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年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『ハサミ男』殊能将之

「チョキ、チョキ、チョキとハサミ男が行く。三人目の犠牲者が出る。血が流れ、苦痛がみちあふれる。人々は恐怖し、激怒し、おびえ、あるいはおもしろがる……」

殊能将之ハサミ男』を読みました。

説明するまでもないですが、ミステリ界隈では超がいくつも並ぶほどの有名作です。歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』、乾くるみイニシエーション・ラブ』、我孫子武丸『殺戮にいたる病』あたりと並んで紹介される事が多いですね。

Amazonの商品ページだと「よく一緒に購入されている商品」、「この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています」あたりにセットでよく出て来ます。

……と書くとどういう傾向の作品かなんとなく、いやほぼ大筋わかってしまうのが苦しいところですが。

インターネット全盛の時代、仕方のない事と諦めるしかないかもしれません。

 

それでもずっと常に名前が挙がり続ける以上、きっと一筋縄ではいかない驚きに溢れた作品なのでしょう。

そう期待しての初読です。

 

連続殺人鬼『ハサミ男

物語は主人公となる“わたし”の一人称で始まります。

小規模出版社に非正規で勤め、駅から近いというだけでボロアパートに住む

“わたし”はどうも冴えない暮らしぶり。しかし道行く若い女の子に視線を向ける“わたし”の言動から、どうやらこの主人公こそがタイトルでもある『ハサミ男である事がわかります。

 

既に二人の少女を手に掛けたハサミ男は、次なる獲物として女子高生・樽宮由紀子に目をつけます。

何日もかけて彼女の周辺を探り回り、ついに機会が訪れたと思ったある夜――公園の茂みで、ハサミ男は既に殺された樽宮由紀子を発見。しかも彼女の首には、見覚えのあるハサミが突き刺さっていました。

 

ハサミ男が殺す前に、樽宮由紀子は殺害されてしまったのです。しかも、ハサミ男と同じ手口で。

そこへタイミングよくもう一人の通行人が通りがかり、咄嗟にハサミ男は第一発見者のフリをします。

 

ハサミ男模倣犯による被害者の第一発見者が真のハサミ男という歪な形の下、以後は捜査を進める警察と独自に被害者を追うハサミ男という二つの視点から、物語は進展していきます。

 

 

見え透いた下心は嫌らしい

細かくネタバレしている記事は他にいくらでもあるので当ブログでは改めて触れる事はしません。

争点は面白かったか、ひっくり返るような驚きが味わえたか、という点かと思います。

 

これがねぇ……正直微妙でした。

 

こういう作品って、それまで見ていた世界がひっくり返るガラガラと割れて中から違う世界が姿を現すといったピークにどれだけ高い山を作れるかという点が勝負だと思うのです。

そのためには読者が予想する裏のそのまた裏を掻いたり、予測不可能なラインでひっくり返してみせたりといった荒唐無稽さが要求されます。

 

翻って本作を見てみると……期待外れという他ありません。

読みなれた読者であれば、「おっ怪しいぞ!」と真っ先に疑ってかかるところがまさしく本ネタであるという。

そのまま普通に描くと粗が目立ってしまうから、物語の中途をわざと書かずに省いてみたり、登場人物たちが存在しないかのように不自然に目を背けるという、意図的にこねくり回す事で読者を煙に巻く事だけを目的とした嫌らしい作品

 

いやはや、こういう下心見え見えの作品は嫌らしいですね。本当に嫌らしい。

 

読者を混乱させるのを第一義としているので、当然読み心地もよくありません。文章を読んでいても、物語を読んでいるという感覚があまりないのです。手がかりがどこにあるかわからないので、仕方なく読まされているような感覚。

しかし残念ながら、そのほとんどは本筋とは関係のない文章だったりします。かといって物語に深みを与えたりするようなものでもありません。

具体的に挙げれば、ハサミ男に二重人格的な別人格が存在したり、殺害された女子高生が意外な本性を隠していたり、衒学的な知識があちこちに散りばめられたりといったスパイスはあるものの、どれも本ネタの臭みを消したり、深みのないストーリーに風味を加えたりといった文字通り香辛料としての役割でしかないのです。

 

本来ならばじっくりと味を染み込ませ、臭みを消すような下ごしらえが必要なのに、上からパッパッとスパイスを振りかけて誤魔化したような塩梅。ですので読んでいても非常に薄っぺらく感じます。

 

一例を挙げると、樽宮由紀子が年上の男をとっかえひっかえ、ふしだらな生活を送っていたという設定。物語的に彼女は「年上男性と交際関係にある」必要があったのでしょうが、だったらヤ〇マンにしちゃえってそりゃあずいぶんと強引な話です。

そうなった人物背景も非常におざなりです。なんとなく母親の話から親の影響があるのかもしれないと匂わされるのみで、具体的に何があったかは語られません。早くに父親と別れた事によるエディプス・コンプレックスの発露なのだとすれば、それこそ陳腐過ぎるでしょう。

 

上は一例ですが、他にも義姉への恋慕を匂わされた義弟の真意であったり、樽宮由紀子と関係した男性陣の心境だったり、警察側の主人公格である磯部の心情変化だったり、ことに恋愛感情についてはとかく浅い描写が目立ちます。

 

可愛い女子高生が思わせぶりに近寄ってきたから飛びついた。

好みの女性だったから一目ぼれした。

 

男性陣は皆一様に下半身に脳みそがあるかのような行動原理に終始します。

上記は一例ですが、他も似たようなもので、物語の流れやプロットが先にありきで、取って付けたような設定を登場人物たちに付加して誤魔化すばかり。

これが僕がスパイスであると断じる理由です。

 

 

例えば――仮にエディプス・コンプレックスに起因して年上男性をたぶらかさずにはいられない少女だったとして、犯人はそんな彼女に寄り添う側の人間だったりするとまた違ったと思うのですが。

彼女の生い立ちや心情を理解し、どうにかして立ち直らせたいと思い悩んだ末に、何かの手違いで被害者を殺す結果になってしまった、とかね。

 

でもまぁ現実には他の男たち同様にたぶらかされた男が、恨み骨髄で殺すというだけの単純な動機で終わってしまったわけです。ああ、もったいない。

 

そもそも周囲の人間に隠しもせず堂々とお付き合いしていた男が、警察の捜査網からも聞き取り調査による情報からも全く浮上して来ないという時点で無理過ぎる設定。そんな男が隠し通せると自信満々に犯行を犯すのも無理があり過ぎる話。

せめてもうちょっと現実的なラインで物語を進めていただかないと、、、

 

ぐちぐち書いてきましたが、とにかく本書、500ページという文庫本にしては厚みのあるボリュームに比して、細部の作り込みが非常に荒い。もっと掘り下げて欲しい、厚みを持たせて欲しいという物語の骨肉がぺらぺらなのに、やたらとどうでもいい知識や描写で膨らまされています。

 

よくできた推理小説なのだから人物描写が、物語としての深みが、なんて難癖付けるのは野暮だという向きもあるでしょうが、ロジックパズルなのであれば無駄に膨らまさずむしろシンプルさを追求すべきでしょう。

 

本書が刊行されたのが1999年。

本格ミステリといえばとにかく分厚いノベルス版、が流行していた名残りもあったんでしょうか。

いずれにしても冒頭に並べたような”似たような”とされる作品と本書を同列に並べるのは個人的に反対です。

 

ちょっと過大評価され過ぎてるんじゃないでしょうか。

 

 

 
 
 
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