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年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『壬生義士伝』浅田次郎

「吉村、死ぬな」

本音の一言が喉からすべり出たとき、俺ァやっとわかったんだ。そうさ、やつは俺の、俺たちみんなの良心だったんだ。

 

壬生義士伝』を読みました。

常々耳にしてはいたんですよねー。

映画化・漫画化・舞台化と広がりも大きい作品ですし。

 

ただ、いかんせん新撰組の話らしい、という事以外にはなにも知らず。。。

新撰組司馬遼太郎の『燃えよ剣』や『新選組血風録』、子母澤寛新撰組三部作『新選組物語』『新選組遺文』『新選組始末記』などは読んだもののだいぶ昔の話なので、そのうち再読しようかと思っていたのですが、今回は未読の『壬生義士伝』を手に取ってみました。

 

だいぶ想像からはかけ離れた展開に面食らってしまいましたが。

 

 

義士・吉村貫一郎

物語は大阪の南部藩蔵屋敷に、満身創痍の武士が転がり込んでくるところから始まります。

時は幕末。

鳥羽伏見の戦いにおいて、薩長連合が掲げた錦旗を前に幕府軍が予想外の大敗を期した直後の事。

よく見れば武士がまとった浅黄色の羽織は、新撰組に間違いありません。

彼は以前脱藩した南部藩の者だと出自を明かし、その上で帰藩したいと願い出ます。――つまり、命乞いにやってきたのです。

 

漫画『竜馬がゆく』でお馴染みですが、この時代における脱藩はそれだけで死に相当する罪とされます。

藩の追跡からもまんまと逃げおおせ、新撰組として好き勝手暴れまわった挙句、さらに錦の御旗に対して刃を向けた罪人が、恥も外聞もかなぐり捨ててかつての故郷に助けを求めてきたのです。

一見情けないこの男こそ、本書の主人公である吉村貫一郎

 

しかしこの段階では旧幕府派か新政府派か旗色を明らかにせず、中立を保って情勢を見極めようとしていた南部藩にとっては、お尋ね者の新撰組残党など迷惑以外のなにものでもありません。

切り捨てるわけにも他藩へ差し出すわけにもいかず、仕方なく屋敷内に受け入れられた吉村貫一郎でしたが、蔵屋敷の差配役(一番の責任者)は奇しくも旧知の間柄である大野次郎右衛門でした。

これ幸いと竹馬の誼みを持ち出して助けを求める吉村に対し、大野は「恥知らず」と面罵し、「腹を切れ」と冷たく言い放ちます。吉村はうなだれ、肩を落としつつ大野の命を受け入れます。

 

ここまでがプロローグとも言うべき冒頭のシーン。

 

吉村貫一郎とはいったい何者なのか。

彼の身に何があったのか。

吉村と大野との関係とは。

 

短いシーンの中に生まれる沢山の疑問と謎を紐解いていく、長い長い物語の始まりです。

 

 

取材・独白形式

物語は記者(取材者?)と思わしき人物を前に、過去に吉村その他の人物に関係のあった人々が答える形でつづられていきます。

合間合間には、最期の時を前に吉村自身が過去を回想し、故郷に想いを寄せる場面も挿入されます。

 

1人目に登場する語り手は元・新撰組の居酒屋主人で、当時吉村と同じ時を過ごしたという人物です。彼の名前は結局わからずじまい。

彼の口からは吉村が金にがめつく、給金を手にした側から故郷へ送金する様子が語られます。ならず者たちの集まりの中で、一風変わった吉村の姿も見受けられます。

 

2人目は建設業の主人である桜庭弥之助。南部の出身であるという彼からは、吉村の幼少期から脱藩まで、足軽でありながら藩校の助教・師範代を務めていた吉村のアンバランスな生活ぶりが主に語られます。

生徒たちは皆吉村よりも格上の身分の子弟ばかりで、一度藩校を出れば上下が逆転する。教師として敬われつつも、一方では貧乏侍と見下される吉村。

北辰一刀流の剣術を修め、学問に秀でたにも関わらず、食うにも困るような身分しか与えられなかった当時の困窮した藩の財政状況が垣間見られます。

さらに桜庭からは吉村の息子である嘉一郎と、大野の息子である千秋の関係も語られます。

 

