「保志! しっかりしろ」
「……はい」
返事は弱々しい。保志の唇を雨が伝った。血の色は失せて白い。
「名前、名前、言ってみろ」
「保志……芳雄」
「何歳だ?」
「十六歳」
「今、どこにいるかわかるか?」
「……」
「どうした? 今どこにいるんだ。何してるんだ」
「わがんね」
「山にいるんだよ。しっかりしろ」
平山三男『疲労凍死/天幕の話』を読みました。
こちらは登山関連の作品を中心に出版する山と渓谷社の、「山溪叢書」というシリーズ第4巻となっています。
本作は以前にも読んだ事があったのですが、先日登山に行っている中で、本書で描かれている白河高校山岳部の遭難事件について話題となり、久しぶりに読み返してみようと思って次第です。
それでは早速、内容についてご紹介しましょう。
昭和史に残る高校生の大量遭難死事件
時は1955年5月末。白河高校山岳部の一団は、甲子温泉を出発し、那須連山の最高峰・三本槍岳へと向かっていました。
同ルートは生徒達にとっては地元も地元で、慣れ親しんだ登山道なのですが、7月に開催される福島県体育連盟主催の山岳協議の舞台に選ばれた事から、泊まりがけでの合宿にやってきたのでした。
普段であればほとんど雪などない時期なのですが、大雪の影響で山上は分厚い積雪に覆われていました。
さらに当時の精度の低い天気予報と、天気図の読み取りの甘さも重なり、山岳部は酷い雨風と視界を奪うガスに襲われる事になります。
何度も進退に迷いますが、その都度、彼らは前進を選択します。
部員の自主性を重んじていた顧問の篠原も、あえて口を挟もうとはしません。
彼らがようやく撤退を決めたのは、須立山を越え、三本槍岳に目の前まで迫った鏡ヶ沼分岐での事でした。
既に寒さに震える一年生を庇いながら、懸命に山を下る面々でしたが、ガスと風雨に惑わされ、ルートを外れてしまいます。降りしきる雨により自分達の足跡すらすぐに見分けがつかなくなり、戻る道すら見失うという最悪の事態に陥ってしまうのです。
部長の平田と村木は、自らルート探索に名乗りをあげます。迷いの末、顧問の篠原は彼らの意志を尊重しますが、二人は正規のルートを見つけるどころか、ルートを越えて反対側の山の中へと迷い込んでしまいます。
戻って来ない二人に失敗を悟った篠原は、続いて佐藤と金子という二人の三年生に、先に下山して救助を要請するよう命じます。しかしこの二人もルートを誤り、佐藤に至っては斜面を滑落して足に怪我を負ってしまいます。残った金子もまた藪の中で力尽きてしまうのでした。
その頃、顧問の篠原率いる本隊は、雨風を凌げる場所で救助を待とうと樹林帯のある坊主沼を目指していました。衰弱の著しい一年生一人に対し、三年生が介助するという二人三脚。その三年生もまた、体力の大部分を失いつつありました。
その少し手前で村木と再会した篠原は、間もなく雪の上に倒れている平田を発見します。部長の平田は、既に息絶えているのでした。
平田の死に面した篠原は、残った生徒達に坊主沼でビバークするよう命じ、自らたった一人、救助を求めに下山を決断します。
意識朦朧としながら麓の大黒屋旅館までたどり着いた篠原を、宿の主人である久野らが介抱します。久野らの通報により、地元警察や消防団、山岳会などが救助活動にやってきたのは翌朝でした。
そんな中、久野は一足先に生徒達の救援に山へと向かいます。
甲子山へと向かう途中、前方から二人で支え合うようにしてやってくる生徒二人を発見。彼らは篠原の命令も忘れ、ただ必死に自分の力で下山してきたのでした。彼らを励まし、さらに奥へと向かう久野の前に同じように二人、さらに身を寄せ合うようにして蹲る四人を発見します。
早くも八人の無事を確認し、少し安堵する久野でしたが……坊主沼にたどり着いたところで、茂みの中から虫の息の少年を発見します。彼の近くには、「佐藤」と書かれたザックが落ちていました。坊主沼の氷の上にも、動かない二つの人影を発見しますが、久野はまだ生きている少年を救う事を先決とし、彼を背負って戻り始めます。
その後、やってきた救援隊は坊主沼で二人の少年を発見。さらに近くの藪から、もう二人の少年を発見します。いずれも体温が30°を下回るという酷い低体温症を見て、医師はその場で救命措置を取るよう命じます。
火を焚き、ありったけの毛布や消防団の法被などを被せ、それでも足りないとみるや、消防団は自分も裸になり、自らの体温でもって氷のように冷たくなった少年らの身体を温めようと苦心します。
そんなさ中、医師の下へ佐藤と平田の亡骸が届きます。二人はすでに、息絶えた状態で発見されたのでした。
