《……クラゲの身体の、九十五%の水が涸れました。――来世は幸せになれますように》
灰芭まれ『僕は明日、きみの心を叫ぶ』を読みました。
一応先に付け足しておくと、灰芭まれの読み方に戸惑う方が少なくないようですが≪芭≫は松尾芭蕉の≪芭≫ですから“はいばまれ”ですね。
ご本人のTwitterアカウントも @mare_haiba13 ですし。
ネット小説・ラノベ系の作家さんはペンネームが独特な方が多いようです。
引き続きライト文芸系のレーベルであるスターツ出版文庫の作品ですが……こちらの作家さんもまた、スターツ出版が運営する携帯小説サイト「野いちご」や「魔法のiらんど」等に作品を投稿されているネット小説家さん。
本作はスターツ出版文庫大賞でフリーテーマ部門賞を受賞し、書籍化に至ったそうです。
というわけで、実は本書も前に読んだ『放課後図書館』同様、ネット上で無料で読めてしまったりするのですが。
一応あらすじの最後に「◎書籍とは大きく異なります◎」とある通り一緒というわけではなさそうですね。
イジメられっ子をかばったら自分が次のターゲットに
主人公の雪村海月は入学した高校でそれなりにうまくやっていたはずだったのですが、仲間外れにされつつある仲良しグループの中の一人をかばった事が原因で、自分がターゲットにされてしまいます。
しかも自分が庇った相手は代わりにイジメを受ける海月を見て見ぬフリ。
リアルですね~。
親にも言えず、思い悩む海月。
第一章は彼女が追い詰められていく様がありありと描かれていきます。
そして最後に――放送室の鍵が開けっ放しであると耳にした海月は、早朝の校内で《死にかけのクラゲ日誌》と題し、誰にともなく日々のイジメの内容をマイクに向けて語り続けます。
その放送を、たまたま投稿していた生徒会長の鈴川が耳にします。
自分には何ができるのか
第二章からは一転して鈴川視点の物語に。
顔も名前も知らない誰かの悲痛な叫びを耳にした鈴川は、胸を痛めます。
通りがかるだけで女の子たちにキャーキャー騒がれるような人気者の鈴川は、はぐれ者のヤンキー隆也を常に気に掛けたり、以前には髪が茶色いというだけでイジメられていたクラスメイトを庇ったりと、もともと強い正義感に溢れる男子だったのです。
クラゲとは一体だれなのか。
学校中を駆けずり回っても探し当てる事はできず、一方で見つけたところで何ができるのか、と思い悩みます。
ようやく海月を見つけたものの、何もできずに逃げられてしまうばかり。
海月の痛みを自分の事のように受け止め、悩み苦しんだ鈴川はある日決心を決め、両親に打ち明けます。
物語の構造
だいぶ以前の記事になりますが、『魍魎戦記MADARA』や『多重人格探偵サイコ』の原作者である大塚英志は著書の中で、
言ってしまえばぼくたちは大なり小なり誰かから「盗作」しているのであって、むしろ創作にとって重要なのは、誤解を恐れずに敢えて記せばいかにパクるかという技術です。
中世の語り部や、この本では説明しませんが、近世の歌舞伎、そして戦後まんがと、その時代時代の物語表現は常にデータベースからのサンプリング、あらかじめ存在するパターンの組み合わせなのです。
と断言しています。
そんな観点から考えてみると、本書は童話『王様の耳はロバの耳』と『月のうさぎ』の掛け合わせかな、なんてふと思ってしまいました。
誰もいない校内放送で想いを語る海月の行動は、森の中の葦に向かって「王様の耳はロバの耳」と叫ぶ理髪師を思わせます。もちろん、そこに至る動機や導き出される結果は違いますけど。
誰にも言えない秘密(悩み)を人知れず叫びたい、という欲求については共通するところがあるのではないでしょうか。
そしてもう一つの『月のうさぎ』。
これはもしかしたら知らない人もいるかもしれませんので簡単に説明します。
ある時森の中で倒れているおじいさんを見つけた動物たちが、おじいさんを助けようと話し合います。
しかし要領よく魚や木の実を集める猿や狐と違い、ウサギは何もしてあげる事ができません。
思いつめたウサギは、「おじいさん、私を食べて下さい」と焚火の中に身を投げます。
実はおじいさんの正体は神様で、そんなうさぎを憐み、月の中に蘇らせてあげました。
だから今でも、夜空の月ではうさぎがおじいさんのために餅をついているのです……と、このようなお話。
生徒会長の取った行動というのは、まさしくこのウサギと同じであると言えるでしょう。
自己犠牲≠正義
実はこの『月のうさぎ』……最近ではあまり評判が良くないと聞きます。
なんとなくわかりますよね?
