稔が試験のために大学へ出かけたのが昼食を終えてからだったので、雅子は二時頃になって息子の部屋へ入った。
我孫子武丸『殺戮にいたる病』を読みました。
我孫子武丸といえば綾辻行人・歌野晶午・法月綸太郎に続く「講談社新本格ミステリブーム」の四男坊。
最近は歌野晶午の作品ばかり読んでいましたが、我孫子武丸作品は本当に久しぶりですね。
ちなみに僕、名だたる新本格ミステリ作家の中でも、我孫子武丸は昔から好きでした
『0の殺人』、『8の殺人』こそ横並びの本格推理小説感がありましたが、『人形はこたつで推理する』からはがらりとテイストが変わり、腹話術師・朝永嘉夫と彼が操る人形・鞠小路鞠夫という異色のコンビを主人公に添えたほんわかムードの読みやすい作風へと変わりました。
当時は赤川次郎の三毛猫ホームズシリーズに代表される異色コンビ・読みやすい作風がメインストリームだった時代でもあり、他の三人よりも先んじて〈新本格〉の枠(呪縛?)から飛び出していったイメージがあります。
彼の名前を世の中に知らしめたのは1994年、前作『弟切草』を超える第ヒット作となったサウンドノベル『かまいたちの夜』。
斬新なゲームシステムに加え、幾通りにも分岐するマルチエンディングの物語は世の若者を夢中にさせたものです。特にお泊り会には『かまいたちの夜』をプレイしながらワーキャーするのが定番となりました。
さらに当時の人気クイズ番組『マジカル頭脳パワー』にもブレーンとして参加。
誰よりも先にメディアミックスや異業種への参戦を果たし、頭角を現したのが我孫子武丸だったのです。
ところが
小説になると話は別。
我孫子武丸って、自身の小説では話題作と呼べるようなものを生み出せていないんですよねぇ。
作数こそ少なくはないものの、賞レース界隈で言うと2006年『弥勒の掌』がこのミステリーがすごい!19位、本格ミステリー・ベスト10の3位というのが最高記録といった感じ。。。
未だに『かまいたちの夜』が代表作のように語られてしまうのがその表れとも言えますが。
正直、僕も初期作品しか読んでいないので、上記〈鞠夫〉シリーズが印象に残っているばかりでした。
そんな中で気になっていたのが本作『殺戮にいたる病』。
講談社の刊行順で言うと6冊目なんですよね。でもって、未だ作品の評価も高い。
しかしながら、僕には読んだ記憶がない。
当時は新作が出ればとにかく買うぐらい推理小説に熱中していた時期なので未読のはずはない。
印象に残らない本だったのか、それとも本当に未読だったのか。
それを確かめようというのが、今回の読書の理由です。
フーダニットの放棄
本書を開くと、最初に飛び込んでくるのが「エピローグ」の文字。
僕も含め、大半の読者は何かの間違いかと目次を見直す事でしょう。
しかし、間違いではありません。
本書は犯人である蒲生稔が逮捕されるという、エピローグから物語が始まるのです。
これ、ヤバくないですか?
1992年の作品ですよ。
推理小説における一番の花形である「犯人当て」を初っ端から放棄してしまうんですから、かなり大胆な作品です。
改めて、我孫子武丸半端ねー。
混乱とグロ不可避の3視点
そして物語は、三者の視点から語られ始めます。
1人目は蒲生雅子。彼女は自分の息子が犯罪者なのではないかと疑い始めます。
2人目は蒲生稔。彼の視点では初めての人を殺すところから始まります。
3人目は元警部の樋口。彼は自身と関わりの深い女性が殺された事を知り、やがて犯人探しに乗り出す事になります。
この三人の視点が交互に入り乱れつつ、厄介な事に時系列も入り乱れながら、物語は進んで行きます。
特に要注意なのが稔のターン。稔の視点ではターゲットとなる女性を見つけ、殺人を犯す様子がこれでもかと事細かく語られます。
これがヤバい。
グロ注意ってヤツですね。
グロさの度合いで言えば、綾辻行人の『殺人鬼』よりも上かもしれません。『殺人鬼』の場合には人ではない怪物が犯した残虐さですのでまだ救いがありますが、本作『殺戮にいたる病』では世間では一般人として分類されるシリアルキラー・蒲生稔が残虐を尽くします。
苦手な人は読めないレベルのグロさ。
犠牲者は皆女性ですので、特に女性の方は要注意かもしれません。
フーダニットを放棄して目指したもの
さて、細かい作品内容はこのぐらいにして、本作の目指したところについてまとめていきたいと思います。
本書は冒頭で犯人の名前が明らかになってしまいますので、フーダニット(=誰が殺したか)という謎は解明された状態から作品が始まります。
そこから僕ら読者が取り掛からなければならないのは、「作者は何を目指そうとしているのか」という謎。
一番安易なのはホワイダニット(=動機)を一番の謎に持ってくるパターンです。
西村京太郎や松本清張から始まり、未だに二時間ドラマの主役たる位置をキープし続ける社会派推理小説はこのパターンでしょう。
蒲生稔は、なぜ殺人を犯すのか。
ただし、動機の点については作中で稔自身が語ってくれます。稔のターンはどうしてその女を選んだのか、次の被害者を欲するようになるのはどうしてか、をかなり丁寧に書き連ねていますから、読んでいる中で動機については納得させられてしまいます。
犯人は冒頭に明かされ、作中で動機についても理解が得られる。
……となると、やはり作者は何が狙いなのか、という点が一番の焦点となります。
このまま終わってしまえば、やたらとグロい描写が続くだけのサスペンス小説になってしまいます。実際に後半、ヒロインが追い詰められていく様はハラハラさせられっぱなしです。
もちろんこのままでも作品としては成立しますが、〈新本格〉ブームの渦中に書かれた本だけに、さらなるもう一押しを期待せざるを得ません。
何か、に期待しながら読み進めれば……最後には期待通りのカタルシスと、度を超えたグロ描写が味わえるはずです。
……と、ここまで書いてわかりました。
僕は『殺戮にいたる病』、未読でした。
おそらく上記の通り、「犯人当てでもない、探偵も出てこない、密室もないサスペンス小説なんて読まなくてもいいや」とする―し
普通に名作
例によってネタバレが嫌いなのでトリックや謎には触れません。
ただ読み終えて本当にびっくりしました。
普通に名作ですよ?
最近の作品のように、アンフェア開き直り強引感がないのが何よりも素晴らしいです。
本作に限ってはフェア中のフェア。限りなく白に近い白。
読み終えて解決サイト読んでも、「なんだそりゃ?」ではなく「ほぇ~なるほど」と納得させられてしまいます。この辺りの作り込みって、本当にすごい。感心させられるばかりです。
最近は俄かに推理小説ブームが再燃しつつあるように感じています。
実際に20年以上前の〈新本格〉系の作品を初めて読んだ、という方も少なくないようです。
「ヴァン・ダインです」に引っくり返る人が未だに毎日増え続けているというのも、嬉しい限りですし、『葉桜』や『密室殺人ゲーム』もまだまだ現役で世の読書人の頭を幻惑しつつあるようです。
そんな中、我孫子武丸でオススメするとすればやっぱり本作『殺戮にいたる病』かなぁ、と思います。むしろ『葉桜の季節に君を想うということ』や『イニシエーション・ラブ』、『十角館の殺人』、『迷路館の殺人』を読んで「他にもないの?」とおかわりしたい人には、ぜひぜひオススメしたい。
ただし、グロ注意(笑)です。