『i(アイ)』西加奈子
「この世界にアイは存在しません。」
西加奈子さんの『i(アイ)』を読みました。
本当は年末年始かけてじっくり『サラバ!』を読んでみたいと思っていたんですが、計画と読みが狂ってしまい、年が明けた今になって『i(アイ)』の方から手をつける事に。
ちなみに僕にとってはは初の西加奈子作品です。
さて、吉と出るか凶と出るか。
著名な作品を多数出している作家さんだけに、良い出会いになる事を願うばかり。
アメリカ人の父と日本人の父を持つシリア人・アイ
主人公の国籍はアメリカ。
父・アメリカ人。
母・日本人。
本人はというと、シリア人。
裕福なアメリカ人夫婦の元で養子として育てられたのが主人公のアイ。
……もうのっけから混沌としていますね。
彼女は幼少時代をアメリカのニューヨークで過ごし、中学進学のタイミングで日本にやってきます。
人種の坩堝たるアメリカではいまいち馴染む事ができず、閉鎖的で没個性的な日本での生活に居心地の良さを感じるアイ。
しかしそれも長くは続かず、行く先々で悩みと葛藤を抱える事になります。
アメリカ人でもなく、日本人でもなく、かといってシリア人でもない自分のアイデンティティ。
簡単に言ってしまうとそんなところですが……アイは他にも、裕福な家庭に貰われた自分の幸福は、もしかしたら他の誰かの不幸と引き換えになっているのではないかという意識に常に脅かされていたりします。
その他本書には、人種や国籍だけではなくセクシュアリティや果ては原発事故まで、様々なテーマが内包されています。
どうしようもないねじれ
西加奈子さんはイラン ・テヘラン生まれのエジプト・カイロ育ちという非常に国際的というか現代的な経歴をお持ちの方で、であるからこそこんなにも世界観の大きな作品が書けるのだと思います。
ただ、僕は生まれ育ちも地方の純日本人で、外国人を目にする機会はあっても自分が会話をしたり何かを一緒にするような機会はまだまだ少ないのが実情です。
驚かれる事も少なくないのですが、これまでの人生で一度も日本を出た事すらありません。
そういう人間からすると、どうしようもなく次元の違う話に感じてしまい、どこか違う世界の物語としか受け止められませんでした。
ネットやメディアから聞きかじった知識だけでもって、「そうやって他人に引け目を感じたりするのって日本人だけじゃないの? アメリカで生まれ育ったアイが日本に来る前からそんな風に考えたりするの?」なんて疑問に思えてしまったり。
見知らぬ他人の勧誘をきっかけに反原発デモに参加する軽さが許せなく思えてしまったり。しかもあまり深く考えずに主張よりも行動している事実に突き動かされている感じがあまりにも軽薄に思えてしまったり。
東日本大震災で多少なりとも被災と呼べる経験をした身としては、世界各国で起こる事故や天災、紛争の犠牲者に対して胸を痛めるアイに対して、偽善的と感じてしまうところもあったり。
一方では、そんな風に世界の出来事に対して憂いたり悲しんだりして受け止められる人々っていうのも実在するんだろうな、と思うと妙に後ろめたさみたいなものを感じたり。
でもやっぱり、最終的に深いところでは理解できないし、主人公のアイやその他の登場人物に共感する事はできないのです。
あまりにも今までの僕の人生と本作に書かれている世界が違い過ぎていて、そのほとんは僕の経験の少なさ、僕自身の世界観の小ささに寄与するものなのだろうと思いつつも、やはり自分と同じ世界線の上に広がっている物語だとは思えない。
僕とこの作品とは、どうしようもなくねじれの位置にあるとしか言いようがありません。
この先どうしよう
僕実は、西加奈子という作家に結構期待してたんですよねぇ。
『サラバ!』もかねてから読みたいと思ってきた作品でもあるし。
でもこれだけ世界観の違いを見せつけられてしまうと、他の作品に手を出すのは非常に憚られます。
興味はありつつも、近づいたら不幸になると予感できてしまう、あの感じ。
合わないとわかっていても惹かれてしまう異性に似ているかもしれません。
自分には全く理解できない相手だからこそ、妙に惹かれるものがあるのかも。
この先、西加奈子作品をどう扱っていいのか、すごく微妙ですねー。
とりあえずしばらくは時間を置くべきか。
めちゃくちゃ薄くて軽そうな作品でもう一回試してみるか。
あーでも書いていたら、『i(アイ)』もメチャクチャ良い本な気もしてきました。
自分にはない感性を刺激してくれるのって、すごく魅力的ですもんね。
ちょっと時間を置いたら、やっぱりまた西加奈子さんの違う本を読みたくなる気がする。
なんとも評価し難い、難しい作家さんです。