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年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『満潮』朝倉かすみ

「ところで『そのままのわたし』ってなに?」

 眉子の答えはこうだった。

「だれかがこうだったらいいな、って思う眉子」

「それはまゆちゃんからすると『そのままのわたし』じゃないよね?」

「どうして?」

「ちがうじゃん」

「おんなじよ」

朝倉かすみ『満潮』を読みました。

言うまでもありませんが、先日読んだ『平場の月』があんまりにも良かったので、別の著作も読んでみたいと思ったのがきっかけです。

 

長編作品としては『平場の月』から『ぼくは朝日』を挟んで二作前の作品。

『平場の月』は第32回の山本周五郎賞受賞作品ですが、『満潮』もまた、同じ山本周五郎賞の第30回時の候補作です。

 

ページ数も454ページと、文学・文芸系の作品としてはなかなかのボリュームを誇ります。

『平場の月』の次に読む作品としては悪くないのではないか、と選ばせていただきました。

 

さて、どんな内容をはらんでいるのか。

早速ご紹介していきたいと思います。

 

 

結婚式場で見た花嫁に横恋慕

本書は一見、非常にエンタメ色の強い物語のように見えます。

主な主人公は二人。

常に誰かを喜ばせていないと生きられない容姿端麗な女性眉子と、田舎から出てきた秀才大学生茶谷。

茶谷はアルバイト先の結婚式場で、花嫁姿の眉子を見て一目惚れし、彼女に近づくために彼女の夫の会社でアルバイトを始める……というまるでトレンディドラマのような導入です。

 

あらすじだけ読めば、数年前に大ヒットした『昼顔』のようなドロドロした不倫モノを連想してしまうのではないでしょうか。

 

ところが、エンターテインメントに溢れるのもそこまで。

物語は思わぬ方向へと、深く、大きくねじ曲がっていきます。

 

 

歪な登場人物たち

本書で描かれる人々は、表面上は一般的な生活を送っているものの、その内面はおぞましい程に歪んでいます。

 

主人公の眉子は常に誰かを喜ばせていないと落ち着かないという一風変わった承認欲求の持ち主。

その発露として幼少時のエピソードが語られますが、いつもお漏らしを繰り返すクラスメートの代わりに自分がお漏らしをする、というなかなかの凄まじい内容。しかもそれは、『泣いた赤鬼』に陶酔した結果だという事がわかります。

また中学生の時には、たまたま市民プールで出会った同級生の男の子に声を掛け、プールの中でキスを交わすという大胆な行動を見せます。その後二人は交際へと発展し、初体験を済ませるまでに進展しますが、それらは全て眉子が当時心酔していた物語のシーンを再現していただけと判明します。

少女時代にはそうして既存の物語に自らを没入させてしまう眉子でしたが、やがて彼女は、「誰かが思い描く自分であること」を目指すようになります。

最上部の引用に抜き出した通り、「誰かがこうして欲しい」という自分である事こそが、『そのままのわたし』なのだという真理にたどり着くのです。

 

一方の茶谷は、早稲田の政経に通う大学生。

地方から一流大学への進学を果たした秀才であり、両親が誇る自慢の息子。

ところが彼自身も自身の優秀さを過信しているような節があり、プライドも高く、周囲を見下すいわゆる鼻持ちならないヤツです。

茶谷は自分こそが眉子にふさわしい男であり、じきに眉子も気づくはずだと信じて疑いません。

実際、彼の思惑通り彼は眉子の夫・真壁の会社にアルバイトとして潜り込み、真壁自身の信任を受けて、自宅にまで出入りする腹心としての立場を手に入れるのです。

 

そして眉子の夫・真壁ですが、彼もまた成り上がりの成金社長を絵に描いたような人物。

なんの一貫性もなく次々と新たなコトやモノを欲しがってはすぐに飽きて放り出すという、若くして(そこそこの)地位と金を手に入れた人間にありがちの甲斐性のなさを発揮しまくります。

眉子に対しても、はじめこそ一目惚れ同然で恋に落ち、猛アプローチの末結婚まで漕ぎ着けたまでは良いものの、すぐに若い愛人を作り、家にいつかなくなってしまうのです。

 

このような歪な三者が繰り広げる人間模様が物語の主軸なのですから、イケメン俳優や美人女優がくっついたり離れたりを繰り返す『昼顔』にはなるはずもありません。

 

