「いちばん古いのがH・G・ウェルズの『タイム・マシン』ていう中篇、これはタイム・マシンが出てくるだけのクラシックだけど、ほかに、カッコいいタイム・マシン・パラドックスを扱ったのが、たくさんあるわよ」
かねてよりタイム・パラドックスものの金字塔として噂を聞いていたものを偶然古本屋え見つけ、積読化していました。
タイム・パラドックスものと言えば日本では『時をかける少女』、『戦国自衛隊』あたりが有名でしょうか。あとはちょっと違いますが『君の名は。』なんかも多分にその要素を含んでいると思います。
洋画だとやはり『バック・トゥ・ザ・フーチャー』ですよね。
いずれにせよわくわくと胸が躍り、興奮してしまうような作品の多いジャンルでもあります。
昭和40年・1965年に連載されていたという本作。
既に50年以上が経過していますが、一体どんな作品なのか。
乞うご期待。
戦時中の遺言と失踪した少女
中学二年生の浜田俊夫少年が生きるのは第二次世界大戦のまっただ中。
時折訪れる空襲に怯えながら生活をしています。
引っ越してきたばかりの家の隣には、ドーム型の研究施設を備えた屋敷が建ち、井沢先生と俊夫の憧れである娘の啓子が住んでいます。啓子は当時人気の小田切美子という女優に似ていると評判の美女でした。
ある日、襲来した爆撃機から危うく難を逃れた俊夫は、隣家が火に包まれているのに気づきます。慌てて救出に向かうものの、庭には先生が倒れ、すでにぐったりとした様子。先生は俊夫にある遺言を残し、死んでしまいます。そして、啓子も行方不明に。
〈千九百六十三年五月二十六日午前零時、研究室へ行く事〉
それから十八年後、俊夫は井沢親子の住んでいた家を訪ねます。
申し出を聞いた及川という住人は、快く俊夫の申し出を受け入れてくれました。
果たして、午前零時ちょうどに訪ねた研究室からは、失踪していたはずの啓子があの日の姿そのままの状態で現れます。
啓子の記憶は十八年前のあの時で途切れ、現実を受け入れられません。
状況を説明する俊夫に、やがて啓子は状況を受け入れ、タイムマシンに残されていたノートの解読に挑みます。日本語ではない謎の文字も、二人の協力によってついに解き明かされたかのように思われました。
そうして再び、二人は研究室を訪ねます。
ところが啓子が休んでいる隙に、俊夫は数字を入力し、井沢博士が日本にやってきたであろう昭和9年にタイムスリップしてしまいます。
たどり着いた先は設定とは異なり、なぜか昭和7年。
当然研究室は存在せず、タイムマシンは地面へと落下してしまいます。
元の時代へ帰るためには元の高さへ持ち上げなければ、戻った時に床面と衝突してしまいます。人工を雇い、櫓の上に持ち上げる事に成功する俊夫でしたが、タイムマシンに乗り込んでいざ起動しようと言う時に警官が登場。
押し問答の内に俊夫はタイムマシンから飛び出してしまい、代わりに警官を乗せたまま、タイムマシンは旅立ってしまいます。
昭和38年からやってきた俊夫は、昭和7年に取り残されてしまうのです。
2年経てば井沢博士がやってくるはず
途方に暮れる俊夫でしたが、昭和9年には井沢博士がやってくるはずです。
そうすれば遅かれ早かれタイムマシンにも再会し、元の世界に帰る道も開けるはず。
そう楽観的に考えた俊夫は、井沢博士に会うまでの期間をどうやり過ごそうかと勘案します。
幸いな事にタイムマシンには昭和9年に使えるお金が沢山用意されてしましたので、当座の金には困りません。しかし、問題なのは俊夫の身柄です。彼は戸籍を譲り受け、中川原伝蔵の名を手に入れます。さらに当時まだ流行していなかったヨーヨーを開発したりと、精力的に活動します。
そんな最中、レイ子という女性に出会い、二人は急速に距離を縮めます。
病弱だったレイ子は伝蔵の勧めで病院にも通い、健康を取り戻し、友人の紹介で高層デパートで働き始めます。
ところがこのデパートこそ後に多数の多数の死傷者を出す世にも有名な大火災を起こしてしまう白木屋呉服店。白木屋の火災は知っていたはずの伝蔵も詳細な時期までは失念しており、レイ子もまた火災の犠牲となってしまうのでした。
その後も研究室の予定地を取得し、ドームを建設し……と井沢博士の登場に向けて準備を進める伝蔵でしたが、彼の元に召集令状が届きます。長くとも2年程度で解放されるだろうと応じる俊夫が復員したのは、それから15年後の事でした。
物語の前後関係
ここで時系列を整理しましょう。
本書を漫然と読んでいるといまいち前後関係が掴めなくなってきてしまいますので、同じように整理しながら読み進める事をオススメします。
昭和7年 タイムスリップにより俊夫(伝蔵)登場
昭和20年 空襲・井沢博士死亡・啓子失踪
昭和23年 俊夫(伝蔵)復員
昭和38年 俊夫と啓子再会。
※青字は俊夫が過去へタイムスリップ後
おわかりでしょうか?
