雨から身を守ることを雨宿りっていうだろう。ここは満天の星が落ちてこないようにする「星やどり」だ。
2018年も12月に入りましたねー。
毎年今ぐらいの時期に入ると、「今年はあと何冊読めるかな?」なんて考えてしまいます。
同時に考えてしまうのが間違いのない本を読みたいという事。
年内に読める数が限られているのであれば、できるだけハズレは避けて当たりだけを読みたい。
そうなると必然的に手が伸びるのが僕の中での鉄板である朝井リョウ。
間違いないものを読みたい時には朝井リョウに限る、と絶大な信頼を置く作家さんです。
僕の朝井リョウに対する印象は以前書いた『世界地図の下書き』の記事に詳しく書いていますので、興味がある方は読んでみて下さいね。
喫茶店「星やどり」を軸に展開する六人兄弟の物語
今回読んだ『星やどりの声』は、六人兄弟の物語です。
全6章から成り立つ連作短編集で、六人それぞれの視点から各章が書かれています。
しっかり者の長女琴美、就職活動中の長男光彦、双子の高校三年生小春とるり、落ち着かない高校一年生の二男凌馬、常にカメラを持ち歩く大人びた小学六年生の真歩。
それぞれに悩みと葛藤を抱えながら生活していく六人ですが、軸となるのは喫茶店「星やどり」。
「星やどり」は建築家である父が母律子のために建てた店であり、母が一人で切り盛りする海の見える喫茶店。
上から吊り下げられてブランコになった椅子が一つだけ用意されていたり、星の形の天窓が空けられていたりと、なかなかオシャレなお店のようです。
15人も入れば目いっぱいの小さい店にも関わらず常に客はまばらですが、女で一人で運営するのは苦労が多いと見えて、長女琴美や三女るりが時々手伝いに来ていたりします。
父は数年前に癌で他界してしまい、母一人を六人の子供たちが取り巻くという早坂家の三男三女親一人の環境。
それが、本書の舞台設定でもあります。
家族小説3:青春小説7
「家族もの」に分類される事の多い本書ですが、読んだ感想としては家族小説3:青春小説7といった印象でした。
それぞれの章で描かれるストーリーは子供たちそれぞれの個々の悩みや葛藤であって、家族に直結するものではないようです。
高校生たちは同じ高校に通い、全員が同じ町で暮らし、共通の知人や「星やどり」を通して他の兄弟たちが登場する事もありますが、各章で重要な役割を負う事はありません。
唯一、双子である小春とるりに関しては対比としてお互いの様子が描かれる事が多いかな、というぐらい。
そうした中で、各章をまたぐようにして「星やどり」であり母律子に疑念や謎が持ち上がって、長女琴美の最終章で全ては明らかになるのですが……
う~ん、なんだかなぁ……
という個人的には残念な結末だったりしました。
違和感の正体
違和感の理由は朝井リョウ自身のインタビューの中にありました。
読者の方に、“星やどりという喫茶店はお父さんが作ったお店だよ”ということを覚えておいてほしくて、お父さんが天井に窓を作ったこと、お店の名前を突然変えたといったエピソードは、各章で必ず言及するようにしました。そうやって子供たちがお父さんのことを思い出すっていう場面を何度も書いていくうちに、この関係性って実は結構、残酷だなって。だんだんと、これは父の呪縛から解放される話かもしれないと思うようになりました。だからああいうラストシーンになったんです。
今の僕が書いたからこそああいうラストシーンになりました | ダ・ヴィンチニュース
父の呪縛から解放……?
