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年間100冊前後の読書を楽しんでいます。推理小説・恋愛小説・歴史小説・ビジネス書・ラノベなんでもあり。

『ラメルノエリキサ』渡辺優

 わたしにとって、復讐とはどこまでも自分だけのために行うものだ。自分がすっきりするためのもの。すっきりするっていうのは、人が生きていく上でとても大切で重要な事だと私は思う。

 渡辺優『ラメルノエリキサ』を読みました。

 ご存じでしょうか?

 

 第28回小説すばる新人賞を受賞した作品であり、作者渡辺優の処女作です。

 

 集英社小説すばる新人賞といえば、ぼくが大ファンである村山由佳さんをはじめ、花村萬月篠田節子荻原浩堂場瞬一朝井リョウ櫛木理宇など、次々とベストセラー作家を輩出する信頼性の高い賞として知られています。

 

 第28回はその中でも2015年と、比較的最近に選ばれた受賞作品という事になります。

 

 ある意味新人賞はそのレーベルがどんな作品、どんな人材を求めているのか、どんなカラーを打ち出していきたいのかを示す指針とも言えます。

 

 さて、『ラメルノエリキサ』はどんな作品だったのでしょうか。

 

 

復讐の物語

 主人公の女子高生・小峰りなは復讐に対して異常なほどに執着を見せる変わった性癖の持ち主です。

 彼女がまだ6歳の頃には、自宅の飼い猫を傷つけられた復讐に、犯人である7歳の女の子を階段から突き落とすという恐ろしいエピソードが冒頭で語られます。その後も年上女性と浮気関係を結んだ元カレのスマホを盗み、相手とのエロトークをクラス中に拡散するなど、いったん復讐を志せばタガが外れたようなとんでもない行動に出るのが特徴。

 

 そんな彼女は、ある日、路上で誰かに刺されます。

 

 犯人が言い残したのが、

 

「ラメルノエリキサのためなんです、すみません」

 

 という言葉。

 

 私は「ラメルノエリキサ」という言葉を手がかりに、犯人を探し出すべく動き出します。

 警察に突き出したり、犯罪を糾弾するのではなく、直接的に犯人に復讐するためです。

 

 

推理小説ではない

 上記のようなあらすじのため、本書を「推理小説」という認識で読まれる方も少なくないようです。その上で「つまらなかった」「くだらなかった」的なレビューが下されているも散見されます。

 

 ただし、一応弁明しておきます。

 

 本署は推理小説ではありません。

 

 そもそも小説すばる新人賞ですからね。比較的エンタメよりの賞であることは間違いありませんが、どんでん返しやアッと驚くような仕掛けを期待する作品ではないのです。

 むしろそういう作品であれば受賞に輝くようなことはなかったでしょう。

 

 犯人探しや真相などといういうのは、あくまで要素でしかありません。物足りないのは当たり前です。だってそういう物語じゃないのだから。

 

 じゃあ何なのかと言えば、「小説すばる新人賞」に向けて書かれた物語だよ、としか言いようがないのですが。

 

 ぼく個人の見解では、一風変わった若者の生々しい嗜好や感情を瑞々しく描き出した作品が受賞しやすい傾向にある、と思っています。

 

 その意味では渡辺優という作者の力量はすさまじいものです。

 

 主人公りなはかなり変わった人物ですが、うまく彼女の人間性を捉えた上で、うすら気持ち悪く感じるぐらいに生々しい人物像を描き出しています。文章のリズム感や言い回しもとても気持ちいい。特に大がかりな仕掛けがあるわけでもないのに、グイグイ読ませてくれます。

 

 選考会で宮部みゆきに「私はこの作品と心中します」と言わしめたというエピソードも納得のものです。

 

 その他、住野よるさんもTwitterで下記のような投稿をしたとか(←現在はアカウントごと削除済み)

 

あくまで個人の感想なのですが、十代のバンドみたいな最強感と自意識と疑心の詰まったすごくいい小説に出会いましたので紹介させてください、渡辺優先生著作「ラメルノエリキサ」です。小説全編通してのドヤ感がたまらなくいいです。ぞくぞくします!

 

 ”十代のバンドみたいな最強感”という表現にはまさに納得です。

 小説すばる新人賞もそういう点を評価されての受賞だったのでしょうね。

 

 ……まぁ、逆に言うと”十代のバンドみたいな最強感”のような作品が苦手という人には絶対的に合わないでしょう。老成したベテラン作家が書くこなれた作品とは対極にある作品です。

 

 しかしながらやはり個人的にはこれほど小説すばる新人賞らしい作品も近頃では珍しいなぁ、と思った次第ですので、そのあたりに興味のある方は是非ご一読を。

 

 ……あとカバー絵だけはもうちょっとなんとかならなかったモノかなぁ。

 

 

https://www.instagram.com/p/CCAXek_D3Yc/

#ラメルノエリキサ #渡辺優 読了#第28回小説すばる新人賞 受賞作品。女子高生のりなは6歳のときに飼い猫を傷つけた7歳の女の子を階段から突き落とした経験があるなど、復讐に対して偏質的なまでに執着をもつ女の子。そんな彼女がある日路上で後ろから刺される。犯人の手がかりは「ラメルノエリキサのため」という言葉だけ。その日から復讐のための犯人探しが始まります。 ……と一読すると推理小説っぽいですが、中身は小説すばる新人賞らしく、ちょっと変わった観点から描かれた瑞々しい青春小説です。宮部みゆきや住野よるが絶賛したという言葉通り、勢いに満ち溢れた作品です。何より住野よるの「10代のバンドみたいな最強感」という言葉には納得です。気になるようであればせびご一読を。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい. .※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『竜宮ホテル』村山早紀