3人目は新撰組池田七三郎と続き、4人目に登場する人物こそ新選組副長助勤にして三番隊隊長・斎藤一

物語はこの辺りから各段にヒートアップします。

スパイとして伊東甲子太郎率いる御陵御士に潜り込み、池田屋事件坂本竜馬暗殺事件と、新撰組にまつわる有名な逸話が続々登場し、特に坂本竜馬については浅田次郎目線での解釈が披露されていきます。これが非常に説得力に溢れていて、ある意味本作の一番の読みどころ

冷徹で他の隊士をも寄せ付けない殺人マシーンのような印象の齋籐に対し、吉村は情に厚く理に厳しく人間味溢れた印象で、斎藤は何かと吉村を毛嫌いし、生理的に反発を覚えます。二人は終始、水と油のように相反する存在として描かれていくのです。

 

最大の見どころは鳥羽伏見の戦い

錦の御旗を前に、会津藩新撰組も戦意を喪失。「退くな!」と命じる土方の声も届かず、一斉に後退を始める。

その中でたった一人、吉村だけが脇差を抜いて立ち向かうのです。

 

新選組隊士吉村貫一郎、徳川の殿軍ばお勤め申っす。一天万乗の天皇様に弓引くつもりはござらねども、拙者は義のために戦ばせねばなり申さん。お相手いたす」

 

咄嗟に飛び出そうとする斎藤は、永倉と原田に止められてしまいます。羽交い締めにされながらも「死ぬな、吉村」と叫び続ける斎藤。……映像作品を見た事はありませんが、間違いなく見せ場の一つでしょう。

吉村に敵愾心を抱いていたはずの齋籐が「死なせてはならない」と思ってしまう。吉村の持つ不思議な魅力の一端を示す重要なエピソードです。

 

 

吉村は義士なのか

続いて語り手は大野次郎右衛門の息子である大野千秋に代わり、大野家の中元を務めていた佐助、そして最初に登場した新選組の生き残りである居酒屋店主、さらに吉村貫一郎の次男へと代わっていきます。

ここからは主に鳥羽伏見以後、吉村の遺族たちの様子が語られています。

 

ただ……うーん、、、斎藤一の語りが盛り上がり過ぎただけに、トーンダウンが否めませんでした。

吉村貫一郎も鳥羽伏見で官軍に立ち向ったところまでは格好良かったんですけどね、その後で故郷に命乞いしていた事を考えると、なんとも複雑です。

 

本書は吉村貫一郎「幕末に似合わぬ家族愛・人間愛に溢れた人物」として書こうとしています。

でもだったら、どうしてたった一人官軍に立ち向かうような真似をしたのでしょうね? 個人的にはそこがいまいち理解できません。

新選組の他の隊士にも「死ぬな」と教育してきた吉村です。沢山の人を斬ったのも「自分が死にたくないから」と言います。故郷に残してきた家族を養うためには、死ぬわけにはいかないからです。

 

繰り返しになりますが、だったらどうして一人で官軍に立ち向かったのでしょう? もちろんこのシーンがあったからこそ吉村が“義士”であった証明になるのですが、それまでのエピソード中にも、特に徳川に対して義を唱えるような人物像は見受けられないんですよね。

この場面においては、吉村は気が触れていたとしか思えません。

言い方を変えれば、この場面のみ吉村のキャラが崩壊していた、と言えるかもしれません。

見せ場としては途轍もなく格好良いシーンではあるのですが。

 

実際、その後瀕死の吉村は恥も外聞もかなぐり捨てて、己の主家である南部藩に助けを求めるという行為に出ています。斎藤一の心に強く刻まれる程、たった一人で掲げた“義”とはいったいなんだったのか。後で変心するぐらいならなんで決死の抵抗を試みたのか。吉村貫一郎は本当に“義士”なのか一体誰の為に、何のために掲げた“義”だったのか、疑問であると言わざるを得ません。

 

