おすすめ読書・書評・感想・ブックレビューブログ

年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『夢違』恩田陸

「――夢は外からやってきて」 

 石清水がぽつんと呟いた。

「どこへ行くんでしょうね」

 

恩田陸『夢違』を読みました。

当ブログにも登場機会の多い恩田陸作品です。

 

直木賞や映画化で話題の『蜜蜂と遠雷』をはじめ、本屋大賞を受賞した『夜のピクニック』。綾辻行人『another』をインスパイアしたという『六番目の小夜子』等話題作には書かないベストセラー作家ですね。

 

ただし過去の記事にも書いた通り、佳作・凡作も多い作家だと認識しています。

今回の『夢違』はどちらに属する作品になるか……楽しみですね。

 

過去の記事については下記のまとめをどうぞ。

 

 

 

夢判断と夢札

本書の一番の題材が夢札と呼ばれる先端技術。

誰かが見た夢を映像として具現化する事ができ、それにより解析を行う夢判断という仕事が生まれています。

主人公の野田浩章はそんな夢判断に携わる技術者の一人。

野田はたまたま図書館で目にした一人の女性に、驚きます。

彼女は野田の兄の婚約者古藤結衣子であり、予知夢を見ることができる能力を認められた日本で最初の人物でした。

結衣子は上司の葬儀に参列するために北関東へ車で出かけた時に、サービスエリアで起きた火災に巻き込まれて焼死したはずなのです。

 

ある日の事、とある小学校の1クラスで、集団ヒステリーのような事件が起こります。

全員が突然教室を飛び出して、校庭で嘔吐した生徒もいた事から集団食中毒かに思われましたが、全員は不明。

野田達は生徒達の夢札を引いて調べる事に。

野田は夢の中で、古藤結衣子らしき人物を見つけてしまいます。

 

さらに同様の事件は表ざたになっていないだけで、全国の様々な学校で起こっている事が判明。

一体何が起こっているのか。

古藤結衣子の関係とは。

死んだはずの彼女の消息とは。

 

序盤から恩田小説らしい謎の畳みかけで、物語はぐいぐい進んでいきます。

 

 

当たり外れの多い恩田作品の中から当たりを選ぶ一つの指針

恩田小説の特徴というのは、とにかく縦横無尽に謎やら手がかりといったフックをばら撒きまくるんですよね。

一つの謎が解けない内に、次々と新たな謎を登場させるのです。

 

それらが最終的に綺麗に着地すれば良いのですが、最後までぶん投げっぱなし、謎残りっぱなしの消化不良で終わる事も珍しくないという作風……。

もっとも推理小説でもない限り、全てが理路整然と説明される必要もないのですが。

特に本書のような超常現象を題材とする場合、説明しきれない事象というものも存在してしかるべきでしょう。

 

こう前置きすると嫌な予感しかしないかもしれませんが……本書がどうなのかというと、まぁなんとも、微妙なところですね。

おそらく著者は、夢現の境のような曖昧で幻想的な世界を描きたかったのだと思います。本書においてそれは、おおよそ狙い通りに働いたのではないでしょうか。

 

しかしそれが読者にとって望ましいものか、好ましいものかというとまた別問題。

 

様々な謎に対し、著者なりの答えのようなものを用意してはいるのですが、曖昧で幻想的なものであるが故に、肩透かしと感じる方も少なくないと思います。

モヤッとする感じ、と書けばお分かりいただけるでしょうか。

 

分類すると本作は『常野物語』や『六番目の小夜子』のような怪奇・幻想小説にカテゴライズされると思うのですが、恩田作品の中でもこの系統の作品には消化不良ものが多い気がしますね。

 

蜜蜂と遠雷』や『夜のピクニック』、『チョコレートコスモス』のようにストレートな人間同士の物語の方に、名作が多いような気がします。

今後恩田作品を選ぶ上の大きな指針になるかもしれません。

 

なんだか次を選ぶのが楽しみになってきました。

 

 

 
 
 
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『家族の言い訳』森浩美

言い訳を

いちばん必要とするのは

家族です

森浩美『家族の言い訳』を読みました。

ライトノベル系の作品が続いていたので、一般文芸作品は久しぶりですね。

 

森浩美作品もまた、『夏を拾いに』以来二作目。


上に紹介した『夏を拾いに』は今から約三年前に読んだ作品で、今となっては昭和の匂いが強い和製(縮小版)スタンド・バイ・ミーという印象が残るのみです。

あとはなかなか悪くない作家さんだったな、と。

 

今回は短編集という事で、どのような持ち味が発揮されるのか、楽しみです。

 

 

家族をテーマにした短編集

収められているのは家族をテーマにした全八作。

とはいえいずれもどこかほろ苦く、家族をテーマにしつつも、逆に家族とは何か?を問うようなものとなっています。

 

