「福島を応援したい」「福島の農業の今後が心配だ」「福島をどうしたらいいんですか」
こういう問いを福島の外に暮らす人から何度も投げかけられてきました。
本書はそういう問いに対して、「とりあえず、このぐらいは知っておいてもらいたい」ということを一冊にまとめたものです。この一冊を読めば、ご自身の中に、福島の問題に向き合うための「引き出し」をつくることができるでしょう。
福島県いわき市出身であり、現在は福島大学うつくしまふくしま未来支援センター客員研究員などを務める社会学者、開沼博さんの著書『はじめての福島学』を読みました。
この本についての感想って,
とにかく書きにくいの一言に尽きます。
福島の問題というのは、デリケートですからね。
ある意味「開沼博さんの本を読んだよ」と公言しただけで、どこかから非難や冷笑を浴びせかけられかねないという恐怖がついて回ります。
東日本大震災からもう8年が経とうとしているんですけどね。
当初より落ち着いてきたようにも思えますが、依然としてまだまだデリケートさが横たわったままのように感じます。
むしろ「震災後の混乱」という形で目に見えて混乱していた時期ならばいざ知らず、表面的にはすっかり落ち着いてしまった今だからこそ、このデリケートさという問題は根深いものと言えるのかもしれません。
でも本書はそんなデリケートな福島について、少しでも理解し、向かうために書かれた
ものとなっています。
福島問題への絡みにくさ
冒頭から著者はそんな現状を分析します。
この壁の正体となっているのが、「福島問題の政治化」「福島問題のステレオタイプ&スティグマ化」「福島問題の化学化」の三つに整理される。
これらによって福島問題への絡みにくさが増大し、大きな壁となってそびえ立ってしまったのが現状。
それに対して本書では以下の二つの方針を軸にして解決策を探ろうとします。
一つ目は、「避難」「賠償」「除染」「原発」「放射能」「子どもたち」の6点セットをあえてハスしながら、いかに「福島の問題」を捉え直すことができるか、少しずつ考えていくこと。
二つ目は、データと理論を用いながら語りましょう、ということ。
こうした切り口で、「復興」「人口」「農業」「漁業」「林業」「二次・三次産業」「雇用・労働」「家族・子ども」「これからの福島」というテーマについてまとめられています。
浮き彫りになる「絡みにくさ」
さて、本書を読んで福島に関する問題が少しでも解決されたかと言うと……なんとも複雑な気分ですね。
むしろ一番最初に現況として挙げられた「絡みにくさ」をより身近に感じるに至った、という感覚です。
だからこそ、こうして文章に落とし込もうとしてもなかなか筆が進まない。
3.11以降続いていたデリケートさは、未だに根強く続いているんだなぁと改めて再認識されてしまいます。
本書の冒頭で、こんな風に書かれています。
「政治と宗教と野球の話は飲んでいる席でもしないほうがいい」なんていう話があります。たとえ、仲の良い友人同士でも収拾のつかない言い争いになりかねない話題だからでしょう。まさにこれと近い形で、対立化しやすく、その溝を埋めることも困難な性質を、福島をめぐる問題はもっていきている部分もある。
まさしくこんな風潮。
面倒事を避けるためには出来るだけ触れない、口に出さないのがベストと考えられてしまうのも致し方ない。
そういう意味では、このブログを書くのもやめた方がよいのかも。
避難解除区域のこれからを知りたい
僕が本書を読もうと思ったきっかけは上記の通りです。
原発事故から決して短くはない時間が経ち、事故当初は避難を余儀なくされた地域も、次々と解除され、住民が戻りつつある。
でも正直なところ、一体どの町のどこまでが解除され、どこからは未だ立ち入りが禁止された状況が続いているのか、さっぱり知りもしない自分に気づいたから。
避難が解除されても帰還するのはお年寄りばかりで、小さな子供連れはなかなか帰らないと言われる。それって本当?
じゃあ帰還率ってどのくらいなのか。
学校ってどうなってるんだろうか。
そういう場所だと犯罪も多いんじゃないだろうか。
恥ずかしながら、僕は何も知りませんでした。
特にきっかけがあったわけではありませんが、改めてもう一度目を向けてみようと思った次第です。
決して何かを表明したり、行動したりするのではなかったとしても、そっと知識として頭に入れておくというのは無駄にはなりませんからね。
個人的に、本書は今の福島を学ぶ上では非常に良書であった、と言えると思います。
東日本大震災からあと数年で丸10年が経とうとしています。
最近では他社の新入社員の子と話していると、「震災の時小学生でした」なんて言葉が飛び出してびっくりしたりします。
震災当時は日本が破滅するんじゃないかとすら思えたものですが。
時の流れは速いですね。