「あんたたちは、文学をやっているそうだな。日比野の父親は、息子がなにやらわけのわからんことをやっている、と嘆いていた。そんなことをしているから疑いをかけられるんだ」
さて、今回読んだのは吉村昭『天に遊ぶ』。
当ブログで紹介するのは初めてですが、実は僕、この吉村昭という作家が大好きです。
初めて読んだのは確か中学生の時。教科書か何かで知った『関東大震災』を読んで、淡々と起こった出来事だけを記すリアルさに戦慄したものです。
以後、北海道の三毛別羆事件を描いた『羆嵐』や黒部第三発電所のためのトンネル工事を描いた『高熱隧道』等々を読みましたが、実際に起こった事件や出来事を下敷きとして書かれる作品はどれもドキュメンタリー映画を見ているようで、最後まで興奮冷めやらぬまま一気読みしました。
『天に遊ぶ』はそんな社会派小説化吉村昭が描く短編集。
しかも一作が原稿用紙10枚分という、超がつくほど短いショートショート作品群となっています。
ざっくりあらすじ
細かく感想を書くまでもない短い作品ばかりですからね。
いつものごとく下記にざっくりとしたあらすじを記します。
『鰭紙』
南部藩における天明の飢饉(1782~)の実態を調べる男の話。飢えのあまり人肉すら食べたエピソード等。史料に残すべきもの、敢えて省くものの取捨選別。
『同居』
独身の部下に見合い相手を紹介し、お互いに気に入ったと思いきや……彼女の自宅を訪問し、そこにいる同居相手に困惑する。
『頭蓋骨』
北海道のとある漁村で、その昔避難民を乗せた船が沈没するというエピソードを小説家が取材。たまたま網にかかった幼児の頭蓋骨が「大きな毬藻」のようだったという言葉に、大きな感銘を受ける。
『香奠袋』
著名な作家の葬儀のため、集まる編集者たち。都度訳知り顔をして受付に交じるという香奠婆さんの話題で盛り上がる。
『お妾さん』
幼少時住んでいた町には、お妾さんの住む家が多くあった。時々外から目にする妾宅からは俗世離れした雰囲気を感じるものの、空襲騒ぎのさ中、娘とともに心細そうに身を寄せ合うお妾さんの姿に憐みを感じる。
『梅毒』
井伊直弼を暗殺した現場指揮者、水戸脱藩士の関鉄之介。彼は梅毒を患っていたとする不名誉な噂が流布されていたが、調査をしたところ、彼は梅毒ではなく糖尿病に冒されていたことがわかってくる。
『西瓜』
別れた妻と喫茶店で再会する男。妻は元夫である自分の部下に結婚を迫られているという。関係を疑う元夫に、彼女は想像するのも気持ち悪いと吐き捨てる。別れたのは夫の浮気が原因だったが、わざわざそんな事のために呼び戻すと言う事は夫と復縁したいという事なのだろうか。
『読経』
父の葬儀の際、昔自分の家に居候していた男と三十数年ぶりに再会する。彼は自分の不注意で弟を死なせてしまい、精神的な落ち込みを不安視した両親が、主人公の家に預けたのだ。葬儀の間、僧のお経に合わせて読経をする彼のよどみない声に、連日読経を繰り返して来た事を想像させられて胸が痛む。
『サーベル』
大津事件にて、ロシアの皇太子ニコライを暗殺した津田三蔵の末裔M氏に取材のため会いに行く。津田の血の継承者としてどんな迷惑をこうむって来たかと尋ねたところ、どんなに時間が経っても、どこで調べてきたのか研究者と称する者が絶えず訪れると言われ、恐縮する。
『居間にて』
伯父が亡くなった事を、脳卒中から寝たきり状態となっている伯母に伝えるべきか相談。ついに伝えたという兄にその時の様子を確認していたところ、布団を被り、泣いているかと思いきや、伯母は笑っていたのだという。
『刑事部屋』
出張から帰宅したところ、部屋の前で待ち伏せしていた刑事に警察署まで連行される男。大学時代の友人が殺された事件について、嫌疑がかかっているのだという。結局犯人は別件で逮捕され、無罪が判明するものの。
『自殺』
