「印刷会社は……豊澄印刷は、メーカーなんです」
最近年のせいか、涙もろくなってきたんですかねぇ。
常々「本を読んで泣く事はない」と公言しているのですが、先日読んだ『東京タワー オカンとボクと、 時々、オトン』に続き、本作は胸にぐっと迫るものがありました。
決して「泣かせる話」ではないんですよ。
大切な人が死んだり、大事なもののために自分を捨てたりとか、そういう話ではない。
にも関わらず、エピローグではこみ上げるものを堪える事ができませんでした。
先に書いておきます。
読んでください。
読むべき本です。
少なくとも僕の中では、『羊と鋼の森』に迫るぐらいの感動と、後をひく余韻が残りました。
2018年3月刊行の本書がどんな賞レースに該当するのか、ノミネートされるのか、そもそももう遅いのかわかりませんが、もし間に合うのであれば本屋大賞にはぜひノミネートして欲しい。
出来れば次の本屋大賞の本命として堂々受賞に至ってほしい。
そう思って止まない本でした。
読んでいて苦しい
主人公は豊澄印刷の営業部に勤める浦本。
彼は元々別な印刷会社で包装物の営業を担当していた中途入社組。
会社説明会で冒頭の「印刷会社はメーカーだ」という言葉を口にした事で、社内からは失笑を買います。
補足しておくと、本書で言う「メーカーだ」は自動車に例えればわかりやすいかもしれません。
自動車の企画や設計、販売を行うのはトヨタや日産をはじめとする「メーカー」です。
ですが自動車の部品製作や一部の組み立て工程を請け負う工場はどうでしょうか?
「メーカー」と呼べるでしょうか。
豊澄印刷はあくまで出版社の意向・注文を受けて実際に形にするという印刷会社です。
自分たちで本の企画や編集作業を行うわけではありません。
浦本の主張がどんなに的外れかは、同じ営業部のエースである仲井戸の言葉がわかりやすいです。
「文芸作品の中身を作っているのは作家や編集者です。私たちは、それを書籍という大量生産可能な形式に落とし込み、世の中へ供給するための作業工程を請け負っています。その作業工程におけるプロとしての立場に徹するべきです。」
どうやら社内の大勢は、仲井戸と同一認識と思って良さそうです。
どうして浦本の主張が失笑を買ってしまうのかというと、浦本は本作りに対する熱意に溢れるがため、かえって空回りしてしまうタイプなのです。
本来の営業業務から逸脱した言動をしてしまったり、出版社の無理難題をそのまま持ち帰って現場を混乱させたりと、社内からや冷ややかな目で見られています。
そんな彼だけに「印刷会社はメーカーだ」という主張は、「そんな勘違いして余計な事に首突っ込む前に目の前の仕事を完璧にやり遂げてくれよ」という反感を買ってしまうわけです。
挙句、印刷工場の責任者である野末には「伝書鳩」と呼ばれる始末。
出版社と社内の双方から板挟みに遭い、なんでもかんでも押し付けられる営業という辛い立場……。
浦本は毎晩遅くまで働き、休みの日にも容赦なく電話がかかってきます。
序盤は正直、読んでいて心苦しくなってきます。
様々な会社でよく見られる一般的な光景なのかもしれまんが……僕自身同じような立場で仕事をしていた事もあるので、浦本の気持ちが良くわかりました。
決して悪意があるわけではなく、むしろ誠意と熱意を持って取り組んでいるはずなのに、現場や会社の都合が優先されて忸怩たる思いをせざるを得ない毎日……。
加えて、浦本に敵対心を燃やす野末にも複雑な家庭の事情がある事も判明。
野末に関しては不運・不幸としか言えないような苦しみであったりもします。
もう読むのやめようかな。
この本ってなんだか痛々しいだけの物語なのかもしれない。
もうちょっと味方や理解者がいてくれてもいいのに。
あまりにも登場人物たちが嫌らしい人間ばかりで、浦本が可哀想になってしまい、読むのをやめようかと迷った程です。
