玉砕するばかりが軍人の本分じゃない。お父さんは無駄死にしない。生きられるものなら、どこまでも生きていく。
僕が好んで読む城山三郎作品の中において、『官僚たちの夏』と並ぶ代表作がこの『硫黄城に死す』。
城山三郎好きを公言しながらも、お恥ずかしながら今回初めて手にとりました。
表題作である『硫黄島に死す』をはじめ、『基地はるかなり』『草原の敵』『青春の記念の土地』『軍艦旗はためく丘に』『着陸復航せよ』『断崖』の計7作が収められた短編集です。
オリンピックメダリストから映し出す硫黄島の戦い
主人公は西竹一中佐。
日本の陸軍軍人でありながら華族(男爵)でもあり、1932年 ロサンゼルスオリンピック馬術障害飛越競技において優勝を勝ち取った金メダリストでもあります。
その経歴から外国人とも交流を持つ国際人である西は、だれが見ても勝ち目のない硫黄島決戦の地に中佐として赴任し、オリンピックやかの地での外国人との交流を思い出しながら、若い部下たちを率いて戦いの日へと進んで行きます。
城山三郎らしく、無駄な装飾を極力排した淡々とした文章で、戦争の悲惨さや勝ち目のない戦いに挑む悲壮感などが描かれるのです。
世界一になった馬術の技術が活かせるような戦いではありません。
そもそも硫黄島の戦いは太平洋戦争も末期。
日本軍の敗戦は誰の目から見ても明らかで、硫黄島を守る事について何の意義も見出せません。
それでも戦い続ける事は半ば集団自決にも近い選択であるにも関わらず、そこに向かわざるを得なかった時代性の空しさが感じられます。
……とはいえ、もし硫黄島の戦いや太平洋戦争について知りたいのであれば、もっと他に長く、詳しく書かれている本があるのでそちらを読むべきでしょう。
本書はあくまで戦時中における沢山の戦いや沢山の悲喜劇の中の一部分を描き出した文学作品と読むべきなのだと思います。
戦後70年を過ぎて――
この文章を書いている2018年現在、戦後73年になるそうです。
正直我々の世代には、当時の空気感というものは想像の世界のものでしかなくなっています。
『蛍の墓』や『この世界の片隅に』、『はだしのゲン』などといった様々なアニメや漫画、そして本書のような小説、ドキュメンタリー等々でたくさんの情報を目にしているはずですが、やはり想像の域を出ませんよね。
本書においては、戦争のさまざまな側面が描かれています。
例えば『軍艦旗はためく丘に』では飛行予科訓練生として入隊する十六歳の千草、十四歳の雪谷という二人の少年が登場します。
彼らは入隊して早々に理不尽な暴力や意味不明なしごきに苦しめられます。
そんな中で、自ら電車に飛び込んで自殺する少年も現れます。
飛行機の訓練生と言っても、訓練に使用できるような飛行機は一つもなく、中身の伴わないただただ精神修養としてだけの訓練が続けられるのです。
やがて下される淡路島南端への転属命令。
千草たちが見守る中、先行して港を出た船はやってきた一機の戦闘機に狙われます。
何の防衛手段も持たず、ただただ掃射の餌食にされる船は文字通り蜂の巣にされ、意地悪な上官をはじめ、多数の犠牲者を出します。
その中には雪谷少年の姿も。
転属は取りやめとなり、その後すぐに終戦を迎えてます。
一体なんのための招集命令であり、なんのための地獄の日々だったのか。
戦う術を学ぶ事もできず、戦う事もできず、ただただ辛く苦しい日々を送っただけの毎日。
しかもそれは終戦の僅か前に起きた、ほんのちょっと日付がずれていれば無くなっていたかもしれない日々なのです。
少年達は一体誰のために、なんのために命を落としたのでしょう。
僕らにはもう、想像する事もできません。
幕末と世界対戦の差
常々自分でも不思議に思ってしまうのですが、幕末と世界対戦と、二つは同じく戦争であるはずなのに、自分の中では明確に差が生まれてしまいます。
幕末については、閉塞した日本の未来を憂い、世の中を変えようとした維新志士たちの戦いであり、賊軍として敗れ去った旧幕府軍の面々についても、世界を変える為の大義ある犠牲を感じる事ができるのです。
会津藩をはじめ、最後まで義を貫き通して散っていた姿にも、武士の魂すら感じられるものです。
対して明治から昭和初期にかけて行われた戦争って一体なんなんでしょうね?
日本が何のために、どんな大義を掲げて戦ったのか、全くわかりません。
単純に言うと世界中がより多くの国益を勝ち得ようと戦っていた時代なのかもしれませんけど。
だからかわかりませんが、明治維新までの話はとても心に響くのに、近代の戦争の話には悲壮感や虚無感しか感じられないんですよね。
最終的に負ける、という結果しかないからかもしれませんが。
もっと言うと、拒絶感に近い感情かもしれません。
例えば硫黄島の戦いで最高司令官を務めた栗林忠道陸軍大将についても、様々な文献でいかに素晴らしい人物だったか書かれていたりしますけれど、そこに尊敬や共感みたいなものは生まれないのです。
ただただ、ザラリとした肌触りの悪さみたいなものだけが残ってしまいます。
当時の悲劇を知る人には、怒られてしまうかもしれませんけど。
まぁ、今回はそんなところで。