『ぼくのメジャースプーン』辻村深月
口の中が、ものすごく、ものすごく、甘い。ぼくは、多分一生それを忘れない。
辻村深月『ぼくのメジャースプーン』を読みました。
辻村深月作品は『ツナグ』から始まり、『凍りのくじら』、2018本屋大賞を受賞した『かがみの孤城』、『青空と逃げる』、『スロウハイツの神様』などを読んできました。こうして数え上げてみると愛読している作家の1人に入るのかもしれません。
ただし文句なしに素晴らしい出来栄えの『ツナグ』や、焦らして焦らして焦らした挙句の最後の畳み掛けが壮絶な『かがみの孤城』に比べると、他はちょっといまいちという印象。。。
それでもそこそこ読めてしまうのが彼女がベストセラー作家たる所以だとも思うのですが。
呪い
本書について一言で表すならば、“呪い”または“言霊”という言葉がふさわしいでしょう。
主人公であるぼくは、ある日偶然その力を使ってしまい、母親から猛烈に叱られてしまいます。
その力というのは、
「『なにか』をしなければ、『ひどいこと』になる」
という、彼が発した言葉がそのまま相手の言動を左右してしまうというもの。
ぼくはある日、ピアノの発表会から逃げようとしたふみちゃんに「ピアノを弾かなければ、この先ずっと思い出して嫌な思いをする」と言ってしまうのです。
彼の“呪い”にかかったふみちゃんは見事発表会で日頃の成果を発揮します。
ところが後日、クラスで可愛がっていたうさぎを、外部から侵入した男が殺戮するという残虐な事件が発生してしまいます。
その日、当番であったはずのぼくは風邪が原因で、ふみちゃんに代わってもらいます。
ぼくに代わってうさぎの世話をしに登校したふみちゃんは、むごたらしい事件の第一発見者に。心に傷を負ったふみちゃんは言葉を失い、自宅に引きこもるようになってしまいます。
そんな折、事件の犯人から生徒たちに謝罪したいという連絡が入ります。
一旦は断ろうとした学校側でしたが、ぼくは担任の先生に謝罪を受け入れるよう“のろい”をかけます。そして謝罪を受ける代表者が自身になるよう仕組むのです。
ぼくの仕業と知った母は、同じ力を持つ秋山先生に相談。
その日から、ぼくと秋山先生との面談の日々が始まります。
力について、力のもたらす影響について、取り留めのない話題を交えながら深く話し合いを重ね合わせる二人。
やがてぼくは面会当日、秋山先生同席の下、犯人に考えに考え抜いた“呪い”をかけようとするのです。
藤子不二雄ワールドへようこそ
ざっくり目を通しただけでもお気づきかもしれませんが、この物語は『凍りのくじら』同様、藤子不二雄の影響を大きく受けている事がわかります。トリビュート作品と言っても良いかもしれません。
辻村深月といえばドラえもん好きを公言し、映画『映画ドラえもん のび太の月面探査記』の脚本担当をした事でも知られています。
『凍りのくじら』のように「ドラえもんのオマージュ作品」と作者自身が語った作品もありますが、本作も色濃く藤子不二雄の影響が感じられるものです。
「『なにか』をしなければ、『ひどいこと』になる」
という“呪い”は「もしもの世界を体験できる」という『もしもボックス』に似たものを感じますし、もっと近似したところでは「ココロのスキマ」を埋めるためのサービスを提供し、それに伴う「約束事」を厳守するように促す『笑ゥせぇるすまん』とほぼ同種の能力であると言えるでしょう。
もっとも、「約束を守れない人間の愚かさ」をブラックユーモアとして描く『笑ゥせぇるすまん』に対し、本作『ぼくのメジャースプーン』ではふみちゃんという友達を想うぼくという純真な少年が力を持つ点が大きく異なりますが。
ぼくはその純真さ故、犯人に与えるに相応しい“呪い”とはなんなのか、そもそも力を使ってよいのかどうかを、長い長い時間をかけて葛藤し、悩み続けるのです。
506ぺージ
長い長い時間をかけるのが悪いわけではないのですが。。。
506ページという比較的多めのボリュームの本書において、大半がぼくと秋山先生の対話に割かれているのにはどうしたって辟易してしまいます。
小学三年生の設定のぼくが聡明過ぎるのもその一因でしょう。
そんなに難しいところまで考えるかな?と思わざるを得ません。
もしかしたら時代感もあるかもしれませんね。
まるで京極堂と関口君が本筋に意味があるのかないのかわからない衒学的なあれこれを永遠に議論し続けるのにも似たペダンティックなやり取りがひたすら続いていくのです。
当時はこういった膨らませた文章が流行っていたという現れかもしれません。
とはいえ、今読むとやっぱり冗長に感じてしまいます。
設定は面白いんですよね。「もしも小学3年生が『笑ゥせぇるすまん』の能力を手に入れたらどうなるか(作:辻村深付)」なんて、読んだだけで嫌が応にも期待感が膨らんでしまいますもんね。
ギュッと半分ぐらいに凝縮したら『ツナグ』や『かがみの孤城』にも負けない濃厚・濃密な名作になっていた気がするのですが。
やはり世の中において名作と言われる作品と、そうでない作品との間にはそれなりの理由があるようです。