でも、安心してください
本書では5つの章立てがされていますが、それぞれが登場する本のタイトルにもなっています。
簡単に言うと、五冊の本を作り上げる過程でそれぞれ問題が持ち上がり、都度周囲や運に助けられながらも苦労して世の中に本を送り出していくという物語です。
先に書いた通り、浦本を襲う問題は情け容赦なく、読んでいて本当に心苦しいものばかり。
ですが物語が進むにつれて、少しずつ周囲の様子も変化していくのがわかります。
最初は少なかった浦本の理解者が増え、スタンドプレーと揶揄された浦本の行動に賛同する者が出てくるのです。
そうして、最初は頑なに思えた仲井戸や野末といった人間もまた、浦本を認め、心を開き、最終的には誰よりも浦本をよく理解し、協力する仲間へと変わります。
一つの問題を乗り越える度に仲間が増えていく様子を見守っている内に、序盤にあったような心苦しさもいつの間にか払拭されてしまうのですが、やがて、当初は対社外・対社内という浦本の視点で描かれていた本書の根底に、もっと大きな問題が横たわっているのに気づかされます。
それこそが、登場人物たちの心を一つにしたきっかけと言っても過言ではありません。
電子VS紙
豊澄印刷もまた、電子書籍という時代の波に襲われます。
浦本は電子書籍統括営業という肩書をつけられ、積極的に電子書籍にも対応していこうという会社の方針が示されます。
そんな中、受注を伸ばし、印刷機の稼働率を保つ事で電子化の波に抗おうと奔走する浦本たちでしたが、決死の抗戦むなしく、五台あるうちの一台の廃止が決定してしまいます。
それも、元々予定されていた入替を取りやめにしての、廃止です。
浦本たちは肩を落とします。
印刷工場で働く野末達の落胆ぶりはそれ以上です。
言うまでもありませんが、機械の減少はやがて現場で働く人間のリストラにも直結しかねない問題です。
この先、紙の本の需要はどんどん減っていってしまうのか。
いずれ電子にとって代わられてしまうのか。
紙の本の持つ存在意義とは。
本書の中で場面や人を変え、何度も何度も論じられるテーマ。
なかなか答えの出せないその問題に対し、浦本たちは幾つかの答えを導き出します。
あるいはそれらは、到底答えとは言えないかもしれません。
でも少なくとも現在の出版業界・印刷業界の立場や立ち位置を表していると言えます。
どうしてこんなに胸が詰まるのか
エピローグではそれまでの伏線を活かした非常に自然な形で、まるで本書の集大成のように、新たな本が生み出される過程が描かれています。
そこに関わった人。
関わった機械。
関わった企業。
沢山の人と想いの先に、一冊の本が生み出されるのだと、改めて思い知らされます。
自分が今手にしているこの本もまた、同じような過程を経て生まれてきたのかと思うと、感慨を抱かずにはいられません。
決して感動させるべく書かれたシーンではないはずなのですが、じんわりとこみ上げるものを堪える事ができません。
本を閉じた後も、ぼんやりと考えてしまいます。
自分にとって、本とはなんなのか。
紙と電子の違いとは。
これから先も、自分は紙の本を読み続けるのだろうか、と。
話題作……ではあるはず
講談社のページを見てみると、現在(2018年11月29日)時点で本書は第5刷との事です。
また、本書の刊行に合わせてyoutubeでは専用動画まで配信される力の入れ様。
その他様々な媒体でも著者インタビュー等で取り上げられており、少なくとも注目を浴びている作品には違いありません。
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実際僕が読もうと思ったのも、Instagramのフォロワーさんの投稿を見たのがきっかけでした。
ところが……
……あれ?
投稿122件ってなんか少なくないですか?
