「だから、帰ってきたんですか?」
真実を見つけるために。
そう尋ねると、芹は首を横に振った。
「違うわ。帰ってきたのはここで生きるため」
夕日が海の向こうに沈もうとしている。
「でも、ここで生きるためには、なにもかも曖昧なままで置いてはおけないの」
近藤史恵『昨日の海は』を読みました。
いやぁ、Kindle Unlimitedで彼女の名前を見つけた時には思わず手を叩いてしまいましたね。
とはいえ彼女の作品で読んだ事があるのは短編集『タルト・タタンの夢』だけなのですが。
これがですねぇ、滅茶苦茶良かったんですよ。
詳しくは上記記事を読んでいただければと思いますが、フランス料理店を舞台とした日常の謎系ミステリとして、ミステリの度合いも、料理の描写も本当に素晴らしくて、すごく大好きな作品の一つなのです。
以後も〈ビストロ・パ・マル〉シリーズとして『ヴァン・ショーをあなたに』『マカロンはマカロン』が刊行されているのですが、なかなか読めずにいるのですが。
また、彼女の代表作としては第10回大藪春彦賞を受賞した『サクリファイス』が挙げられます。自転車ロードレースを舞台としたスポーツ小説であり、青春小説であり、推理小説でもあるという作品で、第5回本屋大賞では第2位に選ばれたほか、第61回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門候補作にノミネートされる等、非常に評価の高い作品です。
そちらはKindle Unlimitedに含まれていないのは残念なところ。
正直、今回名前を見るまでは近藤史恵という作家の存在をすっかり失念してしまっていたので、改めて追いかけてみたいと思います。
さて、余談が過ぎましたが、本作『昨日の海は』についてご紹介します。
帰ってきた叔母とともに明かされる祖父母の秘密
主人公の光介は、四国の小さな海辺の町磯ノ森で生きる高校一年生。
そこへある日、母の姉である叔母が8歳の娘を連れてやってきます。
これまでほとんど交流もなかった叔母は、一緒にこの町で暮らすというのです。
光介達が住んでいる家は元々祖父母の持ち物で、所有権は母と姉の両方にある。そのため、叔母親子がその家に住むのはなんら問題はない。光介達三人家族では、二階はほとんど使わず持て余していたのだし……と理屈はわかっても、急に親子三人の生活に割って入ってきた闖入者の存在に光介は割り切れないものを感じます。
そして叔母は、放置されていた店舗部分の掃除に取り掛かります。
生前祖父が営業していたカメラ店であり、祖父母が亡くなって以後はシャッターも閉じられたまま、倉庫のように埃だらけのまま放置されていたのです。
「店はもうやらないの?」と問う叔母に、母は「もう忘れたままでいて欲しい」と漏らします。
光介の祖父母は、25年前に心中によって二人揃って他界していたのです。
田舎の海辺の町で起きた、夫婦の心中事件……そこには当然のように近所からの詮索や根も葉もない噂が巻き起こり、光介の母はずっと周囲の目に耐えながら暮らしてきたのでした。
しかし光介は、叔母の口から驚くべき真実を知らされます。
「母に聞きました。心中だったんですね」
「表向きはね」
「表向き?」
「どちらかがどちらかを殺して、一緒に死んだの」
祖父母の死はどちらかが故意に起こした無理心中事件だった。
生まれ育った故郷に戻ってきた叔母は、磯ノ森で生きていくためには、真相を突き止めずにはいられないと言うのです。
爽やかな青春小説
上のあらすじに書いた通り、本書における謎は非常に明瞭で、かつ魅力的なものです。
一体無理心中を図ったのはどちらなのか。なぜそんな事態を招いたのか。
事件に一歩ずつ近づく度に、写真屋の店主というだけではなく、写真家としての一面を持っていた祖父高郷庸平の素顔が少しずつ明らかになっていきます。
一方で光介の身の回りで起こる出来事や人々との関わりも、主題とは直接的な関連はないものの、非常に魅力的です。
