『ドキュメント 単独行遭難』羽根田治
道に迷ったら沢を下っていってはならない。来た道を引き返せ――
さて、前回の『ドキュメント 道迷い遭難』に引き続きヤマケイ文庫からのご紹介。
今回読んだのは『ドキュメント 単独行遭難』。
『道迷い遭難』と同じ羽根田治の遭難シリーズです。
『道迷い』に対し、今度は『単独行』。
非常にわかりやすい事この上ないですね。
それでは前置きはそこそこに、内容についてご紹介しましょう。
単独行遭難の7つのドキュメント
本書に収められているのは、登山に関わる様々な遭難の中でも「単独行遭難」にテーマを絞った7つの話。
例によって以下に概要を記します。
ゴールデンウィーク中に一ノ瀬高原作場平駐車場から唐松尾山に登り始めた斎藤(57歳)は、過去二度登った事のある慣れた山であるにも関わらず、例年にない残雪にも惑わされ、下山中に誤って北斜面に延びる枝尾根に入り込んでしまう。
方向感覚を失い、三、四時間も彷徨った末、斎藤は見つけた沢を下って行く。道迷いの末に沢下りを選択する危険性は理解していたにも関わらず、この時点では本人はまだ正しい方向に進んでいると認識していたのだ。
しかし間もなく日没を迎え、ビバーク。
翌日初めて確認したコンパスで、自分が見当違いの方向に進んできたと尻、大きなショックを受ける。
まだ雪の残る山中の彷徨は四日間に及び、幻覚を見、熊にも遭遇し、と数々の壮絶な体験の末、無事ヘリコプターに救助されたのだった。
- 通いなれた山域という過信。
- 迷った後で取り出したコンパス
- タブーである沢下り
本章もまた、数々の教訓に満ちた話だった。
『北海道・羅臼岳 2011年6月22日』
約三週間の北海道バイクツーリングに訪れた黒田(38歳)は、ビジターセンターの職員にも相談し、軽アイゼンでも大丈夫だろうという確認を取った上で羅臼岳へ挑む。
途中、雪渓の上に地図には無いルートを辿る足あとを見つけた黒田は、頂上までの最短ルートに違いないと判断。途中誤りに気付き引き返す途中で、足を滑らせしてしまう。
本人談で200メートルもの長い距離を滑落したものの、奇跡的に怪我一つ負わずに済に、正規ルートへ復帰。しかし大きく時間をロスしてしまう。そのまま下山するつもりだったが、山頂を目の前にした黒田は気が変わってピークを目指す事に。これによりさらに余計な時間を消費してしまう。
急な雪渓への恐れから、登って来た羅臼温泉側ではなく、ウトロ側へ抜けるようルートを変更したが、途中再び見通しの悪い林の中に迷い込んでしまう。
携帯電話の電波を探すため、ザックを置いて小ピークの上に立ち、所属する山岳会の所轄警察と電話でやりとりを交わす黒田。しかしその間に夕闇に包まれ、自分がザックを置いてきた場所を見失ってしまう。
ザックには大事なツェルトまで入っていたというのに、これにより黒田は着のみ着のままでのビバークを余儀なくされる。
翌朝、明るくなるのを待って警察に再度連絡。「動かずに待て」と指示を受けるが、あまりの寒さに耐えきれず、黒田は行動を開始する。
すると一時間半も歩いたところで、ひょっこり木下小屋の裏手に飛び出してしまった。
そうして自力下山を果たしたものの、既に捜索隊は捜索を開始し、連絡を受けた家族は北海道まで駆け付けようと空港で出発待ちをしているところだった。
- 安易にルートを外れる判断ミス
- 時間がないのに頂上を目指してしまった判断ミス
- 大事なザックを身体から手放した判断ミス
元々斎藤の経験や技量的に、残雪期の羅臼岳を単独で挑めるものなのかどうか、というそもそもの疑問もだが、全般的に呆れる程の判断ミスの積み重ねによって事態の深刻化を招いた逆の意味での好例と言える。
お盆に両神山を目指した多田(30歳)は、家族に具体的な山名も告げず出発。用意してきた登山届は登山口のポストを見落とし、提出しないままになってしまう。
順調に登頂を遂げた後、来た道ではなく、七滝沢ルートを行こうと思い付いた多田は、途中斜面で足を滑らし滑落。約40メートルを転げ落ち、気づいた時には左の足の脛から骨が飛び出す解放骨折の重傷を負っていた。
しかし携帯電話の電波は繋がらず、通りかかる人もいない。