やがて介護の甲斐なく、四人の少年たちも後を追うようにして死亡。15名の高校生のうち、実に6人が亡くなるという大惨事を起こしてしまうのでした。
運命のイタズラ
本書では実際に死の淵を彷徨う少年達だけではなく、彼らの遭難を聞き、大黒屋旅館へと駆け付けた家族らの姿も描かれます。
無事助かったのが自分の子どもだと知り、喜ぶ家族の姿には感動しかありません。旅館の風呂で、息子の背を温かい湯で流しながら「良かったなぁ、良かったなぁ」と繰り返し涙を流す父親の姿には、胸に迫るものがあります。
家族らは互いに「良かったね」と喜びを分かち合いつつ、一方、自分の子がなかなか帰って来ない事に焦燥し、不安を募らせます。
最初のうちこそ、救助隊の伝令が走ってくる度に歓声で湧き上がりますが、いつしか一転、重い空気が漂うようになります。
保護者の控室に、鎮痛な面持ちでやってくる主任教師の有山。彼が自分の目の前に立ち止まり、頭を下げた瞬間、我が子の死を悟った家族は泣き崩れます。そんな光景が、何度も何度も繰り返されるのです。
無事を願う家族に対し、訃報を告げにいく教師。あまりにも辛く、苦しい場面です。
そんな中、運命のイタズラとしか言いようのない一つの不幸が起こります。
久野により救出された少年が一人いる事は、途中で出会った救助隊の伝令により、一足先に本部へと伝えらえます。久野はザックに残された名から、自分が背負う少年は「佐藤」だと思い込んでしました。
しかしそれは、実際には「金子」だったのです。
佐藤の両親は、救出されたという息子の下へと駆け寄ります。ところがそれは、別の少年でした。
喜んだのは「金子」の両親です。まるで消息が分からなかった自分の息子が、不意に救出されてきたのでした。
一方、佐藤の両親は喜び一転、不安に苛まれます。実際にその時、佐藤は既に亡くなっていたのです。
「金子」の側に「佐藤」のザックが落ちていたという偶然が招いた、運命のイタズラとしか言いようのない不幸な出来事でした。
私の息子を、返せー
本作のラストは、遺された平田の母を描いて終わります。
戦争で夫を亡くし、女手一つで平田を育ててきた母は、平田の死を告げられても動じる事なく、気品に満ち溢れた女性であるかのように周囲に思われていました。
しかし実際には、衝撃のあまり現実を受け止められていなかっただけだったのです。
息子の葬儀を終えた後、平田の母は一人、夢遊病患者のようにふらふらと町の中を歩みます。
顧問である篠原の家の前までたどり着き、声を張り上げるのです。
「か・え・せぇー わたしの息子を、返えせー。剛を返せー!」
なんともやるせない姿ですが、これは実際にあった話として、著者が伝え聞いた話だそうです。
遺族が夜な夜な引率教諭の家を訪ね、「私の息子を返せー」と叫び続けたのだと。
話が脱線しますが、同じ山域では、2017年に春山登山講習会に参加していた高校の生徒や引率教員らが雪崩に巻き込まれ生徒7人と引率教員1人の計8人が死亡する、という痛ましい事故が起きました。
この雪崩事故では引率教員らの責任が問われ、裁判へと発展していました。
つい先日、ようやく地裁にて賠償命令の判決が下されたところです。
引率の任にあった以上、責任は免れないとはいえ、なんともやるせない結果ですね。
本作は実際の事故を下敷きに、ドキュメンタリータッチでありながら、実によくできた小説として描かれています。
登場人物一人一人の細かな心情まで描かれているのは、小説ならではといえるでしょう。そのため、事故の悲惨さ、痛ましさをノンフィクションよりもかえって鮮明に浮かび上がらせる事に成功しています。
同じく山に登る人間として、子を持つ親として、実に様々な角度から考えされられる良書です。
未読の方は、ぜひ一度お読みになる事をオススメします。
『天幕の話』
……と、ついつい『疲労凍死』の話に終始して終わってしまいがちですが、一緒に収録された『天幕の話』もなかなかのもの。
極寒の山に設営した天幕(=テント)の中で、橋本と桃井という二人の男が、冬山で起こった数々の事故について話す物語です。
穏やかで光溢れる未来を前に、無念の死を遂げる人々の様子が描かれています。
霊にまつわるような、ちょっとオカルトチックな面もあるのも、山の話としては面白いところ。
とはいえこちらもまた『疲労凍死』同様胸を締め付けられずにはいられません。
終盤にはただの山岳小説では終わらせない仕掛けも用意されていたりするので、ぜひ最後まで読み切ってくださいね。