「万博を生かすも殺すも、あなたたちの筆先三寸だ。頼みますよ」
『もう、きみには頼まない』。
ちょくちょくご紹介している城山三郎本です。
これまでにも ロイヤルホストの創始者・外食王、江頭匡一をモデルとした『外食王の飢え』、第5代国鉄総裁となった石田礼助の『粗にして野だが卑ではない』、日本の陸軍軍人でありながら華族(男爵)でもあり、1932年 ロサンゼルスオリンピック馬術障害飛越競技において優勝を勝ち取った金メダリスト西竹一中佐の『硫黄島に死す』などを当ブログでもご紹介してきましたが、城山三郎は主に昭和日本を代表する財界人や政治家らを描いた作品を残されてします。
城山三郎の名前は知らずとも『官僚たちの夏』というタイトルを聞いた事のある人は少なくないのではないでしょうか。こちらも異色の官僚佐橋滋をモデルにした作品です。
いずれも小説、というよりはある意味伝記に近いかもしれません。
今回読んだ『もう、きみには頼まない』は第一生命・東芝の社長を務めた後、経団連会長を六期12年も務め、日本万国博覧会協会会長として大阪万博の開催を務めた人物です。
大臣や首相に啖呵
タイトルにもなっている「もう、きみには頼まない」という言葉は時の大蔵大臣水田三喜男へ向けた言葉。依頼ごとに対してぬらりくらりと煮え切らない大臣に対し、業を煮やした石坂泰三が放った言葉です。
万博を巡る予算のやり取りの中では、時の総理大臣佐藤栄作に向けて、
「補助をもらうんじゃなく、本来、政府の仕事ですぞ。百億でやれと言われれば百億のものを、一億でとあれば一億のものをつくる。こちらはそれだけのこと。それでいいんですか」
等と凄んでみたり。
もちろん当時は相手方も『官僚たちの夏』で描かれる通り、豪胆な政治家・官僚も多かったはずですが。やはり昭和の男たちというのは今に比べると非常に剛毅。パワフルに感じますね。
石坂泰三は東大卒業後、いったんは逓信省に入りますが四年でスカウト先である第一生命に入ります。昇進して同社社長を8年。その後、東芝社長を8年。さらに経団連会長を12年と合わせて日本万国博会長。
非常に順風満帆なエリートコースを歩いているのがよくわかります。
そんな彼の人生を描いた本書も、簡潔に言ってしまうとどこまでも平坦な上り調子といった様子で、取り立てて浮き沈みのような点も見られません。その点は先に書いた『外食王の飢え』等とは違っているかもしれません。
唯一のつまづきは、わずか62、3で他界した妻雪子の死ぐらいでしょうか。
以後、泰三はライフワークのように亡き妻に向けての歌を作り続けています。
やむ妻にさちあれかしとねぎごとを
わすれかねつつ機上にまどろむ
今日もまたかへらぬ妻をしのびつゝ
あへなくくるゝ雨の冬の日
恥じらいつためらいつつも嫁ぎきし
若かりし日の君を忘れず
声なきはさびしかりけり亡き妻の
写真にむかひ物言ひてみつ
いずれも溢れるような思いに満ち溢れています。
……というと妻と仕事にしか興味のない仕事人間に思われてしまいますが、石坂泰三のすごいところは多趣味かつ他芸なところ。
いつの間にか数か国語を読み聞きできるようになっていたり、歌に書に陶芸にと非常にたくさんの趣味を持っていたようです。もちろん、財界人の嗜みとしてゴルフも欠かしません。ただしこちらは数字を競い合うようなゴルフにはならなかったそうですが。
こつこつと石坂泰三の足跡を紡ぐように書かれた本書は、前述したとおり大きな山場や浮沈もなく、ただただ日本の財界のトップを歩いた男の人生が記されるのみです。物語としては物足りなく感じられるかもしれません。
しかしながら、数々のエピソードやユーモアあふれる言い回しから、氏の魅力的な人柄が伝わってくるように感じます。
僕のようにフィクションという架空の物語の世界に飽いてきてしまった時――城山三郎作品はおすすめです。