元気がないと運ばれてきた犬を診察したところ、肺癌を患っている事が判明。既に成す術もないため、弱って来たタイミングを見て安楽死させようと医師は提案。しかしその後、飼い主の隙をついた犬は道路に飛び出し、車にひかれて死んでしまう。今まで一度としてそんな行動をとった事はないだけに、自殺ではないかと医師と飼い主は話す。
『心中』
自殺した女性の下で、ナイフで刺されたダックスフントが発見された。運び込んできた警察の求めに応じ、医師は手術を施して犬の命を救う。その後犬は、女性の息子に引き取られていった。
『鯉のぼり』
孫が交通事故で死んだ後も鯉のぼりを上げ続ける老人に、深い悲しみを感じる。その後、物干し台に衣類を干すのは爆撃機に対する合図だという噂が流れ、サイレンの度に人々は洗濯物を取り込むようになった。それでも尚、男は今年も鯉のぼりを上げるのではないかと危惧していたところ、その前に町は焦土と化し、終戦を迎える事になる。
『芸術家』
スナックを開いていた芳恵は、旅館に逗留していた小説化を名乗る男とともに行方をくらましてしまう。そんな彼女がとある温泉街の料理屋で働いていると聞きつけ、従兄妹の耕助が迎えに行く。彼女が店を売った金や貯金を借りて東京へ行き、今では年に数度手紙をよこすだけという男を、芳江は一途に信じ続けているという。
『カフェー』
友人の家で大切に保管されていた敷島を一本貰い、吸ったのをきっかけに、戦前近所の煙草屋にいたNさんを思い出す。彼はセルロイドの機械を買ってせっせと働いていたが、カフェーの女にうつつを抜かし、稼いだ金を貢いだ事が露呈し、妻との間で近所中に知れ渡るような大げんかを繰り広げたのだ。
『鶴』
昔一緒に同人雑誌を欠いていた岸川の葬儀で、岸川が二十五歳も年上の女と再婚した事を思い出す。彼女は七十九歳だというのに美しさを保っていた。岸川の死因は腹上死だったという。
『紅葉』
結核出後の療養のため、4年目に奥那須の温泉宿に滞在した友人。夜半、隣の部屋からすすり泣くような営みの声が聞こえてきて居心地の悪い思いをする。翌朝になってみると、寝室の男女が殺人犯だった事が判明する。二人は山中で自殺するつもりだったのだ。
『偽刑事』
小説の取材をしていると、刑事に間違われることがある。八丈島でも勘違いされ、咄嗟に同行していたK氏こそ刑事だと嘘をつく。しかし罰が当たったのか悪天候により飛行機は飛ばず、数日の立ち往生の後無事帰りの飛行機へ……と思いきや、死を予感するほど恐ろしく揺れ、やはり罰が当たったと胸の中でしきりに反省する。
『観覧車』
離婚した妻と娘とともに遊園地で過ごした男。彼は度重なる浮気の後、別れを告げられたのだった。きっぱりともう終わった事だと言い切る妻に対し、男の未練は募るばかり。さんざん復縁を迫り、二人を見送るものの……どうにも身体の疼きが収まらない男は、付き合い始めた別の女にすぐさま電話をかける。
『聖歌』
姉の葬儀の際、聖堂内に思いがけず澄んだ男の声が響き渡る。その昔姉が交際していた相手で、親の反対によって結婚を諦めたのだった。一流企業の役員にまで上り詰めた姉の夫と、どこかうらぶれた感じに見える男とを見比べ、やはり父の判断は間違えてなかったのだと納得する。
以上、全21話。
『鰭紙』や『梅毒』といった取材から生まれたエピソードはやはり素晴らしいですね。短編とはいえ、吉村昭のらしさが存分に発揮されているように感じられます。
個人的には『居間にて』や『鶴』のようなそこはかとなくホラーの風味が感じられる作品も好きです。
『観覧車』の今に通じるコミカルさもいいですね。さんざん愛を訴えた相手が目の前からいなくなった途端、平気な顔で違う女に電話するという。
長編を読むような味わい深さこそありませんが、ショートショートがお好きなら、こんな作風に触れるのもたまにはいいのではないでしょうか?
ぜひお試しを。