 その娘の左の目は、魔法の瞳であり、異界への鍵だった。

 その娘はただの村娘であったのだけれど、年を経た妖精をその手ですくったことから、左の目に魔法の祝福をうけた。

 その瞳は、この世のものならぬものを見ることができ、その存在を知ることができ、そうすることによって、異界のものの助けをうけることができた。

 さまざまなあやかしたちが、娘の友となり、願い事を聞いた。ひとの子にとっては未知の知識を与えた。娘は大きな力と、望む限りの知恵を得た。

村山早紀『竜宮ホテル』を読みました。

彼女の作品は以前『桜風堂ものがたり』を読んで以来二度目です。

2017年本屋大賞にノミネートされ、残念ながら受賞は逃しつつも大ベストセラーとなった『桜風堂ものがたり』。

それもそのはず2017年の本屋大賞は受賞した恩田陸蜜蜂と遠雷』をはじめ、森絵都みかづき』、塩野武士『罪の声』、小川糸『ツバキ文具店』、村田沙耶香コンビニ人間』とかなりの激戦となった年でした。

どの作品も、そしてどの作家さん達もその後も大活躍されていますよね。改めて見返してもヤバい年です。

村山早紀さんも続く『百貨の魔法』や『コンビニたそがれ堂』シリーズなど、続々と話題作を発表し続けている印象があります。

 

そんな中僕が今回選んだのは、彼女の作品の中では比較的知名度が低いであろう『竜宮ホテル』。

というのも『桜風堂ものがたり』をはじめとする〈風早の町の物語〉シリーズの中でも、本書はだいぶ異色の作品に感じられたからでして……。

 

見えないモノを見る能力とあやかしホテル

冒頭は、小説家である“わたし”こと水守響呼があれこれ思いを巡らせながら仕事に取り組む様子から始まります。

高校生の頃から住み続けているというアパートから突然出ていかなければならなくなり、途方に暮れるばかりでなかなか仕事が捗りません。

 

気分転換にと外出を試みる響呼でしたが、少しずつ彼女の持つ不思議な能力が明らかになっていきます。

響呼は遠い祖先が妖精からもらった力として、この世には存在しない不思議なものを見る事ができてしまうのです。その力の存在を知りながらも、ずっと見ないふりをして生活してきたのでした。

 

出先のカフェで以前一度だけ会った事のある編集者の寅彦と再会した響呼は、その帰り道、自分の住んでいたアパートが倒壊しているのを目撃します。倒壊の衝撃と行き場を失ったショックで言葉を失う響呼に、「実家で経営している『竜宮ホテル』に住みませんか」と提案する寅彦。さらに「アパートに住んでいるはずのお姉さまに会いに来た」という猫耳の少女と出会い、気を失ってしまった少女とともに『竜宮ホテル』を訪ねる事になるのです。

 

このホテルというのが本書の舞台。

「そういうわけで、あのホテルでは昔から不思議なことがおこっていたし、いまも――幽霊や妖怪や、それから妖精なんかも、ひきよせられてくるっていうんです」

というなかなかのトンデモなホテルなのです。

 

この不思議な、もとい幻想的なホテルを舞台に、響呼と猫耳少女ひなぎくを中心に進んで行く連作短編集が、本書の構成となっています。

 

第一話はひなぎくとの出会いや竜宮ホテルへの入居するまでの過程を描いた、いわばプロローグ的なお話です。

第二話は響呼の元同級生でストリートミュージシャンの愛理が登場。彼女は死んだ動物たちの魂を引き寄せてしまうという変わった性質の持ち主です。しかし、動物たちが彼女に心を寄せるのには彼女らしい理由があるのでした。

第三話では植物を愛する中学生、日比木君が登場。響呼の大ファンでもあるという日比木君はまだ出版していない作品の内容や装丁まで知っていたりする不思議な人物。体調を崩した彼を介抱しようと部屋に運ぶと、部屋の中にはあるはずのない巨大な木が。

 

そしてその三話を貫くように、主人公である響呼が幼い頃に別れ、複雑な事情と感情を抱えたままの父親に対する想いとエピソードが詰まっています。

 

あとがきに「幸せな話」を書きたい、と書いてある通り、どれもほっこりと胸が温かくなるようなハートフルな物語となっています。 

 

児童文学作家がすごい

村山早紀さんも元々児童文学作家だったそうです。

1993年に『ちいさいえりちゃん』で第15回毎日童話新人賞最優秀賞と第4回椋鳩十児童文学賞を受賞してから作家としての活動が始まったようですが、wikipediaを見てみると、その後今日までの著作の量がものすごく多いのに驚きます。

 

村山早紀 - Wikipedia

 

三月に一冊、もしくはそれを上回るペースで次々と作品を発表されています。

驚きの創作ペースです。

 

これだけの作品量を、しかも児童文学で書かれている作家さんが上手くないわけがない

 

というのは同じく児童文学出身である森絵都さんや笹生陽子さんの作品を読んでの僕の勝手な印象ですが、児童文学で物語を書かれていた作家さんの文章はとてもとても読みやすいのです。

良く言われる感じとひらがなの使い分けの妙などは常識の範疇で、意図的か無意識かまではわかりませんが漢字を少なく・ひらがなを多くする事で文章全体がとても柔らかくなる。

さらに、文筆家にありがちの難しい言い回しや難解な言葉といったものが皆無です。誰もが一度読めばすっと頭に入るような優しい言葉で文章全体が作られているので、理解に要する脳の負荷がとにかく少ない。

読めば読んだだけ、するすると頭の中に情景が広がっていくのです。

 

一例をぬき出してみましょう。

 

 わたしはその後、普通の人間らしく生きることがうまくなった。誰かといるときは、なんとか笑顔でいることもできるようになったし、その気になれば、ひとの輪に入ることもできるようになった。多分人並みに冗談もいえるし、会話も楽しめはする。そんなわたしのことを友達と呼んでくれるひとも多い。ありがたいことだと思う。

 

いかがでしょう?

漢字の使用を抑えられ、その分ひらがなの量が増えているのがわかりますよね?