『蛍の熱』

 心中するためにやってきたはずが、幼い息子が急に発熱し見知らぬ民宿の世話になる母親の話。

 

『乾いた声でも』

 急死した夫の弔いにやってきた同僚から、妻の知らない夫の意外な一面を知らせる。

 

『星空への寄り道』

 会社を畳んだ男が乗り合わせたタクシードライバーとの会話の仲から大事なものを思い出す。

 

『カレーの匂い』

 一人で生きる強い女を自認する主人公の心の葛藤を描く作品。これが一番好き。

 

『柿の代わり』

 元教え子と結婚した高校教師。しかし彼女と関係したという同級生だった男の子から懺悔を受ける。

 

『おかあちゃんの口紅』

 貧乏性の自分の母親に対して嫌悪感を抱く主人公だったが、母親の死に際して考えを改める。

 

『イブのクレヨン』

 幼い頃に母親に捨てられた主人公と、母親が初めて誕生日プレゼントにくれたクレヨンにまつわる話。

 

『粉雪のキャッチボール』

 地方のリゾートホテルの支配人として自ら赴任し、家族とも疎遠になった父が定年を迎えるからと、一人駆け付ける主人公。

 

以上、ざっくりとしたあらすじですが、どれもなかなか読み応えのある作品ばかりです。

読み終えた後も心がほっこりするというよりは、現実の世知辛さみたいなものを突き付けられるビターな読後感のものが多いように感じますが、だからこそ面白いと言えます。

 

このところライトノベルばかり読んでいたから余計にそう思うのでしょうか。

 

実は僕、小説と言うと長編ばかり好んで読んできて、短編はちょっと避けがちだったのです。

推理小説を読んでいた時期が多いせいでしょうか? 本格ミステリ的な作品は、辞書みたいに分厚い超長編の中で大掛かりなトリックを仕掛けるのが定番でしたからね。

短編集ってあまり読書意欲がないときに、ちょっとずつキリ良く読むもの……というネガティブなイメージを持ったりもしていまして。

 

けど今頃になって、短編の良さに目覚めてきた状態です。

なので今後しばらくは、今度は短編集が続くかもしれません。

 

それでは。

 

 

 
 
 
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『いつか、眠りにつく日』いぬじゅん

「俺の仕事は、死んだ人間を、あっちの世界に連れてゆくことだ。しかし、人間っていうのは厄介で、『死んでもしにきれない』っていう、変な感情や想いをかかえていつヤツが多い」

 

いぬじゅん『いつか、眠りにつく日』を読みました。

こちらもスターツ出版から発行されたライトノベルーーもといライト文芸作品。

 

これまでご紹介してきた作品同様、本作もケータイ小説サイト野いちごから第8回日本ケータイ小説大賞を受賞し、書籍化された作品です。

フジテレビではオンデマンド配信ですがドラマ化もされています。

 

おそらくいぬじゅんさんという作家は、以前ご紹介した沖田円さんと並ぶスターツ出版の看板作家のうちの一人なんだと思います。 

 

ライト文芸というジャンルに興味を持ち、理解を進める中で、読むべき作家・作品の一つと言えるでしょう。

 

 

死神と取り組む未練解消

主人公の蛍は高校二年生。

修学旅行に向かうバスの中で、事故に遭い、目の前に現れたのが案内人を名乗る通称クロ。

蛍があっちの世界に行くためには、この世に残した三つの未練を解消必要があるというのです。

要するに蛍は幽霊となってしまったわけで、一か月という時間の中で、対象である三人に会い、未練の解消に努めます。

 

……という、非常にライト文芸らしい、ベタ中のベタとも言える内容ですね。

 

その対象というのは、死の直前喧嘩をしてしまった親友の栞と、ずっと入院していた祖母のタキ、そして密かに想い続けていた幼馴染の蓮。

連作短編集のように、一人ひとりと会い、未練を晴らしていく蛍なのですが……本作にはちゃんと、「全部の未練を果たして成仏しました。めでたしめでたし」では終わらない仕掛けが施されています

 

最後を見届けた人は、きっと胸を打たれずにはいられない事でしょう。

 

ライト文芸です。

……ただし。

ここからは本音になりますが。

 

これまで書いてきた他のライト文芸作品の記事の中でも繰り返し主張してきた通り、ライト文芸というのは水戸黄門暴れん坊将軍にも似た「読者の期待を裏切らない凡庸に徹した作品」です。

本作はスターツ出版の看板作品の一つという事もあり、まさにその筆頭と言えます。

 