ちなみにストーリー的にも、ほぼ史実をなぞった斎藤一編までと異なり、以後は創作色が強くなってしまいます。

象徴的なのが大野千秋で、彼には最初から付き従う妻の姿が描かれます。読んでいるうちに、どうやらこの妻は吉村貫一郎の娘であり、大野千秋の親友である吉村嘉一郎の妹・みつである事がわかってきます。

鳥羽伏見で幕府軍が大敗後、吉村貫一郎は死に、南部藩に帰った大野千秋の主導により南部藩奥羽越列藩同盟の一員として徹底抗戦の道を歩みます。隣国秋田や津軽への侵攻がそれです。

父の脱藩以後、世を忍ぶように生きてきた息子・吉村嘉一郎は主藩への“義”のため、その戦陣へと駆けつけようとするのです。その際、どうしても納得してくれない妹・みつの身を案じて、親友である大野千秋の下を訪ねてきたのでした。

 

大野千秋はみつを説得、嘉一郎を送り出します。その後、あろうことか嘉一郎の母を訪ね、みつを嫁にもらいたいと願い出るのです。

 

……あれれれれ?

 

この辺は本当に滅茶苦茶なんですよね。

大野家と吉村家の間にある格差という大きな溝については、ここまでも繰り返し繰り返し語られているのです。

大野家は藩の重役も務める四百石取りの上士。かたや吉村家は二駄二人扶持の足軽。元を辿れば大野次郎右衛門も吉村と同じ貧困の出でしたが、大野家に跡継ぎ問題が発生し、棚から牡丹餅的に藩の重鎮にまで上り詰めたのでした。

幼少時をともに過ごした二人は親友とも呼べる間柄ではありますが、社会的な身分においては口をきく事も許されないような上下関係が存在するのです。

 

だからこそ、剣にも学問にも秀でた吉村貫一郎は貧困から脱する事もできず、脱藩するしかなかった。大野次郎右衛門にも、吉村の禄を増やす程の便宜を図ることはできなかった。

この物語のそもそもの始まりは当時の身分制度・格差に起因していたはずなのです。

 

ところが、大野千秋という人物はあろうことか足軽の娘を己の一存で嫁に貰ってしまう。おいおい、脱藩した重罪人の娘じゃないか。だいぶ格下な上、教養も何もない足軽の娘じゃないか。

 

だったら最初っからそうしろよー!

 

吉村貫一郎を登用できないのなら、息子・嘉一郎を大野家の養子に入れた上でどこか跡取りに困る武家に婿に出すとか。実際直江兼続なんかは似たような手段で家老入りを果たしたわけですし。

どうも舞台が南部藩に移ってからは、話の整合性が取れていないように感じてしまいます。

大野千秋の回想によると、吉村貫一郎が家族を引き連れて大野家に貰い湯に来ていたような記載もありますし。

上士の屋敷に足軽が、ねぇ……。風呂を借りられる、貸せる間柄ならやっぱりもうちょっとどうにかできたんじゃないかと思えてしまいます。他にも部下である足軽は多数いたでしょうし、昔の誼で吉村貫一郎にだけ風呂を貸していたとすれば、周囲からは白眼視されてしまいますもんね。出自にいわくつきの大野次郎右衛門に対する家中の風当りだって強まる事でしょう。

 

嘉一郎はその後、南部藩が恭順するに至った後もたった一人函館に渡り、五稜郭において最後まで南部藩の“義士”として戦い続けます。

 

「出立の折、御組頭様より頂戴した幟旗でござんす。二十万石はこんたな足軽ひとりになってしもうたが、わしは南部の武士だれば、たったひとりでもこの旗ば背負って戦い申す。二十万石ば、二駄二人扶持にて背負い申す」

 

五稜郭の戦いも見せ場の一つなのかもしれませんが、正直この頃にはだいぶテンションが下がっていました。 

嘉一郎は脱藩して藩に迷惑をかけた父の罪を背負っています。さらにそんな父が送金してくる汚れた金に育てられたという負い目も負っています。それらが彼を、南部藩のために戦おうを駆り立てた原因なのです。

