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『小説立花宗重』童門冬二

「知ってのとおり、おれはおまえたちとともに徳川殿に歯向かい、石田三成に味方をした。しかし結果はわれわれの負け戦となった。にもかかわらず、徳川殿はかつての敵将に対し、昵懇な扱いをしてくれ、おれをお相伴衆に取り立てたのちに、たとえ一万石とはいえ棚倉の地で大名の座に復権させてくれた。そう思うと、おれは徳川殿の恩を忘れるわけにはいかない。これからは、徳川殿にご恩を奉ずる。」

童門冬二の『小説立花宗重』を読みました。

 

二月に読んだ葉室麟『無双の花』同様、戦国時代の武将立花宗重を描いた本。

いまいち知名度の低い立花宗重ですが、『無双の花』の中では並み居る大小名の前で豊臣秀吉「東国にては本多忠勝、西国にては立花宗茂、ともに無双の者である」と紹介したという逸話が紹介されています。

 

本書においても、同じく豊臣秀吉より、

 

「その忠義は、まさに鎮西一、武勇もまた鎮西一である。わが上方にも、このような若者があろうとは思われぬ。見事である。それぞれ、範とせよ」

と最大級の賛辞を披露する一幕が。

 

そんなエピソードの数々からも読み取れる通り、この立花宗重、実は戦国最強との呼び声も高い人物なのです。

 

 

ざっくりあらすじ

本書では主に立花宗重が元服してから死ぬまでの一生が描かれています。

ざっくりとあらすじを紹介すると、そもそも立花氏というのは北九州を拠点とする大友氏の家臣として仕えるお家柄でした。

その頃というのは、東では織田信長が激戦を制し、京へ上って天下統一まであと一歩という戦国真っただ中の時代。九州においても事情はよく似ていて、一時は九州の大半を手中に収めた大友氏でしたが、薩摩の島津氏を中心とする反大友派の抵抗と相次ぐ離反により勢力を盛り返されつつあるという状況にあります。

 

宗重は父・立花鎮種や舅・立花道雪とともに大友氏の家臣団として防戦を繰り広げますが、戦局は芳しくありません。島津氏の勢いを前に苦戦が続きます。

 

そこで宗重が頼ったのが、豊臣秀吉。秀吉は石田三成を射ち、次いで柴田勝家を滅ぼし、一気に天下取りを駆け上がる最中にありました。中国・四国を治めた秀吉にとって、九州討伐は必然の流れでもありました。そして九州討伐の最大の敵こそ、反感的な姿勢を崩さなかった島津に他なりません。

利害の一致した秀吉は島津と対抗する大友氏らに協力。宗重らは先鋒として大いに武功を治め九州討伐に尽力。秀吉の信頼も厚いものとなったのです。

大友氏の一家臣であった立花氏は、豊臣家の家臣として柳川十三万石の大名に取り立てられるに至ります。

 

……で、立花宗重の武勇伝を示す上で必ず語られるもう一つのエピソードが、秀吉の朝鮮出兵秀吉の急死により一斉退却が決まり、続々と武将たちが引き上げる中、敵陣にあった加藤清正らだけが取り残される事態に。その窮地を救ったのが立花宗重だった、というもの。

ただしこれ、文献等の資料が少ないのか、『無双の花』においても本書においてもかなりあっさりと描かれるに過ぎないのが残念なところですが。

 

そして秀吉の死により、世の中は再び戦国の世に。

関ヶ原においては、立花宗重は自分を引き立ててくれた秀吉の恩義に報いようと、豊臣秀頼を大将に掲げる西軍に与する宗重は、要衝である大津城の攻城戦へと加わります。

 

ところがそうこうしている内にあっけなく関ヶ原の勝敗が決してしまう。

再度の決戦に挑むため一旦伏見城に入り、大坂城にこもる秀頼に出馬を促す西軍の各武将らでしたが、一向に動こうとししない秀頼や総指揮者たる毛利輝元らの態度に郷を煮やし、単身柳川へと帰ってしまいます。

 