もう一つ人気を探るバロメーターとして、アマゾンのレビュー。
……15件。
めっちゃ少ないですね。
今のところなんの賞レースにも入っていないので、認知度が低いのは仕方ありませんが……それにしても少なすぎるように感じます。
逆に言うとそう思えるぐらい良い本なんです。
ちょっと個人的に分析してみたんですが……もしかしたらプロモーションをしくじってるのかもしれませんね。
例えばアマゾンに書かれている内容紹介。
作家が物語を紡ぐ。編集者が編み、印刷営業が伴走する。完成した作品はオペレーターにレイアウトされ、版に刷られ、紙に転写される。製本所が紙の束を綴じ、"本"となって書店に搬入され、ようやく、私たちに届く。廃れゆく業界で、自分に一体何ができるのか。印刷会社の営業・浦本は、本の「可能性」を信じ続けることで苦難を乗り越えていく。奥付に載らない、裏方たちの活躍と葛藤を描く、感動長編。
……なんかちょっと、違うんだよなぁ、と。
間違ってはいないんだけど、実際に読んで得られた感動を代弁しているわけじゃない。
さらに輪をかけて誤解の元になっていると思われるのが、その後。
印刷・製本等業界で働く人々から大絶賛!
本ができた感動は携わった人の思いが読者に届けられたときに得られるもの。ひとりでも多くの本好きに読んでほしい本だと確信しています。【印刷営業 男】
組版って、バランスよく、美しく並べて、読みやすい状態にすること、PCやスマホで文字を打つときは気にしないですよね。この本を読むときに少し気にしてもらえたら嬉しいです。【DTP組版 女】
「本」に関わる全ての人の姿を見せてやろうというタイトルに偽り無しの本でした。この中の一つに関わってるのだと思うと不思議な感じです。【印刷機オペレーター 男】
組版、校正、印刷、製本担当者は職人です! 組版の奥深さ、校正の大切さ、職人のこだわりをお楽しみください!【生産管理部 男】
世間的に出版不況と騒がれる我が業界の縁の下を、インキ臭く描いた、異色の小説が生まれました。ヤバい本を生み出すドラマは、きっと湿し水をあなたに与えてくれます。出版社と読者の真ん中で、日夜汗まみれパウダーまみれな僕達には、いつだって刷らなければならない本がある。閉塞感の強い時代に、ちょうしよく、空気を入れたい。仕事を探す若者に、仕事に疲れたつくり手たちに、僕ら現場からオススメします。【印刷営業 男】
小口側の扇のような丸みを見てやってください……。そこに私の奥義があります。【製本工場勤務 男】
実は1枚1枚、均一な印刷される前の白紙用紙を作って届けるのにもドラマがあります!! 用紙会社の思いも届け!!【用紙代理店 男】
本書に登場するような現場で働く人たちの声を載せるというアイディアは悪くはないんですけどね。
確かにそこにも興味は持つんですよ。
しかしながらどうも本書、「業界人も絶賛する本作りについて詳しく書かれた本」というイメージがマイナスに働いてしまっている気がします。
確かにどんな本を読むよりも本作りについて詳細に描かれているのですが、それはあくまで本書の一要素であって本筋ではないはずなのに。
そういう僕もうまく説明できないのですが、上に書いてきたような「電子vs紙」みたいなテーマでもあるし、野末を通して描かれてるような「人生の悲哀」みたいなものだったりもするし。
もっともっと色々なものが複雑に絡まりあってすごく良い作品に仕上がっているのに、「業界人も絶賛する本作りについて詳しく書かれた本」に帰結してしまっているのがとにかくもったいないなぁ、と。
今頃読んだ僕が言うのもなんですが、ちょっと皆さん、一度読んでみませんか。
僕的には『羊と鋼の森』と同等クラスの良書でしたよ。
少なくとも決して読んで損したと思えるような本ではありませんから。
まだの方はぜひ読んでみて下さい。
自信を持ってオススメします。