「ものを食うのは、せんじつめてゆくと、口や舌でなく、魂が食うのだ。口や舌はごまかせても、魂はごまかせない。真心のこもった食べ物は、だから何ともいえぬ味がある」
集英社文庫版で上下巻の二冊組です。
少し前に佐藤健主演でドラマ化されていたのが記憶に残っていて、最近の作品だと思い込んでいたところ、空けてびっくり。
なんとドラマ化は三度目だったんですね。
初回のドラマは堺正章主演でなんと1980年の放送。
僕はまだ生まれてもいない時代。
更に1993年の高嶋政伸版を挟み、佐藤健版は2015年で三度目のドラマ化。
時代を経てもそれだけ色あせない魅力にあふれる作品なんですね。
問題児・秋沢篤蔵
本作の主人公は大正期から昭和期にかけて宮内省で主厨長を務めた料理人、秋沢篤蔵。
名前をはじめ、細部はフィクションという事で若干変えていますが、実在した秋山徳蔵がモデルとされています。
福井県越前市で生まれ育った篤蔵は生まれながらのわんぱく小僧。
背は人より低いけれど、短気で腕っぷしが強くて有名。
そんな篤蔵は十歳にして自ら「坊主になりたい」と言いだし、家族の度肝を抜きます。
本人の意志を尊重しようという両親の想いにより、一旦は寺へ入る篤蔵でしたが、悪戯が過ぎると即座に破門。
その後もよその商家に養子に出されたりしますが、一度目は両家の都合により破談に。
二度目は妻まで娶っておきながら、鯖江連隊の田辺軍曹から教えてもらったカツレツをはじめとする洋食の味に魅了され、料理人を志してたった一人家出をして東京に出る始末。嫁にも義理の両親にも何も告げずに失踪するという鬼畜ぶりです。
東京では兄の伝手から華族会館で働き始め、順調に職場にも仕事にも慣れてきたように思えますが、ずる休みをしてよそのレストランに修行に出たりしていたのがバレ、上司に追及されたところ逆ギレして暴行と、若い頃は手のつけられない問題児でした。
その後小さなレストランバンザイ軒で働き出しますが、ここも客と口論になってクビに。
失敗を重ね、一旦戻った郷里で病に伏せる兄から説教を受け、再び上京。
今度は華族会館に並び当時を代表するレストランである精養軒で働き始めます。
ここではグラン・シェフである西尾がフランス修業時代から書き溜めた虎の巻とも呼べるノートを盗み出すという暴挙を働きます。当然大騒ぎになり、こっそり処分する事も脳裏を過りますが、ノートを作り上げるまでの西尾シェフの苦心を思い、篤蔵は正直に名乗り出るのです。
西尾シェフは一緒にしまっておいたお金には目もくれず、さらに正直に名乗り出てくれた篤蔵の素直さに感心し、誰にも内緒にしたまま水に流してくれるという有名なエピソードです。
……とまぁ、ここまでが上巻のエピソードなんですが。
秋沢篤蔵、かなりの悪人ですね。
嫁を置いて勝手に東京に出てしまう下りなんて、およそ正気の沙汰とは思えません。
その後可愛いお嫁さんは一度は東京にやって来るのですが……その後篤蔵のとった行動もなかなかの噴飯もの。
そんなわけで、正直なところ上巻は篤蔵の幼少時代から下積み時代が描かれているのですが、読んでいて気持ち良いものではありません。
どこまでが現実でどこまでが架空の話か、線引きは定かではありませんが、確かにこれは秋山徳蔵名義のノンフィクションとして出すわけにはいきませんよね。
後半は一転、フランスへ
精養軒の料理長西尾に影響された篤蔵はフランス行きを決意します。
そこからは一転、華やかなフランス料理界へと舞台が変わるのです。
篤蔵が修行した店もオテル・マジェスティックからはじまり、カフェ・ド・パリ、オテル・リッツと今でも通用するような名だたる名店ばかり。
リッツといえば料理界の王様ことオーギュスト・エスコフィエのお膝元でもあります。
現代のフランス料理の礎を築いたと言われるエスコフィエの元で働いていたなんて……初めて知った僕にとっては大変な驚きでした。
また、有名な三ツ星レストランであるトゥール・ダルジャンへ行き、鴨を食べる一幕も。
フランス料理の輝かしい黄金時代の真っ最中である事に、本当に驚きを隠せません。