九州に戻った立花宗重を待っていたのは、豊臣方の敗軍を掃討しようと仕向けられた追手の数々。そこに割って入ったのが、前述の加藤清正。彼の仲介により窮地を救われた宗重でしたが、「徳川への恭順を示すためには同じく西軍に与した島津討伐の先鋒を務めるべき。元々島津は立花の仇のはず」という提案は頑として受け入れません。

一時は仇敵として争い合った島津とはいえ、つい先日までは同じ西軍として手を取り合って戦った間柄。その島津に刃を向ける事はできない、というのが宗重の主張です。

 

結果、柳川領十三万石は没収。

宗重は一気に浪人の身へと落ちてしまいます。

 

しかし、そこへすかさず手を差し伸べてくれたのが加藤清正。行き場所を失った宗重を自領に迎え入れ、手厚く遇します。

とはいえ清正の家臣に下るわけにはいかず、関ヶ原の敗将を匿う加藤家の体面もあり、宗重は数人の家臣だけを連れ、時世を探りに京へ、江戸へと移ります。

 

そうして江戸で暮らす中、ひゅんな事から徳川秀忠のご相伴衆(相談役のようなもの)に抜擢されます。

最初は僅かに五千石だった禄高も、程なく奥州棚倉藩(今の福島県棚倉町)一万石となり、立花宗重は徳川政権下においても再び大名へと返り咲きます。

 

そして大阪冬の陣・夏の陣を過ぎ、家康崩御の後は、二代目将軍となった秀忠により再び元の柳川藩十一万石へ移封を命じられるのです。

関ヶ原で西軍に与した武将で、旧領に復帰したのは立花宗重たった一人だけでした。

 

 

『無双の花』との違い

以前読んだ『無双の花』がなんとなく物足りなく感じられて、別の著者の描く立花宗重も読んでみようと本書『小説立花宗重』を手に取ってみたのですが。

 

正直、あんまり代わり映えしないなぁ、と。

 

歴史小説である以上、史実として残っている部分に関しては動かしようがないので似通ってくるのは仕方ない。

ところが妻である誾千代の男勝りな性質であったり、立花宗重のあまりさもしいところには頓着しない殿様気質なところなんかも、ほぼ一緒。これらもある意味史実に沿った結果なんですかねぇ?

 

義を重んずる“忠義の人”とされる立花宗重にも、ところどころドライな面もあったりします。

柳川藩復帰後、前領主である田中家の家臣を雇用するどころか、領内に留まる事すら認めなかったり。

 

盟友である石田三成を売ら切った田中吉政人間性が許せず、その不純な大名の家臣ですら許せない潔癖さ、と説明されていますが、今となってはちょっと理解しがたい感情ですよね。

M&Aした会社の従業員を全員解雇するのと似たような行為と言えるのではないでしょうか。もしくは新しい市長が職員を全部総とっかえするような感じか。大いに軋轢や遺恨を生み出しそうな措置ですが。

 

秀吉に愛され、秀忠からも重用された天下無双の武将、立花宗重と言えば聞こえはいいですが、大阪の陣で華々しく散った真田幸村らに比べるとやはり印象としては薄くなってしまいます。

同じく”仁”の人と言われる直江兼続にも共通して言える事ですが、”仁”や”義”を唱えるからには戦いの中に消えていく方が美しく感じてしまいますもんね。

 

だからこそ、彼等に負けないような逸話やエピソードを期待したかったのですが。

 

どこかに朝鮮の役を詳しく描いた小説とかないですかねぇ?

孤軍奮闘する加藤清正と、決死の救出劇を繰り広げる立花宗重を見てみたいものです。

 

 

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Linus on Instagram: “#小説立花宗茂 #童門冬二 読了 #無双の花 に続く #立花宗茂 もの。 秀吉にして「東国にては本多忠勝、西国にては立花宗茂、ともに無双の者である」と言わしめ、関ヶ原敗軍の将として一度は浪人の身に落ちながらも、徳川政権下でただ一人旧領への復帰を果たした唯一の人。…”