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『将軍』芥川龍之介

が、自殺する前に――」
 青年は真面目まじめに父の顔を見た。
「写真をとる余裕はなかったようです。」

 

芥川龍之介『将軍』を読みました。

 

一時期青空文庫にはまっていた時期があって、芥川龍之介はよく読んだんですよね。

未だに『地獄変』『鼻』『蜜柑』『芋粥』あたりは本当に面白い作品だと思ってますし、漱石や太宰に興味を持ったという若者には「そんな読みづらいのに手出してもどうせ途中で読むのをやめるようになるから、こっちを読んだ方がいい」と勧めていたりします。

読書感想文にも最適ですよね。なにせ短いですし。

でもこの『将軍』という作品は未読でした。正直、作品名も初めて聞きました。芥川の作品を勧めている人の中にも、本作を挙げている人は少ないんじゃないかな。

 

そんな作品をなぜ今さらかと言うと、『将軍』のタイトルに注目です。

将軍と言えば一般的には徳川なイメージかと思いますが、本作に登場するのはN将軍……しかも時勢は日露戦争の真っただ中。

 

そうです。本作は『坂の上の雲』にも登場したあの乃木希典将軍を描いた作品なのです。

坂の上の雲』を読んで乃木将軍に興味を持ったとすると、やはり手軽に読めるこちらには手を出さずにはいられませんよね。本作もまた、乃木夫妻の殉職によって巻き起こったという乃木文学の一つと言えるのでしょう。

 

それではさっそく内容についてご紹介したいと思います。

 

 

N将軍を描く四つのエピソード

本作は短編なのですが、その中でも4つのエピソードに分けて語られています。

 

『一 白襷隊』

二〇三高地奪還に向けて結成された白襷隊。

彼らは死を覚悟せざるを得ない任務を目の前に、様々な軽口をたたいています。一人 堀尾一等卒だけが、選ばれたのは名誉だの死ぬのが任務だという言葉に不満そうにしています。

そこへ現れたのがN将軍。彼は一人一人の手を握り、「大元気で」と声を掛けて回り、今回の作戦がいかに重要であるかを説いて回ります。

N将軍の激励に感銘を受けた堀尾一等卒は、将軍の握手に報いるため、肉弾になろうと決心するのです。

その後、敵の手りゅう弾によって黒焦げになった味方の死骸が転がり、砲弾が飛び交う中、大笑いする男の姿がありました。よく見ればそれは、頭部に傷を負い気が狂ってしまった堀尾一等卒の姿でした。

 

『二 間牒』

A騎兵旅団(秋山?)の参謀が、小屋の中で捕まえた二人の中国人を取り調べしています。

二人は無罪を主張。そこへやってきたのが、N将軍ら旅団将校でした。

裸にされた中国人を見るなり、N将軍は靴を調べろと言います。靴の中には地図や秘密書類が隠されていました。

処刑を命じられた田口一等卒は二人を外に連れ出しますが、観念したかのような中国人の態度になかなか剣を振るえません。そこへ通りかかった騎兵が、俺にも一人斬らせろと声をあげます。

小屋から出てきたN将軍は「斬れ! 斬れ!」と命じ、一刀両断に斬り捨てた騎兵に「よし。見事だ。」と愉快そうに頷きながら去って行きます。

一部始終を見ていた穂積中佐は、「勲章に埋ずまった人間を見ると、あれだけの勲章を手に入れるには、どのくらい××な事ばかりしたか、それが気になって仕方がない」と身震いするのでした。