死んだ主人公が死神と未練を晴らすという設定はもちろんですし、死の直前に(他愛もない)喧嘩をしていた親友の存在や、想いを告げられないまま終わってしまった異性の存在等、どれもこれも既視感のある話ばかりです。

それだけでは終わらない仕掛けが用意されていると書きましたが、それもまた読書慣れしている人であれば読み始めた段階からすぐに気づくor疑ってしかるべき内容と言えます。

 

とはいえ色々とライト文芸作品を読む中で再認識したのは、多くの人に読まれる作品というのは構成にひと捻りも二捻りもあるという事。

 

物語を書く上では起承転結・序破急と言った構成が上げられますが、昔の古典作品ならいざ知らず、もはや起承転結では単調で味気ない作品になってしまいがちです。

昨今の漫画やアニメ、ドラマ等々も同様ですが、話題作は起承転……の後に結が来ると見せかけてひっくり返し、今度こそ終わりだと思いきやさらにひっくり返すと言った、いわば起・承・転・転・仮結・転・結型の構成が多いように感じています。

 

もうちょっとわかりやすく書くと、下記のようなイメージです。

 

 

〈起・承・転・結型〉

 

  起……男女が出会う

   ↓

  承……仲が深まる

   ↓

  転……男には重大な問題があると判明

   ↓

  結……問題を解決し二人は結ばれハッピーエンド

 

 

〈起・承・転・転・仮結・転・結型〉

 

  起……男女が出会う

   ↓

  承……仲が深まる

   ↓

  転……男には重大な問題があると判明

   ↓

  転……問題を解決したと思いきや実は彼女の方に深刻な事情が

   ↓

  仮結……やはり二人は結ばれず悲しい別れ

   ↓

  転……二人が知らない意外な事実が判明。全ての問題が解決

   ↓

  結……遂に二人は結ばれハッピーエンド

 

 

本作も一つ一つの物語や要素だけを取り上げれば凡庸で固められたような作品なのですが、上のような捻りを加える事で物語に奥行きを生み出す事で成功した好例と言えるでしょう。

死んだら死神が出てきて、未練を解消するだけの話なんて他にいくらでもありますからね。

その辺りが名作として現在も読み続けられる一因かと。

 

まぁとはいえあくまでライト文芸

前代未聞のどんでん返しを期待するような作品ではありませんので、あくまで良く出来た凡庸さを楽しみたい、裏切る事のないベタな名作を読みたいという方におススメします。

 

 

 

 
 
 
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『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』山口悟

あれ? おかしいなこれ? ハッピーで追放、バッドで死ぬって……カタリナ・クラエスにハッピーなエンドがなくない? バッドオンリーなんですけど!?

今回読んだ本は山口悟著、その名も『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』という長ったらしい名前のライトノベルです。

尚、レーベルは一迅社文庫アイリスというあまり聞かない名前。

ざっくり調べてみると、元々は漫画の月刊誌などから始まった会社みたいですね。

 

2008年5月にライトノベルレーベル「一迅社文庫」を創刊し、同年7月に少女向けライトノベルレーベルとして「一迅社文庫アイリス」を創刊とまぁ……女の子向けのレーベルだったようです。

だったようです、というのには理由がありまして、レーベルのホームページを見れば一目瞭然。

 


ピンク~紫基調のカラーリングにどことなく女の子っぽさを感じられるだけで、並んだラインナップは最近流行りのライトノベルに他なりません。

多分読んでいるのも男性読者が多いんじゃないかなぁ、と。

 

もう一方の男の子向けライトノベルレーベルとされる「一迅社文庫」の方はというと……

 


やはり、大差ないような感じがしちゃいますね。

まぁライトノベルにも種類が豊富過ぎて書くレーベルカラーが出しにくくなっているのも周知の事実。いずれは一つに統合されたりしそうな匂いがぷんぷんしますが。

 

ここまでは余談として、本題に入る……前に、まずは一旦、自分のためにも整理しておきたいと思います。

 

 

最近よく聞く悪役令嬢モノってなんぞ?

本書を読んだ理由は、上記の通り。

 

悪役令嬢モノってなんぞ?