母親から届けを受けた警察が捜索隊を出し、母親の証言から両神山に登ったらしいと見当を付けたものの、問題はどのルートから登ったのか、という点だった。
捜索は難航し、多田は実に十四日間という期間を山中で過ごすことになった。
- 単独行は遭難すると救助が難航するという好例
- 必ず登山届を出し、周囲の人にも計画の詳細を告げておくべき
尚、本事件は奇跡の生還劇として様々なメディアに取り上げられているので、一例を下記に貼っておきます。
『北アルプス・徳本峠 2007年8月』
本章は遭難者の男性(50歳)による一人称の手記形式で記されている。
島々谷から徳本峠へ、一泊二日または二泊三日で歩く予定をしていた男性は、二日目の朝、小南沢への徒渉店に着く。橋は道から落ちており、少しもどって河原からいけば問題なく渡れるにも関わらず、うかつにも崩壊した橋に近づいてしまう。
そこで、残っていた橋の残骸の崩落に巻き込まれてしまった。
右足はあらぬ方向を向き、動かそうとすると激痛が走る。
男性は身動きを取れぬまま、誰かが通りかかるのを待つ事になった。万が一、沢が増水しておぼれ死んだとしても流されないようにと自分の体をロープで橋の踏み板と結びつけた。さらに用意していたツェルトやエマージェンシーブランケットを身体に巻きつけ、ビバークの準備を整えた。
そうして男性は足を折ってから実に29時間という長い時間をたった一人で過ごした後、たまたま通りかかった登山者に発見される。
- 不安定な場所にわざわざ足を踏み入れた
- 前章同様、登山届を出していなかった
- 予定していたコースは台風の被害等により入山禁止となっていた
本章については上記のような不注意はもちろんだが、男性の充実した装備や落ち着いた行動がリスクを最小化したという点についても大いに教訓となる。
『加越山地・白山 2011年8月9日』
若い頃から登山に親しみ、経験を積んできた越村(41歳)にとって、白山の一般コースの中でゴマ平避難小屋から白川郷へ抜ける来た北縦走路だけが道のコースだった。
二日目、余裕の行程だからと油断していた越村は、ゴマ平避難小屋まであとわずかという急な下り坂で、うっかり転倒・滑落してしまう。
翌朝には腫れも痛みも弾いており、予定通り白川郷を目指して進むものの、途中で登山地図の時間を二時間と二十分で見間違えていた事に気付く。しかも発汗により予想以上にバテてしまい、標準コースタイムを二倍近くかけて歩くような有様だった。
無理をして歩き続けていると、突然ふくらはぎの筋肉をつってしまう。しばらくして治まったかと思えば全身の筋肉を次々とつり、部分的な痙攣は全身へと広がり、歩くどころではなくなってしまった。
携帯電話で救助を要請し、越村はヘリコプターで搬送。診断結果は熱中症だった。
- コースタイムの見間違い
- 熱中症は荷物が多すぎた事も原因の一つだった。仲間がいれば分担できた。
越村は事故の翌週同じコースに挑み、無事白川郷まで下山を果たしたという。
なんと言ってよいものか……まぁ、色んな意味で豪胆な人物。
宮本(26歳)は、二泊三日で奥穂高から西穂高への縦走を計画。
しかし二日目、穂高岳山荘に泊る予定を変更し、一気に西穂高山荘まで行こうと軽はずみに決断する。
そこに気のゆるみがあったと本人が言う通り、ジャンダルムを過ぎて間もなく、バランスを崩して5メートル程滑落してしまう。しかもその際、大きな岩に思い切り股間を叩きつけてしまった。激痛に耐えて恐る恐る見てみると、性器からは大量の出血が。
登り返す事はできないと判断した宮本は、再び滑落しそうになりながらも逆に下りていく事を決断した。二時間かけて開けた場所までたどり着いたところで、救助を要請する。
ちょうど岳沢小屋からも見える位置だったため、小屋の小屋番ともやり取りを重ね、寒さに震えながら一晩をビバークして過ごし、翌日ヘリコプターにより救助された。
- 余裕をもった計画を
- 滑落場所から降りる決断は、場合によってはより重大な事故につながった可能性も
本章は他の話に比べると「うっかり足を滑らして滑落し、救助された人の話」に漢字てしまうのですが、年間に何件も同じような「うっかり」で命を落とす人がいるという穂高岳あたりの山行というのはやっぱり怖いですね。