『三 陣中の芝居』

軍司令部や外国の観戦武官の中で、芝居が供されます。

しかし一幕目、ふんどし姿の主人と下女が相撲を取る段になった途端、N将軍は「なんだその醜態は!」と怒鳴り、芝居を中断させてしまいます。

何事かと戸惑う外国の観戦武官に、穂積中佐は「将軍は下品な事は嫌いなのです」と説明します。

続く二幕目も、「余興やめ!」と怒鳴るN将軍。男女の相撲ですら黙っていられない将軍にとって、男女の濡れ場などもってのほかでした。

しかし三幕目、強盗を捕まえた巡査が致命傷を負い、介護する署長に「何も心残りなどない」と誇りを告げる愁歎場に至っては、将軍は涙を流して感動します。

将軍は善人だ、と穂積巡査は軽い侮蔑とともに好意も感じるようになります。

 

『四 父と子と』

こちらはぐっと時代が下がって、日露戦争から二十年余り過ぎた頃。

当時の軍参謀中村少佐の下へ、息子がやってきます。

壁の絵を掛け替えた息子に、中村少佐は「N閣下の額だけは懸けて置きたい」と注文します。しかし、息子にはその気持ちが理解できません。

息子が掛けたレムブランドの絵を見ながら、中村少佐は問いかけます。

 

「あれもやはり人格者かい?」
「ええ、偉い画描きです。」
「N閣下などとはどうだろう?」
 青年の顔には当惑の色が浮んだ。
「どうと云っても困りますが、――まあN将軍などよりも、僕等に近い気もちのある人です。」
「閣下のお前がたに遠いと云うのは?」
「何と云えば好いですか?――まあ、こんな点ですね、たとえば今日追悼会のあった、河合と云う男などは、やはり自殺しているのです。が、自殺する前に――」
 青年は真面目まじめに父の顔を見た。
「写真をとる余裕はなかったようです。」
 今度は機嫌の好い少将の眼に、ちらりと当惑の色が浮んだ。

 

結局分かり合えないまま、親子はこの話題を打ち切ります。

 

 

十人十色の乃木将軍

芥川龍之介がどこまで乃木将軍本人の人柄に寄せて書いたのかはわかりませんが、本作では四つのエピソードそれぞれで、違った角度から乃木将軍の人となりを描いています。

特に興味深いのは、『四 父と子』でしょう。

 

明治天皇崩御に際し、乃木夫妻が殉死を遂げた事は、日本中で熱狂の渦を巻き起こしたそうです。

葬儀には何十万人もの人が詰めかけ、その人数は伊藤博文の数倍だったと言われるほど。

後にその死を悼み、日本各地に乃木神社が創設された事でも反響の大きさがうかがい知れます。

 

僕は将軍の自殺した気もちは、幾分かわかるような気がします。しかし写真をとったのはわかりません。まさか死後その写真が、どこの店頭にも飾られる事を、――」

 

上記のような一文からも、当時の熱狂の様子が伝わってきます。

どこの店頭にも、死の直前に撮影された乃木将軍の写真が飾られていたというのです。民衆がどのように乃木将軍の死を捉えていたか、よくわかります。

しかもそれは日露戦争に従軍していた中村少佐らの世代はともかく、その子ども達の世代にはさっぱり理解できない趣向であった、という事実もまた、本作からは垣間見えてくるのです。

 

「それは酷だ。閣下はそんな俗人じゃない。徹頭徹尾至誠の人だ。」
 しかし青年は不相変、顔色も声も落着いていた。
「無論俗人じゃなかったでしょう。至誠の人だった事も想像出来ます。ただその至誠が僕等には、どうもはっきりのみこめないのです。僕等より後の人間には、なおさら通じるとは思われません。……」

 

いやぁ、実に面白いですね。

乃木将軍の殉死と、それによる世間への影響の大きさがひしひしと伝わってきます。

 

読んだ後に、色々と考えさせられる。本当に面白いと思わせてくれます。

まさに僕がイメージする芥川の短編、という印象です。

……とはいえ本作に関しては、『坂の上の雲』を読み、乃木希典の人となりや殉死の経緯等を知らなければ、なんのこっちゃで終わってしまうでしょうけど。

 

そうでないかた、それなりに乃木将軍の事は知ってるよという人には、ぜひぜひおすすめしたい短編でした。