護らなくてもいい人間が存在しないのと同じ理屈で、殺されてもいい人間など存在 しない。
中山七里『護られなかった者たちへ』を読みました。
大ベストセラー作家中山七里作品としては『連続殺人鬼カエル男』以来二作目となります。
Kindle Unlimitedでも常にオススメ作品上位に表示され、「とにかく読め!」と言わんばかりの圧が強かったのですが……『連続殺人鬼カエル男』の感想がいまいちだったせいもあって、いまいち食指が伸びずにいました。
しかしながらKindle Unlimitedの中でも読みたい作品が見つけられなくなってきた事もあり、いい加減読んでみようと取り掛かってみた次第です。
ファーストインプレッションがいまいちでも、読む作品によって作者に対する評価が大きく覆るケースって、これまでにも度々ありましたし(僕にとって貴志祐介や島本理生がそれにあたります)。
何よりも本作『護られなかった者たちへ』も、映画化までされた大ヒット作品。
しっかりと期待して読んでみる事にしましょう。
被害者を餓死に追い込む異常な連続殺人
県警捜査一課の笘篠が目にしたのは、廃墟同然の古びたアパートで、両手両足の自由を奪われたまま餓死に追いやられた凄惨な遺体。
被害者は福祉保険事務所の課長、三雲でした。
同僚の蓮田とともに捜査にあたる笘篠でしたが、職場からも、家族からも、故人に対して聞かれるのはまるで仏様の生まれ変わりと言わんばかりの聖人君子ぶり。
仕事ができて、部下からの信頼も篤く、家庭でも常に他の家族を優先する。
そんな三雲は、誰に聞いても「殺されるような恨みを買うはずがない」と断言するのです。
捜査の糸口すら掴めず苦慮する笘篠達の前で、二つ目の事件が発生します。
校外の農器具小屋の中で、三雲と同様に餓死した状態で見つかった二人目の被害者は、あろうことか現職の県議会議員城之内。
城之内について調査を進める笘篠達は、城之内もまた、以前福祉保険事務所に勤めていた事を知ります。
しかも三雲とは、塩釜の福祉保健事務所において被っていた時期があるのです。
二人の被害者をつなぐミッシングリンクに気づいた笘篠達は、塩釜の福祉保険事務所で過去に起きた事件について調べを進めます。
しかしながら、笘篠達が目にしたのは、生活保護を巡る目を覆いたくなるような現実でした。
不正受給者の裏で、需給を受けられない困窮者たち
本書では、生活保護を受けているにも関わらず隠れて働いて給料を受け取ったり、あるいは暴力団関係者である事を隠して生活保護を受けたり、といった様々な不正受給者の姿が描かれます。
一方で生活保護の予算には限りがあり、福祉保険事務所の所員は不正者に対して厳格に対応しつつ、本当に困っている人達に対して支援を行えるよう日々奮戦しているのです。
そのような役所の窓口に、トラブルはつきもの。
笘篠達が調査を進めると、いくつものきな臭い事件が見つかります。
その中には警察からの捜査協力要請に対し、福祉保健事務所が事件そのものをもみ消したような痕跡も。
執拗な捜査により笘篠達は、福祉保険事務所の窓口で対応した職員に暴力を振るい、さらに事務所の建物自体に放火した容疑で逮捕された利根勝久に辿り着きます。
彼こそは、本書における二人目の主人公とも言える重要人物です。
二極化する社会の闇
利根は両親が離婚し、引き取られた母親も高校の終わりに行方を晦まし、たった一人で生きる天涯孤独の身。
しかも他愛もない諍いで暴力沙汰を起こし、前科まで負うという二十歳にしてお先真っ暗の人生を歩んでいました。
一度罪を犯した人間は社会から虐げられ、虐げられた者同士でつるむしかなくなってしまうが故に、再び罪を犯す。
貧困は貧困を生み、富は一部の層にだけ集中する。
二極化する社会は、本書が投げかける一つのテーマともいえるでしょう。
そんな社会の底辺を生きる利根が、ひゅんな事から出会ったのが貧しい老婆遠島けいと、その近所に住む少年カンちゃん。
水商売の母親を持つカンちゃんは、日ごろからけいばぁちゃんの部屋に身を寄せているのです。
面倒見の良いけいばあちゃんに惹き付けられるように、疑似家族のような三人の不思議な生活が始まりますが……やがて少し離れた土地で利根が仕事を得、かんちゃんも親の都合で引っ越す事になってからは、疎遠になってしまいます。
しばらくして久しぶりにけいの下を訪ねた利根が見たのは、電気もガスも止められた部屋で、ティッシュを口に運ぶけいの姿でした。
他に身よりもなく、満足な年金も受けられないけいは、食うにも困る程に生活に困窮していたのです。
利根は生活保護を受けるよう諭し、嫌がるけいとともに福祉保険事務所へ出向きますが、職員の無情な対応によってその場で生活保護申請は却下されてしまいます。
繰り返す事三度、けいは生活保護の申請を行いますがいずれも承認は受けられず、そのさ中、けいは餓死という悲惨な最期を迎えてしまうのでした。
怒り狂う利根は塩釜の福祉保険事務所に怒鳴り込み、担当した職員に暴力を振るいます。それだけでは飽き足らず、闇夜に紛れて建物に放火まで……その罪を問われて八年という長きに渡り懲役の刑に服す結果となるのですが、この時の担当者こそが殺された三雲であり、城之内。
利根が服役を終えて釈放されて間もなく、二人は何者かによって殺害される。
笘篠達は利根こそ犯人に間違いないと、彼の行方を追うのでした。
薄れる説得力