 

という点です。

最近よく見るんですよね。書店で棚を見ていてもそうですし、TwitterのTLにも書籍やらWEB投稿サイトまでとにかく悪役令嬢モノが多い。

 

ライトノベルというと異世界転生・ハーレム・チートといった題材が多く散見されるのですが、昨今では悪役令嬢と名の付く作品の方が多いのではないか、と思えるぐらい爆発的に増加している印象を受けます。

 

もはやWEB上には悪役令嬢モノの定義から歴史までさまざまな考察が語りつくされているようですので詳しくは省きますが、ざっくり言い表したのが下記の通りになろうかと思います。

 

「前世でプレイした乙女ゲームor愛読していた少女漫画の世界に転生した主人公が、自分はヒロインをいじめる悪役の立ち位置にいることに気がつき、シナリオで予定されたバットエンドを回避するため東奔西走する」

 

……まだちょっとわからないですね。

わかりやすい例を挙げれば、シンデレラの姉に転生した主人公がバッドエンド回避に奔走する感じでしょうか。

 

主人公自身は物語の大筋を理解しているため、要所要所に立ちふさがるフラグを頑張ってへし折っていく。

シンデレラをイジメないとか、お城の舞踏会に行くシンデレラを上手くアシストして心証をよくする、とか。

 

とはいえ実際に読んでみない事にはわからない。

悪役令嬢モノのテンプレ、代名詞的な作品ってなんだろう? と調べてみたところ、本書『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』が上がって来たのです。

 

何せ本作はテレビアニメ化もされた大ヒット作品ですからね。

 

流行りの悪役令嬢モノがどんなものなのか、この目で確認してみたいと思います。

 

 

オーソドックスな悪役令嬢モノ 

 

主人公はカタリナ・クラエス

公爵の一人娘というお嬢様……つまり令嬢です。

まだ幼い彼女の周りには王国の第三王子や第四皇子、伯爵の子息といった王子様クラスの美男子キャラがずらりと揃っていて、やがて学園に上がると、本来の乙女ゲームの主人公となる少女が現れ、少女と美男子達による恋愛趣味レーションが幕を開ける事になります。

それこそが乙女ゲー『FORTUNE・LOVER』の世界。

 

しかし、実際にはカタリナ達は幼く、学園に上がる前――つまり『FORTUNE・LOVER』のゲームが始まる前の段階なのです。

 

そんな折、カタリナ・クラエスは唐突に思い出します。

自分は元々現代日本を生きる女子高生で、連星したこの世界は自分が死ぬ直前までやっていた乙女ゲー『FORTUNE・LOVER』だと。

 

さらに重要なのは、カタリナ・クラエスはゲーム内における悪役令嬢――主人公キャラと男の子たちの恋愛に妨害工策を仕掛ける悪役であり、どんなルートを辿ったとしても、最終的にカタリナ・クラエスはバッドエンドを迎えてしまうのです。

全てを思い出した彼女は、どうにかしてバッドエンドを回避しようと企みます。

しかしそれは追放された時に備えて剣や魔法の腕を磨こうといった不可思議なもので、魔力の源との対話が必要と聞いた彼女は、土の魔法の源となる大地と対話するために農作業を始めたりと見当はずれなものばかり。

 

そう……本書の主人公カタリナ・クラエスはド天然キャラなのです。

 

しかしやって来た第三王子ジオルドは、農民のような姿の彼女にかえって気を惹かれてしまいます。

王家に近づきたいクラエス家側から婚約などと言い出してくるのではと警戒していたジオルドは、自ら婚約を申し出るという思い切った行動にでてしまいます。

そうしていつの間にか、彼女は時分に向かうはずだった破滅フラグを知らず知らずのうちに解決してしまうのです。

 

天然キャラの主人公が謎行動を取った結果、ことごとく事態が好転してしまうというラノベにありがちなご都合主義展開です。

 

しかもラノベにありがちという意味ではもう一つ……こんな形で彼女は、次々に出会う登場人物と本来生まれるはずだった確執まで解消してしまいます。

対立軸までねじ曲がり、いつの間にか主人公の攻略対象となるべき男性キャラや、敵対関係にあるはずの相手からも、彼女に向けられるのは好意ばかり。

 

天然キャラの主人公が天真爛漫に振る舞った結果、意図せず好感度が上がってしまうというラノベにありがちなハーレム展開です。

 

つまるところは『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』に代表される従来のライトノベルの舞台を悪役令嬢に差し替えただけであり、物語の構造としては異世界ハーレムや学園ハーレムと大きく違うものではありません。

極論すれば本書は『やはり私の乙女ゲーはまちがっている』みたいなものだと言っても過言ではありません。

 

悪役令嬢モノ、悪役令嬢モノと常日頃から耳にはしていましたが、ようやくそういう事だったのかと刮目した気分です。

他の悪役令嬢系の作品も似たり寄ったりのようですし。

これですっきりです。

 

 

わかりやすい≒クドい

本書を読む上で賛否両論あるのがその構成。

主人公目線で本編進行後、章の最後に相手のキャラクター目線でもう一度回想という、あまり見ない形で各章が構成されています。

 