誰かを助けるために自分の命を投げ出すだなんて、現代においては簡単に美徳として讃えられる行動とは言えません。
幼い事に初めてこの話を耳にした時、僕も「えっ」と思いました。
そんな事しなくちゃいけないの? これは良い事なの? と……。
うさぎは偉いな、と思う反面、素直に受け止めきれないのが正直なところです。
大人になった今となっては、当然のように「他に方法あっただろう」と考えてしまいます。
ウサギがあまりにも衝撃的な行動に出てしまったがために、一生懸命食料を集めてくれた猿や狐の献身が矮小化されてしまっているのも気になります。
自分が猿や狐だったらと思うと、いたたまれませんよね。
細かい内容に触れればネタバレになってしまいますので、あえて『月のうさぎ』を例にとりましたが、本書において生徒会長・鈴川の取った行動はうさぎに等しいものです。
単純に感動として受け止められないのは僕が大人になってしまったからなのか、それともやっぱり……そんな風に考えると、ついモヤモヤしてしまいます。
少なくとも相談された両親が鈴川の行動を許したというのは、理解できません。
僕が両親だとすれば……やっぱり自己犠牲以外で解決する方法を一緒になって考えたと思います。
ライト……ライト文芸だけど
ここからはちょっと書こうかどうか迷いますが……というのも、本書はあくまでライトノベルですからね。
ライト文芸ですから。
元々はWEB小説の作品だから。
そう前置きした上で、やはりどうしても気になる点がいくつかある事を書いておこうと思います。
例えば物語の根幹となるクラゲ日記。
放送室に鍵が掛かっていない……これは許容できます。
しかし、早朝の学校で放送をして、聞いていたのは生徒会長の鈴川のみ……これはいくらなんでも無理がある。
もしかして生徒会長は学校の鍵の開閉までしているのでしょうか?
少なくとも学校の鍵を開けた教師は校内にいるはずで……二度、三度と続く放送を全く聞かずに終わるという事があり得るのでしょうか? 聞いても意に介さなかったとか?
本作、全般的に教師たちの無能さというか、そこに存在しないかのような希薄さが目立つんですよね。
また、海月のイジメについても同様です。
作中ではイジメは狡猾で、教師はふざけていると捉えているような記述が見られます。海月の両親も何かしら不審に感じてはいるようですが、本人が口を噤んでいるのでイジメの事実には気づいていません。
……って、これもねえ。。。
海月に対するイジメは、狡猾という割に大胆です。
上履きがなくなったり、体操服を切り裂かれたり。制服がチョークの粉で汚れているような描写もあります。
いや、バレるでしょ。普通に。
もっとSNSイジメみたいに表面化しない陰険なやり方ならともかく、物や身体を攻撃したら即バレですよ。そんな子がいれば、クラスメイトの口を通じて校内にも少なからず広がっているでしょう。教師が見て見ぬフリをするのはわからないでもありませんが、生徒たちもほとんどが知らないというのは、ちょっと無理があるんじゃないでしょうか。
クライマックスとなる放送のシーンもやはり引っ掛かります。
教師は「やめさせろ!」というだけで誰一人として放送室に向かわない。
三十七分間という長時間、全員が一歩も動かず、一生徒のゲリラ的な校内放送にただ耳を傾けるという、無能&無能&無能な教師陣。
最終的に主人公が駆け付けるまで、教師どころか他の生徒も誰も放送室に近づかない。
加えて、放送で突然「根は優しい」なんて裏側の話を細かな例まで挙げて全校生徒に向けて発表されるヤンキー隆也の心情は察するに余りあります。普通に考えればトラウマレベルの公開処刑です。「プライベートの事まで勝手に言うんじゃねえ」と後から殴られる方が自然でしょう。
もちろん、海月も。
イジメの詳細を突如校内放送でばらされたりしたら、並のいじめられっ子はそのまま登校拒否か、最悪こじらせて自殺してもおかしくない話だと思います。教師や親にも言えないのは復讐や言ってどうなる?という諦めもあるでしょうが、「自分がイジメられてると認めるなんて恥ずかしい」という自尊心の比重こそ大きいものです。
つまり全校生徒の前で「あいつイジメられてるよ! みんなイジメるな!」と名指しで紹介されるに等しい公開処刑をされているわけで。
考えるだに恐ろしい……。
その後、先生たちといじめについて話し合いの場を設けたエピソードがあるのですが、恐ろしいのはそこに当事者たちクラスメイトも同席している描写がある事。
その中で、一人が涙ながらに懺悔と謝罪を繰り返し……って、こんなん絶対やっちゃダメでしょ。
今時「〇〇ちゃんをイジメたのは誰ですか? 正直に言いなさい!」なんてやったら間違いなく教師は首になります。
まぁ……ちょっとね、ずらずらと辛辣に書いてしまいましたが、『月のうさぎ』の話を持ち出した通り、色々なところでリアリティーの欠落と、歪んだ正義感を感じてモヤモヤしてしまうわけです。
みんなから信頼される優秀な生徒会長という設定と、実際に起こした彼の行動に矛盾を感じてしまいます。自己犠牲を前提とした自爆テロみたいな方法以外に、他に解決策はなかったんでしょうか?
相談を受けた両親や担任教師は、明らかに一人で抱え込んだ彼に対してGOサインを出す事しかできなかったのでしょうか?
そんなにも彼の決意は動かしがたい正当性に満ちていたのでしょうか?
もっと多くの人を味方に加えて、全てを穏便に済ませるような方法を提案できる人間は作中に一人もいなかったのでしょうか?
彼のやり方で、本当に問題は解決するものなのでしょうか?
前回絶賛した『一瞬の永遠を、きみと』もまた、色々とご都合主義的な面は気にはなったんですけどね。しかしながら扱っているテーマが本作とは違いますし、レーベルカラーや求められる読者層を考えれば目を瞑るべき部分なのかなと考え、あえて触れませんでした。
でも本作は作品に集中できないレベルで色々と気になる点が多すぎたので、さすがに看過できないかな、と。
歪な自己犠牲を安易に正義と称賛して、感動作と銘打つのは間違っていると思います。
荒唐無稽なものがライトノベルとはいえ、やはり最低限のリアリティーや論理は保って欲しいと思うのです。