過去にタイムスリップした俊夫が戦争に行っている間に井沢博士はこの世に登場し、そして死んでしまっているのです。タイムマシンもまた、昭和20年の空襲時に啓子とともに昭和38年へ向けて旅立ってしまった為、昭和23年の研究室からは喪失してしまっています。
戦争から戻ってきた伝蔵が井沢邸を訪ねると、及川美子という女性が一人で住んでいました。彼女こそ、啓子が似ていると噂されていた小田切美子その人なのです。伝蔵は美子という女性と結婚し、夫婦としてそこに住み始めます。
そうして忘れた頃に、一人の青年から連絡が入ります。
青年は浜田俊夫と名乗るのです。
及川伝蔵=浜田俊夫、小田切美子=?
そうしてタイムスリップしてきた啓子が俊夫と再会し、今度は俊夫が過去へと旅立ってしまうまでは読者も既知のストーリーです。
しかし今度は及川伝蔵として、その後の様子が描かれていきます。
俊夫は過去へ旅立ち、研究室には啓子だけが取り残されています。
啓子に事情を説明する伝蔵ですが、あまりうかうかしてもいられません。
過去へ旅立った俊夫は帰って来れなくなってしまいます。タイムマシンは変わりに警察を乗せて戻ってくるはずなのです。
及川伝蔵は機転を効かせ、やってきた警察を懐柔する事に成功します。
安堵の想いで自宅へ戻ると、啓子と美子の姿がありません。
はっと気づいて研究室へ戻ると、そこにタイムマシンはなく、代わりに警察と美子だけが横たわっていました。
啓子は俊夫を追って過去へと旅立ち、それを追った美子だけが啓子に突き出されて残されたのでした。しかし、美子はそのショックで失っていた記憶を取り戻します。
↓↓↓以下ネタバレ(白字反転)↓↓↓
美子は自分こそが啓子であると、思い出すのです。
美子は俊夫を同じ過ち(十二進法と十進法を間違う)を犯し、昭和2年へと遡ってしまうのです。
タイムトラベルのショックで記憶を失った美子はそこで赤ん坊(俊夫の子!)を生み落としますが、啓子という名前を付けて孤児院の前に捨ててしまいます。
その後有名な映画製作者に拾われ、小田切美子と名を変えて女優となるのです。
やがて啓子は井沢博士の養子となり、17歳となった昭和20年に空襲から逃れる為、タイムマシンで未来へと送られます。
時系列を啓子中心に再整理します。
昭和2年 未来から俊夫を追って啓子登場。記憶喪失。
俊夫の子(啓子)出産。
自らは美子に改名。
不明 美子の娘啓子・井沢博士の養子となる。
昭和20年 空襲・井沢博士死亡・啓子昭和38年へ。
昭和38年 俊夫と啓子再会。啓子・俊夫を追って昭和2年へ。
美子が生んだ啓子が過去に戻って啓子を生み、記憶喪失になって美子に名を変える。
つまり、美子=啓子。
美子と啓子は親子であり、同一人物である。
自分で自分を生むという永遠の循環を作り出していたのです。
なんじゃこりゃあ?
