『スクラップ・アンド・ビルド』羽田圭介
じいちゃんなんか、早う死んだらよか
『スクラップ・アンド・ビルド』ほど不遇の作品はないのではないでしょうか。
第153回芥川賞受賞作品です。
ただしこの年は二作が選ばれており、同時に受賞したのは又吉直樹『火花』でした。
ここまで言えばおわかりですね。
当初は『火花』の同時受賞者としてスポットライトを浴びる事も少なくなかったのですが、芸人作家として又吉さんの露出が増える一方、羽田さんは見る間に影が薄くなっていった印象があります。
勿論、そもそも本業が違うと言えばそれまでですが。
ともあれ、僕にとっては初の羽田圭介作品となります。
二十八歳失業者の僕と八十七歳要介護者の祖父
主人公は二十八歳にして、失業後七ヶ月が経つ僕。
退職後は宅建の勉強をしたり、早々に目標を行政書士に切り替えたり。
かと思えば何かと理由をつけて勉強をしている様子は見られません。
一方で大して本気でもない彼女と遊びに出かけたりとなかなか優雅に暮らしています。
しょうもない男、と言うのは簡単ですが、でも意外と等身大の若者の姿だったりするようにも思えます。
目的意識を持って、日々無駄なく生活している二十台の若者なんて意外と少ない。
こうして「目標も夢もあるんだけど」と大義名分を抱えながら、なんとなく日々を暮らしてしまう時って、誰しも経験がある事だと思います。
そんな主人公の家には、三年前から介護が必要な年老いた祖父が同居……主人公の言葉を借りれば居候しています。
実の娘である母親からは「甘えるな!自分でやれ!」とことあるごとに叱咤される肩身の狭い存在。
無職で年中家にいる主人公は祖父を面倒を見つつ、そんな自分を冷めた目で俯瞰しています。
健斗は自分の今までの祖父への接し方が、相手の意思を無視した自己中心的な振る舞いに思えてくるのだった。家に生活費を入れないかわりに家庭内や親戚間で孝行孫たるポジションを獲得し、さらには弱者へ手をさしのべてやっている満足に甘んずるばかりで、当の弱者の声など全然聞いていなかった。
本書はそんな孫と祖父の関係をシニカルに見つめた作品と言えます。
究極の自発的尊厳死とは
祖父は口癖のように「もうじいちゃんは死んだらいい」と言います。
上記のように自分の態度が自己中心的であったと半生する主人公は、祖父の言葉通りに受け止め、尊重する必要があるのではないかと考えます。
介護職に就く友人は、そんな主人公にアドバイスをくれます。
被介護者の動きを奪うのが一番現実的で効果的
人間、骨折して身体を動かさなくなると、身体も頭もあっという間にダメになる。筋肉も脳も神経も、すべて連動してるんだよ。骨折させないまでも、過剰な足し算の介護で動きを奪って、ぜんぶいっぺんに弱らせることだ。使わない機能は衰えるから。要介護三を五にする介護だよ」
主人公はこれまで母がそうしてきたように祖父に自分でできる事はできるかぎり自分でやらせる事が社会復帰の訓練に繋がっていると考え、祖父が歩きやすいよう掃除や整理整頓をしたり、これまで以上に祖父の面倒を見るようになります。
祖父を手助けする事が、結果的に祖父の寿命を縮める事に繋がるという考えですね。
一方で自分は思い立ったかのようにジョギングや筋トレを始めます。まるで衰え行く祖父と自分の若さを対比させ、優越感を得ているようでもあります。
彼女との性行為の為に一日に三度の自慰行為を義務付けたりもします。
祖父という鏡を通し、生きる力を漲らせているようにも思えます。
意外としぶとい祖父
ところが、祖父は意外としぶといのです。
ある日主人公が帰宅すると、台所から出てくる祖父。置き捨てられたゴミから自分でピザを焼いて食べたらしいと知ります。普段はお湯を沸かすことすら億劫がるはずなのに。
またある日は、やってきたひ孫と戯れます。数キログラムの重さがあるはずのひ孫を抱き、疲れる様子も見せません。
さらには看護士の若い女性の身体を介護のどざくさに紛れて必要以上に触れているところを目撃してしまいます。
衰え、半分呆けたような祖父は演技なのか? それとも……。
オチなんてありません
芥川賞ってそんなもんだよ、と言ってしまえばそれまでですが。
オチなんかないですよ。
期待するだけ無駄です。
その点は『火花』も一緒ですよね。
中村文則『銃』を読んだ際のブログにそのあたりの個人的な考えは書いてありますので、興味があれば読んでみて下さい。
僕もできればどんでん返しやオチがある作品の方が好きですが、世の中にはそうではない作品も沢山あります。
夏目漱石だってオチなんかありませんし、むしろ本来の小説とか文学ってそういうものなのでしょう。
「最後呆気なく猫が死ぬなんてびっくりした」からといって名作とされているわけじゃないですもんね。
この作品はそういう作品じゃない、というだけの話です。
個人的に気になる羽田圭介
僕、あまりテレビを見ないのですが、それでも時々羽田氏がテレビに出ているのを見る事があります。
でも大概その時の印象って「痛々しい」「無理してんな」という感覚になってしまうんですよね。
芥川賞とったからって儲からないとか、仕事くれとかあの真顔で言ってみたりとか。先日はなぜか旅番組に出演されてましたけど、他の出演者とうまくいっていないのか、どうにもぎくしゃくした内容でした。
2003年に第40回文藝賞に17歳という当時最年少受賞を果たして以来、キャリアとしてはかなり長い作家さんですが、いまいちベストセラーと呼べるような作品は出せていない印象です。
同じく若くして作者デビューを果たし、次々と映像化されるような人気作を書き上げ、芸能人やミュージシャンとも信仰があるという朝井リョウと比べると光と影のようなイメージすらあります。
でもどうしてか、僕は気になってしまうんですよね。
気になるからこそ、噛み合っていない旅番組をついつい見てしまったりするんですが。
せっかくの芥川賞をより話題性の高い相手と同時受賞になってしまったり、どうにもツイていない印象や、不器用なんじゃないかと思ってしまえるのです。
あ、芥川賞の選評内容については下記にリンクを貼りますので興味のある方はごらん下さい。
いずれにせよ文学賞作品はなかなか真価が図りがたいところがありますから、他の作品も読んでみるつもりです。
羽田圭介についてはその時にでも改めて。