『ユリエさんのあそこ、ぐちゃぐちゃだね。音をきかせて』「いいわよ、ほら、こんなになってる」私は、ヘタを取った熟れたトマトに携帯電話を近づけた。トマトに割り箸を突き刺し、ぐちゃぐちゃにかきまぜる。
『すごいいやらしい音』
男が歓喜のため息をもらす。
森美樹『主婦病』を読みました。
R-18文学賞読者賞を受賞した『まばたきがスイッチ』をはじめ、全六話の短編を収めた短編集。
最上部にいつものように引用分を載せましたが……これを読んだだけで、彼女の着想の非凡さが伝わってくれたらいいな、と思います。
緩やかに繋がる世界観
収められた六つのストーリーは決して連作短編というわけではないのですが、それぞれが緩やかに共通した世界観で繋がっています。
例によって短編なので、各話のざっくりとしたあらすじを記しておきます。
『眠る無花果』
母親が事故で無くなり、整骨院を営む父親と暮らす女の子の話。亡くなった母の記憶を引きずる彼女に対し、父は当然のごとく母のいない生活を受け入れます。母の死によって変わる日常の変化に対する少女の戸惑いと、大人の身勝手さがありありと描かれます。
『まばたきがスイッチ』
全く会話のかみ合わない夫との生活に飽いた主婦は、他人には言えない秘密のアルバイトを始める。毎朝洗濯物を干す度に、お向かいで同じように洗濯物を干す金髪の男の子に興味を持ち……まさに主婦病とでも言うべき歪んだ人物像を描いた傑作。
『さざなみを抱く』
会社を経営する夫が、ある日突然脳出血で倒れ、片麻痺が残るという介助なしでは生きられない体に。その事がきっかけで、夫が長い間隠して来た秘密も露呈してしまう。妻は満たされない想いと向き合いながら、自分から目を背け続けた夫の介護に精を出す。
『森と蜜』
整骨院を営む夫と、絵子という娘……という唐突に『眠る無花果』で亡くなった母親目線で話が進む。娘の絵子をおさげ頭にしたがる彼女には、子供の頃に麗羅という同級生の友達がいた。彼女との不思議な想い出を回想していくうちに、主人公の歪んだ人格が浮かび上がってくる。
『まだ宵の口』
経済的に不自由はないにも関わらず、夫を避けるように団子屋での早朝アルバイトに勤しむ妻。突然店長が失踪し、直後同僚の親友までもが姿を消す。残された友人の子どもの面倒を見つつ、妻は親友の帰りを待ち続ける。
『月影の背中』
祖父の経営するタクシー会社で、いちドライバーとして働く孫娘。夫はセックスの最中に声を出すなと強制する異常な性癖の持ち主。やがてアパートに引っ越して来た金髪の青年と関係を結んでしまう。合間合間に挿入されるタクシーのエピソードでは、腹にナイフが刺さった女性が客として乗って来たりと、不思議な世界観。
いずれもキーとなるのは金髪の青年ですね。
彼は必ず主人公達の前になんらかの形で姿を現します。
ただ……これって意味はあったのでしょうか?
『まばたきがスイッチ』は秀逸
本作において、R-18文学賞で読者賞に輝いたという『まばたきがスイッチ』はまさしく傑作です。
テレクラの描写といい、いざという時のために100万円用意すべきというたまたま聞きかじった言葉に妙に翻弄されてしまう様子といい、飲み込まれるように読み込んでしまいました。
文章も素晴らしい。主人公達の一風変わった、でも日常的にありえるかもしれないと思わせる絶妙なラインの心の襞を、非常に繊細な筆致でもってありありと描き出してくれる。
だからこそ逆に疑問なのが、金髪の青年をわざわざ毎話登場させ、物語を結び付けようとした点。
短編集として何か面白みを創出したかったのかもしれませんが、別にあってもなくても問題ないような仕掛けですし、かえって面白みを損なっているような気がします。
『まばたきがスイッチ』は一話完結の短編として単体でも大きな満足度を得られるにも関わらず、他五作は変な連動性を取り入れたがために一話ごとの完成度が大きく損ねられたように感じられます。
金髪の青年ではなく、爽やかな印象の好青年で会ったり、悩みを抱えた青年であったり、他の人物に置き換えた方が読者の感情移入もしやすくなるだろうし、物語としての深みも創出できたんじゃないかな、と。
とてもとても良い文章を書かれる作者さんだけに、上記の点だけが返す返すも残念なところ。
余計な不純物を交えず、一球入魂で仕上げた長編作品があればぜひとも読ませていただきたいと願います。