『リカーシブル』米澤穂信
だからこの奇妙な町に着いたとき、サトルが何かを思い出したのか、それとも何も思い出さなかったのか、わたしは知らない。
ふぅ。。。
久しぶりの連続更新。
つまり、一日で一気読みしてしまいました。
読んだのは<古典部>シリーズや<小市民>シリーズでお馴染み米沢穂信の『リカーシブル』。
上記シリーズ作品や映画化もされた『インシテミル』は有名ですが、正直なところ、本書は存在すら知りませんでした。
話は幾分逸れますが、『インシテミル』は十年以上冷め切っていた僕の推理小説熱を再び蘇らせるターニングポイントとなった作品でもあり、個人的には非常に愛着の強い作品です。
『そして誰もいなくなった』のような海外ものの本格推理小説や『十角館の殺人』のような国内の新本格推理の数々をオマージュ・パロディ化したようなエッセンスの数々は推理小説好き(マニア?)にとっては堪らないものでした。
登場人物も昨今のラノベや漫画に触発されたかのような個性派ばかりで、特に関水美夜は『another』の見崎鳴と並ぶミステリ界のヒロインと勝手に絶賛しています。
そういう意味では、映像化によって原作ガン無視・原作レイプに加えて関水美夜を台無しにしてしまったホリプロへの恨みは墓場まで抱える所存ですが。
まー当然の事ながら類似したキャラ造形である<小市民>シリーズの小山内さんにも萌えまくっていたりするわけです←
一方で<古典部>シリーズに関してはちょっとあまりフィットしなかったりもするのですが。。。
そんなわけで当ブログには『クドリャフカの順番』しか米澤作品は書いていないのですが、つまるところ個人的に米澤穂信は大変好みの作家の一人だったりします。
今回たまたま見つけた『リカーシブル』。
賛否両論渦巻く『ボトルネック』以来の単発長編作品のご紹介です。
綾辻行人かスティーブン・キングか
主人公はハルカ。中学一年生の女の子です。
実の父親は金に関わる大事件を起こして失踪。血のつながりのない母と弟サトルとともに、母の故郷へと逃げるようにやってきました。
慣れない土地での生活と、人見知りで内向的な性格のサトルに嫌悪感を露わにするハルカですが、初めて訪れたはずの場所でサトルは「見た事がある」と度々既視感を訴えます。
はじめは一笑に伏すハルカでしたが、やがてサトルの既視感は現実化し、未来予知の様相を呈します。
さらにサトルは、この町で起こった過去の出来事すらも口にするように。
サトルの言動を怪しむハルカは、この町に“タマナヒメ”という伝説がある事を知ります。
“タマナヒメ”は過去と未来を見通す力を持つとされ、まるでサトルの様子と酷似しています。
独自に調査を続けていたという社会教師三浦に教えを受けながら“タマナヒメ”について調べようとするハルカでしたが、“タマナヒメ”には過去何度も繰り返されてきた悲劇的な役割もあると知ることになり――。
いやぁこれ、面白いですね。
見知らぬ町に残る謎の風習。
何かを隠しているようなクラスメートや住人達。
シャッターだらけの商店街と疲弊した住人、高速道路誘致の夢、外部からの人間をヨソモノとする排他的な町。
『another』が好きな人ならハマるのは間違いありません。
全体に覆う被さるような暗く重い雰囲気はスティーブン・キング作品を思わせるものも。
女子中学生が主人公の青春ものを思わせつつ、作品のテイストとしてはダーク・ミステリに近いと言えるでしょう。
賞賛すべきシンプルさ
『another』的というのは雰囲気だけではありません。
とにもかくにもシンプルなところです。もちろん良い意味で。
サトルが次々と知るはずのない未来予知、過去の出来事を語り、その度に謎が増えていきます。
サトルが言ったのは「これから起こる」出来事なのか、それとも「既に起こってしまった」出来事なのか。
サトルは一体何者なのか。
サトルと“タマナヒメ”との関連とは。
作品はほぼ全て、サトルと“タマナヒメ”伝承にまつわるエピソードや出来事と、それを追うハルカという構図で進められていきます。
クローズ・ド・サークルの環境において、殺人事件や殺人鬼だけが登場人物たちの興味の対象になるのと似たような構図です。
無駄を排除した非常にシンプルな構成なので、一つエピソードが追加される度に、謎はどんどん膨れ上がり、読者側の興味も加速度的に膨らんでいきます。
例えばですが、学校を舞台にしている割に登場人物が絞られているのも好例でしょう。中心的な役割を果たすのは同級生のリンカのみ。彼女以外にも台詞と名前のあるキャラクターは登場しますが、記号的な役割を果たすのみの完全な脇役キャラばかりです。
教師もまた、外部からやってきた人間であり、ハルカよりも先に“タマナヒメ”に興味を持って調査を続けてきたという社会教師・三浦のみ。
その他の人物はあくまで“排他的な地域”を演出するための舞台装置でしかありません。
これをつまらないとみる向きもあるかもしれませんが、個人的には賞賛すべきシンプルさだと思います。
他に女友達やグループ、男子まで増やされても役割を分担されるか、どうでもいいエピソードで膨らむばかりだったでしょう。
シンプルにまとめあげられたからこそ、500ページ超の分量も一気読みさせるだけの勢いがつけられたのだと思います。
相変わらずの弱点
唯一の難点を挙げるとすれば、米澤作品全体に見られる傾向……つまり動機の貧弱さでしょうか。
決してあり得ないレベルではないと思うんですけどね。
でもやっぱり「そのためにそこまでやるの?」というツッコミは避けがたいところかと思います。
『儚い羊たちの祝宴』。面白いけど、米澤穂信っぽい物足りなさってあるよね。動機の弱さというか。極端に例えると「ドーナツを一個多く食べたいから殺したの。また買ってくればいいとかそういう問題じゃない。私は今食べたかったの。あなたにはきっとわからないと思うけど」という感じね。
— ライナスの毛布@読書垢 (@s_b_linus) September 3, 2016
上記は以前『儚い羊たちの祝宴』を読んだ際のツイートなんですが、意外と共感を得られて承認欲求が満たされた覚えがあります。
まぁ米澤作品を読むにあたって、そこは目をつぶりなさいよと言いたいところです。
ある意味動機の斜め上さすらも楽しむぐらいの懐の深さは必須ですね。
それにしても久しぶりに夢中になって一気読みしました。
今年2019年に入ってからは初かもしれません。
ようやく読書熱が戻りつつある気がします。
また良い本に巡り合える事を期待したいですね。