一般的に一人称の作品の場合、どうしても主人公以外の心情というのは測りかねる部分があります。

「〇〇は目を丸くしていた」という表現により相手が驚きに目を見開き、呆然としている様子は浮かんだとしても、具体的に何に対して驚いていたのかは、想像の域を出ません。

呆然としている間に、相手の胸に膨らんだのは好意かもしれないし、逆に悪意かもしれない。その辺りは前後の話の流れから読者が推測するしかないんですね。読んだ読者全員がすんなりと同じような情景を思い浮かべられるかどうかは、一重に作者の力量次第とも言えます。

その曖昧な部分を、本書は後から相手目線でもう一度振り返る事によって、きっちりとと描き出しているというわけです。

 

これはある意味では親切丁寧でわかりやすいと言えますが、反面、非常にしつこく、クドさを感じる事もあります。

別に回想されずとも、重々理解している場面も多々ありますからね。

 

テレビでよく見られる手法で、「彼女の正体とは?真実とは?」なんてさんざんヒキを作っておきながらCMに入り、CM明けた後にもう一度最初からおさらいされてイライラする事ってありますよね? いやそれさっき見たやつ! さっさと正体教えて! なんて。

またはお笑いグランプリ系のコンテストで、優勝後にもう一度同じネタをVTRで見せられるとか。

あれに近いクドさ、と言えばおわかりいただけるでしょうか?

 

わかりやすいのはわかりやすいんです。

きっちり詳細まで描きたいという気持ちもわからないでもないですし。

ただ一般的に言ってしまえば、新人賞なんかでこれをやってしまうと間違いなく落とされますよね。

 

意図してぼかしたり、描かなかった心情や事象を後々モノローグとして回想する事で穴埋めするというのであれば良いのでしょうが、毎度毎度お決まりパターンでやるというのは、基本的にはご法度かと。

実際、本シリーズの後半になればなるほど、クドい、しつこいといった感想が増えてくる事にも表れています。

 

自分で小説を書くという人も、本書のような物語の構造は真似したとしても、構成については真似しない事をおすすめします。

 

今回はこんなところで。

 

 

 
 
 
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『ちっぽけな世界の片隅で。』高倉かな

 願いが込められた玉は落ち、込められていない玉が残る。そんなふうに、わたしたちの生きる世の中は、うまくいかないことばかりだ。

 大切にすべきものが、ないがしろにされる。無法がまかり通り、きれいなものが汚される。 

 

高倉かな『ちっぽけな世界の片隅で。』を読みました。

もういちいち説明する必要もないかもしれせんが、今回もスターツ出版文庫からのライト文芸となっております。

しかも中学二年生を主人公とした学園モノ。

またベタなライト文芸を楽しめそうな匂いがプンプンしますね。

 

前置きは短めにして、早速本編をご紹介していきましょう。

 

 

 

厨二病(女子ver)

主人公である中学2年生の八子は、簡単に言うと女子版の厨二病罹患者。

友人である明のノロケ話にはついて行けないし、彼氏と同じ野球部の男の子といちいちくっつけようとしてくるのもウザい。母親も、クラスメートも、目に映るもの全てがウザい。

もちろん自分の事が一番嫌い。

 

こんななかなか珍しい女子バージョンの厨二病をまざまざと描いている時点で、著者の力量は推して知るべしですね。

 

そんな八子の唯一の癒しは夜のラジオ。

たまたまそこで耳にしたジュウエンムイチ、というペンネームに八子はピンと来ます。

隣のクラスで、同じ塾にも通う田岡の、掠れた名札がちょうどそのように読めるのです。

 

ジュウエンムイチの悩みは「隣のクラスに好きな子がいる」というもの。

ジュウエンムイチの正体は本当に田岡なのか。

田岡の好きな子ってもしかして?

 

そんなドキドキとした年頃の女の子の心情が活き活きと描かれていきます。

 

 

月9 ✖  →  朝ドラ 〇

そんな中で八子の田岡に対する想いとならんで本書の核となっていくのが、いわゆるイジメ。

八子の目の前で、同じクラスの同級生が、同級生に虐められる。

申し訳なく想いつつも、八子には傍観する事しかできません。

 

どんどんエスカレートしていくイジメ。

 

ある日の朝、たまたま早く出てきた八子はばったり田岡と鉢合わせ。

二人が着いた教室では、見るも恐ろしいイジメが行われており、それを見た田岡は――。

 

そんな田岡の行動に影響され、やがて八子もまた、ある行動に出ます。

 

……多分ですね、高倉かなさんという作家はすごいです。

中学二年生という年代の複雑な心模様を見事に描いています。

イジメの様子も、それを見る八子の心情も、非常にリアル。

 

あとがきに児童文学を意識して書いたとある通り、ライト文芸というよりはそちらに近いテイストの作品になっています。

恋愛要素の扱いも好きだ、嫌いだ、運命の人だ、というラノベ的ノリではなく、主人公の中で少しずつ相手に対する印象が変わっていったり、捉え方の変化によってこれはもしかしたら恋なんじゃないかと本人自身が戸惑うといった、非常にリアリティのある描き方です。

