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年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『リリイ・シュシュのすべて』岩井俊二

僕らは待たなければならない。大人になるのを。

けれど、成長には個人差があって、僕はちょっと遅めだったが、星野は早熟だった。

早すぎる成長。脱皮の季節。

けれど、世間は早熟なもののだっびをそう易々と許してくれない。

期限切れのサナギは、学校という繭の中で、じわじわと腐ってゆくしかないのだ。

岩井俊二リリイ・シュシュのすべて』を読みました。

『キリエのうた』の記事に書いた通り、順序としてはあべこべで、たまたま無料公開されていた『リリイ・シュシュのすべて』の映画を観た事が『キリエのうた』を観に行く原動力になったわけなのですが、今回は原作小説について改めてご紹介していきたいと思います。

 

 

小説ではなく掲示

そもそも『リリイ・シュシュのすべて』という作品そのものの成り立ちが非常に実験的なんですよね。

映画よりも小説よりも何よりも先に架空のカリスマ的アーティスト「リリイ・シュシュ」のファンサイト『リリイホリック』をインターネット上に立ちあげる。そこでは管理人はサティ(=岩井俊二)を中心に書き込みが行われていくのですが、興味深いのは、実際に掲示板を覗きに来た人々も書き込む事ができたという点。

そんな風にして今風に言えばユーザー参加型で掲示板を運営しつつ、やがてサティが告白を始める。その告白の中身こそが『リリイ・シュシュのすべて』の映画で描かれている部分……というわけです。

 

じゃあ原作小説はといえば、上記の掲示板のやり取りを一冊の本にまとめたもの。

ですから小説と言いつつ、中身はずっと掲示板の書き込みを追っていくような形式になるのです。

 

 

上は一例ですが、最初から最後までこの調子で物語がつづられていきます。

電車男』によく似たような体裁ですね。

なので『リリイ・シュシュのすべて』の原作小説とは、実際には掲示板形式の小説らしき作品とでも言うべきなのだと思います。

純粋に小説が読みたい、というかたには注意が必要ですね。

 

 

あらすじ

映画では冒頭から少年達の物語が始まりましたが、原作ではまず、映画の中の物語が全て終わった後の時間軸からスタートします。

後に『キャトル事件』と呼ばれる殺人事件が起こり、直後からファンサイト『リリイ・フィリア』は停止。『リリイ・フィリア』の常連であった[サティ]が新たに『リリイ・ホリック』というファンサイトを立ち上げ、常連たちが続々と掲示板へと集まってきます。

最初のうちこそ新たな掲示板の開設を祝福し、リリイについての新着情報を交換し合ったり、新たなメンバーに対してエーテルやリリイの過去について解説したりと、時には互いに衝突しつつも和気あいあいと掲示板は進められていきますが、いつしか彼らの話題は『キャトル事件』へと向かっていきます。

渋谷キャトルで行われたリリィのライブは『リリイ・ホリック』のオフ会を兼ねており、メンバーはそれぞれ目印となるものを身に付けてライブに参加したのでした。

そこで一人の少年が刺殺される殺人事件が起こり、その後『リリイ・フィリア』は閉鎖。新たに立ち上げた『リリイ・ホリック』にも元管理人の[フィリア]はもちろん、[青猫]や[パスカル]といった元常連も姿を現しません。

もしかすると、殺された少年は『リリイ・ホリック』に参加していたメンバーのうちの一人だったのでは……という疑問が浮上したところで、突如[パスカル]が登場。[パスカル]は殺されたのは[青猫]だと推理します。

しかしここで、新たな謎が発覚します。[青猫]の目印は青りんごでしたが、渋谷キャトルのライブに参加していたメンバーたちの間で、当日見たという[青猫]の人物像が異なるのです。

ある人は死亡した少年に似ていたと言い、またある人は死亡した少年とは似ても似つかなかったと言う。

一体殺されたのは誰で、殺したのは誰なのか。

 

 

十角館の殺人』?

驚く事に原作版『リリイ・シュシュのすべて』。体裁としては掲示板仕立てであり、厳密な意味での小説ではないと書きましたが、実によくできた推理小説なんですよね。

本名とユーザー名。

現実と掲示板。

殺された星野は誰なのか。殺したのは誰なのか。

それぞれの狭間で謎が混迷を深める様子は、まるで『十角館の殺人』を彷彿とさせます。

 

後半からは[サティ]の告白が始まり、その内容こそが映画『リリイ・シュシュのすべて』で描かれた内容だという事は前述しましたが、原作作中においては推理小説における解答部分であるとも言えます。

犯人が罪を認め、事件の一部始終について告白する、という部分ですね。

もちろん先に映画を映画を観た人からすると答えは明白なのですが、面白いのは『キリエのうた』同様、『リリイ・シュシュのすべて』については映画とは相違があったり、映画で描かれなかった部分も少なからずあるという点。

全体としてボヤっとした印象のある『リリイ・シュシュのすべて』ですが、原作を読む事でより細部が鮮明になってきましたので、幾つか重要な点だけでも記していきたいと思います。

 

 