全体的に柔らかいイメージの文章になっています。

 

そして、一つ一つの文が非常にシンプル。「普通の人間」「ひとの輪」「ありがたいことだと思う」。すごくストレートかつシンプルな言葉でしかないのに、言葉足らずにはならず、しっかりと主人公の想いは伝わってきます。

 

ですので”あやかし””幽霊””妖怪”のような不思議なもの、不思議な情景が頻出する物語ではあるのですが、おどろおどろした言葉や言い回しがなくとも、しっかりとその不思議さを感じることができます。

 

 休業しているはずのホテルのその玄関の前で、車を待つ役割のひと――ドアマンのように、長いコートを着てたたずむあのひとは。そのひとは、わたしにむかってほほえみ、深くお辞儀をすると、そのとたんに、すうっと夜闇に紛れるようにして消えていった。

 

情景が目に浮かびますよね。

ちょっと背筋が寒くなるような感じもしますが、かといって怖さや不気味さは皆無です。怖いというよりは、幻想的な印象すら受けます。

 

いやこれホント、すごいですよ。

僕が元々大好きだった推理小説というジャンルが、やたらと衒学的だったり不要な脚色や華美な描写でゴテゴテと膨らましたような作品が多かっただけに、余計にそう感じてしまうだけかもしれませんが。

 

なので本書――と言わず、村山早紀作品を読む際にはそんな「普通の小説家とは違う読みやすさ」についても味わいながら読んでみることをおススメします。

 

カバーイラスト・遠田志帆

本書の見どころというのは他にもあって――実は本作、カバーイラストが遠田志帆さんのもの。

名前だけだとピンと来ないかもしれませんが、絵を見れば一目瞭然。昨今書店の平積みで見ない事はないというベストセラーご用達の人気作家さんなのです。

 

最近で有名なところだと、「このミステリーがすごい!」2020年版国内篇・「本格ミステリ・ベスト10」2020年版国内ランキング・「2019年ベストブック」(Apple Books)と推理小説のランキングを総嘗めにした話題作、相沢沙呼『medium 霊媒探偵城塚翡翠』、

今村 昌弘『屍人荘の殺人』や『魔眼の匣の殺人』

綾辻行人は『another』シリーズはじめ、新装版のカバーイラストは遠田志帆ばかりです。

 

ただ、上記の画像を見ればおわかりいただけると思うんです、遠田志帆さんが表紙を担当される場合、推理小説系が多いせいかどうもおどろおどろした、ちょっと不気味な雰囲気のイラストが多いんです。

その点、本書の表紙と見比べてみて下さい。

 

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びっくり!!!

 

先生、こんな可愛い絵も描けるのか!!!

 

上の作品たちとは全然雰囲気が違いますよね。

可愛さ全振り、と言いたいところですが、よくよく見てみると可愛いだけではなく、どことなくもののけっぽさを感じさせる怪しさも醸し出ています。

 

「遠田志帆」で画像検索しても出てくるのはやはり上で紹介したようなシリアス系の作品が多いようなので、遠田志帆のこういった可愛い系のイラストが楽しめるのはもしかしたら『竜宮ホテル』シリーズだけかもしれません。

 

僕はその昔いのまたむつみ先生のイラストが大好きで、彼女のイラストが見たいがために『宇宙皇子』やら『風の大陸』といったシリーズを古本で探して買いあさっていた時期があったのですが、絵を目的に本を買うというのも、ライトノベル全盛の昨今では多い選択肢なのかもしれません。

 

なお、本書にはさらに逸話があって、僕が今回読んだのは以降『魔法の夜』『水仙の夢』とシリーズが続く徳間書店版なのですが、当初は「f-Clan文庫」という三笠書房が手掛けた女性向けライトノベルレーベルから刊行された作品なのです。

 

このあたりの経緯については、徳間書店版のあとがきにも少し触れられています。

 

f-Clan文庫の創刊は2011年10月。

東日本大震災があった年という事で嫌な予感しかしませんが、『竜宮ホテル』もまた、レーベルの創刊号として発表されました。

ところがf-Clan文庫は僅か7ヵ月後、2012年4月刊行分をもってひっそりと廃止となりました。

 

レーベルに参加していた様々な作家さんが当時の経緯や心境をブログ等に残していますが、村山早紀さんもTwitterでこんな風に漏らしています。

 

作家さんたちにも寝耳に水の事件だったという事がなんとなく察せられます。

契約その他、色々と前時代的な点が多いとされる出版業界ですが、その悪しき一例と言えるのかもしれません。「担当さんがとっても泣いていた」という点は皆さん口を揃えておっしゃってるようなので、担当者の苦悩も推して知るべし、といったところですが。

 

何はともあれ、『竜宮ホテル』シリーズについては徳間書店に引き継がれ、続編も刊行されているという事で良かったですね。

 

ちなみにf-Clan文庫版の装丁は色合いや構図、文字レイアウト等がちょっと変わっています。

 

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個人的にはうっすら紗の入ったようなf-Clan文庫版の方が好きですが。

遠田志帆さんファンであれば、両方手に入れたいところかもしれません。 

 

そんなわけでだいぶ長くなりましたが、村山早紀、遠田志帆ともに新たな一面を見せてくれる『竜宮ホテル』、ぜひ一度お試しあれ。

 

 

https://www.instagram.com/p/CBU5DV6DpJo/

#竜宮ホテル #村山早紀 読了#桜風堂ものがたり や #百貨の魔法 でお馴染みの村山早紀作品ですが、本書は妖怪や妖精、あやかし、SFなんでもござれのより幻想色の強い作品となっています。あやかしたちが集まる竜宮ホテルを舞台に、見えるはずのないものが見えてしまう能力を持った主人公と、彼女を探しにやってきた猫娘ひなぎくを中心に送る連作短篇集。幸せな話を書きたかったという作者のあとがき通り、どれも心温まるハートフルなお話です。なお、カバーイラストは綾辻行人や今村昌弘、最近だと相沢沙呼『medium 霊媒探偵城塚翡翠』でもお馴染みの #遠田志帆 。先の作品で見られたようなおどろおどろしい作風とは異なり、可愛らしい作品となっていますのでこちらも必見です。ブログにも書きましたが、それにしても村山早紀さん、文章が上手いなぁ。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『田舎の紳士服店のモデルの妻』宮下奈都

何の変哲もないこんな町は至るところにあって、そこには家も部屋も数えきれないほどあり、そこで暮らす家族も掃いて捨てるほどある。どんなに自分が特別だと思いたくなって無理がある。私たちが大多数なのだ。そう思ったら、腑に落ちた。じたばたしてあたりまえだし、じたばたしてもしょうがない。