でもそもそも父が脱藩した原因については疑問符がついてしまっているからなぁ。

その上、妹はあっさりと上士の家に嫁入りしていたり。

さらに、嘉一郎の弟は父と同じ吉村貫一郎の名を継ぎ、さらに大野次郎右衛門の尽力もあって戦後、裕福な家に面倒を見てもらい、立派な大人に大成していたり。

 

そんな事できるなら最初から……

 

 と思わざるを得ません。

 

 

一つ一つの見せ場は素晴らしい

 

……というわけで読み終えた『壬生義士伝』。後半はボロクソ書いてしまいましたが、読み終えた後も見せ場の一つ一つは鮮やかに脳裏に蘇ってしまいます。

鳥羽伏見で薩摩軍相手に見えを切る吉村貫一郎であったり、五稜郭で最期を飾ろうとする吉村嘉一郎であったり、はたまた京の町で躍動する斎藤一であったり。

一つ一つの見せ場の描き方が、とにかく上手だなぁ、と。

 

残念なのは全体を通しての軸がブレている感じがする事。

吉村貫一郎・嘉一郎を悲劇の親子に仕立てる代わりに、息子・貫一郎やみつを救ったという感じなんですかねぇ。

戊辰戦争後、会津藩をはじめ官軍に刃向った藩はかなり苦労も多かったはずなんですが、その辺りのエピソードが少なかったのもちょっと物足りないか。

 

会津藩で言えば最後の家老であった山川大蔵(浩)なんかは戦後も斗南での再起や西南戦争への参戦と勇躍していますから、大野千秋も藩重役の子弟として、さらには抗戦を煽った戦犯の息子として、南部藩の再興を担う役割も少なくなかったはずなんですが。本作においては、風当りの強い賊軍の子弟の一人として生きる事で精いっぱいだったようですね。

本来であれば罪人である脱藩足軽の子弟よりも優先して救うべき相手は無数にあったはずなんですけど。

子どもの頃の友情を優先して、目の前の藩士たちを後回しにするのは“義”と言えるのかどうなのか。やはり疑問なところです。

 

あとは吉村貫一郎脱藩以後、家族を支えてくれた伯父夫婦やその家族がどうなったのかも気になるところ。

名を受け継いだ子・吉村貫一郎もその後はだいぶ疎遠になっていたようですし。

 

全体を通して、とにかく吉村と大野の友情さえ美しければそれで良い感が否めませんでした。

本書は子母澤寛の『新選組始末記』を元にしているというのは有名な話ですが、南部藩や大野との友情エピソードなどは割愛して、新選組でたった一人義士として薩摩に立ち向かった吉村貫一郎を描くだけにとどめた方が、全体としての完成度は高かったのではないかと思えてしまいます。

もちろん、その背景を膨らませたからこそ『壬生義士伝』が生まれたんでしょうけど。

 

うまくまとめられれば映像作品の方が面白いかもしれませんね。

今度見てみる事にします。

 

 

https://www.instagram.com/p/Bxi8_gjBvYn/

#壬生義士伝 #浅田次郎 読了#第13回柴田錬三郎賞 受賞作品映像化、漫画化、舞台化と派生も多い有名な作品。取材者(=子母沢寛?)に対して語るような独白形式の文章が独特。上巻の後半から語り手が斎藤一になる辺りが最高潮で、その後は尻すぼみな印象。四百石取りの旧友を持ってしても二駄二人扶持の貧困を脱する事のできない環境こそが全ての原因であったはずなのに、後半の語りを読むと上士の家に風呂を借りたり、上士の息子は罪人である脱藩足軽の娘を己の一存であっさり嫁に迎えたりと色々破綻してくる。あれ?吉村と大野の間にある身分の垣根ってもっともっと大きいはずじゃなかったっけ?だったらもうちょっとなんとかできたはずだよなぁ。貫一郎はまだしも、息子の嘉一郎を大野家の養子に迎えた上で他家に婿に出す、とかね。貫一郎が脱藩する前に娘を嫁に入れて親族化しちゃうとか。一つ一つの見せ場はものすごくよく出来ているんですけどね。薩摩軍にたった一人で立ち向かう吉村貫一郎とか。ただ、全体で見るとどうも整合性がとれていない気がして残念でした。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。