 

これまで読んできたスターツ出版文庫の作品としてはある意味異色と言えるかもしれません。

 

ただし異色なだけに、同レーベルから出版されている他の作品に比べるとちょっと単調過ぎるかな、というのも正直な印象。

ライト文芸って、極論するとある日突然出会った(再会した)相手が運命の人で、それによって自分の人生が変わる(過去に負った傷や罪から解放されたり、本来の自分を取り戻したりする)作品が大半だと思っています。

 

そういう作品を求めている人にとっては物足りないだろうな、と。

月9のトレンディドラマを期待していたら、朝の連続テレビ小説だったみたいな感想になってしまいそうな予感がします。

 

僕はこちらのテイストの方が好きですけどね。

スターツ出版文庫からもこういう作品が出てるんだなぁ、という新鮮な驚きを感じたというのが素直な感想です。

 

 

イジメの話、多いなぁ

ただ、それを読む僕の精神状態が良くなかった。

 

一言で言うなればイジメものに飽いていた。 

 

ここ最近ライト文芸が続き、間に読んだのも村山由佳天使の卵シリーズという状況。

『天使の柩』もまた中学生の女の子が追い詰められる作品でしたが、『ぼくは明日、きみの心を叫ぶ。』や『消えない夏に僕らはいる』等、スクールカースト・いじめを題材にした作品が多かったんですよね。

 

学生を主人公に置いたライト文芸となるとどうしてもそういったものが題材になりがちなのかもしれませんが、どれも基本的には自分の側で起きているイジメから目を背ける、我慢できなくなって声を上げるものの今度は自分が標的に、といった内容が多い。

こういうのって読んでる側もどんどん鬱々してきちゃいますよね。

 

あらすじ読めば大体わかるんだから読むなよ、と怒られちゃいそうですが。

ざざざっとジャケ買いで買ってみたら、もれなく学園モノ≒イジメモノだったという感じです。

 

でもまぁいい加減ライト文芸にも飽きてきたかなぁ。

そろそろまた本屋に行ってみようかと思い始めたところです。

まだ積読がたくさんあるんですけどね。。。

 

 

 
 
 
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『春となりを待つきみへ』沖田円

「あの星の裏側でおれの名前を呼んでみてよ。どこに居たって見つけてあげる」

さて、再びライト文芸へと戻り沖田円『春となりを待つきみへ』を読みました。

ここ最近当ブログで取り上げる事の多いスターツ出版文庫の作品。

つい先日『一瞬の永遠を、きみと』の記事を書いたばかりですので、記憶に新しい方も少なくないとは思うのですが。

 

 

ちなみに上記作品は「これがライト文芸ってやつ」と絶賛に近い内容となっています。

ご興味のある方はぜひご一読を。

 

個人的に沖田円という作家はスターツ出版文庫を代表する作家のひとりと思っていますのでね。

二冊目となる本作も、感想を書いていきましょう。

 

失くした双子の弟・春霞と突然現れた謎の男・冬眞 

どこか世の中に絶望した感のある主人公・瑚春は、冬眞と名乗る男に突然呼び止められます。

冬眞は「俺を連れて行って」と言い、迷惑がる瑚春につきまといます。

仕舞いには瑚春の部屋までやってくる始末。

そうしてあれよあれよという間に、いつの間にか二人は一緒に住む事になります。

 

……

 

……

 

……

 

ちょっと何言ってるかよくわからないですよね←

 

読んでもらえばわかるんですが、実際こんなお話になんです。

割愛はしていますが、基本的にありのままの話です。

 

よく大人の恋愛小説にありがちな、意気投合してワンナイトラブのつもりで一夜を共にしたら、そのまま一緒に住むようになった……とかいう話でもありません。

「帰れ」「そんな事言うなよ」的な軽い押し合いを繰り返した後、料理が苦手な瑚春のために冬眞がインスタントラーメンを作ってあげただけです。

 

結果、「ちょっと大きな捨て猫を拾っただけ」というノリで、二人は一緒に住む事になります。

 

なので本書については、もう最初のこの強引な展開を許容できるか否か、で全ての評価が決まります。

お、面白れーじゃん、と思えればそのままサクサク読み進めるべきです。

ありえねーよ、という方は回れ右して忘れるべきです。そういう人が読むべき本ではありません。

 

思い返してみれば、上に挙げた『一瞬の永遠を、きみと』もそれまで面識のない高校生同士が突然自転車に乗って海を目指す事になるという、かなり強引な話でしたし。

沖田円という作家は、もしかしたらそんな強引な展開を得意とする作家なのかもしれません。

 

