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年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『教室に雨は降らない』伊岡瞬

 晴れた朝はガンズ・アンド・ローゼスと決めていた。

 それもデビューアルバム。今朝も彼らの曲を口ずさみながら、最後の直線でスロットルをふかした。

伊岡瞬『教室に雨は降らない』を読みました。

こちらもKindle Unlimitedで不意におすすめに出てきた作品。

 

初めて目にする作家さんだったのですが、2005年『いつか、虹の向こうへ』で第25回横溝正史ミステリ大賞テレビ東京賞をW受賞し作家デビューをし、本作『教室に雨は降らない』(単行本時タイトル『明日の雨は。』)は2011年度の日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門の最終候補作にもノミネートされたという素晴らしい経歴の持ち主のようです。

 

小学校を舞台とした殊玉の青春ミステリーともありますし。

 

これはやはり、読んでみないといけませんよね。

 

 

小学校を舞台に描く六つの短編

本作は、音楽の臨時講師として働くことになった森島巧が主人公。

ともに音楽家である両親から影響を受け、音大を卒業したものの、進路が定まらず迷いの中にある若者、という人物像。

 

初めはアルバイトとしてなんの覚悟もなく教職に就いた巧でしたが、次々に巻き起こる事件を通し、教職者として、一人の社会人としての責任と自覚に目覚めていきます。

 

 

『ミスファイア』

 子供たちの自宅近辺で連続して不審火が発生。

 モンスターペアレントと評判の父兄Mは、教師である安西に原因があるとして彼女の責任を追及する。

 

『やわらかい甲羅』

 五年生の校外実習で出かけた自然公園で、高価なリクガメがいなくなってしまう。子どもたちの誰かが持ち去ったものとして、巧は管理責任を問われるとともに、事件の解決を求められる。

 

ショパンの髭』

 六年一組の鈴木捷はみんなの前で歌うのを嫌がる。無理強いすれば、驚くような音痴ぶりを披露した。しかしピアノを嗜む彼が、音痴だとは考えにくい。彼が歌わない理由とは。

 

『家族写真』

 三年二組の萩野教諭は、驚くことに授業中に子供たちを放置して居眠りしていた。

一体どうしてそんな事になってしまったのか。

 

『悲しい朝には』

 家出癖のある雛子の母親から呼び出された巧は、みんなの前で雛子を褒めるようお願いされる。抵抗を感じながらも実行した巧は、子供たちから無視されてしまう。

 

『グッバイ・ジャングル』

 萩野教諭が退職し、新たに中村教諭を迎えるも、三年二組は学級崩壊。それはやがて他のクラスにも伝播し、校内中で問題が頻発するようになる。そんな中、卒業目前にした雛子も不登校に。

 

いつもながらのざっくりとしたあらすじですが、正直特記するような点もありません。

 

ミステリ・推理小説と紹介されている割に、推理要素があまりにも少ないんですよね。

第一話『ミスファイア』以降は連作短編集としての流れを意図してか、事件とは無関係な巧自身の話題に引っ張られる事も多く、進めば進むほどにミステリ色は薄まっていきます。

 

どの物語も少しずつ事情が解き明かされ、最終的に該当する相手に接触した巧が「どうしてやったんだ」と声を掛けると、相手が勝手に自白を進めるといった具合。

加えて、語られる動機も「いや、ちょっとそれはないんじゃないか」と首を傾げたくなるような点が多く、すっきりしないものばかりです。

 

教頭をはじめ、学校で巻き起こる事件に対して教員達が事なかれ主義過ぎるのも引っかかるところです。彼らは事件の度にきっかけとなった教員をひたすら叱責する一方、事件そのものに対しては無関係を装い続けます。

ある意味では教員組織にありがちな一面とも言えますが……その割に「あなたの責任なんだから自分で解決しなさい」とばかりに全責任を押し付けてみたり、逆に「一切関わるな」とけん制してみたり、学校組織の造形には一貫性がないように思えました。

 