『田舎の紳士服店のモデルの妻』を読みました。

久しぶりの宮下奈都作品です。

 

彼女を語る上では第13回本屋大賞を受賞し、映画化も果たす大ベストセラーとなった『羊と鋼の森』を避けては通れません。

僕も『羊と鋼の森』をきっかけに、次々と宮下奈都作品を追い求めた読者の一人です。

『鋼と羊の森』という作品についてや、宮下作品の魅力については上記過去記事で再三触れてきましたので、本記事においては割愛させていただきます。

 

鬱発症からの退社・家族で田舎への移住

容姿端麗・将来を嘱望される同僚男性への一目惚れから結婚、二人の男の子の出産という順風満帆な人生を歩んでいたはずの主人公・梨々子は、夫が鬱を発症し、会社を辞めた事から一変。夫の実家のある田舎に家族全員で移住する事になります。

梨々子の中ではあくまで夫の鬱が治るまでの一時しのぎであり、地方ならではの人間関係や文化を煙たがって馴染もうとせず、都落ちの現実から目を背け続ける日々が続きます。

 

一方で夫は実家の経営する会社で、昼近くなってようやく出社するといった自由な勤務をし、馴染みの紳士服店からチラシのモデルと頼まれたと嬉しそうに報告する始末。

そんな悠々自適な生活ぶりに、梨々子のストレスは溜まる一方。

 

……なのですが、30歳で移住し、1年2年と月日が流れ、子どもたちも成長していく中で梨々子の心もだんだんと変わっていきます。変わっていくというよりは、田舎の空気に染まっていく、というべきでしょうか。

 

本書では移住からの約10年間を追った物語。

梨々子にとっても苛立ちや苦悩、嫌悪といった対象がどんな風に変化していくのかを、著者お馴染みの精緻な心理描写でもって書き出しています。

 

 

否定的な主人公

びっくりした事に、宮下奈都作品には珍しく主人公・梨々子が❝嫌な感じ”の女性です。

宮下作品の登場人物って、純粋さやひたむきさが輝くタイプのキャラクターが多い印象なのですが、梨々子はだいぶ毛色の違うキャラクターなのです。

 

冒頭、「会社を辞めてもいいかな」「田舎に帰ろうと思う」と鬱で苦しむ夫が相談を持ち掛けるのに対し、梨々子は「辞めてどうするの」「帰ってどうするの」と冷血さすら感じさせる言葉を返します。そのまま大して相手もせず、「明日バザーだから」と切り上げる始末。子どもが小さく、手がかかるとはいえ、あまりにもひどい仕打ちです。

 

達郎がうつだと診断されて帰ってきたとき、裏切られたような気持ちになってしまった。 一緒に暮らしているのに気づいてあげられなかった負い目と、ほんとうに裏切られたのか、どこかで自分のほうが裏切っていたんじゃないかという恐れが、思いのほか強くのしかかってきて梨々子は狼狽した。

 

世の中の奥様方というのは、こんなものなのでしょうか?

いやいや、僕の周りの人たちは流石にもうちょっと心配したり一緒に悩んだりしていると思うのですが。

この後もずっとそうなのですが、この梨々子という女性は一切夫の心に寄り添おうとはしません。というより、周囲の人々に心を開いたり、受け入れようとする姿勢が見られないのです。

 

夫に連れられた田舎の写真館で、毎年撮影しているという家族の写真を見せられた時、梨々子はこう感じます。

写真館にあった見本の家族写真はまるでホラーだったから。

あの写真には、十年後のわが家が映っていたのではないのか。太って生気がなく服にも頓着しなくなった夫、思春期に入った長男の不機嫌そうな表情、頑固に眉を顰めたままの次男、そして、二の腕に脂肪がついてぺたんこの靴を履き、それでもつくり笑いをしている自分。

 

いやー、ヒドい

こんな風に受け取る人もいるんだと、逆に目から鱗です。

確かに描写を見る限り楽しそうに撮った写真ではなさそうですが、それでもわざわざ写真撮影のために一家揃って写真館に出かけるあたり、決して家族の仲や結束は悪くなさそうだと思うのですが。

きっと不機嫌そうな表情や頑固そうな顔も、やがて笑って話せる良い記念写真になると思うんですけどねー。

 

隣人を引っ越しの挨拶に訊ねるシーンでも同様です。

現れた島原という主に対し、

笑わない人は苦手だ。

と初っ端から拒絶反応を示します。

しかし、どうしてこの人はにこりともせず、こんなふうにじろじろと私たちを眺めているのだろう。

「いくつ」

 目の前の笑わない人がそういったときも、あまりに不愛想な声だったので、それが自分たちに向けられた質問だとは思えなかった。

この一文だけ読むといかにも「隣人の島原という人は無愛想で感じの悪そうな人だ」と感じるのですが、読み進むにつれてそうではない事がわかってきます。

 

逆なんです。

 

感じが悪いのは主人公である梨々子の側なんです。

 

相手に対しある種のフィルターをかけ、レッテルと貼り付け、決して自分のエリアに踏み入って来ないように周囲にバリアを張り巡らすのは梨々子の癖というか人間性なのかもしれません。

驚くべきことに、これは初対面の人だけではなく、長年付き合っている相手に対しても同様です。

 

東京から離れた後も、唯一連絡をくれる筒石さんというママ友に対しても、一方的に劣等感や嫌悪感を漲らせます。旦那の都合でシアトルに家族で移住したと聞けば腸がねじれる程嫉妬し、デコパージュに熱中していると聞けば、

自分が描いたわけでもない絵を切って貼ってどこが楽しいの?