 

短編で十分

以降の物語がどう展開するかというと、あらすじを読んだ時になんとなく想像できるそのままの内容です。

336ページというライトノベルにしては長めの作品ですが、様々な日常的エピソードを通して瑚春と冬眞の心が繋がっていき、やがて瑚春に何があったのか、冬眞は何者なのかという謎の答えが提示される。

 

……これは 『一瞬の永遠を、きみと』にも共通するのですが、本作は基本的にベタです。

 

 ベタ&ベタ&ベタ。

定番&お決まり&テンプレート。

 

 それ以上でも以下でもありません。

なので謎の答えとは書きましたが、基本的に読者の多くは読み始めてすぐに「きっとこういうオチじゃないの?」と予想できてしまう事でしょう。そしてその通りの結末が見られる。

 

まさに水戸黄門暴れん坊将軍を彷彿とさせるテンプレート型のライト文芸

ただそれだけに……さすがに本作に関しては、ちょっと膨らませすぎじゃないかな、と思ってしまいました。

 

だってもう答え見えてんだもん。

どうせこうでしょ、ってわかっちゃうんだもん。

 

水戸黄門はせいぜい一時間ドラマだから良いのであって、劇場版水戸黄門とか流石に飽きちゃいますよね。八兵衛のくだり何回やんのよ。弥七も佐助ももう十分でしょ。わかったからさっさと助さん格さん、懲らしめてやりなさい。早く印籠だしてははぁってやってよ、とまぁそんな気分。

 

本作の内容的にはアンソロジーの短編集や、WEB小説の短編もので十分なものです。

それをとにかく膨らませに膨らませた。

沖田円の書く文章や雰囲気が好き、という人には嬉しいかもしれませんが、そうではない人には食傷気味になる事間違いなしです。

 

まぁでも、それもこれもWEB小説からの書籍化作品の多いスターツ出版文庫のレーベルカラーというやつなんですかね。

 

もうちょっとひっくり返すような作品があっても良いんじゃないかと思ったりもするんですが、だったら他のレーベル作品を読めと言われてしまいそうですね。

 

色々と悩ましい面もあるものです。

 

では、今回はここまで。

 

 

 
 
 
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『天使の柩』村山由佳

彼はただ、ずっと長い間どうしても閉じることができずにいた柩の蓋に、今やっと手をかけて、お弔いを終えようとしているだけだ。

村山由佳『天使の柩』を読みました。

ふと思い立って、『天使の卵』からシリーズ作品を読み返し始めたわけですが、本作で完結となります。

 

天使の卵』から『天使の梯子』まで十年、そこからさらに本作『天使の柩』まで約十年。

約二十年続いてきた天使の物語が、ついに終わりを遂げます。

 

そう思うと、感慨深いものがありますね。

本文に先立ち、これまでの記事を下記に置いておきます。

せっかくのシリーズ作品ですし、ブログの方もぜひ『天使の卵』からお楽しみください。

 




 

孤独な少女から始まる物語

シリーズ最終作となる本作は、『天使の卵』の主人公である歩太でも、『天使の梯子』のヒロインである夏姫でもなく、なんと初登場となる中学三年生の天羽茉莉。

彼女はとにかく複雑な事情を抱えた子です。

母親はフィリピン人で、彼女を生んで間もなく失踪。

育ての親となった祖母は母親への憎悪を孫である茉莉に容赦なく向け、事ある度に「いやらしい子だね」と叱責しながら育てました。

そんな祖母も亡くなり、現在は父親との二人暮らし。

しかしながら昔は秀才で謳われた父も、職場で上手く行かないのかどこか様子がおかしい。

実の娘の茉莉とも、互いを避けるようにして生活しています。

具体的には、父親が帰宅すると茉莉の部屋に外から鍵を掛けるという歪過ぎる親子関係。

 

そんな生活を送る中、茉莉はタクヤという男と出会います。

「チョータツ」と言っては手近な弱者から金を巻き上げて生活しているようなタクヤに、求められるがままに身体を捧げ、彼の部屋に入り浸るようにして爛れた生活へ。

茉莉は坂道を転げ落ちるように、どんどん悪い方へ、悪い方へと落ちていきます。

 

そんな茉莉の心の拠り所は、公園で見つけた野良の子猫。

折を見ては餌を上げて面倒を見ていたのですが、ある日子猫が知らない子ども達に虐められているところに出くわします。

少年達と言い争いになる茉莉でしたが、そこに現れたのが一人の逞しい男性――一本鎗歩太でした。

 

歩太は少年達に言って聞かせ、茉莉にもまた「どうしたい?」と問いかけます。

子猫を病院に連れて行きたいと言う茉莉の要望に答え、行きつけの動物病院を訪ね、その後も一人で暮らす自分の家で猫を預かると申し出ます。そこへ現れたのは、恋人のような仲良しの女性――こちらは夏姫。

 

まるで見返りを求める事もなく、善意の塊のように振る舞う歩太たちに、茉莉は戸惑いを隠せません。

いつでも訪ねておいで、という歩太の好意に甘えて彼らと会う度に、茉莉の心の中で少しずつ何かが変化していきます。

 

 

天使の卵シリーズ……?