な設定ですよね。
正直僕自身、読んでいる間はいまいち理解ができませんでした←
こうしてブログに書きながら再整理している内に、ようやく呑み込めてきた次第です。
確かに絶賛される理由もよくわかります。
昭和の伊坂幸太郎とでも言うべき、伏線回収の妙ですね。
↓↓↓以下ネタバレ(白字反転)↓↓↓
ただ、未来へやってきてしまった警官がその後どうなったのかはさっぱり不明のままなのですが。
こんな不憫な目に遭うぐらいなら、俊夫と入れ替わるのは警官じゃなく野良犬にでもすればよかったのに。
クドイ
ただ、残念なところも多々あります。
その最たるものがとにかくクドイところ。
本書は昭和40年に書かれました。
昭和7年にタイムスリップした場面を描くにあたり、多少なりとも懐かしさ・当時の様子を描こうというのは必然の流れかもしれません。
ただし、その描写があまりにも多くて冗長過ぎてしまうのです。つーか僕らにとってはあまりにも昔過ぎて、読んでもさっぱり伝わってこない。
例えるなら、現代小説でバブル期にタイムスリップする話を書くとして、ジュリアナ東京だのボディコンだのポケベルだのに加えて、当時流行していたという車をシーマだのシルビアS13だのという車名や特徴まで書くような感じでしょうか。
よくわからない上に特に興味もないんですけど……という感じ。
それがまぁしつこいんですよね。
けん玉がいつからブームになって考案者がどうたらこうたら……みたいな。そこまでの細かな話って物語に必要かな? と思わずにはいられません。
なので上の時系列で書くと結構シンプルな物語のようなのですが、読んでいくと非常に長いです。話がなかなか進まない。そこまで重要ではないエピソードが多いので、冗長になってしまう。
題材としてはなかなか良いので、これはアニメか何かの映像作品としてリメイクした方が良いのかもしれませんね。もっとスピーディーに話が進む現代版に作り替えた方が、満足度が高まるかもしれません。
『戦国自衛隊』を観る
本書とは直接的な関係はありませんが、同じタイムトラベルものとして『戦国自衛隊』を観ました。
非常に悪名高い『戦国自衛隊1549』ではなく、名作と呼び声高い『戦国自衛隊』の方です。
いやぁ、すごいですよね。
何がすごいって、CGじゃないですから。
若干模型かな?というシーンもありましたが、基本的には本物の戦車やらヘリコプターやらを使って生身の人間が体当たりで行うシーンばかり。
千葉真一がヘリコプターから宙吊りになったとか、真田広之がヘリコプターから飛び降りたとか、渾身の名シーンもいっぱい。
やっぱりこの時代の作品には、最近のCG作品にはない迫力や臨場感がありますね。
……と思ったのも開始せいぜい1時間ぐらい。
途中から少しずつ状況が変化していきます。
雲行きが怪しくなるのは、主人公・伊庭を演じる千葉真一と、盟友・謙信を演じる夏木勲が邂逅した辺りから。
謙信が現代兵器に興味を持つのはわかりますが、互いに武器を交換し、一自衛隊員の伊庭が馬上から恐るべき精度で弓矢を撃ったりする。
やがて物語はクライマックスである川中島の戦いを迎えますが、自衛隊の用いる現代兵器に対し、武田軍は驚くほどの人海戦術による猛攻を見せます。戦車や輸送車に火を点けた大八車的なものを突撃させたり、水中に姿を消す忍者が現れたり。
明らかに人知を超えたアニメ的な能力を発揮し始めるのです。
これには流石の自衛隊員たちも悲鳴をあげて恐怖を示すしかありません。
その最たるものとして、真田広之がヘリコプターの腹に張り付き、よじ登って操縦士を刺殺した挙げ句、墜落するヘリから飛び降りて脱出するというとんでもない身体能力を見せたりするのですが。
さらにさらに限界突破を見せ、最終的には現代兵器を失った伊庭が弓矢や刀、槍だけでもって武田軍の陣中にたった一人で襲撃をかけ、信玄を討取ってしまいます(←信玄殺したのは銃だけど)。
馬に跨り、押し寄せる兵や忍者を物ともしない自衛隊員・伊庭はもはや化け物としか言い様がありません。
半村良の原作とは似ても似つかぬ展開に呆然としたまま見終えた後、映画のレビューを観ていたら代弁者が見つかりました。
言い得て妙ですね(笑)
「戦国時代に自衛隊を送ったらどうなるか」という原作小説は「戦国時代に千葉真一を送ったらどうなるか」というキワモノ映画に改変されていました。
これはこれでそれなりに面白かったですけどね。