と貶めます。

 

梨々子は常に他人に対して優越感を感じていたいタイプの人間です。

ですから都落ちを受け入れようとはしないし、田舎くさい人々に心を開こうとはしません。子どもの事で教師から何度呼び出しを受けようと、身勝手な自論で都合よく解釈するばかりで具体的な対策に乗り出す様子も見られません。

 

……とこう書いていくと、ものすごく本書に対して批判的に受け止められてしまいますよね。

 

嫌な人を描く筆力

逆なんです。

こんなに嫌な人を嫌らしく描き上げるその筆力に、脱帽でした。

 

梨々子は実在したらすごく嫌なタイプの人間です。

でも実際、こんな人いますよね。

 

よくよく想像してみると、そもそも都会から都落ちしてくる人の仲には梨々子のようなタイプの人の方が多いかもしれません。田舎の人を見下し、「私は元々東京の人だから」という驕りが鼻につくタイプ。

恋愛当初は憧れていたはずの夫に対しても、常に鼻白んだ態度しか取れないタイプ。

 

でも梨々子の傲慢さが一体どこから来ているのか、何のためのものなのかは、本人ですらわかっていません。いつでも人生をリセットしてやり直せるような才覚や美貌があるわけでもなく、どう考えても今後の人生も取り立てて特徴のない一人の中年女性として生きていく事しかできない平凡な人物。にも関わらず、常に他者と比べて優位であろうとしますし、見下す姿勢を取り続ける。

 

いや、これってスゲーな、と。

 

30代という女性の心理をあまりにも浮彫にしてしまっていますよね。

うら若き10代・20代の頃の高い意識を引きずりつつも、平凡な主婦に落ち着きつつある自分という現実を認識し始めるという微妙な心情変化を、10年というスパンで見事に描き出しているのです。

 

ただまぁ、夫に対する冷たさは終始相変わらずの感じもするので、もうちょっと夢を見せてくれてもいいかなぁ、と思ったりするのですけれど。

昨今の世の中、結婚に対するネガティブイメージが多すぎますからね。

本書の夫婦はまさにそのネガティブイメージ通りの夫婦像。

ここまで冷え切っているのなら別れてもいいんじゃないかな、と思うのですが、離婚のりの字も出ないあたりもこれまた現実的な夫婦です。

 

現実にはいちいち別れる、別れないと言い争ったり、話し合ったりする事もなく、ただただ流されるように日々生活している夫婦も多いでしょうからね。

 

なお、本書について書かれたインタビュー記事を見つけました。

そこでも作者は

 

「日常生活の話に徹しようと思っていたので、あまり派手な見せ場を作らないように、“ここで盛り上がる”みたいなドラマチックさは抑えて書きました。そういうシーンって普通の主婦の日常生活にはそんなにないですからね」

 

と語っています。

 

 

急展開でハラハラドキドキ、一喜一憂した挙句の大どんでん返し、といったエンタメ小説とは異なりますが、深く考えさせられる事も多い良書でした。

正直梨々子が嫌い過ぎて、読み返す気にはなれないんですけど笑

 

https://www.instagram.com/p/CBRw7pOjIvq/

#田舎の紳士服店のモデルの妻 #宮下奈都 読了一目惚れしたエリート候補生の夫と結婚、二人の子どもに恵まれるも、夫の鬱病発症を機に田舎に移住する一家の妻・リリコによる10年期。このリリコという女性がとにかく嫌な女。相手を見下し、自分の周りに見えないバリアを張り巡らし、何に対しても拒絶反応から入るようなタイプ。そんな彼女ですから田舎に行ってもなかなか馴染めるはずもないどころか、そもそも馴染む気がない。夫に対しても白けきってしまっているので、戸籍上は夫であっても単なる同居人レベルでしか興味がない様子。唯一二人の息子には関心があるようですが、とはいえ教育熱心というわけでもなく、放任主義というわけでもなく。勝手に育つ息子たちに都合の良い自己解釈を投影して「これでいい」と納得しているような。そんなリリコが10年のうちに少しづつ変化していきます。田舎に馴染むというより田舎に染まっていく。10代20代の頃の特別感を引きずりつつ、もはや自分は平凡な主婦であり後戻りも別の道もない事を認識していく30代女性の心の移ろいが鮮やかにかつ混沌と描かれた良作でした。とはいえ夫との関係についてはネガティブ過ぎるかな。天真爛漫に日々を過ごす夫がなんだか可哀想。夫に救いを下され。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『妖精作戦』笹本祐一

 「問題はいかに騒ぎを起こさずにあれをかっぱらうか、だ」

  

笹本祐一妖精作戦』を読みました。

1984年の発売ながら、現在でも様々なキュレーションサイト等で「絶対に読むべきライトノベル〇選!」的なまとめには時々混ざっている稀有な作品です。

 

そこに書かれている紹介文は大概「SF金字塔」「ライトノベルの元祖」といった魅力的な文言であり、ライトノベルの歴史を語るには避けては通れない一冊」といった具合。世代ではないのでわかりませんが、当時の青少年たちにとっては一大センセーションを巻き起こした作品であったのは間違いないのでしょう。

 

とはいえこの辺りの定義づけにはちょっと異論があったりもしますが。

 

例えば同様に「ジュブナイル小説の草分け」であり「SF金字塔」と言われる筒井康隆時をかける少女は1967年の発売と遡る事15年ほど前に登場しています。

純粋なライトノベル関連でいえば、ドラクエファイナルファンタジーにも通じる世界観の栗本薫グイン・サーガは1979年と本作よりも5年前、田中芳樹銀河英雄伝説が3年前の1981年、菊地秀行魔界都市〈新宿〉』がその翌年1982年、いのまたむつみのイラストが美しい 藤川桂介宇宙皇子も同年1982年のスタートとなっています。 

いずれもライトノベル黎明期を代表する作品であり、『妖精作戦』以前である1980年前後からちょっとずつライトノベルに近いファンタジー小説の大作が次々と産声をあげていたことがわかります。ただしこれは著者の力量はもちろんですが、本書『妖精作戦』や『魔界都市〈新宿〉』を輩出した朝日ソノラマ文庫というレーベルの果たした役割が大きいように思えます。

ただし、上に挙げた4作はいずれも大人(宇宙皇子は子どもから)が主人公となっていますので、ライトノベルを「少年少女を主人公とした少年少女向けの小説」と定義するのであれば、あくまで大人も楽しめるファンタジー作品の範疇であり、ライトノベルと呼べる段階には至っていないのかもしれません。

 

では本書『妖精作戦』がライトノベルの元祖と呼ばれる理由は何なのか。

 

