリストラ対象者として主人公と出会うという時点でまず大きく違っています。都内にマンションを買い、一生独り身で生きていくと決めた40女。主人公とヒロインは章を経る毎に距離を狭め、やがてヒロイン自身についての進退も動きを見せます。

 

どろどろした企業の内部事情や人間模様が描かれ、一歩間違えれば重く、暗くなりがちなところに、ひょうひょうとした主人公と勝気なヒロインの恋愛によって全体的に明るいムードに転換されているようにも感じられます。

 

眉間に皺を寄せて読むような小説ではないかもしれませんが、全体を通して非常にテンポ良く、面白く読む事ができました。

どうやらシリーズものとして既に5作まで展開されているようなので、いずれ続編にも手を出したいと思います。

尚、同じ山本周五郎賞の受賞作品には以前ご紹介した『ふがいない僕は空を見た』があります。

linus.hatenablog.jp

同じ受賞作品でもここまで作風が違うと、ちょっと驚きですね。

第18回から第24回の間に一体何があったのでしょう?

それでは皆さん、花粉症にはくれぐれも気をつけて。

 

 

 

『夏と花火と私の死体』乙一

 

「弥生はなにも悪いことなんかしてないんだろ、だから泣くのはやめなよ」

 

『GOTH』以来の乙一です。

厳密には別名義である中田永一『百瀬、こっちを向いて。』は読んでいましたが。

 

なんとなく、避けてたんですよね。

正直『GOTH』の印象があんまり良くなかったんです。

狙いすぎっていうか、やりすぎっていうか。

俗に言う“アンフェア”な感じがして素直に驚く事ができなかった。

 

ところがそうとは知らず『百瀬、こっちを向いて。』を読んで完全に虜になってしまい、よくよく調べてみたら乙一の別名義だったという逆パターンです。

完全に乙一してやられた感です。

 

そんなわけで、僕の中の乙一の評価は完全に混乱してしまいました。

そんな中で手に取った『夏と花火と私の死体』は言わずと知れた著者のデビュー作。

第6回ジャンプ小説・ノンフィクション大賞の受賞作だったんですね。

巻末の小野不由美による解説に詳しいですが、発表した当時十七歳、書いたのは十六歳という若さでした。

学生デビュー作家としては綿矢りさや浅井リョウも知られていますが、負けず劣らずのセンセーショナルさです。

 

主人公である“私”は物語が始まって序盤であっけなくんでしまう。

以降は“死体”である“私”の一人称で物語が進むという異様な物語。

もちろん死体を隠しては見つかりそうになり、また別な場所に死体を隠し……という手に汗握る展開はスティーブン・キングも顔負けです。

ラストのオチはある程度予想もつくところで賛否分かれそうなところですが、個人的には悪くないと思います。

 

また、同時収録された『優子』もなかなかのもの。

綾辻行人人形館の殺人を彷彿とさせる異様さや混迷具合が素晴らしいです。

文章力に難がありちょっと読みづらい点はありますが、当時の年齢を考えれば仕方の無いと思います。

 

そして個人的にツボだったのは

 

孫子武丸「女の子やったら分かる。けど、男の十六なんてまだガキやで。自分が十六の時にあれが書けたかと考えると、絶対に無理やと思う」

法月綸太郎「そうやろ」

二人「とにかく巧い、特に描写が巧いんだ」

 

小野不由美によって明かされる新本格推理作家の二人のはしゃぎぶりw

面白すぎるwww

 よっぽど興奮していたんでしょうね。

 

もしかしたら綾辻行人を推薦した当時の島田荘司も同じような気持ちだったのかもしれません。

 

『ぼくらのC計画』宗田理

ひとみの髪の毛が、並んで窓から見ている英治のほっぺたに触れた。どうしてこんなに、と思うほど、やわらかい髪だ

再び宗田理です。

今回読んだのは『ぼくらのC計画』

ぼくらのシリーズの中では比較的地味な作品に入るかもしれませんが、僕の中では強い印象が残っていましたので、今回手に取りました。

僕に読書の面白さを教えてくれた宗田理については『ぼくらの天使ゲーム』に書きましたのでこちらをどうぞ。

linus.hatenablog.jp


C計画とは

ぼくらのメンバーがマスコミ各社に送った手紙には「環境をクリーンにする計画」とあります。そのために、

まず、人間をクリーンにすることから始めることにしました

とはなんとも彼ららしい理屈です。

その実、以前手に入れた政治家の数々の悪行が書かれている“黒い手帳”を餌に、ぼくらが考えた大人たちを弄んで楽しもうというゲームなのです。

 

