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年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『キャラクター小説の作り方』大塚英志

 

「至ってシンプルに言ってしまうなら、本書は「小説の書き方」についての徹底した実用書であると同時に、もっとも新しく、かつシリアスな文学論として書かれています。」

 

大塚英志とは?

ご存知の方もいらっしゃるのでしょうか?

大塚英志は僕にとって敬愛する作家の一人です。作家であり、批評家であり、民俗学者でもあります。

そして角川メディアミックス黎明期を作り上げた功労者の一人、と認識しています。

魍魎戦記MADARA

多重人格探偵サイコ

等のシリーズを手がけてきたと言えばおわかりいただけるでしょうか?

いずれも僕が大好きで追いかけてきた物語です。

 

本書について

本書『キャラクター小説の作り方』は、冒頭の著者引用の通り「小説の書き方」について書かれた本です。

 

そうでありながら、大塚英志の文学論について書かれた本でもあります。

キャラクター小説の起源を本書は清涼院流水も『ロードス島戦記』も新井素子も飛び越えて、田山花袋の「私小説」に求める、という飛躍を試みます。つまり、キャラクター小説の書き方を追求していくうちに「私小説」もしくは近代文学の「本質」が結果として理解できてしまう仕掛けとなっています。

なんとなく雰囲気がおわかりいだけるでしょうか。

そう、彼大塚英志氏は

 

クセが強い! んです。

 

そもそも本書の成り立ちが「ザ・スニーカー」というジュニア小説誌に編集部の名で記した「スニーカー大賞への道」という小説の書き方講座へ、疑問を投げかけるところから始まりった連載だという。

連載している誌面上の別の企画をぶったぎる……もっと言えば編集部にケンカを売るような形で始まっているのです。

 

何せ大塚英志、至るところで揉め事を起こし、炎上しています。

そもそもの種は批評家である彼の批判を受けて、相手が反論。そこに周囲やギャラリーも加担して炎上、と言うパターンです。

 

これまで出してきた小説や漫画も、途中から出版社が変わったり、「大人の事情で」お蔵入りになったりしたものも少なくありません。

 

ですが、最初に二つの代表的シリーズを紹介しましたが大塚英志が優れた作品を生み出す能力を持っている事については疑いの余地はありません。

 

僕なりの大塚英志の翻訳

大塚英志は他にも『物語の体操』『キャラクターメーカー――6つの理論とワークショップで学ぶ「つくり方」』『ストーリーメーカー――創作のための物語論といった小説のHow to本を数多く出版しています。

本作中にも彼の考え方を示す代表的な文章があるのですが、

ぼくたちは全く何もないところからすべてを作り出すのではなく、先人の作った財産の上にあくまで物を書いているのです。それを忘れて軽々しくオリジナリティなどと口走ってはいけません。言ってしまえばぼくたちは大なり小なり誰かから「盗作」しているのであって、むしろ創作にとって重要なのは、誤解を恐れずに敢えて記せばいかにパクるかという技術です。

言ってしまえばぼくたちは大なり小なり誰かから「盗作」をしているのであって、むしろ創作にとって重要なのは誤解を恐れず敢えて記せばいかにパクるかという技術です。特にゲームやアニメやコミックのような快楽を求められる「スニーカー文庫みたいな小説」にとっては、すでにある周辺領域の作品から何をどうやってパクるかはとても重要な方法です。

パクリを承認どころか、奨励してるんですね。

というより、どこまでがオマージュでどこまでが盗作か、みたいな芸術全般に共通する話題かと思います。

魍魎戦記MADARA手塚治虫どろろをモチーフにしているのは有名な話ですし、大塚英志自身も公言しています。

 まんがの絵に限らず特定の作者の作風の模倣が可能なのは「画風」、つまり作家の「個性」とみなされているものが、実はパターンの組み合わせだからです。

 あれ?と多くの読者はここで改めて不思議に思うと思います。何故なら個性とは誰にも真似のできないことをいうのではないか、とぼくたちは信じ込まされてしまっているからです。……

 手塚治虫のまんがも田島昭宇くんのまんがもその絵は細やかなパターンに分割できます。そのパターンの一つ一つは大抵、過去のどこかにあったものからの借用です。その意味では全て類型的なのです。けれどもまんが家としては、彼らは個性豊かです。手塚治虫田島昭宇くんもハリウッドにその「個性」が届くほど「個性」的です。つまり類型的であることと個性的であることはまったく矛盾しないのです。

個人的には大いに賛同です。

例えば「男の主人公が一人で温泉に入っていたら他の女のキャラクターが入ってきてしまって、どきどき……」みたいな漫画やアニメでよく見られるシーンの原型って、夏目漱石の『草枕』ですからね。

本人が意識する、しないに関わらず、頭の中から生まれるアイディアってどこか潜在的な記憶に触発されているのは間違いないわけです。

中世の語り部や、この本では説明しませんが、近世の歌舞伎、そして戦後まんがと、その時代時代の物語表現は常にデータベースからのサンプリング、あらかじめ存在するパターンの組み合わせなのです。

 それはともかく、一方では現実的に単純なパターン=萌え要素の順列組み合わせからなる商業的な作品を出版社が創り出しているのに、読者にオリジナリティを説くのは全くの自己否定でしかありません。

