おすすめ読書・書評・感想・ブックレビューブログ

年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『影武者徳川家康』隆慶一郎

「ご進撃が早すぎます。いま半刻、桃配山に……」

「それが出来なくなった」

 二郎三郎は、あくまで家康として云った。忠勝の顔色が変った。

「南宮山の毛利が……!」

「毛利ではない。わしだ」

 二郎三郎は忠勝に近々と顔を寄せた。

「判らぬか。わしが死んだ」 

今回読んだのは隆慶一郎の『影武者徳川家康』。

本作も漫画化、ドラマ化されていますのでなかなかの有名どころですね。

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ちなみに僕が知ったのも上記の原哲夫漫画版。

小さな頃に触りだけ読んだ覚えがあるのですが、本物の家康が死んで影武者が残るという衝撃の展開が強く残っており、今回手に取るきっかけとなりました。

尚、原哲夫氏は絵柄を見れば一目瞭然かと思いますが、『北斗の拳』や『花の慶次 -雲のかなたに-』といった代表作を持つ方です。

 『花の慶次 -雲のかなたに-』もまた、隆慶一郎の『一夢庵風流記』を原作としていますから、親和性の高い作家さんなんでしょうね。

 

影武者二郎三郎

物語は関ヶ原の戦いを舞台に始まります。

合戦のさ中、島左近家中の忍びであった六郎は、隙を突いて家康を殺害。

吉報に歓ぶ西軍に対し、影武者二郎三郎は咄嗟の機転から家康に成りすまします。十年に及ぶ影武者としての生活により、二郎三郎は家康の思考すらも生き映す事ができるようになっていたのです。

 

内府討死の報が敵味方問わず伝わり混乱する中、二郎三郎は逡巡を続ける小早川秀秋の陣に鉄砲を撃ちこむよう指図。恐れを知らぬ行為に「内府はやはり生きている」と悟った小早川秀秋はついに動き、西軍は崩れ、関ヶ原は雌雄を決します。

 

危急の策として始まった影武者の“成りすまし”は本来であれば家康の息子である秀忠が到着するまでのはずでしたが、あろうことか秀忠は関ヶ原に遅参。本来であれば懲罰も免れない失態に、家康の死を公表するのは憚りがあると伏せられてしまいます。この段階で秀忠にバトンタッチしてしまえば、せっかくの関ヶ原の勝利は無に帰してしまうかもしれません。

 

これには秀忠も黙ってはいられません。家康が死ねば、順番としては自分が徳川家の主となるはず。ましてや相手は影武者風情。自分の意を聞かせ、時を迎えれば殺してしまおうと側近である柳生宗矩とともに画策します。

 

一方で、事情を知る本多忠勝本多正信といった徳川家の重臣たちも、秀忠の能力への猜疑と家康の死の公表による混乱を警戒し、二郎三郎による影武者政権の維持を図ります。

 

本書は関ヶ原以後、家康の死までの十数年を描いた物語ですが、その中心を貫くのは影武者二郎三郎と二代目将軍徳川秀忠との対立なのです。

 

忍者vs忍者

……なんて先に書いて置きながら、実のところ、実際に戦うのは二郎三郎腹心の忍者、甲斐の六郎と秀忠側近柳生の忍術部隊だったりします。

実を言えば甲斐の六郎は家康を亡きものとした張本人。運命の悪戯か、家康暗殺を命じた島左近とともに、六郎は二郎三郎の身を守るべく手を結ぶのです。

この六郎がとにかくすごい。

漫画・アニメに出てくる忍者の能力をほぼ全て網羅したスーパーマンと言っても過言ではありません。

 

元々は正統派の剣術一家であったはずの柳生もまた裏では忍びを稼業としていた、といった設定もあり、さらに二郎三郎は箱根に潜む風魔衆をも配下に引き入れ……と忍術合戦がどんどん加速していきます。

 

物語としては史実をベースに征夷大将軍への任命や大阪冬の陣・夏の陣をはじめ様々な出来事が進んで行くのですが、基本的には裏で忍者たちが暗躍・対立・決闘を繰り返していくという流れになります。

いずれも二郎三郎に対立する秀忠が策を弄し、それを二郎三郎たちが破る、という構図ですね。

 