ゲームと妨害

子供たちから怪文書とともに送られてきたクロスワードパズルに対抗するのは、ぼくらのシリーズの準レギュラーこと矢場さん。

多数のマスコミ関係者らとの争奪戦にも遅れを取る事無く、しっかりと第一、第二の謎を解いていきます。

ところが“黒い手帳”を狙うのはマスコミだけではありません。手帳を公開されれば困る連中からも妨害工作が始まり、矢場が襲われ暴行を受ける事態にまで発展します。

一方でぼくらの先輩の父親を騙したDO商会との戦いも始まり、銀鈴荘のさよやルミを誘拐されたりという事件も勃発。

やがてDO商会と矢場を襲ったやつらが同一人物という事実を掴み、最終的には相手を夢の島におびき出し、最終決戦へと挑みます。

 

夢の島=ゴミの島

最終決戦の場所を夢の島に選んだのも意味深いところです。

本書が発行されたのは1990年。

1978年には東京都立夢の島公園が開園され、物語の中でも既にグラウンドなどが整備された現在に近い姿となっていますが、そのほんの20年前まで夢の島は「ゴミの島」と呼ばれていたのです。

style.nikkei.com

C計画は子どもの遊びでありながら、その実しっかりと社会問題や社会の闇を描き出す作品でもあるのです。これはぼくらのシリーズに共通しているテーマでもありますね。

子どもたちが好き勝手に大人を翻弄するけしからん物語として、一部の学校などでは図書室から撤廃される動きなどもあるようですが、宗田理という著者自身がぼくらという子どもの姿を借りて、大人という社会に対して疑問を投げかける社会派小説なのです。

だからこそぼくらのシリーズは今なお続く人気シリーズとして沢山の支持を集めたのだと思います。

 

ボス、カマキリ、リス、コアラ初登場

本作には「ぼくらのシリーズ」では珍しく明確な悪役が出てきます。

彼らには名前がなく、恐ろしいボスとその見た目からカマキリ、リス、コアラと呼ばれる三人組で構成されます。

のっぽ、ちび、デブという典型的な三人組キャラですね。

『C計画』を選んだのは彼らが登場するから、と言っても過言ではありません。

実はこの後、シリーズの中でも人気の高い『ぼくらの修学旅行』にも彼らは登場するのです。

『ぼくらの修学旅行』はシリーズ中でも異色作で、読んだ後の衝撃が強めです。子どもの頃はちょっとびっくりしてしまうぐらい、それまでのぼくらのシリーズのお約束を覆す出来事が起こります。

『ぼくらの修学旅行』を読むためには、まず前提としてこの『ぼくらのC計画』を読め、と言うべき作品なんですね。

 

まぁ、『ぼくらの天使ゲーム』の時にも書きましたが、基本的には子供向けです。できるだけ素直に楽しめる内に、読んでおくことをおすすめします。

https://www.instagram.com/p/BXG3Gn-jIyv/

#ぼくらのC作戦 #宗田理 読了カマキリ・コアラ・リス夢の島当時はわくわくしながら読んだなー(遠い目#本 #本好き #本が好き #活字中毒 #読書 #読書好き #本がある暮らし #本のある生活 #読了#どくしょ