この言葉だけで、ちょっと衝撃ですよね。
繰り返し繰り返し登場する亡くなったお父さんが作った喫茶店。
家族の思い出が詰まったその店を“呪縛”という言葉で表してしまうなんて。
ここから先はちょっとネタバレを含んでしまうかもしれないので未読の方には遠慮してほしいんですけど……
両親や配偶者が遺した店や仕事を、遺された家族が引継ぎ、立て直す家族ものって小説に限らずドラマや映画、漫画等々、昔からよくある物語の形だと思うんですよ。
でもって必ず「遺された家族が無事引継ぎ、立て直しに成功する」「店の経営を通じて家族の絆が強くなる」みたいなお約束があったりする。
でも朝井リョウはそれを“呪縛”と捉えてしまった。
これは読み始める前に期待されるストーリーからすると大きな違和感になってしまいますよね。
一応擁護しておくと、現実的には上に書いたようなハートフルな話になるケースって少ないのでしょう。
母親一人で六人もの子供たちを育てるだけでも大変だし、ましてや喫茶店の切り盛りも要求されるなんて、たった一人二人の子育てですら手を余しがちな世の母親たちは話を聞いただけでギブアップしてしまう事でしょう。
「死んだお父さんが建てた喫茶店だから」という理由で続けていくのって、確かに“呪縛”に等しい愚行なのかもしれません。
最終章で明らかにされる通り、「星やどり」は実際経営難に陥っていたようですし。
でもね……だとすればそこはもっときっちり描いて欲しかったですね。
先に全6章から成り立つ連作短編集で、六人兄弟それぞれの視点から各章が書かれていると書きましたが、お気づきでしょうか?
重要な母の視点がないんです。
本書はあくまで子どもたちの目から見た「星やどり」という視点で描かれています。
母であり喫茶店「星やどり」は小学生や高校生、大学生といった子どもたちの目線と捉え方、想像によって語られるばかりで、実際に店を営む母律子の考えや苦労が描かれる事はありません。
あくまでそこは読者の想像にゆだねられているのです。
デビュー作である『桐島、部活やめるってよ』を彷彿とさせる描き方ですよね。
タイトルにもなり物語の主軸であるはずの桐島本人は一切登場せず、その他の登場人物の口から語られるのみ、という当時衝撃的だったあの手法が今回は母律子に対して当て嵌められていると言えなくもありません。
とはいえちょっと丸投げ過ぎたかな、と。
もうちょっと母の苦悩や心労を匂わせる場面があっても良かったんじゃないか、と思ってしまいます。
そんなわけで子どもたちからさんざん「父との思い出エピソード」が語られた挙句、最終的に待つのがそれって“呪縛”じゃね?という見解は結構残酷だったりするんですよね。
なので従来の「故人の店を家族で再建する物語」で繰り返し描かれてきた「ハートフルな家族もの」を想像していると、終盤足元をすくわれるという結果になったりします。
執筆当時大学四年生だし
本作は朝井リョウの三作目であり、大学四年生の頃に発表されたそうです。
大学四年生といえばまだ22歳。
社会経験もなく、当然親になった経験もありません。
そういう意味では、家族ものを書かせた事にちょっと無理があったんじゃないかな。
全体的に長男光彦以下の子供たちに関してはよく描けているように思えるのですが、作者自身より年上である長女琴美や両親に関してはリアリティに欠けているようにも感じられます。
琴美は「宝石店に勤める」と書かれていますが、そんな様子は全く感じられません。
最終的に「星やどり」の今後を決めていく場面も同様です。
店であり、事業をどうするのか。
そこには人手の問題よりも先に、お金の問題があったりするはずですし。
「星やどり」が資金難に陥るようであれば、子どもたちの生活にも影響がないはずがないんですよね。ほんのちょっとの倹約でどうにかなる話じゃないんです。鬼気迫るような、暗い影が忍び寄るはずなんです。
具体的に言えば、「店を手伝って盛り上げよう」なんて思う前に、「生活苦しいからそそれぞれバイトしよう」と考える方がよっぽど現実的だったりします。
大学行ってる場合じゃないから中退して働こう、とかね。
そういった「自分の希望を家族の為に我慢する」事を称して朝井リョウは“呪縛”と言ったのでしょうけど。
でも上にも書いた通り、“呪縛”にしてしまうぐらいなら、もっともっと“呪縛”らしく金銭的・精神的に追い詰められていく様をリアルに描いていった方が良かったんじゃないかな、と。
ただそうなると朝井リョウらしさが全くなくなってしまうんですけどね。
角田光代あたりなら“呪縛”に追い詰められて解放されていく家族の様子をリアル過ぎるぐらい描いてくれそうですが。
最終的にまとめると、本作に関しては朝井リョウらしさと題材、物語の方向性なんかがちょっとかみ合わなかったかな、という感想です。
期待値が高すぎたのも悪かったかもしれないけど、ちょっと残念かな。