ちくり、といちいち出版社への釘を刺す主本は相変わらずです。

パターンやデータベースに決して還元し得ない個性やオリジナリティというものが、まんがにも小説にもアニメにもゲームにも全ての表現にやはりあるはずです。

 それをなんと呼ぶべきものなのか。どうやったらそれが身につくのか。それを身につけていないぼくには語りようがありません。

大塚英志ほどの大家とも言える人が、自分はパターンやデータベースに還元し得るオリジナリティなんて出せない、と言い切ります。

 

小説の作り方に戻ろう

ご覧の通り、How to本かと思いきやかなり深い「創作とはなんぞや」みたいな話が繰り返されます。

もちろんちゃんとキャラクター小説の書き方についても書かれていますので、ご紹介したいと思います。

 

大塚英志は物語の骨格として以下の4つを挙げています。

  1. 何かが欠けている
  2. 課題が示される
  3. 課題の解決
  4. 欠けていたものがちゃんとある状態になる

魍魎戦記MADARAで言えば 

  1. 8つのチャクラ(肉体)が失われている
  2. 八大将軍がそれぞれチャクラを持っている。
  3. 八大将軍を倒す。
  4. 肉体を取り戻す。

 

に相当するわけです。

ですが、これは様々な物語に当てはまります。

 

  1. 鬼が島に悪い鬼がいる
  2. 鬼を倒す為の仲間を集める
  3. 仲間と力を合わせて鬼を退治する
  4. 鬼がいなくなってめでたしめでたし

 

『桃太郎』ですね。

基本的に物語の構造はこの1~4で作られています。

なので自分で物語を書く際には、プロットよりも何よりも先にこの1~4を柱として考えれば良いのです。

 

また、もう一つ重要な点として、一つ一つの要素の必然性について触れています。

ただ単に「左右の目の色が違うゴーストバスターの少年が戦うお話」と「左右の目の色が違うがゆえにゴーストバスターにならなければならなかった少年が葛藤しつつ戦うお話が全く違うのはわかりますよね。「左右の目の色が違うこと」というキャラクターの要素と「ゴーストバスターをする」というドラマの骨格が自然に結びついていることが大切なわけです。その手続きを怠らなければ、そこにはもう「物語」が成立しかけているはずです。 

こんなふうにぼくの作品でもどうにか上手くいった作品は主人公の外見的、身体的な特徴(多重人格とか全身が人工身体とか)がその主人公のその後の行動、つまり「物語」に自然に結びついているのです

 これも当たり前のようでいて、こうして文字で読んでみると改めて認識させられる話です。確かにいまいちな小説って、この辺りが欠けていますよね。

また、カードを使ったプロットの作り方なんかも書いてありますが、この辺りは『ストーリーメーカー――創作のための物語論』等の方が詳しいかもしれません。

参考までに各著作のリンクを載せておきます。

■『物語の体操』

■ 『キャラクターメーカー――6つの理論とワークショップで学ぶ「つくり方」』

■『ストーリーメーカー――創作のための物語論

 

 

余談ですが……“ライナスの毛布”とは

最後に僕のTwitterアカウント名である『ライナスの毛布』についてです。

この言葉もまた、大塚英志より(勝手に)いただいたものでした。

 

d.hatena.ne.jp

大塚英志魍魎戦記MADARAシリーズに終止符を打つ目的で書いた『僕は天使の羽を踏まない』の中で、

 「会えるはずはない。身体が違えばそれは別の存在でしかない。それなのに君達は始まりの時に帰ろうとした。」

そうマダラに語らせます。

当初始まったRPGの原作『魍魎戦記MADARA』は転生を繰り返し数々の続編とアナザーストーリー、サイドストーリーを生み出す巨大なシリーズとなりました。

大塚英志が転生編を出してはラジオドラマ版だけで終結し、更に続編となる天使編を投げ出して以降も、ファンたちはMADARAの完結を待ち続けました。

転生を繰り返した戦士たちがどうなるのか、もう一度MADARAに会えるのか、どんな結末を迎えるのかと待ち焦がれ続けたのです。

そんな僕たちを突き放したのが、上の言葉です。

“始まりの物語(=MADARA壱)”をなぞって繰り返したところで、“始まりの物語”の興奮や感動、熱気は帰ってこない。そこに意味なんかないんだよ、と言われたように感じました。

MADARAはもう、ライナスの毛布でしかないんだよ、と。

そんなところから僕はライナスの毛布という言葉を使い続けています。

英語に直すとSecurity Blanket(=安心毛布)というらしいですが。

余談が長くなりましたね。

今後も大塚英志の著作はちょくちょく紹介していくと思いますので、よろしくお願いします。

 

https://www.instagram.com/p/BRVlr5ijo5K/

#キャラクター小説の書き方 #大塚英志 読了#魍魎戦記MADARA や #多重人格探偵サイコ といった漫画の原作者。その他、民俗学者や批評家としての顔も持つ著者。この本は角川スニーカー文庫のようないわゆるライトノベル(※本文中は一貫して「スニーカー文庫のような小説」と呼ばれます)を目指す小説家に向けて書かれた本。でもサイコやマダラの設定の話や、作画を担当する #田島昭宇 との仕事の進め方なんかにも触れられていて興味深く楽しみました。#本 #本好き #本が好き #活字中毒 #読書 #読書好き #本がある暮らし #本のある生活 #読了#どくしょ