本書に登場する主人公たちはいずれも現役の高校生であり、読者と同じ年齢層の主人公たちが、バイクでカーチェイスや銃や爆弾を駆使したドンパチを繰り広げ、挙句の果てに宇宙にまで飛んで行ってしまうというぶっ飛んだ物語となっています。さらにその舞台には自分たちが通う学校が入ってくるところも特筆すべき点です。

全くの異世界ではなく、日常の延長線上で繰り広げられるSF(学園)ファンタジー

これこそが、同年代の少年少女たちの心を鷲掴みにした理由なのでしょう。

 

上述の通り1980年代前後からライトノベルの兆候のようなものが見えてきますが、本格的にライトノベルが世の中に浸透していくのは、1988年の角川スニーカー文庫富士見ファンタジア文庫という2大レーベルが誕生し、水野良ロードス島戦記深沢美潮フォーチュン・クエスト、さらに神坂一スレイヤーズ!』などを輩出してからという事になろうかと思います。

 

 

なお、『妖精作戦』と並び「当時の少年たちに強烈な印象を植え付けたトラウマ本」とされる王領寺静(=藤本ひとみ)『異次元騎士カズマ』が登場するのも1988年。

僕は兄が借りてきた『異次元騎士カズマ』を読んでモロにそのトラウマを食らった世代だったりしますので、『妖精作戦』を読んだ当時の少年たちが受けた衝撃も、同様のものだったのだと考えればなんとなく気持ちや、未だに名作として引きずり続ける感情もよくわかる気がします。

残念ながら『異次元騎士カズマ』は未完のままで終わってしまっているんですけどねー。

 

そしてこの二冊、『妖精作戦』と『異次元騎士カズマ』はいずれも既に絶版となっていました。

当時リアルタイムで作品を手にした世代にしかわかり得ない幻の作品だったのです。

「今では手に入らない」「当時の世代しか知らない」という希少性もまた、本書の名声を高めるのに一躍買っているのは間違いありません。

 

そんな『妖精作戦』が再び世の中で見直されるきっかけになったのが2006年に発表され、映画化もされた有川浩レインツリーの国

作中に登場する主人公たちの出会いのきっかけとなる作品こそ、明らかに本書を連想させる『フェアリーゲーム』という物語。

レインツリーの国』を読んだ読者の間では『フェアリーゲーム』=『妖精作戦』が話題となり、有川浩自身も肯定し、自身へ与えた影響を語りはじめたあたりから、『妖精作戦』を一度読んでみたいという読者が一気に増えました。

 

そうした後押しもあってか、絶版状態にあった『妖精作戦』は2011年に復刊。

幻のライトノベルはついに僕らの手の届くところとなったのです。

 

 

……オタの脳内空想物語?

妖精作戦』は、夏休み明けの新宿で榊という少年とノブという少女が偶然出会うところから始まります。ノブは同じ学校の転入生だった、という典型的なボーイ・ミーツ・ガール。

 

授業中のノブを狙って飛んできたヘリコプターを、ノブが不思議な力を使って撃退・墜落。ノブはとんでもない超能力を持っており、そのためSCFという組織からその身を狙われているのです。

ノブの護衛を引き受けた探偵平沢が駆け付けたところ、謎の車にノブがさらわれます。バイクで追う平沢と、さらにそれをバイクで追う榊の友人・沖田たち。

カーチェイスと銃撃戦の果て、平沢はノブの救出に成功。

 

しかしその後まもなく再びノブはさらわれ、今度は東京湾原子力潜水艦へ。ノブを救出に東京湾にダイブした榊や沖田らは無事潜水艦に潜入。そこへ平沢が飛行機で突撃。

全員まとめてスペースシャトルに乗り、月に向けて発射。

 

……とまぁまとめて書くのも難しいぐらい、斜め上な展開が繰り広げられていきます。

 

「読者と同じ年齢の主人公たち」と書きましたが、プロのレーサー並みにバイクを操り、銃を扱い、海にダイビングし、宇宙服で無重力空間をバトル……とまぁ、荒唐無稽も甚だしいトンデモ展開だらけです。

 

 

なお、ストーリーも滅茶苦茶なのですが、文章もかなりのシロモノ。

大した説明や描写もなく次々と新たな登場人物が投入され、読者がその人物像を把握しきれない内に「知っていて当然」とばかりに物語は進んでしまいます。読み進める中で、「ははぁ、こいつはこういう特技を持っていて、誰と彼とはこういう関係性にあるんだな」という事を後追いでなんとか理解していく、という状況。

 

その割に、バイクや銃についてはやたらと細かい描写や固有名詞が頻出したり。750SSとかCB1100Rというカタログスペックで書かれて、昔の人は理解できたんですかねぇ?今ならインターネット検索で一発ですが、当時だと辞書や広辞苑にも載っていないであろうこういった商品名をどうやって理解していたのか、理解しがたいところです。こういった製品やスペックをそのまま記述するのは当時の流行なのだとは思いますが。

 

さらに見開き2ページ待たずして場面が切り替わる事も日常茶飯事なので、状況を理解できず戸惑うことしきり。

漫画をそのまま文章化したらこうなるのかな、と思うような構成です。

漫画だと離れている場所にいる登場人物が途中で数コマ描かれても理解に苦労はしませんが、それを小説でやられると混乱不可避ですよね。

 

要するに昔のライトノベルだけあって、小説としてはかなり完成度の低いものになってしまっているのです。現代の洗練すら感じられるライトノベルというよりは、ふた昔ほど前に一世を風靡したあかほりさとるに近いものを感じます。もう少し具体的に言えば、オタの頭の中で繰り広げられる漫画的イメージをそのまま文章化したような代物。今なら新人賞の一次すら通過できず、初見で切り捨てられてしまうのは間違いありません。

 

とはいえこれは昔のライトノベルを読む場合には避けて通れないハードルのようなものなので、甘んじて読むしかありません。文章や構成の稚拙さはジャンルの未成熟さに比例しますし、描写云々に関しては時代性に左右されるところも大きいですから。

 

ただまぁ『妖精作戦』を読んで感じたのは、「読者と同じ高校生が主人公」「オタ知識・技術を駆使」「超能力から宇宙戦争まで破天荒なストーリー」といった当時における斬新さがウケたのだろうな、というとても客観的な感慨ばかりでした。

時代を超越して楽しめるような要素があったか……というと個人的に感じるものはありませんでした。

 

 

シリーズ作品だった

そんなわけで『妖精作戦』が「ライトノベルの元祖」と言われるような理由も自分なりに理解したつもりで読了したのですが……読後に背表紙のあらすじを見たら、気になる一文が。

 

歴史を変えた4部作開幕!

