私はわかった。二人は今も私の家族であり、私の一番大切なものなのだ。しかし、二人は今も私の家族でありながら、私のそばにはいない。この世のどこにも存在しない。
歌野晶午『春から夏、やがて冬』を読みました。
単行本の発行が2011年10月。
『葉桜の季節に君を想うということ』が2003年、当ブログ記事の中でも人気の『密室殺人ゲーム王手飛車取り』が2008年ですから、話題作が続いた後での作品という位置づけになります。
当時の歌野晶午への期待感を表すかのように、本書は第146回直木賞の選考作品にもノミネートされています。
結果としては先日読んだ『無双の花』の作者でもある葉室麟の『蜩ノ記』が受賞に輝いているのですが、ミステリ界の中でも異端児とされる歌野晶午の作品であり、かの有名な文学賞にまでノミネートされた作品となれば、否応にも期待は膨らみますよね。
万引き犯を見逃した理由
主人公は平田誠。50代の総合スーパー職員。
保安部長として勤める彼は、毎日のように繰り返される万引き犯1人と対峙します。
普段であれば警察への引き渡しも辞さない厳しい姿勢で臨む平田ですが、その日であった20代前半の女性・末永ますみに対しては呆気なく罪を許し、解放してしまいます。
後日、昼休みに店を出た平田の前にますみが姿を現し、平田に感謝を告げます。それをきっかけに、ますみは度々平田の下を訪れるように。
DV気味のチンピラ男と同棲するますみは、病院にかかるお金にさえ困るという貧窮した生活を送っています。そんなますみに、平田は気安く金を渡したり、肩代わりしたりといった親切心を見せます。
平田にはますみと同い年の娘・春夏がいたのです。
しかし七年前、高校二年生の時に交通事故で死んでいるのでした。
さらにその後、心身ともに病んだ妻もまた、自ら命を絶ってしまいます。
たった1人残された平田でしたが、彼の身体もまた、重大な病に侵されている事を知ります。
自分に残された時間は少ない、と知った平田は、ますみに失った娘・春夏の姿を重ね、生き急ぐように、彼女の世話を焼こうとするのです。
未解決事件
一方で、春夏を車ではねた犯人はまだ捕まらないまま、5年の月日が過ぎ、時効を迎えてしまっていました。
現場に残された状況から、春夏はヘッドフォンをしたまま、片手で携帯電話を操作しながら自転車に乗り、車にはねられた疑いが残っています。
ヘッドフォンについて春夏を諌めながらもまんまと逆に言いくるめられた事や、自分がプレゼントした携帯電話であった事が未だに平田の胸を苦しめます。
あの時、もっと厳しく春夏を叱っていれば。常日頃からきちんとしつけをしていれば、あんな事故は起きなかったのではないか。
悔やんでも悔やみきれない想いは、七年が経った今でも平田を際悩ませ続けているのです。
しかしながら本書の作者が歌野晶午である事を考えれば、未解決事件が主人公の悔恨を演出するためだけのエピソードとして終わるはずはありません。
終盤、平田の目の前に犯人の手掛かりが突然現れ――そこから物語は急展開を迎えるのです。
ミステリか、大衆小説か
本作、『密室殺人ゲーム』のようなド直球のミステリと比べると、驚くほど丁寧に心理描写が成された“読める”作品となっています。
特に平田に関わるエピソードはどれも秀逸で、平田や平田の妻の春夏の死の受け止め方や、その後の苦悩などは思わず唸ってしまいます。
家庭を顧みず仕事に忙殺される平田の一方で、家庭を一手に引き受けながらも趣味のテニススクールとを両立される妻や、父親を軽侮しながらもしっかりと議論に応じる春夏の聡明さなど、絵に描いたような幸せそうな家族が、どのような過程を経て壊れ、崩れて行ってしまったか。
全てを失い、たった1人で余生とも言うべき人生を淡々と過ごす平田が、ふとした瞬間に過去のエピソードを蘇らせる度に、読者側としても胸を締め付けられてしまいます。
直木賞へのエントリーも納得の出来です。
ただし……それだけでは終わらないのが歌野晶午。
本書についての総評としては、冒頭にリンクを掲載した宮城谷昌光さんの直木賞選評によく現れていると思います。
「発展の可能性を感じた。つじつまあわせは無用である。不条理が残ったままのほうが、小説的奥ゆきが生ずるときがある。」
終盤、未解決事件に話が及んだあたりから見せる物語の展開は、ミステリファンならば夢中になって読み進めてしまうのは間違いありません。
ただし、一般的な小説として読んだ場合どうか。
言葉を選ばずに記すのであれば、「陳腐な謎解き」によってせっかく盛り上がった物語に水を差されたと感じてしまうかもしれません。
僕自身ミステリファンの立場としては、春夏をはねた犯人が見つかっておらず、さらに携帯電話やヘッドフォンを使用していた疑いが浮上した時点で、これらは後々何らかの形で解答が提示される謎であり、伏線であると条件反射的に受け止めてしまうのですが、読了後にフラットないち読者の立場として改めて振り返ってみると、謎や伏線の回収は野暮だったかなぁと思えてしまう部分もあります。
そんなわけで本書の評価が分かれるのは、読者側の立場や期待するものによって変わると思うのです。
逆に言うと、一粒に二度美味しい的な楽しみ方ができる作品だ、とも言えてしまうと思うのですが。
死生観
最近『100日後に死ぬワニ』というTwitter漫画が話題です。
100日後に死ぬワニが、そうと知らずに日々生活している様子を描く四コマ漫画。
テレビで見た人気の通販商品を「買っちゃお~」と意気揚々と電話した結果、「一年待ちです」と告げられるも注文し、「一年後が楽しみだなぁ」とわくわくするワニの下に「死ぬまであと98日」という容赦ないテロップが付けられるといった作品です。
ワニはあと98日で自分が死ぬ事をわかっていないんですね。
当然一年後も生きてるという前提で一年待ちの商品を注文し、期待に胸を膨らませているのです。
とりあえずこの先もしばらくは生きているであろう事を前提条件として、日々を無為に過ごす僕たちに対するアンチテーゼのようでもあります。
本書は逆に、病に侵され先は長くないと覚悟した平田が、残された時間を生き急ぐ物語であるとも言えます。
平田が死を覚悟した人間であると理解して読むのと、理解しないまま読むのとでは、彼の言動が大きく違って感じられるのです。
本書をこれから読むという方は、そんなのところにも注意を払って読んでみる事をオススメします。