経営者を決めるとき
大切なのは、その人の能力よりも、経営者になる覚悟の有無です。
歴史小説を……と言いつつ、今度もまた180度違った本を読みました。
その名も『脱・家族経営の心得―名古屋名物「みそかつ矢場とん」素人女将に学ぶ』。
書名そのものですね。
名古屋名物みそかつを世に生み出し、全国に広めたという「みそかつ矢場とん」の女将が書かれた本です。
このブログをそこまで熱心に読まれている方もいないと思いますので補足しておくと、実は昨年来「事業継承」「中小企業再建」といったテーマに携わる事が多く、それに関わるようなめぼしい本も探して読んできました。
といっても実務的なビジネス書ではなく、自己啓発書にも近いような軽いものばかりですが。
ところがどっこい、やはり本の題材として書かれる企業というのは中小企業の中でも“中”に近い、むしろ地元では優良企業・大企業と呼ばれていそうなそれなりのしkっかりした企業ばかり。
僕が確認したいのはもっともっと小さい会社なんですよね。
家族経営で、零細企業で、自転車操業・どんぶり勘定が染みついてしまっているような会社。
そんな中で見つけたのが本書。
「矢場とん」さんといえばやはりそれなりに大きな会社に思えますが、「脱・家族経営」というフレーズがいかにも僕の探しているテーマそのものじゃないですか。
余計に家族経営から始まった飲食店が店舗数を増やし、会社として大きくなっていく過程というものには非常に興味があります。
こういう観点で書かれた本って、本当に少ないんですよねぇ……。
家族経営最大の問題
果たして、女将は僕が望んでいた通りの問題に直面していました。
目の前に与えられるお金の誘惑に負けない体制を作らなくてはいけない。「矢場とん」は、店のお金も家のお金も同じという、昔ながらの個人商店を続けていてはダメになってしまう。
「矢場とん」を会社にしなくてはいけない。
当時の「矢場とん」の従業員たちは、遅刻はあたりまえ。朝、呼びにいかないと来ない社員もいますし、無断欠勤も日常茶飯事。接客もぶっきらぼうで、とりあえず店に毎日来てくれて、時間まで働いてくれたらありがたい。そんな状況に、女将さんの危機感は募るばかりでした。
古くからある自営業者の間では、経営者が満額の給料を手にできないということは、日常茶飯事です。お店のお金と家族のお金が混在してしまい、いざ帳簿をつけようと思うと、帳尻が合いません。帳尻だけを合わせて、残ったお金が、女将さんのお給料になってしまいます。
あ~……あるあるです。
これこそが家族経営の零細企業にありがちな悩み。
- 会社と個人の財布が一緒
- 従業員がなあなあになっている
何よりも「1.会社と個人の財布が一緒」が全ての元凶なんですけどね。
ここからは本書からは脱線した個人的な考えになりますが、つまり、大元となっている要因を一言で言うと公私混同に尽きます。
混同しているのはお財布だけではなく、車や住居といった物、さらには時間までというのがありがちなパターン。
従業員にはしっかりとした勤務時間が定められているのに、社長や社長夫人は勤務時間中でも自宅の買い物に出かけたり、時には子どもの送り迎えまで憚ることなく行ってしまったり。
取締役であり経営者である社長夫婦はまだしも、そこに子や孫、親戚といった親類が入って来たりすると、公私混同に拍車がかかります。
「お母さんがやってるのに、私はダメなの?」
となり、一従業員であるはずの親類もまた、公私混同を始めてしまう。
そうなってくるとやっていられないのが一般の従業員。
「社長家族は好き勝手やってるのに、俺たちだけ時間いっぱいきっちり働けっていうのはおかしい」
当然ながらそう思ってしまいます。
社長側にも「自分たちは公私混同している」という引け目がありますから、従業員がへそを曲げて、勤務時間や態度がルーズになっても叱責できなくなってしまいます。
「だったらあんたの息子(甥っ子)はなんなんだよ」
と言い返されてしまうのがせいぜいです。
さらに「車も家も携帯も全部会社の金だろ。そんな金あるならボーナスちゃんと払え」なんて藪蛇になりかねません。
そうして全体的にルーズに、ルーズに……と堕落していってしまうのです。
経営者に求められる“品格”
本書に戻ります。
実は本書の中にも、「じゃあ具体的に何をしたのか」という点にはあまり触れられていません。
サラリーマンにとってはあり得ない「経費で落とす」という週刊ですが、商売をしていると、車も携帯電話も、経費で落とすのがあたりまえ。商売をしている人では、自宅も会社の経費で建て、社宅扱いにしているという人は少なくありません。
けれども、「矢場とん」の場合は、違います。自宅も全部、プライベートのお財布から捻出して建てました。
上記のような調子で、「おかしい」→「改善しました」と簡単に述べられるのみです。
実は、公私ごっちゃになった財布を分けるというのは、非常に難しいところなんですけどね。
跡継ぎが生計を共にする実子であれば良いのですが、生計を別にする他者(別居する親族も含む)の場合、事業相続の上で大きな問題点となってしまいます。
というのも、「会社と個人のお財布が一緒で車や家も会社の経費」という言葉には、車であればその燃料(ガソリン)が、家であれば水道光熱費から町内会費、果ては新聞まで一緒くたに同じ財布から出しているケースも多いのです。
(流石に食費は別のようですが)
そんな会社の経営を、仮に親戚の甥に継がせようというと、必ず問題が起こってしまうのは目に見えてますよね。
「祖父母が創業した会社とはいえ、事業承継した後も払いつづけなくちゃいけないの?
会社で働いてもいない叔母や従兄弟のガソリン代や車の面倒まで見るの?」
ものすごく馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれませんが、こういった例が世の中にはごまんと溢れているのですから困ったものです。
単純に個人と会社を分けると言っても、今まで会社で払ってくれていたものを個人で負担するよう求められたら、拒絶反応が出るのは当然です。
退任して経営を手放す祖父母もまた、当然ながら収入減となるわけですから、よっぽどの貯蓄がない限り「じゃあこれからは全部自分たちで払うよ」とは言えません。収入源に加えて経費が増えるのではダブルパンチになってしまいます。
その辺りの細かい解決方法が本書の中に示されなかったのが残念ですが、「矢場とん」においては直系の息子さんが跡継ぎとなられた事から、比較的スムーズに移行できたのではないでしょうか。
結局のところ、公私混同からくる会社全体のルーズさを改善するためには、経営者自身の“品格”に依るとしか言いようがありません。
「矢場とん」の女将さんのように「会社と個人を分ける」と決意をした上で、まずは経営者自身から公私を分離すべく身を正していくしかないのでしょう。
これまで会社で負担していた分が個人にのしかかったとしても、それぞれがしっかりと自立していけるよう役員報酬や給与の見直し等を始め雇用体制を修正しながら財布の分離を計っていかなければ、せっかくの事業承継も親族間に禍根を残す結果になってしまいますからね。
実際にそういった苦心のエピソードがたどれるような本があれば良いのですが。
もしあれば、ぜひどなたか教えて下さい。
今後もこういったテーマの本は読み続けていこうと思いますので。