それはつまり、夏帆の側のこじれた感情が、どれだけ飽和状態に達しているかという証でもある。あの母を、どうしてもうまく赦すことができない。いったい母の何を、どこを、これほど疎ましく思うのかすらよくわからない。それでも、母と父は日に日に老いていく。放っておくわけにもいかないではないか。
村山由佳の『放蕩記』を読みました。
その昔、僕自身若かりし頃に『天使の卵』に出会ったのをきっかけに、以降『BAD KIDS』や「おいしいコーヒーのいれ方』シリーズをはじめ、自身まっただ中にあった青春時代と作品の登場人物たちの青春とを重ね合わせながら読んできた作家さんです。
その辺の経緯は大胆な作風変更により話題となった『ダブル・ファンタジー』の記事で触れていますので興味のある方はご一読を。
数年ぶりに触れた村山由佳作品『ダブル・ファンタジー』で度肝を抜かれた僕でしたが、作品自体はとても面白いんですよね。
同様に官能的な『アダルト・エデュケーション』も楽しく読ませていただきました。
……で、本作。
作品の帯やあらすじ、その他著者本人のインタビュー等々で『放蕩記』が村山由佳自身の自伝的小説であるという事は知っていました。
ただ、僕のイメージって『ダブル・ファンタジー』や『花酔い』のような“性”について赤裸々なお話なんだろうな、と思っていたのです。
そしてその期待は、今回もまた裏切られる結果となりました。
赤裸々な“母との関係性”
本書で村山由佳が描くのは、自身の“母との関係性”。
これが凄いです。
先に紹介した作品のように、“性”についてあけっぴろげにぶちまけた時にも驚きましたが、自分の肉親との関係性をこうまで主観的かつ客観的に丸裸になるまで描き上げたのはただただ凄いの一言。
壮絶。
物語自体には初期の村山由佳作品のような起伏やスピード感はありません。
2人目の内縁の夫(≒ヒモ)とともに実家を訪ねたりといった日々の生活を軸に、幼少期からの母とのエピソードを交えながらそこから生まれた憎悪とも嫌悪ともトラウマとも取れる複雑な感情を小刀で刻むようにひたすらに書き込まれたという印象です。
ですから基本的に物語自体の面白みというものは少ないかもしれません。
でも……これは間違いなく文学作品なのでしょう。今まで読んだ村山由佳作品の中では、一番文学的な作品と言えるかもしれません。
自己の内面に渦巻く様々な葛藤を、綺麗に整理したり脚色したりするのでもなく、混沌とした色合いそのままに文字で表現した凄み。
あまりにもリアル過ぎる母への感情は、正直読んでいて嫌になります。
気分が悪いです。
母の言動全てが嫌だし、それに対する主人公・夏帆の考え方も好きになれない。
父親も嫌いだし兄も嫌い。小狡い感じの妹も嫌い。内縁の夫(≒どっからどう見てもヒモ)も当然嫌い。
出てくる登場人物全部が好きになれないという稀有な物語。
そんな嫌なやつらにも、時折優しさや気遣い、それぞれの人生哲学的なものが垣間見えたりします。自分勝手だったり、自己中心的だったり、正義漢ぶった匂いを感じたり、リップサービス的なものを感じたり……でもそれが本当にリアルなんですよね。
到底認められないのだけれど、ほんのちょっと共感できる部分があったりなかったり。
小説って、どんどん記号化が進んでいるじゃないですか?
Aは良い人、Bは悪い人、CはAの協力者。
CはXという要因により志を共にしている。
AとBはYという要因で仲が悪い。でもYがクリアできれば関係は改善される。
みたいな。
プロットの段階でそれぞれの役割や人間性が決められて、その通りに物語を演じてくれるというのがお約束になっていたり。
でも本作はそうではないんです。
確固たる理由があって惹かれあうわけではないし、誰が悪いとか正しいとか分けられるわけでもない。明確にきっかけや事件があるわけでもなく、複合的な要因が絡まり合うわけでもなく、いわば自然の流れとして今の関係性が出来上がってしまっている。
登場人物たちの間でも割り切れない、把握しきれない事情や感情が様々あって、玉虫色で混沌とした状態をそのままに描き切った本作。
読めば読むほどに嫌な気分にしかならないのですが、一方でそこに筆舌しがたいリアリティを感じてしまうんですよね。そうそう、こういうもんだよ。現実って確かにこうだよ、と。
僕的には本当に素晴らしい文学作品だと思います。
ただし、読中も読後感もとにかく良くないので、本作をまた読みたいとは思えないです。
ただただ、とてもヘビーなものを読んでしまったな、という感覚。
しかしながらまた村山由佳の新境地のようなものを垣間見た気がするので、彼女の作品はぜひとも読み続けたいですね。次の作品に触れるのが楽しみになります。
では。