その日、帰宅してから、父は早速落合さんのまねをしはじめた。寝る直前まで頭の上に水に浸したタオルをのせて、夕飯を食べたりテレビを観たりした。翌朝は「落合さんのおっしゃったとおりだ。羽根が生えたみたいに体が軽いぞお」といい、母にも実践するようにすすめていた。
自宅では「金星のめぐみ」というありがたい水を染み込ませたタオルを常に頭に載せて生活する家族。
これが『星の子』の舞台でもあります。
なんとなく書名に覚えがあって調べてみたところ、第157回芥川賞の候補作であり2018年本屋大賞7位の作品である事がわかり、手に取ってみました。
一体どんな物語なのか、予備情報を一切持たずに読み始めてしまった為、内容が明らかになってくるにつれて驚きを隠せませんでした。
戦慄、と言った方が良いかもしれません。
新興宗教にのめり込む両親
主人公のちひろは、赤ん坊の頃から病弱な体質。
生まれてすぐ三か月近くを保育器の中で過ごしたそうですから、両親の心痛は察するに余りあるところでしょう。
退院後も体調不良は続き、病院を駆けずり回る両親が出会ったのが、会社の同僚から勧められた水「金星のめぐみ」。
何をどうしても治らなかったちひろの湿疹が嘘のように消えてしまった事がきっかけで、両親は「金星のめぐみ」にのめり込んでいきます。
最初はちひろの体を洗うだけだった「金星のめぐみ」は飲食用にも使用され、やがて同僚の勧めから「金星のめぐみ」を染み込ませたタオルを頭にのせて暮らす生活へ。
ちひろの眼がおかしいと言えば、「金星のめぐみ」の購入先から、紫色の見るからに怪しげなメガネを買い与えたりと、一家はどんどん不穏な方向へと突き進んでいきます。
さらに幼いちひろの視点から語られる状況から、集会と呼ばれる集まりに参加したりする様子も。
「これは怪しい新興宗教じゃないか」と読んでいる内にわかってくるのですが、本書のおぞましいところは主人公であるちひろに自覚がないという点。
小学生の女の子が日常を語る中で、怪しげな水や集会、両親の奇行があたかも一般的な情景としてに挿入されてくるのです。つまり、ちひろにはそれらが生まれ育った環境の一部であって「おかしい事」として認識できていない。
誰しも大人になってから「あれ?これってうちだけのルールだったの?」と思い知らされる我が家だけの常識というものがあると思うのですが、まさしくちひろの家にとっては宗教こそがそれに当たります。
叔父が両親の変化に気づき、諭したり、怒ったりと何度もやってくるエピソードもあり、その中では常識的なはずの叔父に対し、家族全員で抵抗する場面も見られます。
幼いちひろ達にとっては、両親こそが何よりも正しいものであり、家庭こそが常識の全てなのでしょう。
必死に我が家のルールを守ろうと抵抗するちひろの家族と、それに対して戸惑いを隠せない叔父……両者に感情移入できてしまい、読んでいる側の心を揺さぶらずにはいられません。
しかしながらちひろも歳を重ね、小学校から中学校へと進むに連れて、自身の家と世の中の違いについて少しずつ理解せざるを得ない状況へと追いやられていきます。
父は会社を辞め、新興宗教絡みの会社へ転職。
姉は家出の後失踪し、自宅は引っ越しを重ねる度に小さくなっていく。
修学旅行の費用すら賄えず、従兄を通じて叔父に出してもらう事も。
戸惑いや葛藤を重ね、それでも尚、何が正しいとは言い切れない少女の成長の様子が、ありありと描かれているのです。
芥川賞候補作ということは……
本書は分類として純文学作品に該当するものなようですので、エンタメ作品とは異なります。
ということはつまり、派手などんでん返しや起伏に溢れる躍動的なストーリーは期待できない、という事です。
……というような文学作品に関する考察は、以前からちょこちょこ書いているんですけどね。
なので話題になってるから読んでみよーっと本屋大賞の受賞作を読むようなノリで手に取ってしまうと、「オチがない」とか「山場がない」とかいう感想で終わってしまいます。
本書に関するアマゾンのレビューにも同様のものが散見されます。
そもそもそういう作品ではない、という認識が必要です。
ところが、芥川賞受賞作でも例外的に「面白すぎる」作品もありました。
最近文庫本が発売されて再び注目されている『コンビニ人間』がその最たる例。
妙に心を惹き付けられる『コンビニ人間』はついつい一気読みしてしまう程に面白い作品でした。
でも本作も面白いです。
芥川賞候補作の中では勝手にコンビニ人間型、と呼んでも差し支えない面白さだと思います。
冒頭から幼い少女の視点で語られる和やかな家庭と、そこに挿入される怪しげな新興宗教エピソードとのなんともいえないちぐはぐさに魅入られてしまうと、一体この家族がどうなっていくのか、ちひろがどう成長していくのか、目が離せなくなってしまいます。
事実、昨晩から読み始め、あっという間の一気読みでした。
ページ数が200ページ強とそう多くない事もありますが、とにかく面白い。
すっかり嵌まってしまいました。
派手などんでん返しや起伏に溢れる躍動的なストーリーは期待できないと先に書きましたが、『コンビニ人間』と並んで、文学作品の入り口にはとても良い作品なのではないでしょうか。
読んで決して後悔はしない作品の一つだと思います。