『削り屋』上野歩
「歯医者の卵が、削りつながりで旋盤工になるか、こいつはいいや」
おお、なるほど。
上の一行がほぼ全てを表していますね。
『削り屋』は、元々は歯科医の次男坊として生まれ育った主人公が、旋盤工といういわゆる金属加工の職人を志すお話です。
旋盤工、なんて一般的には聞きなれない言葉ですが、世の中には驚くほど旋盤に携わる職人さんって多いんですよね。
しかしながら、物語の主役級で取り上げられるような事って少ないのではないでしょうか?
今回本書を手に取った理由もまさにそこにあります。
旋盤工というマイナーな世界を主題とした作品に、惹かれたのです。
物語の始まりは熱血青春の渦中から
主人公の名前は剣拳磨。
名は体を表すと言いますか、冒頭から河川敷で大勢の敵に一人で立ち向かうというシーン始まります。
主人公、歯医者の息子でありながら腕っぷしがめっぽう強い。
集団の先に立つのは超巨大企業グループの御曹司神無月純也。
自らは手を汚さず、金の力で全てを解決しようとする悪者です。
そんな主人公に味方してくれるのは幼馴染のゴローと紗世。
馬鹿だけれど人の好いゴローと、美人でしっかり者の紗世というコンビ。
紗世と拳磨はお互い惹かれながらも、ゴローを気遣い思いを果たす事は出来ません。
やがて身から出た錆で窮地に陥ったゴローを救うため、拳磨はそれまで通っていた歯科大学を中退していまいます。
実家からも飛び出し、東京へとやってきた拳磨が見つけたのが「従業員募集」の張り紙。
それこそが物語の舞台である鬼頭精機だったのです。
そろそろお気づきでしょうが……
上のあらすじ、なんか変じゃないですか?
どこかで聞いた事のあるような……しかもどことなく誇り臭い昭和の香りがするような……
そうなんです。
まさにこの本、昭和の少年漫画のすべてを詰め込んだようなトンデモナイ本だったのです。
河原で殴り合うシーンから物語が始まるなんて、今や平成から元号が変わろうという時代においては狂気の沙汰でしかありません。
ましてや金にものを言わせる気障な悪役とか。
思わず発行日を確認しますが、2015年と、つい数年前に間違いありません。
拳磨は鬼頭から下される課題をこなし、目覚ましい進展を見せます。なぜかそこで働いていた同級生の室田をはじめ、先輩方をあっという間に追い抜いてしまう成長ぶりです。
まるで『将太の寿司』を思わせる展開です。
また、僅か300ページほどの漫画チックな作中で、次々とヒロイン級の女性が現れるのも不可思議なところ。
冒頭から幼馴染み紗世との切ない関係が語られますが、次いで語られる大学時代のシーンではすぐさま絵理奈という他の女の子との一線を越えた関係が明らかになります。「削りの天才」という言葉も絵理奈に言われたもの。ちなみに絵理奈は「削りの天才」というエピソードの為だけに登場するようなもので、主人公が突然大学を辞めてからは、あっという間にフェードアウトしてしまいます。
代わりに現れるのは美咲というたまたま一人焼肉をしていた女性。
拳磨と美咲はデートを重ねる間柄になりますが、就職活動に励む美咲の口から出たのはあの神無月グループの企業。
美咲は無事神無月グループに就職を果たし、あろうことか神無月の女になり、すぐさま捨てられます。
神無月のステレオタイプさを引き立たせるためだけの登場ですね。
こういった1エピソードの為だけに登場するような人物が非常に多すぎて辟易します。エピソード自体も今まで何度となく繰り返されてきたステレオタイプそのままの焼き直しですし。
織田作之助の『夫婦善哉』のようなゴローと紗世といい、色んな要素を詰め込みすぎです。
ゲームの中で、プレイヤーが自分で作ったエディット・キャラクターのようなちぐはぐな印象しかありません。
最終的に主人公は技能五輪全国大会へ出場する事になりますが、それすらもあっという間に過ぎてしまいます。神無月グループからは大挙して配下の者たちが参加しますが、最終的に勝ち抜き、延長戦に突入するのは主人公である拳磨と、その少し前にぽっと出てきたベトナム人ディエップ。
この辺りが駆け足どころかプロットの抜き出しのような勢いで描かれます。もう感情移入も何もあったもんじゃない。
『蜜蜂と遠雷』も構図だけは似たようなものなんですが。
ホント、書き手一つで大きく変わるものですね。
気安く震災を書いて欲しくない
いつになく辛口というか辛辣なんですが……一番不愉快なのは東日本大震災が描かれている点なんですよね。
まぁ昭和的な人物像・ストーリーも宗田理を読み返していると思えばマシか、なんて思っていたのですが、虚を突いて震災が登場したのですっかり頭に血が上ってしまいました。
だって、稚拙なんですもん。
以前ちょっと触れましたけど、僕は東日本大震災を被災地と呼ばれる場所で経験した一人です。
当時の苦しみや心細さは未だに忘れらせませんし、当事者であっても語りつくせない事ばかりなんです。
それを、あきらかに技量の足りない作者がどこかで齧ってきたような話をちょろちょろっと書く。それで震災を書いた気になる。
はっきり言って不愉快です。
書くならちゃんと書いて欲しい。
しょうもないスパイスの一つとして震災を使うのはやめて欲しい。
笑いのネタにでも使われた方がよっぽどマシですよ。
上野歩とは
尚、念のため著者のご紹介。
1994年に『恋人といっしょになるでしょう』で第7回小説すばる新人賞を受賞し、デビューしたベテラン作家さんです。
実は本書と一緒に『わたし、型屋の社長になります』という著書と買ったのですが、残念ながら今は読む気になれません。
文体的には読むのに時間が掛かるでもなし、いずれ時間を見つけて読んでみようとは思うのですが。
なにはともあれ、旋盤工という珍しい対象にフューチャーした作品だっただけに、甚だ残念でした。