 

なんですって!!!

 

最初の方にごちゃごちゃ長々と書きましたけど、妖精作戦』が4部作だなんてこの瞬間まで本当に知らなかったんです。

 

しかもよくよく調べてみると、どれもこれも「4部作のラストがトラウマ」と判を捺したように書かれる始末。

妖精作戦』を語るには、『妖精作戦』だけじゃ足りなかったんです。続編である『ハレーション・ゴースト』『カーニバル・ナイト』『ラスト・レター』までシリーズ通して読まないと

実際、『妖精作戦』を読んだだけでは取り立てて語るべき内容もあるようには思えなかったですし。

 

とはいえ、正直迷ってしまいました。

わざわざあと三作も追加で買って読むべきなのか。

しつこいようですが妖精作戦』を読む限り、「続きが気になる」「もっと読みたい」と思える作品では到底なかったですから。

 

中古で安く買うか、とヤフオクやらメルカリやらで検索し、迷っている中で再び発見しました。


……全巻無料?

 

なんと、マンガ図書館Zというサイトで『妖精作戦』シリーズ全4作が無料公開されていたのです。

しかもこれはサイト上で読むだけではなく、PDFデータのダウンロード配布までしているという大盤振る舞い。スマホ電子書籍ビューアーで読めてしまうのです。

調べてみるとどうやら2011年の復刊と同時に旧版(※初版に修正を加えた94年版)の無料公開に踏み切ったとの事。

そのあたりの事情は下記リンクをどうぞ。


無料で配布されているとなれば、読み始めるまでのハードルはぐっと下がります。

ですので当初は『妖精作戦』だけを取り上げる予定であった当ブログも予定を変更し、以下三作もまとめて掲載する事とします。

 

『ハレーション・ナイト』

2作目である『ハレーション・ナイト』はファンの間では番外編的な位置づけとされています。

 

『パターンA ハレーション・ナイト』と『パターンB  YOU MAY DREAM』の二本立てとなっていますが、いずれも前作『妖精作戦』の主人公である榊とノブではなく、沖田を主人公として進んで行きます。

 

『パターンA ハレーション・ナイト』は全身黒づくめの男たちに少女が襲われているところに沖田が遭遇するところから始まります。前作でさんざん繰り返されたノブの誘拐シーンと重なり「またか」と辟易してしまうところもありますが、突如男たちの上に巨大な岩の塊が落ち、少女とともに跡形もなく消えてしまうという不思議な現象が起こります。

その後、学園祭のための映画撮影に臨む沖田たちでしたが、撮影フィルムの中にも例の少女が映り込んでいたり、寮の建物だけ局地的な地震に襲われたりといった怪奇事件が続発。

さらには映画のヒロイン役だった深雪がドラキュラらしき謎の黒い男にさらわれるという事件が発生。数階層に及ぶ巨大なジャングルのような大温室の中を、スズキRH250というオフロードバイクで追跡する沖田。途中出会った先の不思議な少女・氷島陽子を後ろに乗せて男を追い、最終的に大温室の屋根上まで追跡劇は広がりながらも、なんとか深雪の救出に成功します。しかし終わってみると、陽子の姿もやはり跡形もなく消えてしまい……。

しかしながら事件はこれで収まらず、男子寮内部は雪山のような悪天候に襲われ、巨大なドラゴンや狼男、雪女、播州皿屋敷のお菊さんやお岩さん、羽の生えた妖精の大群などありとあらゆる怪奇現象が起こり続けるように。

そんな中、消えた陽子について引っ掛かる沖田は彼女について調べてみることに。すると彼女の意外な素顔とともに、怪奇現象の原因へとたどり着く事になります。

 

 

続く『パターンB YOU MAY DREAM』では再び学園祭三日前の日常へ。

自主映画は撮影からアテレコへと工程が進み、残り日数が限られた中ドタバタと準備を進める様子が描かれますが、そんな中、ふと視線を感じる沖田。誰かが窓の外から覗いていた気がする。でもそこは4階……とまるで『パターンA ハレーション・ナイト』のエピソードを彷彿とさせる始まり。

 

ニュースでは日本各地で天変地異的な事件が起きたり、お馴染みのメンバーも原爆が落とされたかのような幻覚症状を見たり、妖怪らしきものが散見されたりと、どうやら『パターンA ハレーション・ナイト』でのお化け騒ぎが終結していない事がわかってきます。

それどころか事態はどんどん深刻化していき、ペガサスが走り回ったり、スターウォーズの宇宙船同士がレーザー砲を撃ち合ったり、キングギドラゴジラが町を破壊し、うる星やつら!』のラムちゃんが「ダーリン知らないっちゃ?」と尋ねてきたり、『風の谷のナウシカ』の王蟲が大量に押し寄せたりと、お化けどころではない騒ぎに発展するのです。

 

これって……

 

 

 

レディ・プレイヤー1』!!! 

