『誰かが足りない』宮下奈都
誰かが足りない。いつからか私もそう思っていた気がする。それが誰なのかはわからない。知っているはずの誰か、まだ会ったことのない誰か。誰なんだろう。いつ会えるんだろう。わからない。ずっと誰かを待っていることだけはわかっているのに
先日『羊と鋼の森』の映画を見てきました。
原作があまりにも良かっただけに映像化には一抹の不安を感じないでもなかったのですが、事前に公開されたyoutubeの予告動画がとても良い出来だっただけに、見に行かずにはいられませんでした。
結果的には本当に見に行って良かったと言えます。
一番最初、学生時代の外村君と板鳥さんの出会いのシーンで響き渡るポーンというピアノの音、そこから感じられる森のイメージの表現……どれも原作の空気感をほぼ忠実に表現していて、すぐに作品の世界に没頭する事ができました。
柳さんが若干体育会系だったり、緻密に書き込まれた原作の細部は流石に省略されてしまったりと全く不満がないわけではありませんが、それでも満足のいく出来だったと思います。
『羊と鋼の森』の話は尽きる事がありませんのでこの辺りにしておいて……作品のブログの方にも感想を書き加えていますので、そちらもご覧になって下さいね。
さて、本題である本作『誰かが足りない』のお話です。
本作が刊行されたのは2011年10月。
2007年に『スコーレNo,4』でデビューした著者のキャリアのほぼ中間あたりに位置する作品といえるでしょうか。
僕と同じように『羊と鋼の森』で感銘を受けて、他の作品も読もうと探し回った人は少なくないと思います。
あの作品の衝撃って本当に途轍もなかったですから。
どうして今までこんな素晴らしい作品を書く作家を見逃していたんだろうって、後悔するぐらい。
ところが、何を読んでよいものかわからない。
『羊と鋼の森』で一気にブレイクした宮下奈津さんですが、調べてみるとそれまで代表作と呼べるようなものはあまりなさそうなんですよね。
小粒な作品しか書いてこなかったのか、それとも世の中から見落とされていただけなのか。
確かめる為には、とにかく一冊ずつ読んでいくしかないんです。
そんなわけで、僕は以前に『たった、それだけ』を読みました。
悪くはなかったですが、ちょっと物足りなかったのも事実です。
そうして三作目して選んだのが『誰かが足りない』です。
本作は2012年の本屋大賞ノミネート作品でもあります。
結果は7位ということもあり、あまり印象には残らなかったようですが……。
雑誌に掲載された連作短編
全6話の連作短編集です。
といっても物語や登場人物にこれといってつながりはなく、それぞれ「ハライ」というレストランが登場する点だけが共通しています。
様々な境遇の登場人物たちが、美味しくて人気の「ハライ」に予約をして、行こうと決めるまでの話。
それぞれが「誰かが足りない」喪失感を抱いている人たち。
……こう書くとなんとも味気ない話に聞こえてしまうかもしれませんね。
でも『羊と鋼の森』を思い出して貰えばおわかりいただけるかと思うのですが、宮下奈津さんって突拍子もないストーリーや展開、荒唐無稽な設定で読ませるタイプじゃないんですよね。
美しい文章と、細かい心理描写が優れた作者さんなのだと思います。
本作では各話の登場人物たちにそのエッセンスが現れています。
≪予約1≫故郷を離れ、進学後に意図せずコンビニに就職してしまった青年
≪予約2≫亡き夫の想い出を辿る認知症の女性
≪予約3≫仕事に追われる日々の中、幼馴染みに想いを寄せる女性
≪予約4≫母を失いビデオカメラを通してしか世の中と向き合えなくなった少年
≪予約5≫時々訪れる女性客に想いを寄せるコック
≪予約6≫失敗を匂いで察知していまう特異な性質を持った女性
それぞれ個性溢れて、宮下奈津さんらしさが出たエピソードかと思います。
個人的には特に後半三作が好きですね。
「ハライ」とは
作中ではそれぞれの口から「ハライ」の人気ぶりが語られています。
その一つ、予約1で主人公の青年と別れた美果子の例を挙げると――
――おいしいのよ。
――感じがいいの。
――やさしくて。
――懐かしい。
とにかくみんなが口々に絶賛するんですよね。
ところが、作中には肝心の「ハライ」は登場しません。
冒頭と最後に、6つの短編をまとめる前書きとあとがきのように店内のシーンが若干描かれるばかりです。
なかなか面白い試みですよね。
存在は他者の口から語られるのに本人そのものは姿を現さないという意味では、朝井リョウさんの『桐島、部活やめるってよ』を想起させられます。
そういう意味では宮下奈津さんの中での実験作の一つだったりするのかなぁ、なんて勘ぐってしまったり。
最終的に「ハライ」で6つの話と登場人物が結びついて、1つの大きな話としてまとまるような構成ならばもっと良かったのかもしれませんが……繰り返しになりますけど、宮下奈津さんってそういうギミックを書く作家さんには思えませんもんね。
そして宮下奈津探訪は続く
本作が良かったか悪かったかと言うと、個人的には悪くなかったと思います。
本作で三作目となり、宮下奈津さんという作家の特徴や個性がだんだんと僕の中で形になってきたように感じます。
でもまぁもっと入り組んだパズルのような面白さを求める人にとっては、つまらなく感じてしまう事でしょう。
何度も繰り返していますが、そういうものは宮下奈津さんには求めてはいけないのかもしれません。
それこそが宮下奈津さんという作家の楽しみ方なのかも。
もちろん、これからまだまだ作風が変わっていく可能性も大いにありますけど。
特に『羊と鋼の森』がこれだけの大ヒットになった以上、作者も出版社も次の作品にはかなり力を入れつつ、頭を悩ませているのは間違いありませんし。
僕もたった三作で全てを悟ったなんて言えるはずがありませんので、今後も宮下奈津探訪を続けていきます。
早く「滅茶苦茶良かった!」と大絶賛できるような作品に会いたいですね。
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