最終的に巧が教師を志すに至ったとしても……そんな上司や周囲の教員の意見に合わせようともせず、スタンドプレーばかり繰り返すようでは、彼の教師としての未来も明るいとは思えません。

生徒のためには己の立場も鑑みずに学校組織にも立ち向かう熱血教師像がもてはやされた時代は今や遠い昔の事。今は生徒に対しても、組織に対しても相反する事無く信頼を勝ち得るバランス感覚こそが求められる時代です。

令和に読む作品としては、ちょっと現実との乖離が過ぎました。

 

ミステリとして読むにはあまりにも淡泊過ぎるし、かといって学校の問題点を浮き彫りにした社会派小説かというと陳腐過ぎるし……どうにも受け取り方に困る作品です。

 

 

なぜにハードボイルド?

冒頭に引用しましたが、森島巧という主人公の人物像が、やけにハードボイルドテイストなのも気がかりな点です。

なにせ作品の始まりが、下記のような一文ですからね。

 

 父親が森島巧に残したものは、棚いっぱいに並んだレコードとCD、ビスの一本まで手入れされた一九七八年生のドゥカティ900SS、そして男にしては華奢で長い指だった。

 

さらにその後も、いちいち巧の脳内ではロック・ナンバーが再生されたりします。

 

――I've no feeling,I've no feeling.

”大人”たちを挑発するように繰り返すフレーズ。セックス・ピストルズの『No Feeling』だ。日本語のタイトルが、そう、『分かってたまるか』。歪んだ笑みが浮かびそうになるのをどうにかこらえた。

 

こういうのって好き嫌いも大いに関係するとは思うですが、個人的にはただひたすらに鼻につくんですよねぇ。

ドゥカティの排気音だとか、激しいロックビートだとか、作者の脳内ではそれらが非常に魅力的なものとして映画のワンシーンでもあるかのように描かれているのかもしれませんが、知らない読者にとっては「なんのこっちゃ」でしかありませんよね。

 

バイクとかロックとか、ハードボイルド風な作品にはつきもの的なイメージもあるんでしょうが。

 

……でもその前に、なぜ本作でそれ???という疑問がついて離れません。

その意味では巧の両親が音楽家である理由も、巧が音楽教師である理由も、バイクを乗り回す理由も、全てが物語に対しては不要な要素ばかりです。

 

上に記したようなハードボイルド風味は、本作が描こうとした「学校を舞台とした青春ミステリ」にも不釣り合いとしか思えません。

少し黴臭さを感じる舞台装置の数々は、スタンドプレーが目立つ熱血教師という時代錯誤の教師像と合わさって、かえって昭和歌謡的な古臭さをにじませてしまったのではないでしょうか。

 

ライトノベルの金字塔『妖精物語』の記事にも書きましたが、その道の趣味人でしか知らないような固有名詞をやたらと作中に登場させるのって、遠い遠い昔の流行を未だに引きずっているんだな、としか思えません。

 

バイクや銃についてはやたらと細かい描写や固有名詞が頻出したり。750SSとかCB1100Rというカタログスペックで書かれて、昔の人は理解できたんですかねぇ?今ならインターネット検索で一発ですが、当時だと辞書や広辞苑にも載っていないであろうこういった商品名をどうやって理解していたのか、理解しがたいところです。こういった製品やスペックをそのまま記述するのは当時の流行なのだとは思いますが。

 

linus.hatenablog.jp

 

ドゥカティ900SS……知らないし、例え現物を見せられたとしてもカッコイイとは露ほども思わないでしょう。

そもそもバイクの愛好者そのものの高齢化が話題になって久しいですし。

休日に行楽地で目にするツーリングバイクの大群って、漏れなく白髪頭・禿頭のおじさんですもんね。

 

 

2011年 第64回日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門選評

個人的に「2011年日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門候補作」という紹介文が本書を読む大きなきっかけになっただけに、改めて調べてみました。