これがまた……クドい(笑)

 

どこかで既視感があると思ったら、吉川英治宮本武蔵』ですね。

何かというと武蔵やお通の前にお杉婆や又八が妨害に現れ、懲らしめられて「もうやりません」と改心したと思いきや、少し経つとまた現れ……の繰り返し。お杉婆が秀忠であり、又八が柳生宗矩という関係で見ると非常に酷似しています。

 

そして本作においては、その一つ一つが非常に細かい。

関ヶ原以後、家康の死までというと大きな出来事はないような気がするのですが、一つ一つの細かな出来事に対して上記のようなやり取りが繰り返されるので、なかなか物語が進みません。

 

そのせいもありますが、読書も進みませんでした。

本書は1ページあたりの文字密度も高いのですが、一つ一つのエピソードがあまりにも細やか過ぎ、さらに解決方法も忍者が暗躍するという超非現実的な手法がとられるのであまり熱意を持って読み込めなかったのです。

 

影武者が家康に成り代わる、という面白い題材を扱う一方、忍者合戦に終始してしまったのははなはだ残念なところです。少なくとも上下巻の一冊分は端折れるエピソードだったのではないか、と思えてしまいます。

 

最大の難点

本書の忍者たちは途轍もない能力者ばかりです。

六郎などはこっそり相手方の寝所に忍び込み、寝ている間に髷に小柄を刺すという強迫めいた行為も訳もなく行ってしまいます。

 

かと思えば、二郎三郎の屋敷には忍者がやすやすと忍び込めないように細工を巡らしたりします。

そのため、度々二郎三郎の寝首を掻こうとやってくる忍び達はその都度返り討ちにあってしまうのです。

 

逆に言うと、二郎三郎側からの暗殺は非常に簡易そうに思えてしまうのです。六郎に「殺してこい」と命じれば、簡単にこなしてしまう事でしょう。

 

その点が疑問として膨らんでしまったのが大阪冬の陣・夏の陣。

本書において大阪の陣は秀頼を生き残らせようとする二郎三郎と、なんとしても殺してしまおうとする秀忠との争いでもあります。

しかし、再三に及ぶ二郎三郎の説得工作も、その度に淀殿の反対により無に帰してしまいます。淀殿がいる限り、豊臣の破滅は逃れられない。それは他の歴史書とも同じくする流れではあります。

 

でも、思ってしまうんですよね。

 

じゃあ、淀殿殺しちゃえばいいじゃん。

 

終盤においてはとにかくこの疑問が頭から離れず、どうにも困りました。

二郎三郎たちの口からは、淀殿暗殺など誰からも提案される事はありません。

本書において秀頼は非常に聡明な青年として描かれており、誰がどう考えても、淀殿がネックになっているのは明らかです。

 

また、淀殿は忍び嫌いである事から、大阪城に忍びはいないという点も途中明らかにされています。つまり、その気になればいくらでも忍び込む事ができてしまうのです。実際、大阪夏の陣の最後には六郎たちがわけもなく城内深くまで立ち入っています。

 

どうして淀殿を暗殺しようとしなかったか。

 

この点こそが、本書の大きな疑問であり難点だったりします。

もっと言えば、秀忠・柳生側としても二郎三郎が六郎や風魔と手を結ぶ前であれば、柳生の忍びを大阪城に放って秀頼を暗殺する事も簡単だったはずなんですけどねー。狡猾な秀忠の事ですから、柳生ではない他の誰かの仕業に見せかけてもう一度徳川大阪の一大決戦に持ち込むとか、大阪内部での分裂を招くなんていう真似も可能だったと思いますが。

 

……というわけで、かなり長い時間をかけてようやく読み終えた本なはずなのですが、とにもかくにも忍者たちの能力が特殊過ぎて、どうにも納得いきかねる場面の多い読書になってしまいました。

家康影武者説は文句なしに面白いんですけどね。

島左近が実は生きていて影武者の支援者になっている、という設定も好きですが。

設定を最後まで活かしきれなかった感はぬぐえないかなー。

忍者の特殊能力抜きで書き直せばもっともっとよくなる気がしてしまいます。

 

ううん、簡単ですが以上。