『ぼくらの天使ゲーム』宗田理

いじめかセックス。これが子どもの自殺の重大な動機であることはまちがいない。


宗田理です。

思い起こすだけで、感慨深くなってしまいます。

というのも宗田理「ぼくらのシリーズ」は僕が小学校時代にがっぷりとのめり込んだ作品でもあるからです。

本を読む楽しさを教えてくれたのも、「ぼくらのシリーズ」でした。

様々な倫理上の観点から今では地上波放送される事もない映画ぼくらの七日間戦争が夜のロードショーで度々放映去れていた頃。

子どもたちが大人を相手に戦い、最後には戦車に乗って町を暴走する姿は子供心をがっちりと掴み、離さない魅力がありました。

たまたま兄がシリーズ作品である『ぼくらの最終戦争』を買ってきたのを期に、「ぼくらのシリーズ」との付き合いが始まりました。

ぼくらの七日間戦争』から、シリーズ全巻を貪るように読み始めたのです。

本作『ぼくらの天使ゲーム』は『ぼくらの七日間戦争』に次ぐシリーズ二作目。

当時はまだシリーズ化は予定しておらず、あくまで『七日間戦争』の続編として書かれた本だったそうです。

廃工場に立てこもり、大人たちと明るく楽しく、壮絶な戦いを広げた「ぼくら」のその後へと繋がるターニングポイントと呼べる作品です。


コミカルとシリアスの両立

ぼくらの七日間戦争』しか知らない方も多いと思うのですが、その後彼らは二学期に入ってすぐクラス替えによりバラバラにされてしまいます。

当然の事ながら、年度中のクラス替えなんて普通ならばあり得ない話ですが、彼らのやった事を考えれば仕方のない処置ともいえます。

首謀者の少年院行きや保護観察処分、全員が別の学校へ転校させられてもおかしくはない事態ですよね。

しかし彼らは早速始業式の日に河川敷に集まり、新たな悪戯の打ち合わせを行います。

そこで発案されるのが「天使ゲーム」

「一日一善運動」と題し、みんなで親切なことをしようというものです。

ところが彼らの事ですから、普通に大人の喜ぶような事をするはずがありません。

父親の煙草を水浸しにしたり、酒にしょうゆを入れたり、ひどいものになると親が夜中にSMプレイを楽しんでいるところを警察に通報したりします。

「善意でやっているから正面から怒るわけにもいかない」という大人の微妙な立場を上手く利用した悪戯です。

なかなか面白いことを考えますよね。


しかし途中から物語は思わぬシリアスな展開を迎えます。

三年生の先輩が妊娠してしまい、親には言えないので、産婦人科の息子である柿沼に彼氏だと偽装してもらおうというのです。

先輩の両親には隠し通したまま、中絶手術をしようという面々。

しかし先輩は「赤ちゃんを産む」と言い出し、失踪したかと思うと、校舎の屋上から投身自殺をしてしまいます。

序盤の大人に悪戯をして楽しむ子どもたちと同じ世界とは思えないような暗い展開です。

このコミカルとシリアスの両立こそが、宗田理の醍醐味でしょう。


一方で、同級生の朝倉佐織の父親が経営する銀の鈴幼稚園はヤクザの嫌がらせにより倒産の危機に。

となりにある永楽荘アパートもヤクザに立ち退きを迫られ、石坂さよというおばあちゃん一人になってしまいます。

ヤクザは土地を買占めようとたくらんでいるのです。

そこに「ぼくら」が登場。幽霊アパートに偽装した永楽荘アパートにヤクザを呼び込み、悪戯を震え上がらせます。

直、この時登場した石坂さよさんは七日間戦争以来の付き合いである瀬川さんと一緒に、この後のシリーズにおける重要な脇役キャラとして活躍する事となります。


更に死んだ先輩の事件を調査する中で、同じヤクザの関係が浮かび上がってきます。

真実を明かし、ヤクザを懲らしめようと立ち上がる「ぼくら」の面々。

以後、「ぼくらのシリーズ」は第一作である『ぼくらの七日間戦争』の理由なき戦いから成長を見せ、誰かのために戦うぼくらの物語へと発展していきます。

 

あくまで子ども向けです

今読み返しても楽しく読めるのですが、やはり今になってみると非常に軽い物語です。

漫画かアニメかというぐらい、悪い言い方をすればご都合主義で出来上がっています。

大人たちが単純で騙されやすく、子どもたちの悪戯に簡単に引っかかってしまうのも、子どもの目から見たときには楽しめたのですが、自分が大人になってみると複雑なものです。

しかしながら上に書いた通り、そんな天真爛漫・純粋無垢そうな子どもたちが先輩の中絶の相談をしたりと意外と大人な面も見せたりします。

大人と子どもの同居するアンバランスな子どもたちです。

でも自分達の中学生の頃を思い返してみても、中学生なんてそんなものなのかもしれません。

性の事や世の中の理不尽さのようなものも理解はしているんだけど、小学生の頃から続く子どもとしての立ち位置も体に染み付いてしまっているような、複雑な年頃。

そんな「ぼくら」を鮮やかに描き出した宗田理さんは、やはり素晴らしい作家さんなのでしょうね。

https://www.instagram.com/p/BW6OqKxDwOf/

なんと!小学校以来の #宗田理 !!! #ぼくらの天使ゲーム 読了昔はめちゃくちゃ感情移入しながら読んでたなー今改めて読むとこの子どもたち……かなりヤバい笑今の時代では考えられない文章ももっと稚拙な印象があったんだけど意外と普通。ご都合主義や現実離れは否めないけどねやっぱり宗田理はスゴいわ。#本 #本好き #本が好き #活字中毒 #読書 #読書好き #本がある暮らし #本のある生活 #読了#どくしょ