8歳の従妹双葉は、通い出した小学校になかなか馴染めなかったり、東京に帰りたいと駄々をこねてみたり……そんな彼女が少しずつ心を開き、磯ノ森に馴染んでいく様も微笑ましいところ。
また、古びたシャッターを直すにあたり、光介は美術部の絵里香に絵を描くようお願いします。それまではほんの少し話した事があるだけの同級生でしたが、シャッターのペイント作業を通じて距離が縮まり、二人きりで出かけるまでに二人の仲が進展したり。
祖父の死に東京での個展の中止が大きく関わっていると知った光介は、飛行機を使って日帰りでの東京旅行を決行します。入念な計画にも関わらず、予期せぬトラブルに見舞われてみたり。
本書は「祖父母の死の真相を探る」という謎を中心に追う一方で、大江光介という高校一年生の少年の成長を描いた青春小説でもあるのです。
推理小説としては凄惨な事件が連続するわけでもなく、最初から最後まで「祖父母の死」という一つの謎を追いかけるだけのある意味では単調な物語なのですが、この高校一年生の男の子の心の機微の描き方というのが絶妙で、僕はぐいぐい惹き込まれてしまいました。
冒頭に挙げた『タルト・タタンの夢』でも、思わず舌なめずりしてしまうような繊細なフランス料理の描写は特筆すべきものでしたが、本書における光介の心の動きにもまた、注目すべきところでしょう。
推理小説か青春小説か
本書そのものの満足度は非常に高いのですが、唯一引っ掛かるのは「推理小説か、青春小説か」というもの。
というのも、僕はこれ、青春小説として読んだ本が絶対的に楽しめると思うんですよ。
読み進めるにつれて、ぶっちゃけ「祖父母の死の真相」なんてどうでもよくなってくるんです。
しょせん二十年以上前に起きた事件で、本人たちはもうこの世にいないわけですし。
そのせいで今もなお誰かが被害を被ってるとか、現在進行形で借金に追われてるというわけでもないですし。
実際に作中でも、誰よりも真相解明に躍起だったはずの叔母芹が急に興味を失ったかのように淡泊な反応しか示さなくなったりするんですが、それは読者側にも波及してしまうんですよね。
なんのための真相解明なの?
これ以上追及しても何も良い事なくない?
もう良くない?
って。
最終的に光介は決定的な手掛かりを見つけるに至り、一つの答えをもって本作は幕を閉じるのですが……正直なんだか、すっきりしないんですよね。
言葉を変えれば、もったいない。
ラストを迎えるにあたって、読者の興味はもう真相にはないんです。
それよりも、事件を通してこれまで知らなかった様々な過去を知り、成長した登場人物達の姿を見たかった。
なので答えを提示して終わり、とする本書の終わり方はあまりにももったいなかったな、と。
もちろん本書がミステリであるとすれば、間違いではないのでしょうけど。
思い浮かんだのは、第146回直木賞の候補ともなった歌野晶午『春から夏、やがて冬』です。
こちらの作品も一つの「読ませる小説」として非常に高い完成度ながらも、『葉桜の季節に君を想うということ』や『密室殺人ゲーム』でお馴染み歌野晶午らしいミステリ仕掛けが災いして、読む人間によって評価が二分するという非常に惜しい作品になってしまいました。
直木賞の選評において、宮部みゆき氏は下記のように述べています。
「本当に惜しい作品でした。主人公の平田とますみのあいだに、事件の解決(真相)など存在しない方がよかったと、私は思います。ただ、それぞれに苦しみや生き辛さを抱えた二人が寄り添って生きてゆく、あるいはどこかで袂を分かつ、その有り様を淡々と描く小説であってよかった。」
本書を読んだ僕の気持ちが、まさに同じですね。
過去の事件の真相究明を乗り越えて光介達が寄り添いながら生きていく、その有り様を淡々と描く小説であってよかった。
その点だけが、非常に残念です。
ただし終わり方だけが問題なのであって、作品としての完成度は非常に高く、満足度も高い稀有な秀作である事は再度補足させていただきます。
近藤史恵、やっぱりいいですね。
ちょっと追いかけてみたいと思います。