「会社は大丈夫だから!」
思わず、そう叫んだ。
父は私の目を見つめたままの姿勢で息を引き取った。64歳だった。
お盆を挟みすっかりご無沙汰していましたが、しばらくぶりの更新です。
読んだ本は『町工場の娘』。
昨年NHKでドラマ化された話題の女性社長のドキュメンタリーであり、自著でもあります。
主婦から社長に
舞台となるのはダイヤ精機。
著者である諏訪貴子さんは社長である諏訪保雄さんの娘さん。
諏訪家は元々兄と姉、末っ子の貴子という三人兄弟でした。
ところが跡取りとして期待されていた兄は幼い頃に夭逝。
貴子はまるで兄の生まれ変わりのよう男勝りな性格でのびのびと育ちます。
社会人になってからは二度、父に乞われてダイヤ精機に入るのですが、二度とも父の保雄自身の手により解雇されてしまいます。
経営を立ち直すためにはリストラが必要と訴える貴子に対し、従業員は何があっても守るべきという父との対立により、貴子自身が解雇されてしまうのです。
「お前、明日から来なくていいから」
そっけない言葉でクビを宣告される貴子。
初代社長だった諏訪保雄さんはかなり昔気質な性格だったようですね。
その様子は、貴子が大学卒業後に大手企業に勤めた際にも散見されます。
「お客様からの誘いは絶対に断るな」
父の言いつけ通り貴子は誘われるがまま、飲み会やカラオケ、ゴルフと少ない給料を工面して参加し、水道や電気が泊められてしまうほどの困窮生活を送ります。
部屋にあるのはお米だけだが、炊くことすらできない。仕方なく、生の米をジャリジャリ食べた。
年頃の女性とは思えない生活ぶりですね。
そんな厳しい父保雄さんですが、一方ではフェアレディZを買い与える親バカな一面もあったりします。その後明らかになりますが、3億円ほどの売上しかない町工場にも関わらず、社長秘書や運転手がいたそうですから、やはりあくまで昔気質の職人肌タイプで、経営には向いていなかったのかもしれません。
やがて父保雄が病に倒れ急逝。
後継者は決まっておらず、会社の幹部たちも及び腰。
姉夫婦はどうも最初から候補には入らなかったようで、白羽の矢が立ったのは貴子と、エンジニアである貴子の夫。
しかしながらその時、貴子の夫には渡米の話が浮上し、保雄が倒れたのはまさに家族全員で渡米へ向けて準備を進めていたその矢先でした。
夫は迷いを浮かべるものの、苦慮の末、現在の仕事を取ると決断。
メインバンクからの後継者の催促や、幹部社員たちからの懇願を受け、貴子はダイヤ精機の社長に就任する事となるのでした。
就任直後の混乱
周囲の後押しを受け、二代目社長に就任したはずの貴子でしたが、その矢先に出鼻をくじかれる事件が起こります。
「大丈夫なのか? お前、本気で頑張らなきゃダメだぞ」
就任の挨拶に出向いた取引銀行において、支店長から投げつけられた言葉でした。
憤慨する貴子でしたが、なんとか父の葬儀の手伝いの約束を取り付けます。
ところがこの一件により、銀行との仲はこじれてしまいます。
葬儀を終えて早々に、今度は支店長がダイヤ精機にやってきますが、その内容はなんと合併を持ち掛けるものでした。
急ごしらえで社長の座に就いた貴子に対し、銀行は全く信用を持っていなかったのです。
度重なる仕打ちに奮起し、再建を決意する貴子。
就任一週間にして、リストラを断行するのです。
これには社長就任を要請していたはずの幹部社員ですら「何てことをするんだ、このやろう」と食って掛かります。
父が亡くなった後、幹部も含め、社員の多くは私に「社長になってほしい」と言った。だが、それはあくまでも“お飾り”のつもりだったのだろう。私が形だけ社長のいすに座ってさえいれば、自分たちは今まで通り日々の仕事を粛々とこなしていく。会社が成長することはなくても、自分たちの生活を守ることぐらいは可能だろうという感覚だったはずだ。私に「経営してほしい」とは思っていなかったのだ。
なんという生々しい話でしょう。
思わず、うんうんと頷いてしまいます。
現場に残された社員の気持ちも、自分がお飾りだと気づいた貴子の気持ちも、どちらもよくわかります。
しかし貴子はあくまで経営者として、ダイヤ精機の再建へと自ら能動的に行動していくのです。
手探りの会社再生
まず貴子は『3年の改革』を打ち出し、実際に様々な手を打って行きます。
