そこに山があるからじゃない。ここに、おれがいるからだ。
ここにおれがいるから、山に登るんだよ
僕は実は山登りも好きで、月に1、2度登山に出かけたりします。
と言ってもここに出てくるような危険な山ではなく、せいぜい2,000m級の山ですが。
なので一時期は「山岳小説」というジャンルを色々と探してみた時期がありました。
必ずと言って良いほど出てくるのがこの『神々の山嶺』。
他には新田次郎『孤高の人』、井上靖『氷壁』と並んで山岳小説のベスト3と読んでも過言ではないぐらい有名な作品かと思います。
ところが僕の場合、後の2つについては既に読んでいましたが、『神々の山嶺』だけは未読だったんですね。
というのも、上に書いた通り登る山って日本国内の、しかも低めの山ばかりですから。
エヴェレストとかK2とか外国の8,000m級の山が舞台になってしまうと、なんか世界が違い過ぎる気がして敬遠していたんです。
今回、ようやく満を持して読む事が出来ました。
G・マロニーとは
そこに山があるからだ
登山に興味が無い方も、一度は耳にした事があろうかと思います。
「どうして山に登るんですか?」という質問に対して答えたという登山家の言葉。
その言葉の主こそ、本作で重要な役割を果たすジョージ・マロニーなのです。
※実際には「なぜあなたはエベレストに登りたいのですか(Why did you want to climb Mount Everest?)」という記者の質問に「そこにそれがあるから(Because it's there.)」と応えたのが上記の形に翻訳されてしまったそうですが。
物語の冒頭は、まさにマロニーとパートナーであるアーヴィンが1924年の第3次遠征隊の一員としてエヴェレストの頂上を目指すところから始まります。
パーティの一員であるオデールは第五キャンプから第六キャンプに移動する道中、二人がエヴェレストの山頂近くまで上っているのを見ますが、すぐに雲に阻まれて見失ってしまいます。マロニーとアーヴィンはそのまま帰らぬ人へ。
当時はまだエヴェレストの登頂が誰にも果たされず、各国が争うようにこぞって遠征隊を送っていた時代。マロニーとアーヴィンが登頂を果たしたか否かは謎に包まれたままとなってしまったのです。
キーワードは「マロニーのカメラ」
そこから舞台は一気に1995年まで飛びます。
遠征隊の一員としてエヴェレストに挑み、仲間を2人失った末に敗れ、下山してきたカメラマンの深町は、カトマンドゥの中古登山用具店で一つの古びたカメラを見つけます。
これこそが事件の始まり。
カメラの機種から、カメラマンである深町は一つの推測にたどり着きます。
もしこのカメラが――
深町は、登山用具店で手に入れたカメラを手にとった。
これがもし、本当にマロニーのカメラであったら――
このカメラこそ、マロニー自身が持参して登ったものかもしれない。
カメラの中に収められている写真によっては、マロニーたちが登頂を果たしたか否か、長年世界中で論争を呼んできた謎に一つの答えをもたらすものかもしれない。
ところが深町の言動を不思議に思った店主をはじめとする怪しい人間たちに、いつの間にかカメラは盗まれてしまいます。そこに現れたのが、「ビカール・サン(=毒蛇)」という異名を持つ謎の男。
深町は男が数年前から消息を絶っていた孤高の登山家、羽生丈二だと気づきます。
そしてどうやら羽生はカメラに関係しているらしい。
いや、もしかしたら羽生こそがカメラを見つけ出した張本人なのでは?