ざっくり上のあらすじを読むと、首を傾げてしまいますね。

そうです。

天使の卵シリーズの完結編と謳われた本書『天使の柩』は、ほぼその全てが茉莉の物語なのです。

 

その茉莉も複雑すぎる生い立ちや家庭環境、タクヤとの関係等々、とにかく暗い設定が続きます。

あまりにも暗く、救いのないエピソードの連続に、読んでいるこちらまでどんよりと重い気持ちに苛まれてしまいます。

 

なんとなく「きっと歩太たちが幸せな最後を迎えるのだろう」と思い描いていたイメージとはあまりにも異なる作風に、読んでいて苦しさすら感じてしまいます。

 

しかし――これは作者である村山由佳が書き上げた、紛うことなき完結作品。

茉莉とのやり取りの中で、春姫を失ったあの日から止まっていた歩太の時が、少しずつ動き始めるのがわかるはずです。

 

もしかしたらそれは、僕達読者が望んでいた形とは違うかもしれません。

でもきっと、読後にはほんのりと温かな気持ちが胸に残るはずです。

 

 

シリーズを追い掛ける事の罪

今回の『天使の卵』シリーズを読んで、個人的にはとっても印象が重なる作品があって……。

というのは、当ブログでは度々紹介している大塚英志の『魍魎戦記MADARA』シリーズです。

 

改めて説明すると、『魍魎戦記MADARA』というのは元々ファミリーコンピューターのゲームソフトと連動した漫画作品として生み出された作品です。その後小説やラジオドラマ等々にも派生し、現在では主流となりつつあるメディアミックス化の礎ともなりました。

 

ですがこの『MADARA』、公式だけでも派生作編・続編と呼べるものが多い一方で、未完結のまま放り出されている作品も多いんですね。

うまくまとまったのは『MADARA壱』『MADARA弐』や『MADARA赤』といった辺りまでで、『転生編』はラジオドラマのみで小説・漫画版は冒頭のみ。さらに続く『天使編』は小説編すら途中で投げ出される始末。

 

完結を望むファンの声に対し、最終的に大塚英志が提示したのは『僕は天使の羽根を踏まない』という無慈悲に突き放すかのような作品。

これを持って、一応はMARARAは完結したものとされています。

 

その中で登場人物は、

「会えるはずはない。身体が違えばそれは別の存在でしかない。それなのに君達は始まりの時に帰ろうとした。」

と言います。

それは作中の人物にというよりは、読者に向けて諭すかのような言葉でした。

 

詳しくは『キャラクター小説の書き方』の記事に書きましたが、要するに最初の作品の感動や興奮、熱気を求めたところで同じものなんてもう二度と手に入らないんだよって話ですね。

それでもシリーズを追い続けてしまうのは、作者にとっても読者にとっても、罪と言えるかもしれません。

 

凡庸な恋愛小説と『天使の卵』が小説すばる新人賞で評されたのは二十年も昔の話。

そこから続編を重ねる度に、『天使の卵』とは作風やテイストが変化してしまっていくのは当然の事として、僕らは受け止めなければならないのだと思います。

 

もちろん、もし十代の僕が今『天使の卵』を読み、感銘を受けたからと『天使の梯子』『天使の柩』に続けて手を伸ばしたとしたら、あまりの変化に卒倒してしまうかもしれません。

作者は何が考えているんだと罵倒し、くそみそにレビューを残すかもしれません。

 

でもそこには、十年に一冊という非常に長い時間をかけて積み重ねられた重みが間違いなくあります。

もし上記のような不満を抱かれる方がいれば、いったん時間をおいて、落ち着いた頃にもう一度、村山由佳作品を発表順に振り返ってみて欲しいと思います。

 

それぞれの『天使の卵』シリーズが、彼女の作家人生においてどんなタイミングで、どういった意味を持ってきたのか、朧気ながら見えてくると思いますので。

その頃にはきっと、各作品に対するイメージも大きく変わっているはずです。

 

完結となる本作を読んで、少なくとも僕は満足しました。

ずっと昔に『天使の卵』に出会って以来抱き続けてきた想いのようなものに、一つの終止符を打てたように感じています。

本当に、出会えてよかったと思える作品の一つです。

 

 

 
 
 
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