この内容こそが本書のキモと言えるところでしょう。
製造の現場ではよく言われる「5S」の徹底から始まり、「悪口会議」と名付けた活動、一人ひとりの社員に寄り添う為のコミュニケーション等、試行錯誤を繰り返していきます。さらに設備の更新や生産管理システムの構築、ITの導入等々。
やがて念願であった社員旅行の夢も叶えます。
人材の確保
続いて問題となるのが昨今そこかしこで叫ばれている人材の確保。
個人的にはこの辺りの話が「さすがだな~」と思いました。
このままでは狙い通りの人材確保ができない。そこで、20~30代の若手社員を集めてプロジェクトチームをつくった。若者が「ダイヤ精機に応募してみよう」と思うためにはどんな工夫をすれば良いか、アイデアを出し合った。
ホームページの手直しやパンフレットの作成に当たっては、10~20代の若者の「親」を意識した。若者が「この会社に応募してみよう」と思った時、最後にその背中を押すのは親だ。親に「この会社なら入社しても大丈夫」と安心してもらい、後押ししてもらうための仕掛けを考えた。
ほとんどの中小企業の場合、経営者や現場が思い描く「こういう人が欲しい」という人材像をそのまま求人情報としてハローワークなり求人情報誌なりに掲載し、マッチにする人材が現れるのを待つ、というのが古くから続く人材確保の考え方だったりするわけです。
どころが諏訪社長の場合、経営者や現場が思い描く「こういう人が欲しい」という人材像に向けて会社側を変えようとしたんですね。
一見同じようですが、全く正反対の考え方であり行動です。
完全に蛇足になってしまいますが、マーケティング的な考え方においても、企業側が開発した製品を消費者に売り出す「プロダクトアウト」という考え方と、市場で求められている製品を開発して売り出そうという「マーケットイン」という考え方があります。
旧来の企業の求人方法が前者であるとすれば、諏訪社長のやり方は後者であると言えるでしょう。
今時、「こういう人が欲しい」と言ったって簡単には集まるはずありませんからね。
人材不足が叫ばれて久しいですが、よく原因として上げられるのは“少子化”ばかり。
それに加えて忘れてならないのは“情報化”の問題です。
以前に比べて求職者の目に触れる求人情報の数は飛躍的に増えています。それこそインターネットを使えば日本全国の様々な求人情報が見つかりますし、求人元がどんな会社なのかも簡単に検索する事ができます。
求人誌や求人チラシの少ない情報を元に応募していた時代は終わったんです。
商品を買う時に商品のスペックや口コミ、製造先・販売元を調べるのと同じように、求職者も求人の条件や内容、求人先の口コミ等を調べるのは当たり前ですよね。
調べた際にホームページが存在しなかったり、さっぱり会社の実像が見えて来なかったら、見放されてしまっても仕方ありません。
しかし、自分が探そうとしていた情報がちゃんとホームページに載っていたら、きっと会社に対する信用度は上がるはずです。加えて魅力的と思える内容であれば、応募してみようという気持ちは強くなるのではないでしょうか?
こんな点からも、諏訪社長が非常に時代を見極めながら事業を進めている事がわかります。
そして“町工場の星”へ
続いて「勇気ある経営大賞」で優秀賞、東京都中小企業ものづくり人材育成大賞で奨励賞を受賞します。
なかなか大きな賞は獲得できなかったダイヤ精機ですが、その活動は着実に人々の間に広がり、2013年には雑誌日経ウーマンが選ぶ「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013」に諏訪貴子社長が輝きます。
これがきっかけとなり、諏訪貴子の名は“町工場の星”として一躍有名になったのでした。
本書にはその考え方が行動がぎっしりと詰まっています。
読書ノートも久々にびっちりなのですが、最後に諏訪貴子社長の考えが一番現れていると思えた一文を抜粋したいと思います。
中小企業の社長は「何でも屋」だ。営業もやる。経理もやる。情報収集もする。広告塔にもなる。10年間、社長業を続けてきて、社長は「考える人」であると同時に、「動く人」であるべきだと考えている。
「考える人」でもあり、「動く人」でもある「何でも屋」。
これこそが会社を再建させた社長の姿なのでしょうね。