『鉄鼠の檻』京極夏彦

この世には――不思議なものなど何一つないのだよ。

本書鉄鼠の檻姑獲鳥の夏から始まる百鬼夜行シリーズ第四弾にしてなんと1359ページにも及ぶ分厚い本しても知られています。
ちなみに一番分厚いのは第五弾となる『絡新婦の理』の1389ページ
発売当初はレンガ本、鈍器、凶器に使える等と良い意味でも話題になりました。

https://www.instagram.com/p/BWSOmcGD9v2/

ブックカバーの意味を成さない圧倒的個性としての厚みw見る人が見ればああアレか、とすぐ見当がついてしまうはず。著者名まではわかるけど作品名までは絞り込めないという人には最大のヒント、ページ数は #1359ページ さあ、わかるかな?#本 #本好き #本が好き #活字中毒 #読書 #読書好き #本がある暮らし #本のある生活 #読了#どくしょ

ちなみに上記は思わずアップしたINSTAGRAM

ブックカバーにぎりぎり収まったのがすごいですよね。

ブックカバーはPilotの至って普通のやつです。

中面にふせんをストックさせたりするので、PVC加工の物じゃないと駄目なんですよね。

ブックカバーなのに濡れたり汚れたりを気にするのも嫌ですし。

 

ちなみに僕は、今回が初読です。

元々島田荘司綾辻行人から始まった新本格推理小説に嵌まっていた時期があったのですが、マンネリ化し始めた新本格ブームに彗星のごとく現れたのが京極夏彦であり森博嗣
怪奇系や理系といった新たなモチーフを用いることにより、肩通りの名探偵・密室殺人小説を打破し、空前絶後のブームを巻き起こしてしまいました。

ところが当時僕は確か高校生かそこらの年頃。
簡単に言うと、彼らの書く物語は僕には難し過ぎたのです。

魍魎やら仏教やら神道やら禅やら衒学的な文章が並ぶ京極夏彦然り、作中でVRの世界を乗り物に乗って走り回る『すべてがFになる』然り、面白い面白くない以前に、いまいち内容が理解できないままで読んでも何も得られなかったのです。

Fが「プログラミングで使用される16進法でいう最大数15のこと」、「10進法でいう65535を意味する」と言われてもだからどうした、としか思えないし、「時限装置の数値がFFFF」とか言われてもなんのこっちゃ、で終わってしまいます。今みたいにわからなければネットで調べられるような時代でもなかったので、頭の中に「?」が点滅したまま釈然としせず読み終えるというかなりひどい読後感でした。

世の中がブームに熱狂しているのは知っていましたが、僕には無縁の作品として距離を置き始め、いつしか推理小説からも離れる事になりました。

再び小説を読むようになったここ数年になり、改めて彼らの作品を手に取り始めた次第です。


坊主、坊主、坊主だらけ

雑誌の取材のため、京極堂ですら存在を聞いたことがないという「明慧寺」を訪れる中禅寺敦子。

外界と隔絶された閉鎖的で独自の社会が形成されていた不思議な寺。

宿泊先の旅館に突如現れる坊主の死体。

一方で同じ頃、京極堂は友人からの依頼で古書を運び出すため、近くを訪れていました。

土砂崩れにより半分埋まった建物とともに封じられた古書の調査を進める京極堂

山中駆ける振袖の童女

乗り込んだ「明慧寺」では次々と犠牲者が増え……その全てが坊主、坊主、坊主。

クローズドサークルではありませんが、宗教の世界に入り込んでしまったかのような不思議な世界観に浸ってしまいます。


推理小説……?

思い返してみると、本書が推理小説かという点には疑問を感じてしまいます。

禅僧と陰陽師による問答であり宗教観に主題があったような気も……。

確かにハウダニット(どうやって?)、ホワイダニット(なぜ?)といった謎は沢山存在してるのですが、正直なところ、途中から謎解きとかどうでもよくなっていたり。

百鬼夜行シリーズはやはり、陰陽師京極堂のキャラクターに燃え、世界観に浸る物語なのだと思います。

それこそが新本格推理の枠を飛び越えて、一般にも売れた要因なんだと思っていますが。


次に待ち受けるは『絡新婦の理』

百鬼夜行シリーズは長編だけで数えると、『邪魅の雫』まで九作。

第四弾となる『鉄鼠の檻』を読んだので、続いては『絡新婦の理』。

冒頭に紹介した1389ページのシリーズ最長編に加え、最厚を誇る作品。

いずれ読もうとは思うのですが、なかなか手が出ないのですよねー。

百鬼夜行は年一冊ぐらいのペースで攻略していければいいかなぁなんて思っています。

https://www.instagram.com/p/BW6NRVpj8pa/

#鉄鼠の檻 #京極夏彦 読了7/20の読了なんですが遅れて京極さんの本は内容云々よりも読み終わった達成感が全てな気が坊主だらけのコレのお陰で学校帰りの野球部と思われる中学生の一団までお坊さんに見えてしまったのは内緒#本 #本好き #本が好き #活字中毒 #読書 #読書好き #本がある暮らし #本のある生活 #読了#どくしょ