「ゼロのものにゼロを足してもゼロじゃん?
何か、私たちが何をやってもゼロになる気がするんだよね」
寂しいこと言いますね。
『庭の桜、隣の犬』は3LDK35年ローン、郊外のマンションに暮らす30代夫婦の生活を描いた物語です。
角田光代という作家はこういう何気ない日常を切り取るのが上手ですよね。
「木幡さんちを通りすぎるとき、犬がいるのをたしかめた。しかし定位置にあの置物めいた犬の姿はない。散歩に連れていかれたのか。おみくじで凶を引いてしまったような軽い失望を房子は味わう。」
チラシの裏にでも書いておけって言いたくなるような普通の日常。
素晴らしいです。
特別なものはほとんどなくて、唯一の突飛な点は主人公である房子が人並みはずれた記憶力を持っているという事。子どもの頃にはテレビにも出るぐらいの(かつての)天才少女。(かつての)というのがミソです。
主に房子と宗二の二人の視点が章ごとに入れ替わる形で書かれているのだけれど、東京に出てきた宗二の母がお見合いやら老いらくの恋に励んでみたり、宗二は宗二で仕事で帰宅が遅くなるからと別に早く部屋を借りてみたり。房子は宗二の浮気を疑うし、疑いのはずが本当の浮気になってしまったり。
さざなみと評するには荒すぎますが、様々な出来事が二人を襲います。
最終的には房子が宗二の母の結婚パーティを開催するという結末。
「このようなパーティこそ執り行いたかったのだと思った。珍妙で、滑稽で、悪趣味すれすれで、本来関わりを持たない人々が白けた顔で一堂に会する。これこそが正しい結婚パーティだと。」
色々深すぎますね。
それぞれがすれ違い、傷つけあい、何も解決しないまま、物語は終わります。
物語である以上どこかに救いが欲しいんですが、角田さんは「そもそも現実に救いなんてあるわけないじゃん」と達観しているような様子さえあります。
でも角田光代さんという作家はこういうものなのだと思います。
『八日目の蝉』で胸を撃ち抜かれて以来、角田光代は僕の大好きな作家の一人です。
尚、映画版『八日目の蝉』は原作とはちょっと違った点なんかもありますので、合せて観ていただくとより楽しめると思います。