 

眉子の異常性×茶谷の異常性

冒頭の引用通り、眉子の『そのままのわたし』は他者が望む眉子です。

つまるところ、眉子に対して「こうであって欲しい」と望んでくれる誰かがいない限り、彼女はアイデンティティーを保つ事ができません。

その点、トロフィーワイフとして理想の妻像を求めてくれる真壁は、眉子にとって理想的な伴侶でした。

 

だからこそ真壁が眉子に対して興味を失ってしまうと、眉子は途端に落ち着きを失ってしまいます。

 

そんな眉子は、誰かが自分に対して向ける「こうであって欲しいな」という願望に敏感です。

茶谷が自分に対して好意らしきものを抱いているらしいという事にも気づきます。

眉子もまた、真壁に対する空虚な想いを埋め合わせるかのように、ちょっとずつ茶谷の願望に応えようとします。

 

その様子は一見、夫に満たされぬ性欲を愛人に求める昼顔妻のようにも見えます。茶谷はまさにそう感じたのでしょう。ここぞとばかりに彼女の心を奪おうを躍起になります。

しかしーー「自分こそが眉子にふさわしい」「自分だけが眉子の事をわかってあげられる」と自負する茶谷は、眉子の目にはまったく魅力的には映らないのでした。

この定番の泥沼モードをあっさりと吹き消してしまう眉子と茶谷の決して相容れない異常性こそが、本書のだいご味と言えるのかもしれません。

 

やがて多くの夫がそうであるように、愛人との関係に飽きた真壁は眉子の元へと戻ってきます。

それどころか一通りの興味関心をやり尽くした真壁は、うって変わって理想的な夫へと変貌を遂げるのです。

 

茶谷の頭の中で思い描いていた完璧なはずの計画は、ほとんどが絵に描いた餅に終わってしまいます。しかし大学も辞め、全てを失いかけた茶谷にとっては受け入れがたい現実でした。

 

 

非日常的な日常でした。

この作品、読んでいるうちは物凄く不快でした。

主人公である眉子の人間性や考え方にはさっぱり共感できないし、こんな人いるの?と思わず嫌悪感すら抱いてしまいます。

夫の真壁はあまりにも器が小さく、絵に描いたような成金二代目ですし。

茶谷もまた、どの学校にもいたような鼻につく秀才キャラですし。

よくもまぁこんなにも常軌を逸した人物像を並べたもんだ、と呆れてしまうばかりでした。

 

ところが、読み終わる頃になると不思議と印象が変わってきます。

 

真壁みたいなヤツ……現実によくいるよなぁ。こんなヤツが社長だったら働きにくいだろうなぁ。

茶谷ってうちのクラスにいた〇〇に似てるな。めちゃくちゃみんなに嫌われてそうだし、友達いないんだろうなぁ。

 

なんて……あれ?

よくよく考えてみると、異様に思えた登場人物達もすぐ側によくいる日常的な人物像に思えてくるのです。

 

一番の変わり者である眉子もまた、同じでした。

 

いますよね?

誰かに尽くされるより、自分が尽くしたいタイプの人。

相手の事が好きかどうかよりも、相手のために身も心も捧げる自分に陶酔する、そんな人間。

 

終盤に明かされる彼女の過去の秘密もまた、割と若い女性の一時の過ちとして多く見られる出来事と思えなくもありません。もちろんそこにビデオカメラや悪意が介在していたのは問題ですが、なんとなくその場の雰囲気やアルコールの勢いに飲まれて……というケースは割とよく聞かれる話ではないでしょうか。

そういう女性が、過去を忘れ去ったかのように良き妻として、良き母親として暮らしているのも、まま見られる話です。

 

なので異様な登場人物たちが繰り広げる奇抜な物語かと思いきや、振り返ってみると僕たちの身の回りでも聞かれるごくごく一般的な出来事を題材にした作品だったのかなぁ、と改めて思いました。

 

かといってあまりにも登場人物たちに魅力を欠くので、もう一度読みたいという気分にはならないかと思いますが。

朝倉かすみ……ちょっとまだ魅力や力量を計り知れない作家さんです。

もうちょっと著作を読ませていただこうと思います。

 

 

 
 
 
 
 
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