「役割分担だよなぁ」
「え?」
「最近しみじみ思うんだよ。役割分担ってこと。お前がお茶を入れる。俺があとで湯飲みを洗う」
「いいですよ。僕が洗っときます」
「いやいや、なんでもそうやってうまく分担すりゃあいいんだよ。お前がポカをやる。俺や部長が尻拭いをする」
秀明はあえて反論はせず、課長の前に湯飲みを置いた」
「家庭でもそうだよ。俺が働いて金を稼ぐ。女房は家のことや子供のことを面倒みる。どこがいけないのかねえ」
山本文緒『あなたには帰る家がある』を読みました。
2003年、2018年と二度にわたってドラマ化された人気作品ですので、題名だけでも聞いたことがあるという人は少なくないのではないでしょうか。
普段ドラマはほとんど見ない僕でも、なかなかの話題作としてそこかしこで取り上げられていたおかげで、なんとなく聞き覚えがありました。
どんな作品なのかまでは、さっぱり記憶にありませんが。
山本文緒作品としても、以前第20回吉川英治文学新人賞の受賞作『恋愛中毒』を読んだのみです。
『恋愛中毒』も非常に有名な作品ですが、あんまり印象に残っていたなかったりするんですよねぇ。
こうしてブログの過去記事を読み返して、「あぁ、こんな作品だっけな」なんて朧げに記憶を辿るのがせいぜいです。
そんなわけでこれといって印象も思い入れもない作家さんではあるのですが、せっかくKindle Unlimitedで読み放題だし、なによりも人気作にはそれなりの理由があるはずというわけで、手に取った次第です。
さて、早速内容についてご紹介していきましょう。
女性の社会進出
本書の出版が1998年。
今をさかのぼる事20年以上前に書かれた作品です。
とはいえ平成でいえば10年ですし、そこまで昔でもないかなぁなんて思ったりもするのですが、本書で描かれる男女関係や夫婦の在り方は、驚くほど前時代的なものです。
主人公である真弓は28歳。
一年半前に2歳年下の夫・秀明と結婚したのをきっかけに会社を辞め、一人娘の麗奈とともに専業主婦として暮らしています。
家族を養うためにとハウスメーカーに転職した秀明は、家事と育児の一切を真弓に任せっきり。男は外で稼ぐのが仕事で、家の中の事は女の仕事、という昭和的夫婦観の持ち主です。
このぐらいの時期の夫婦にはありがちですが、真弓と秀明は少しずつお互いに不満をため込みつつあります。
どうして家の事や子供の事にもっと関心を持ってくれないのかと苛立つ真弓に対し、秀明もまた、どうして穏やかにしていられないのかとうんざりしている。
どこの家庭にも一度は訪れる時期と言えるかもしれません。
そこで真弓は、もう一度働こうと考えます。
夫の安い給料で養われるのではなく、自分も働いて金を稼ぐ事で、夫と対等かそれ以上の立場に立とうと考えるのです。
二つ返事で許可する秀明ですが、そこには当然のように穴があります。
秀明にとってはあくまで「家事や育児は今まで通り真弓がやった上で働きに出るのが当然だろう」という認識なのです。
子どもを保育園に入れるのであれば、保育料は真弓が働いた給料から払うべきだし、送り迎えだって真弓がやるべき。真弓も働き始めたからといって、自分はこれまで通り何一つ変わらない生活を送ってしかるべき、という考え方です。
あー、いるいる、そういう自分勝手なダメ男……と思ってしまうかもしれませんが、本書がヒットした時代背景を考えると、今から僅か20年前にはまだまだそんな考えが世の中的にも主流だったのでしょう。
真弓はそんな価値観に真っ向から立ち向かうかのように、家事育児をこなしながら、がむしゃらに働きます。
そしてある日、夫・英明との口論の末、一つの勝負を始める事になるのです。
それは……
「勝負よ。三ヵ月間の収入が少なかった方が、家で奥さんをやるの」
という驚きのものでした。
登場人物全員ポンコツ
色々と時代背景があるのは重々承知しているのですが……それにしたって本書の登場人物たちは、ほぼ全員がどこか欠落したポンコツだらけです。
〇真弓――一流商社に勤めるOLだったにも関わらず、仕事に嫌気がさして
寿退社。その際「今日は安全日」と秀明を騙して妊娠するとい
う卑劣な手を使う。その後、思い描いていた専業主婦の日々に
幻滅し、やっぱり働きたいと言い出すという短絡的思考の主。
〇秀明――本能の赴くままに客の妻に手を出し、相手が本気になるや否や、
面倒くさがるという脳みそ下半身男。
常日頃から女性に対しては好みか、そうでないかという価値基
準しか持たない。
〇綾子――誰もが羨む美貌の持ち主にも関わらず、性格も見た目も悪く、
経済的に裕福とも思えない那須田とこの人なら優しそうという
理由だけで結婚。
挙句自分の決断は間違っていたと気に病み、たまたま出会った
住宅メーカーの営業マンに惚れ込んだ上、簡単に股を開き、相手
に依存しまくる地雷女。
〇奈須田――パワハラ、セクハラなんでもござれの醜男社会科教師。
保険会社の外交員でも、ハウスメーカーの職員でも、たまたま
散歩で出会った女性でも、全て性的対象として見ずにはいられ
ない。
人生100年時代と言われて久しい昨今ですが、本書の登場人物たちにはおよそ長期的な展望など望めそうにありません。
ただひたすら感覚的に、本能の赴くままにその場その場で行動を起こしているだけです。
一番の主人公格である真弓自身が、一時の気の迷いから一流商社を辞め、映像制作のアルバイトという将来性の欠片もない秀明との出来ちゃった結婚を選び、予想通り後悔に苛まれた末、もう一度働こうと選んだ仕事が保険会社の外交員……とまぁ絵に描いたように坂道を転げ落ちていきます。
本人には落ちているという自覚がないのだから、本当にどうしようもありません。
保険会社とか、一番選んじゃいけないよね。
そこの支部長が一千万クラスで稼いでると聞いて、私もそうなりたいと夢を抱くなんて、もう滅茶苦茶です。
いずれマルチ商法なんかにもそうとは知らずのめりこむタイプに違いありません。
自業自得な物語
上記のような登場人物たちは、ことあるたびに「そうはならんやろ」と思わずツッコミたくなるような選択を繰り返し、「そりゃそうなるわ」という窮地へと陥っていきます。
まさに自業自得。身から出た錆。
このあたりのバランス感覚が本書のキモなのかな、と思いました。
理解できない浅はかな言動の結果、読者の予想通りの展開へと陥っていく。言わんこっちゃない、と言いたくなるようなエピソードの繰り返し。
登場人物たちに共感はできないけれど、愚かな彼らが迎える顛末には共感できるという、そんな絶妙な塩梅。
それにしても、やはり作品全体を通して前時代的な結婚観・夫婦感・男女感が前提となっていますので、今の時代に読んで楽しめるかは微妙なところと言わざるを得ません。
wikipediaやインターネット上のまとめサイトを参照するに、2018年のドラマ化では原作からはだいぶ改変もされたようです。
まぁ、そりゃそうでしょうね。
今の時代、本書の内容そのままでは苦情が殺到してあっという間に放送中止に追い込まれてしまうでしょう。
本書を読まれるという方は、前提条件として本書が書かれたそんな時代背景について心に留めていただきたいと思います。
聞くところによると本書には姉妹作とも呼べる『眠れるラプンツェル』という作品もあるそうですので、機会があればそちらも読んでみたいと思います。