上巻があまりぱっとしなかっただけに、下巻に入ってからの展開には驚くばかりです。
そして、日本人で唯一「料理の修行のためにフランスへ渡った」第一人者でもある篤蔵は大使館から宮内省でのシェフの座を打診されます。
越前の暴れん坊が遂に天皇の料理番となる日が来たのです。
天皇の料理番としての日々
当時はまだ日露戦争が終わったばかり。
パリにいる篤蔵の元に、明治天皇崩御の一報が届いた時、篤蔵は一目もはばからず涙を流し、しばらくの間塞ぎ込んでしまい、周囲の同僚たちからは驚きの目で見られたと言います。
そんな時代を生きる篤蔵でしたから、他の著名なレストランやホテルからの打診や金銭上での誘惑には目もかけず、宮内省入りを決意します。
フランス仕込みのシェフという肩書があれば、望むだけの報酬が手に入った時代です。
篤蔵は金よりも「天皇の料理番」としての誇りを選んだのです。
今とは天皇に対する意識も違いますね。
天皇が日々口にする食事を準備するのが篤蔵の仕事ですが、時には英国の陸軍少将や幕僚を招いた食事会を手掛けたりもします。
その内容というのがとにかく贅を尽くしたもの。
戦前の皇室がいかに裕福な暮らしぶりだったかをうかがい知る事ができます。
第一次世界大戦後には皇太子さまのヨーロッパ親善旅行に同行し、バッキンガム宮殿での晩餐会の裏側に潜入する一幕も。
篤蔵を通しイギリス王宮の晩餐会の荘厳さや日本とは異なるシェフの気さくさに触れ、文化の差を鮮やかに描き出しています。
第二次世界大戦以後は、食糧難や占領下での生活、以前と比べ質素な暮らし等、皇室にも大きな変化が訪れますが、その長い長い時代を秋山篤蔵は「天皇の料理番」として過ごしてきたのです。
単なる料理小説ではなく、戦前戦後の昭和の時代や空気感、天皇に対する思想等の面からも、学びの多い本と言えるでしょう。
僕の心の書『陰翳礼讃』
しかしどうしてまた本書に魅了されてしまったのかというと、僕は一時期フランス料理に興味を持って勉強していた時期があります。
当時からバイブルとして繰り返し何度も読んだのが海老沢泰久の『陰翳礼讃』。
辻調理師専門学校の創始者であり、日本にフランス料理を広めた第一人者である辻静雄の半生を描く伝記小説です。
辻静雄が本場フランスに渡り、本書にも出てきたようなトゥール・ダルジャンやカフェ・ド・パリ、さらにはピラミッドやマキシムといった著名な三ツ星料理のレストランを食べ歩き、シェフやマダムたちと親交を深める様子がこれでもかと書かれています。
日本におけるフランス料理の黎明期に彼が残した功績と合わせて、見た事もない勾玉の料理の数々をリアルな筆致で楽しめる本でもあります。
これ以外に辻静雄本人も料理やワイン、フランス文化についての沢山の本を記しており、一時期は夢中になって読み漁ったものでした。
そんなわけで僕の中では「日本にフランス料理を広めた人=辻静雄」であって、それ以前のフランス料理は「フランス料理を真似た欧風料理(今でいう洋食みたいなもの)」と一人合点していたのですが、辻静雄よりも先にフランスに渡って料理の勉強(しかもエスコフィエの下で!)をしていた人間がいたという事実に本当に驚かされました。
しかもよくよく調べてみると、 秋山徳蔵と辻静雄には当然ながら交流もあったようですね。
辻静雄著の『フランス料理の学び方』には二人の対談も収録されているそうです。
辻静雄本で手に入るものはほぼ全て読みつくしたような気になっていたけど、本書についてはさっぱり記憶になかったなぁ。
……とまぁ脱線してしまいましたが、そんな訳で本書『天皇の料理番』と先に紹介した『陰翳礼讃』は合わせて読むと日本におけるフランス料理の歴史がとてもよくわかる内容になっています。
時間軸的には『天皇の料理番』が先で、その後に『陰翳礼讃』ですね。
今風に言えば秋山徳蔵がイノベーターで、辻静雄がアーリー・アダプターでありオピニョン・リーダーだった、という感じかな。
どちらも素晴らしい本なので、ぜひ読んでみて下さいね。