社会人山岳部に所属する森廣信子(54歳)は、年末年始を利用してラッセルのトレーニングを目的に尾瀬へと向かう。
行程は尾瀬戸倉から入って尾瀬ヶ原を横断し、景鶴山へと登った後、外田代に下りて山ノ鼻から鳩待峠へ、というもの。
装備も経験も万端。本書の中で一番のガチクライマーと呼べそうな森廣は、しかし尾瀬で思いも寄らぬ大雪に見舞われる。
景鶴山の手前でビバーク中、あまりの降雪に撤退を決心する森廣。しかし、胸まで潜るような積雪に、一日で一キロそこそこしか進む事ができなかった。結局一日、二日と必死に進み続けるものの、下山予定日である三日には帰れなくなってしまう。
森廣にとっては雪によって計画が遅れているだけで、危険もなければ自分が遭難しているという意識も無かったのだが、事前に提出していた登山計画書を元に、麓では救助部隊が出動していた。
結果として下山予定日から二日後の一月五日、田代原のあたりを下りていくところを彼女を探して来たスノーモービルと遭遇。森廣は不本意ながら捜索隊に救助される事となった。
- 本人的には遭難したつもりはないが、救助騒ぎに発展してしまった
- 下山予定日・予備日の設定が身近過ぎたのでは
- いずれにせよ無事で済んだのは良かった
この森廣氏、後に「会の代表に言われたから仕方なく提出したけど、こんな騒ぎになるなら出さなきゃよかった」と笑うような人物。
ベテランのガチ登山者とはいえ、いずれもっと大きな事故を起こしそうな予感しかしません。
単独行についての是非
前回の『道迷い遭難』では、様々な遭難の中でも「道迷い」の割合が非常に多いというお話でしたが、では『単独行遭難』はどうなのかという点を、本書の最終章にあたる「単独行についての考察」から抜粋します。
警察庁の統計によると、2002(平成14)年度の遭難者数は1631人で、死者・行方不明者は242人。このうち単独行での遭難者は381人、死者、行方不明者は100人となっている。その十年後の2011(平成23)年、遭難者数は約1.4倍の2204人、死者・行方不明者は約1.1倍の275人、うち単独行の登山者は約2倍に増えた761人、単独校の死者・行方不明者は約1.5倍の154人である。
この数字からは、2011年の遭難者の三人にひとり(約34パーセント)が、死者・行方不明者に限るとその半数以上(約56パーセント)が単独行者だという現実が浮かび上がってくる。
遭難するのも、その結果として死者や行方不明となってしまうのも、単独行者の割合が非常に高いという事がわかります。
そのため一部都道府県や山岳地域では、「できるだけ一人での登山は避けるよう」呼び掛けているところも少なくありません。
それなのに、単独行を選ぶ登山者はむしろ増える一方。
本書の中でも触れられていますが、理由は明白です。
気楽だから
というのが一番の理由。
誰かと一緒だと何かあった時に安心と言えるかもしれない一方で、ペースが合わなかったり、性格が合わなかったりすると、せっかくの山行そのものが台無しに確立も高いのです。状況によってルートを変える、なんて事も一人ならなんの躊躇もいりませんが、複数だとそうは行きません。
これは山中だけではなく、下山後の行動も一緒です。お腹が空いていないのに付き合いで食事をしなければならなかったり、逆に温泉に入って汗を流したいのにできなかったりという残念な経験を持つ人も多いと思います。
自分と同じぐらいの体力の持ち主で、一緒にいて気が楽で……というパートナーが見つかる人はなかなか稀有だと思います。
複数での登山を選ぶ方は、感動の共有や何かあった時の安心といったものの代償として、様々な我慢を強いられていたりもするのです。
本書はそんな単独行のメリットとデメリット両面についてしっかりと触れられており、一概に単独行そのものを批判するものではありません。
むしろ本書を読む事で再度単独行のリスクを認識し、しっかりと準備や計画をもって登山に臨もうという登山者は増えるのではないでしょうか。
ヤマケイのドキュメントシリーズだけあって、今回も非常に勉強になりました。