映画との相違点

①死ぬのは津田詩織ではなく久野陽子

有名な話なので詳細は省きますが、原作では久野が自殺します。しかし実際撮影段階に入ると、岩井監督的に「どうも伊藤歩の演じる久野は死にそうにないな。この子は強そうだ。むしろ蒼井優の演じる津田のほうが衝動的に死を選びそう」と思いなおしたそうです。

 

②星野が泣く場面を蓮見と津田が目撃

映画にはないシーンとして、原作では蓮見と津田が、街中で泣く星野をたまたま目撃するシーンがあります。

携帯で喋っていた星野は電話を切り、ぐるぐると落ち着かない様子で歩き回り、うろたえながら涙を流していたのです。

その日は久野が自ら命を絶った日でした。

星野と久野の間で何らかの――恐らく津田同様、援助交際を強制するような――やり取りがあったものの、久野は星野に従わず、自死を選んだ。そしてそれは、星野にとってあまりにも受け入れがたい事態だったのでしょう。

なかなかうかがい知る事のできない星野の内面の葛藤を表す非常に象徴的なシーンなのですが、映画版では①の変更とともに無くなってしまったのでしょうね。その代わりでしょうか。映画版では、津田の死後、田んぼで一人慟哭する星野の姿が描かれています。

 

③星野の没落

映画版に比べると、小説版では星野の人物像がより細やかに描かれています。

援助交際を強いられているのは津田詩織以外にも複数人おり、星野はそれらを牛耳る『スターカンパニー』の「社長」と呼ばれています。被害者は生徒だけでなく、教師にも星野の手により辞職に追い込まれた者もいます。映画に比べるとかなり悪質な悪行三昧であった事がわかります。

しかし久野の自殺によりそれまで星野に従っていたとりまき達は離れ、『スターカンパニー』も崩壊。何事もなかったように陸上部(映画では県道)に復帰する星野に怒りを覚える蓮見の心境が描かれます。

 

④教師たちのポンコツぶり

小説版では星野の悪行ぶりも酷いのですが、それに輪を掛けて酷いのが教師たちのポンコツぶりです。担任の小山内は生徒からのいじめを受けたために、強い者に媚び、いじめに加担する側に回り、一層に事なかれ主義教師に。体育教師の瀬田はスタンガンを携帯し、罰と称しては生徒達に電気ショックを浴びせますが、星野の復讐に遭ってからは威厳を失い、むしろ生徒に媚びたものの、結局辞職に追い込まれます。

星野一人ではなく、彼らの通う学校そのものが腐敗しきっている事がわかります。

 

⑤事件後の蓮見

映画版のラストは、蓮見と担任の小山内の間で成績が落ちている事について面談する他愛もないシーンで終わります。その時の蓮見の様子は、どこか夢うつつなような、ふわふわした印象です。対して原作小説のラストは、キャトル事件において星野を刺し殺した直後に終わります。しかし映画のように抜け殻になったような様子はなく、むしろ星野からの自由を自らの手で勝ち取り、喜びに打ち震えているようにすら見えます。

 

エーテルが静かにあたりに立ちこめているのを感じる。ようやく本物の世界が帰って来た。リリイもきっと喜んでくれているだろう。

ふと思い出して僕は袖を捲り上げて自分の左腕を見た。

腕の傷は、すっかり乾いていた。僕はその傷を舐め、リリイを口ずさみながら渋谷駅に向かった。

 

 

原作を読み終え、あらためてリリイ・シュシュの感想

面白いもので、原作小説を読んでみると映画版の『リリイ・シュシュのすべて』の印象も変わってきます。

やはり一番大きな違いは、星野の内面の動きでしょうか。

映画版では、沖縄旅行で死の縁を経験したことから、急に人格が豹変したように描かれています。その後、終盤に父親の会社が倒産し、一家離散という悲しい事件があった事にも触れられますが、星野自身の心の機微までははっきり言って窺い知る事ができませんでした。

 

しかし原作を読んでみると、小学校時代イジメを経験し、そこから沖縄旅行を経て星野が屈折していく様子が見えてきたように思います。歪み具合も、小説版ではさらにエグさを増しています。だからこそ、久野の死によって星野が苦しむ様子も、仲間に見捨てられ没落していく様子も、より傷みが増して感じられるようです。

星野の所業は許されるものではないのですが、彼は彼なりに、心に深い傷を負っていたんですよね。なんとか抜け出そうともがいてもがいてもがき苦しんだ結果が、「スターカンパニー」やイジメだったわけで。悪の所業を繰り返している裏で、星野もまたエーテルを必要とし、リリイに縋るような毎日を送っていたわけです。

 

星野も、蓮見も、久野も、津田も、他のクラスメートも教師達も、誰一人として幸せにならない暗くて陰鬱な作品。でも妙に心惹かれてしまう。本当に不思議な作品です。

最初から最後までずっとグレーで塗りつぶされたような暗い作品だからこそ、蓮見と津田の食事シーンで交わされる

 

「そんなに言うんだったらあんたが守ってよ」

 

の一言が丸善の本の中にポツンと置かれた檸檬よりも色鮮やかに輝いて見えたり。

 

岩井俊二、やっぱり刺さるなぁ。

もう一回『スワロウテイル』でも見て見ようかな。