「ねえ樹里、はじめたら、もうずっと終わらないの。そうしてもうあなたははじめたんでしょ。決めたときにはもう、はじまってる。悩んでる場合じゃないわよ」
角田光代『ひそやかな花園』を読みました。
角田光代といえば、当ブログにおいても既に5冊をご紹介しているという、僕にとっては大好きな作家の一人。
特に『八日目の蝉』を読み、映画版を観た際の衝撃というのは未だ冷めやらぬ興奮として残っており、さらにここ最近では『愛がなんだ』の原作小説と映画が良すぎて、主演女優である岸井ゆきのにもハマってしまい……などという角田作品とのエピソードについては過去記事にもさんざん書いてきましたので、割愛させていただきます。
さて、本作。
何をさておき、まずは公式のあらすじを引用させていただきます。
幼い頃、毎年サマーキャンプで一緒に過ごしていた7人。
輝く夏の思い出は誰にとっても大切な記憶だった。
しかし、いつしか彼らは疑問を抱くようになる。
「あの集まりはいったい何だったのか?」
別々の人生を歩んでいた彼らに、突如突きつけられた衝撃の事実。
大人たちの〈秘密〉を知った彼らは、自分という森を彷徨い始める――。
ヤバくないですか?
『八日目の蝉』における宗教団体でのエピソードや、スティーブン・キング的な暗さを彷彿とさせ、これだけ読んでも絶対面白いって確信しちゃいますよね?
ましてや作者はあの角田光代。
今まで気づかなかったのがもったいないぐらい、興味をそそられます。
早速、内容についてご紹介していきましょう。
7人の少年少女たちの断片的な記憶
冒頭から、子どもたちのおぼろげな、しかしキラキラとしたキャンプの記憶が断片的に語られます。
彼らはそこで初めて会った子どもたちと、川で泳いだり、バーベキューをしたり、出しものをしたりと、楽しいひと時を過ごしたのです。
一年に一度だけ、夏休みに突然訪れるその非日常的なイベントは、子どもたちにとって特別な体験でした。
しかしある日突然、キャンプはなくなってしまいます。
夏休みに入り、その日がくるのを今か今かと待ち続けていたにも関わらず、とうとうキャンプは実施されないまま、夏休みは終わってしまうのでした。
そのまま二度とキャンプは実施されず、彼らは大人になってしまいます。
そして描かれる、大人になった彼らの姿――。
いじめられっ子として卑屈な人生を送る者。
親を失くし、一人ぼっちを紛らわせるためにと次々と家出少女を泊める者。
ミュージシャンとして名を馳せるものの失明の可能性を伴う難病に苦しむ者。
突如豹変する夫との関係に悩む者。
不妊に悩む者。
ひゅんなことから彼らは互いの存在を知り、一人、また一人と再び繋がりを取り戻していきます。
そしてあのキャンプに隠されていた衝撃の事実へとたどり着くのです。
物足りない
……で、キモとなるのはやはり「衝撃の事実」の部分ですよね。
これがまぁ正直、物足りないという感想になるわけです。
『八日目の蝉』の影響もありますが、一番想像しやすいのは「宗教の集まりだった」という結論。
親たちは信者同士で、しかもオウム真理教をオマージュしていたりなんかしたら展開としては滅茶苦茶盛り上がっちゃいますよね。
遺された子どもたちは、あの事件で逮捕された幹部たちの子どもだった……しかし当人たちはそのことを知らない、とか。
子どもたち目線で語られる序盤からは親たちの考えや関係性が全く掴めないせいで、読者側の妄想がどんどん膨らませられてしまいます。
その意味では角田光代、やっぱり滅茶苦茶腕のいい作家さん。
ただ繰り返しになりますが、残念なのは着地。
衝撃の事実って、そっち???と完全に肩透かしを食った気分になってしまいました。
自分のルーツを探るという観点で掘り下げると、なかなか面白い題材だとは思うんですが……父とは、親とは、といったテーマを描くとするならば是枝裕和監督の『そして父になる』の方がストレートに胸に響いたかな、と。
再会した七人が期待通り慣れ合わないどころか余所余所しかったり、一向に距離が縮まらないどころか広がる一方だったり、という人物模様も生々しくて面白いのですが……そのせいで、衝撃の事実を受け止めた後の展開が散逸的になってしまった印象を受けました。
七人それぞれが期待するところも、受け止め方も、その先に望むものも違い過ぎて、てんでバラバラに物語が進んでいった、という感覚。
子どもの頃のほんの短い時間を一緒に過ごしただけなんだから、他人で当たり前。足並みそろわなくて当たり前なのは生々しいんですけど、小説である以上、そこに七人が手を取り合えるような共通の目的を見出して欲しかったと思います。
あとは一応、補足として本作に関するインタビュー記事のリンクを載せておきます。
短いですが、本作に関してはこんなところで。