 

www.mystery.or.jp

今は便利ですよねぇ。

直木賞もそうですが、十年以上前の選評の詳細がWEB上で確認できてしまうんですから。

 

※一点補足しておくと、本作『教室に雨は降らない』は改題される前は『明日の雨は』という作品名でしたので、おいおい、違う作品じゃねーかなどと思われぬようご注意ください。

 

同回の受賞作は麻耶雄嵩『隻眼の少女』と米澤穂信『折れた竜骨』の二作でした。

麻耶雄嵩米澤穂信とは、なかなかに豪華な受賞者ですね。

 

 

 

正直、受賞作は未読ながらも二人の作者を知る身としては、そりゃああの二人を押しのけて本作が受賞とはならんよな、と納得です。

むしろ本作がノミネートされていた2011年は、よっぽど他のミステリ作品が不作な年だったのかな、と思えてしまいます。

 

さて、気になる本作に対しての各選者の選評を見てみましょう。

 

柳広司

最初に、各選考委員から「本年度の推理作家協会賞に相応しい」と考える作品を推薦して頂きました(但し、各委員最大二作まで)。
 この時点で最も評価が高かったのが『折れた竜骨』。次いで『隻眼の少女』と『華竜の宮』が同票で並び、以下『アルバトロスは羽ばたかない』『明日の雨は。』の順位となりました。

 

赤川次郎

「明日の雨は。」は、候補作中唯一の連作短編集。音楽の臨時教師と小学生たちの日々に起る色々な事件、ということだが、全六話の内、ミステリーらしいのは初めの二話くらいで、書下ろされた残りの四話はただの学園小説になってしまっている。切れ味のいい短編を書くのは千枚の大長編より難しいのだ。

 

恩田陸

『明日の雨は。』は、連作短編集であるが、最初の二編がミステリの形式を取っているのものの残りの書き下ろし部分は青春小説であり、好感は持てるが推理小説かと言われると疑問を抱かざるを得ない。

 

北村薫

前半の討議の中で、『明日の雨は。』と『華竜――』が落ちた。『明日の――』は、第一話の「ミスファイア」が、ミステリの要素と物語を巧みにからめた秀作で、それだけに以降の物語の展開に同程度、あるいはそれ以上のものを期待してしまった。その点で不満が残った。

 

佐々木譲

伊岡瞬の『明日の雨は。』も学園ミステリーであり、日常性の中の小さな謎を題材にしているが、『アルバトロスは羽ばたかない』と印象がかぶってしまった。

 

新保博久

伊岡瞬氏の『明日の雨は。』も、七河氏のと同様「日常の謎」的な連作短篇かと見受けられながら、後半へ行くほどミステリ的興味が希薄になるのが不満だった。あるいはこれは、小学教師を主人公にした犯罪のないハードボイルドを意図した作品ではないかと選考後に気づき、そちらに狙いを絞ってもらえていれば、また違った評価が出来たものをと惜しまれた。

 

……というわけで、あまり好評価とは言えない内容に終始していました。

日本推理作家協会賞は、あくまで「その年に発表された推理小説の中で最も優れていたものに与えられる」賞です。そのため、イコール作品の評価とはならないのは重々承知の上ですが、僕の読後感とも通じる部分があって、一人勝手に納得しています。

 

なお、付け加えると本作の第一話である『ミスファイア』は、前年度の2010年 第63回 日本推理作家協会賞 短編部門の候補作でもあります。

『ミスファイア』も含む形、あるいは書下ろし短編を追加して連作化された『教室に雨は降らない(旧題:明日の雨は)』が、翌年の長編及び連作短編集部門にノミネートされたという事になります。

 

よっぽど作者が力を入れていたのか、出版社側が推していたのかわかりかねますが……それにしても二年連続候補作に選ばれるとは、すごい事ですね。

念のため、2010年の選評に関するページもリンクを貼っておきます。

ご興味があるようでしたら、こちらもご確認下さい。

 

www.mystery.or.jp

 

 

 
 
 
 
 
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