この世には――不思議なものなど何一つないのだよ。
本書『鉄鼠の檻』は『姑獲鳥の夏』から始まる百鬼夜行シリーズ第四弾にしてなんと1359ページにも及ぶ分厚い本しても知られています。
ちなみに一番分厚いのは第五弾となる『絡新婦の理』の1389ページ。
発売当初はレンガ本、鈍器、凶器に使える等と良い意味でも話題になりました。
ブックカバーにぎりぎり収まったのがすごいですよね。
ブックカバーはPilotの至って普通のやつです。
中面にふせんをストックさせたりするので、PVC加工の物じゃないと駄目なんですよね。
ブックカバーなのに濡れたり汚れたりを気にするのも嫌ですし。
ちなみに僕は、今回が初読です。
元々島田荘司→綾辻行人から始まった新本格推理小説に嵌まっていた時期があったのですが、マンネリ化し始めた新本格ブームに彗星のごとく現れたのが京極夏彦であり森博嗣。
怪奇系や理系といった新たなモチーフを用いることにより、肩通りの名探偵・密室殺人小説を打破し、空前絶後のブームを巻き起こしてしまいました。
ところが当時僕は確か高校生かそこらの年頃。
簡単に言うと、彼らの書く物語は僕には難し過ぎたのです。
魍魎やら仏教やら神道やら禅やら衒学的な文章が並ぶ京極夏彦然り、作中でVRの世界を乗り物に乗って走り回る『すべてがFになる』然り、面白い面白くない以前に、いまいち内容が理解できないままで読んでも何も得られなかったのです。
Fが「プログラミングで使用される16進法でいう最大数15のこと」、「10進法でいう65535を意味する」と言われてもだからどうした、としか思えないし、「時限装置の数値がFFFF」とか言われてもなんのこっちゃ、で終わってしまいます。今みたいにわからなければネットで調べられるような時代でもなかったので、頭の中に「?」が点滅したまま釈然としせず読み終えるというかなりひどい読後感でした。
世の中がブームに熱狂しているのは知っていましたが、僕には無縁の作品として距離を置き始め、いつしか推理小説からも離れる事になりました。
再び小説を読むようになったここ数年になり、改めて彼らの作品を手に取り始めた次第です。
坊主、坊主、坊主だらけ
雑誌の取材のため、京極堂ですら存在を聞いたことがないという「明慧寺」を訪れる中禅寺敦子。
外界と隔絶された閉鎖的で独自の社会が形成されていた不思議な寺。
宿泊先の旅館に突如現れる坊主の死体。
一方で同じ頃、京極堂は友人からの依頼で古書を運び出すため、近くを訪れていました。
土砂崩れにより半分埋まった建物とともに封じられた古書の調査を進める京極堂。
山中駆ける振袖の童女。
乗り込んだ「明慧寺」では次々と犠牲者が増え……その全てが坊主、坊主、坊主。
クローズドサークルではありませんが、宗教の世界に入り込んでしまったかのような不思議な世界観に浸ってしまいます。
推理小説……?
思い返してみると、本書が推理小説かという点には疑問を感じてしまいます。
禅僧と陰陽師による問答であり宗教観に主題があったような気も……。
確かにハウダニット(どうやって?)、ホワイダニット(なぜ?)といった謎は沢山存在してるのですが、正直なところ、途中から謎解きとかどうでもよくなっていたり。
百鬼夜行シリーズはやはり、陰陽師京極堂のキャラクターに燃え、世界観に浸る物語なのだと思います。
それこそが新本格推理の枠を飛び越えて、一般にも売れた要因なんだと思っていますが。
次に待ち受けるは『絡新婦の理』
百鬼夜行シリーズは長編だけで数えると、『邪魅の雫』まで九作。
第四弾となる『鉄鼠の檻』を読んだので、続いては『絡新婦の理』。
冒頭に紹介した1389ページのシリーズ最長編に加え、最厚を誇る作品。
いずれ読もうとは思うのですが、なかなか手が出ないのですよねー。
百鬼夜行は年一冊ぐらいのペースで攻略していければいいかなぁなんて思っています。