孤高の登山家 羽生丈二
羽生は国内で誰も登ったことのな八ヶ岳の難所をパートナーとともに登り、一躍世の中に名前を知られることになった登山家。
しかし当時のパートナーですら「二度とザイルは組まない」と言ってのける程、孤立した存在。
仕事も生活も全てを山に捧げ、周囲との協調性もほとんどありません。
弟子のようなパートナーを滑落死させてしまったり、エヴェレスト遠征の際に「自分が一番じゃないならやらない」と途中で投げ出し、日本の登山界からは忌み嫌われてしまっています。
その彼の前には、常に長谷常雄という一人の登山家が常に見え隠れします。
羽生がパートナーと登った谷川岳の鬼スラを単独で登り、それを聞いた羽生は同じく鬼スラを単独で。
羽生が大怪我を負い、奇跡の生還を果たしたグランドジョラスで彼を救ったのも、後から登ってきた長谷でした。
羽生が投げ出したエヴェレスト遠征では、長谷は違う組として見事エヴェレスト登頂を果たしています。
そんな長谷も、K2の冬季単独登頂を目指した結果、雪崩によってあっさり命を落としてしまいました。
深町、再度ネパールへ
日本へ戻り、羽生丈二について調査を続けた深町の元に、一人の女性が現れます。
滑落死した羽生の弟子である岸文太郎の妹、涼子。
文太郎を死なせた償いのつもりか、羽生は涼子に慰謝料を送り続けていたのです。
それだけではなく、羽生の恋人でもあるのでした。
しかし数年前から送金も途絶え、音信不通になっていると知ります。
深町は再度ネパールに渡ります。
表向きには「消えたマロニーのカメラ」を追うという口実ですが、それと同時にキーマンである羽生丈二も追い続けます。
再びカメラを巡り二転三転、駆けつけた涼子が誘拐されたりといった事件へと発展しますが、無事カメラは羽生の手元へと戻ります。
そのさ中、深町と涼子は羽生が現地に妻と子を持っている事、さらに、エヴェレスト冬季南西壁に単独無酸素で挑もうという前人未到の挑戦を計画していると知ります。
深町は羽生とともに、エヴェレストへ
失意の涼子とともに一旦は日本へ帰ろうとする深町でしたが、気を取り直してネパールへと戻ります。
深町は羽生の挑戦を見届ける為に、彼とともにエヴェレストに登ることを決意。
一切助け合わないことを条件に、二人はエヴェレスト南西壁へと望みます。
そしてここから舞台は本格的に山岳小説として、厳しい自然との戦いへと移って行きます。
正直なところ、冒頭以降は山登りの下りが意外と少ないんですよね。
ここからはクライマックスへと入っていきますので、あらすじはこの辺りまでにしておきましょう。
雑感など
「中盤がダレる」「冗長」などと噂には聞いていましたので覚悟はしていましたが、やはり中盤はちょっと退屈感が否めません。
- 孤高の登山家羽生丈二の生き様
- マロニーのカメラの行方
という2つのテーマが混在しているせいかもしれませんが、どうにもカメラの下りが邪魔をしてしまっている気がします。
羽生のこれまでの人生やエヴェレストへの想いについてようやく分かってきて、感情移入し始めた頃に、カメラを追って盗賊紛いの悪者とのやり取りが始まってしまったり……。
正直もうカメラはどうでもいいから。それより羽生どうなった?
と文句を言いたくなってしまいます。
あとがきで夢枕獏は
すべて書きました。
残ったものはありません。
と述べていますから、本当に書きたいシーンを全て入れ込んでしまったのでしょうね。
しかしながら羽生の関わるターンは本当に秀逸です。
羽生って基本的に寡黙なんです。台詞が少ない。にも関わらず、周囲の人間の証言や遺したメモ等によって、羽生という人間の事がよくわかった気になり、最終的には大いに感情移入してしまいます。
ここがすごいですよね。
最終的には深町もまた、エヴェレストに単独無酸素で挑戦するんですが……本来はカメラマンであり、登山パーティの中でもサブメンバーのような扱いだったはずの彼がどうしてそんな行動に駆り立てられてしまうのか。
そんな心情の変化も素直に納得させられてしまいました。
(おまけ)ネタとして有名?
その中で、某掲示板やTwitter等で度々ネタとして取り上げられるのが下記のシーン。
「何度も雪を足しながら、湯を沸かし、砂糖のたっぷり入った厚い紅茶を淹れ、それを飲む。
一日に、三リットル余りの水分を、それで摂る。
ビスケットを五枚。
茹でたジャガイモを幾つか。
チーズをひときれ。
一日に、林檎を一個齧る。
一日に摂取すべき水の量は、基本的に、ひとりあたり四リットルをベースとする。血液中の水分濃度を、標準値に近く保つためには、それだけの量の水を飲まねばならない。
黙々と質素な食事を口に運ぶシーンが、「グルメ漫画じゃねえか」などと度々話題にされています。
僕は先に“ネタ”の方を知っていたので、実際に本文中に同じシーンを見つけた際、原作の空気感がほぼそのまま漫画に表現されている事に思わず感心してしまいました。
逆に言うと漫画はこういった食事シーンしか見たことがないので、他の場面についてはどんな風に描かれているかも気になります。
山岳小説の紹介
最後に、冒頭にも出てきた代表的な山岳小説のリンクを残しておきます。
興味のある方、未読の方はぜひ手にとってみてくださいね。
実在した単独行の第一人者加藤文太郎を書いた本です。
山岳小説ではNo,1と言っても良いのではないでしょうか?
1955年に実際に起きたナイロンザイル切断事件をモデルにしています。
ラストは本作ともかぶるなんとも言えない感慨を抱かせます。
著者が上毛新聞記者時代に遭遇した日本航空123便墜落事故を題材としています。
山岳小説というより、当時の新聞社や世相を抱いた社会派小説と呼べるかもしれません。