あらすじはこの辺りまでとしまして……やはり致命的なのはリアリティーの部分でしょう。
生活保護に詳しくない僕にとっても、読んでいて違和感を感じる部分が多々あるんですよね。
以下は、けいとともに生活保護の受給申請に出向いた利根と、窓口を担当していた三雲とのやり取りです。
「だから、関係ない第三者は口出ししないでくださいって、さっきから何度も」
「あんた、要するにけいさんの申請を受け付けたくないんだろ。それで無茶なことを要求して一件落着にしよ うとしているだけだ。そんなの役所の横暴だ。横暴でなけりゃ怠慢だ」
「失敬ですな」
三雲はそう言い捨てると、手にしていたけいの申請書をいきなり縦に破った。
「何するんだ」
「受付で破壊行動ならびに迷惑行為や職員に対する威嚇・中傷をした方は即刻退去願います」
……おいおい。
この短い一幕の間だけでも突っ込みどころはいっぱいですね。
縁戚関係はないにせよ、自身での手続きが困難な本人の付添人に対して「他人は口を挟むな」はいくらなんでもありえませんし、目の前で申請書を破り捨てるなんて言語道断でしょう。
スマホやSNSが発達した現代では、例え本人がアクションを起こさずとも周囲にいた人々によってあっという間に拡散されてしまいそうな事件です。
そもそもが予算に上限があるからと言って、窓口の担当者や事業所の課長レベルの独断で、調査等のしかるべきプロセスも踏まずに申請を却下したり、窓口で追い返したりなんてできるはずがないんです。現場の職員であれば、「そんなことできりゃ世話ねえよ」と鼻で笑い飛ばしたくなるところでしょう。
ましてや上記のような常軌を逸した言動を常日頃から行ってきた三雲のような人物が、同僚や家族から一点の曇りもない聖人君子として語られるはずもありません。
さぞかし多くの恨みを買ってきた事でしょう。
↓↓↓以下ネタバレ注意↓↓↓
実際に部下であった円山は、三雲のやり方に耐えがたい程の反発を覚えており、それが殺害の動機にも繋がったわけですし。それ以前に市民からの通報や同僚からの内部告発によって立場を追われる確率の方が遥かに高かったと思えてしまいますよね。
その他、実際の作者が取材を怠ったのか、あえてフィクションとして歪曲させたのかはわかりませんが、生活保護を巡る実態とはかけ離れた部分が多数目につきます。
一例をあげれば、基本的に申請があった際には必ず自宅を訪問するなどの調査を経てから、需給の可否を決定します。
その期間も原則14日以内、最長30日以内と定められており、そういったプロセスも踏まずに却下と断じられる事は絶対にありえません。
それ以前の問題として、書類の不備による訂正や資料の追加を求められたとしても、申請そのものは市民に与えられた権利ですから、申請すらさせないなんて事はあり得ないんですよね。
こんな職員がいれば内外問わずすぐさま通報を受けて排除されるのは間違いありません。
結果として餓死という死者まで生み出したとすれば、これは本書が題材とした現実に大阪で起こった事件がそうであったように、即座に世の中から糾弾されるでしょう。
ちょっと調べればわかりますが、大阪の親子餓死事件にしても、そこに至るまでに生活保護を受給したり、停止されたり、減額されたりといった様々なプロセスを経ているのです。そこには現実として、お役所仕事と揶揄されても仕方がないような柔軟性に欠いた対応や、生活保護という制度の持つ問題点が幾つも浮かび上がってきます。
だからこそ、大きな社会問題として世の中に広まったのでしょう。
その非常に重要な部分を本書においては「予算が限られているから組織ぐるみで生活保護を受けさせないように意地悪していた」と大雑把に歪曲してしまいました。
国や行政を諸悪の根源に祭り上げ、担当者はただの操り人形化。
しかもひとたび業務を離れれば誰に聞いても聖人君子。
そんな謎理論がベースになった物語に、説得力が生まれるはずはありません。
付け加えると、主人公格である刑事笘篠は震災で妻子を失っており、彼は「家族を護れなかった自分」と「けいを護れなかった利根」を重ね合わせる事で、利根に対して何度も共感らしき感情を吐露します。
……これもねぇ、津波という不可抗力で失われた命と、明らかな人災で奪われた命を同一視しようとするロジックが完全に破綻してるんですよねぇ。
せめて利根が「もっと早くけいの異変に気付いていたら」等と自身の行動に後悔しているのならともかく、利根はひたすら「塩釜の福祉保険事務所の奴らが憎い」の一辺倒ですし。
『護られなかった者たちへ』というテーマに絡めたかったのでしょうが、こういう作者にだけしか理解できないような謎論理・謎設定って、読んでいて共感するどころか逆に冷めていってしまいます。
『連続殺人鬼カエル男』でも、無差別的に三人が殺されたからと言って暴徒化した市民が警察署に殴り込むという謎展開があったのを、妙に強く思い出しました。
中山七里は、物語の構成にいっぱいいっぱいで、一つ一つの事象に対する整合性や説得力については行き届かない作家さんなのかもしれませんね。
『連続殺人鬼カエル男』で抱いた違和感が払しょくされる事を期待した読書でしたが、かえって違和感を深める結果になってしまったかもしれません。
『総理にされた男』も気にはなっていたのですが、レビューを見るとやはり「リアリティーが欠如している」という指摘が多いようですし。
やはり、僕は距離を置いた方がいい作家さんなのかもしれません。