「『ぼくは誰よりも速くなりたい。寒さよりも、一人よりも、地球、アンドロメダよりも』」響野が芝居がかった声を出した。
「誰かの詩?」久遠は訊ねる。
「亡くなったアルト奏者だよ。ジャズ演奏家の言葉だ。私たちだって、誰よりも速く走らならなくてはいけないわけだ(略)」
……困りました。
伊坂幸太郎『陽気なギャングが地球を回す』です。
最初に断っておくと、僕は伊坂幸太郎との相性が良くありません。
最初に読んだのは確か『ラッシュライフ』で、その時には読後、茫然としてしまいました。
物語のそこかしこに散りばめられていた伏線が余す事なく回収され、全ての断片的な話が繋がるという美しいフィニッシュ!
しかし……
……で、なんなの?
というのが僕の感想でしかなく。
物語ってそもそもは一本につながっているべきものじゃないですか。
それをわざわざ分断して、それぞれごちゃ混ぜにして、最後に再び収束させる。
確かにテクニックが必要なのはわかるけど、「で、なんなの?」でしかなかったわけです。
思い起こせばそこでやめておけば良かったんでしょうね。
でも、伊坂幸太郎って滅茶苦茶有名なわけですよ。
「面白い本」って検索すると、必ず彼の名が出てくるといっても過言ではないぐらい。
本の虫としては、たまたま『ラッシュライフ』という作品が合わなかっただけで、他の作品はきっと面白いんだろうな、と可能性に賭けてみたくなるわけです。
次に手にとったのが『重力ピエロ』。
……ダメでしたね。
今となっては「春が2階から落ちてきた」というあの有名な書き出しの一文しか思い出せないぐらい、印象に残っていません。
特に「つまんねーな」とか思ったわけではなく、むしろ面白いともつまらないとも何の感慨も持てずにただただ文章を読み続け、ラストまで読み切ってしまったという記憶です。
上記2作で懲りて、しばらく遠ざかっていたのですが……最近になってやっぱり「伊坂幸太郎って面白いはずだよな?」という疑問が湧いてきてしまい、再び試してみることに。
それが本作『陽気なギャングが地球を回す』でした。
特殊能力を持つ陽気な4人組
嘘を見抜く名人成瀬、天才スリ久遠、演説の達人響野、精緻な体内時計を持つ女雪子。
4人の男女が完璧な計画で銀行強盗に挑む。
計画は順調に進み、無事金を手に銀行から逃げ出したまでは良かったものの、逃走中にたまたま衝突しそうになった相手が現金輸送車の強盗犯。
車ごと盗んできた現金まで奪われてしまう4人。
銀行強盗には成功したのに、全ては水の泡になってしまいました。
しかし転んでもただでは起きないのが4人。
ドタバタの中で天才スリこと久遠は強盗犯から財布をスッていた。
身元を辿り、成瀬と雪子が訊ねた先には強盗犯の一味とみられる男の死体が。
男の部屋の電話からリダイヤルをかけてみると、出た相手は仲間の響野。
一方で、精緻な体内時計を持つ女こと雪子の息子慎一がイジメに巻き込まれる事態も勃発。
響野と久遠は慎一とともに、イジメられっ子の薫君が監禁されたパチンコ屋の廃墟へと向かう。
イジメっ子たちを蹴散らす響野と久遠だったが、その前に銃を手にした見知らぬ男が現れ……。
まぁとにかく、ストーリーはテンポよく進みます。
え、どうなってんの? と思わせる謎と一見どうでも良さそうなエピソードがしっかりと絡まりあって、最終的には一つに繋がり、収束していきます。
でも、結局のところ……
……で、なんなの?
で終わってしまうわけです。
不要なセリフ、多くない?
もう一つ気になるのは、全編に渡って繰り広げられる会話です。
伊坂ファン的には、“会話の妙”こそが伊坂作品の醍醐味でもあり、「オシャレ」と形容されたりもするようですが。
「いや、雪子さんの様子が変だから、宇宙人に乗っ取られたのかと思って」おどけて説明する。「この間のテレビでやっていたんだけど、宇宙人が人を操作する時、つむじに小さな装置を埋め込むらしいんだ。
「どう、あった?」雪子が後頭部を向けてきた。
「いや、たぶん大丈夫」
「きっとうまく隠したんだと思う」
「現金輸送車ジャックだ!」久遠はすぐに反応した。
「マスコミがそういう煽った呼び方をするから、いい気になるんだ」響野が言う。「そもそもだ、強盗犯を、『ジャック』というのは、昔の馬車を襲った強盗たちが、『ハーイ、ジャック』と挨拶をして、襲撃してきたのから始まっただけでだ、意味なんてないんだよ」
「同一犯なの?」祥子は、響野の話を無視したまま、成瀬に訊ねる。
「いいや、おまえが何と言おうと、世の中は偶然で溢れているんだ。芥川龍之介の言葉を知っているか? 『本当らしい小説とは恐らく人生におけるよりも偶然性の少ない小説である』とな、そう書いているだろうが」
「それがどうかしたか?」
「ようするに、現実世界には、小説以上に偶然が多いということだ」
「弘法は筆を選ばないものだがな」と後部座席の響野が言った。
「弘法は選べなかっただけよ。お金がなくて」雪子はそう言いながら、ハンドルを切る。港洋銀行を襲った時とほぼ同じルートを走っていた。
「弘法さんもさ、恰好つけずに、雪子さんみたいに盗めば良かったんだ」久遠がすかさず言う。「そうすれば、弘法筆を選び放題、だ」
……キリがないので抜粋はこの辺にしておきますが、こういうのが魅力的な会話っていうんですかね?
とにかく彼らの会話の半分以上は小説に関係のないものばかりで、ただひたすら会話の「テンポ」や「響き」だけを重視して書かれているように感じられます。
余計な会話文を省いたら、本書は半分ぐらいのボリュームに減ってしまうんじゃないでしょうか?
残念ながら僕の胸には刺さる文章が一つもない為、ただただ読み流すだけでしかありませんでしたが。
作者は何をしたかったのか?
しつこいようですが、「何を書きたいか」って重要だと思ってるんです。
伏線ちりばめて回収とか、それはあくまで技法であって、主題にはなり得ないはずですからね。
手段が目的化した作品は空虚でしかありません。
その辺が伊坂幸太郎が毎回直木賞で酷評される理由に繋がっているように思えるのですが。
ちなみに本作で書きたかった事は、新書刊行時のあとがきで作者自身が下記のように語っています。
九十分くらいの映画が好きです。もちろんその倍以上のものでも、半分くらいのものでも良いのですが、時計が一回りしてきて、さらに半周進んだあたりで終わる、そんな長さがちょうど体質にも合っているようです。
あまり頭を使わないで済む内容であれば、そちらのほうが好ましいです。アイパッチをつけた男が刑務所に忍び込んで、要人を救出して逃げ出してくる。そういうのはとても良いですね。現実味や、社会性というのはあってもいいですが、なかったからと言ってあまり気になりません。
今回ふと、そういうものが読みたくなり、銀行強盗のことを書いてみました。
サックリとしたアクション的な物語を書きたかったらしいですね。
そういう意味では、半分は成功していると言えるかもしれません。
サックリとした読みやすい物語という意味では、成功です。
でも本作が彼の言うような90分の映画と比肩し得る作品かというと、疑問に感じてしまいますね。
やっぱり僕には合いませんでした。
でもまたいつか、再び彼の作品を試してみる気がします。
特に『ゴールデンスランバー』は本屋大賞を受賞していますからね。
避けては通れない作品かと。
またいつか、の話ですが。