 

まぁこの手の「みんなが知ってる有名作品のキャラクターどんどん出演させちゃえ」的な手法は度々いろいろなメディアで使われていますので今更ではありますが、1980年代の作品である事を鑑みればかなり画期的で斬新な試みであったであろうことは想像に難くありません。

 

……というわけで、二作目『ハレーション・ゴースト』は一作目の『妖精作戦』と比べると段違いに楽しく読めてしまいました。展開の強引さは否めませんが『妖精作戦』によって各登場人物たちの個性も飲み込め、耐性が付いたことも奏功したのかもしれません。

作者のあとがきによると実際に一作目『妖精物語』よりも売上が上回っていた時期もあるようですから、やはり『ハレーション・ゴースト』が面白いという評価だったのでしょうね。

 

次々とSFやら怪奇やら色々な事件が起こるという意味では『涼宮ハルヒの憂鬱』を彷彿とさせるところも大きいですし。どうやら『涼宮ハルヒの憂鬱』は本書というか『妖精作戦』シリーズの影響をだいぶ受けているようですが。

 

こういう『レインツリーの国』→『妖精作戦』→『涼宮ハルヒ』のように影響のある作品を知る事で、読みたい本の対象が増えていくのも読書の醍醐味ですね。

 

惜しいのは『ハレーション・ゴースト』が外伝扱いという点。ノリ的にはこっちの方が好きなんですが。

自作『カーニバル・ナイト』からは再びノブを追うSCFとの戦いに戻るとか。

さて、どうなる事やら。

 

 

『カーニバル・ナイト』

さて、三作目となる本作では、再びSCFがノブの誘拐へと動き出します。

物語は主に二つの流れ、探偵平沢と初登場となる占い師沙織による場面と、沖田たち星南高校生の場面とが入れ違いに展開していきます。

そして何と言っても本書のキーパーソンとなるのが転校生である和紗結希。彼女はSCFから派遣されて星南高校に転校生として潜入する若干15歳。そしてテレパス(テレパシー・さとり)と重量級爆弾に相当するサイコ・クラッシュ(思念爆発)の能力を有する超能力者でもあります。

 

沖田達は彼女がSCFの一員である事を知りながら自分たちの方から近づこうとし、その姿を一目見ようと盗撮を試みたり、女子寮に忍び込んだり、ラブレターを書いてデートに誘ったりと学園コメディーを繰り広げます。

一方で平沢たちはバイクに乗ってSCFのバイクやヘリコプターとカーチェイスや銃撃戦の繰り返し。

 

やがてSCFは戦闘機や戦車などの兵器を星南高校に終結させ、小牧ノブの奪回へと乗り出します。沖田たちは学園中の男子生徒に徹底抗戦を呼びかけ、総力戦の様相を呈します。そんな中、遂にノブと結希が相対する事となり……。

 

文章にすると呆気ないですが、『カーニバル・ナイト』はそんな内容でした。

 

相手組織から自分たちと似たような人物が送られてくるという手法は昔から何度も繰り返し使われてきている古典的手法(例:エヴァンゲリオン渚カヲル等)ですが、もしかしたら本書がハシリだったりするのでしょうか?

しかしながら和紗結希に関しては自分から感情を露にする事がありません。沖田達の様々な試みに対してノーリアクションながら、なすがまま、されるがままに応じるという状態ですので、読んでいてちょっと盛り上がりに欠ける感もあります。終盤、それとなく沖田に心を開いているような描写がある点は萌えポイントだったりするのかもしれませんが。

 

和紗結希は謎の転校生・寡黙・ユキという名前から、前述の『涼宮ハルヒ』シリーズにおける人気キャラクター・長門有希のモデルとして比較される事も多いようです。『涼宮ハルヒ』シリーズとの類似点は他にもかなり多数に上るようですね。考察記事などを描かれているブログやサイトもあるようなので、気になる方は探してみては。

 

ただ正直僕個人的には、『カーニバル・ナイト』に関しては食傷気味ですねー。

 

妖精作戦』も同様ですが、探偵・平沢という人物の存在意義がいまいち理解できません。あくまでマニアックな重火器やバイク・車の名称とカーチェイスや銃撃シーンといったハードボイルドを描くためだけに存在しているキャラクターにしか感じられないのです。

本書でいえば平沢ターンはバッサリ全てカットしても全く問題はない脇役キャラ。そんな彼が突如として美女占い師などという新キャラクターを登場させ、まるでルパンと不二子のようなツンデレなやり取りをされても白けるばかり。

 位置づけとしては宗田理『ぼくらの』シリーズにおける矢場勇のように、少年たちのよき理解者(協力者)としての大人という立ち位置なのかもしれませんが、矢場さんは主役級にしゃしゃり出るような事はしなかったんですよね。

 

探偵平沢、いらないよね。 

 

いずれにせよ泣いても笑っても次作が最終巻。

当時の少年少女をトラウマに突き落としたというラストシーンを見届けるまで、一気に終わらせてしまいましょう。

 

 

『ラスト・レター』 

 『カーニバル・ナイト』で攫われた小牧ノブの奪還へ向け動き出す沖田たち。

どうやらノブは厚木基地にいるらしいと知り、潜入を試みようとするもあえなく失敗。

ノブを乗せたC-47(輸送機って書いてよ)は飛び立ってしまうものの、榊の想いが通じ、榊・沖田・真田・つばさの4人はC-47の船内へとノブの力でテレポーテーションしてしまいます。

一旦はノブとともに脱出し、無人島にたどり着いた5人は「南の島を満喫しよう」とばかりの日常シーンを展開しようとしますが、すぐさま追跡してきた潜水艦見つかり、逆に忍び込むという破天荒さを発揮。そして潜水艦に配備されていたロケットに乗って再び宇宙へ。

しかし、宇宙を漂うところをSCEの機動要塞ブルーサーチへと回収されてしまいます。

そこにはノブを連れ去った張本人である転校生・和紗結希の姿も。

 

ここからはガンダムで言うところの「スペースコロニー」的な宇宙基地兼生活拠点となる巨大な機動要塞の中を、地球への帰還のために逃げ回る5人を描くドタバタ劇が続きます。混乱のさ中、やがてブルーサーチには敵対勢力であるUFOたちが攻撃を仕掛けてきます。

 

追い詰められる5人の前に現れた和紗結希は、「逃がしてあげる」と脱出カプセルへと誘います。その後、彼女はUFO迎撃のために出動。

無事地球に向けて発射……と思われた脱出カプセルは、妨害によりすんでのところで引きとめられてしまいます。宇宙空間に無防備にむき出しになったカプセルに迫りくる一機のUFO。それを見た和紗結希は、咄嗟にサイコ・クラッシュの能力を発揮し――。

 

……とまぁ、終始相変わらずのドタバタ劇でしたね。

 途中途中にユーモアを交えながら、追手のボブキャラたちをあの手この手で撃退し、すり抜け、走り回るという攻防というよりは逃亡劇が本書の大半を占めていました。

当時の読者がどう受け止めていたのかは知りませんが、シリーズ四作続けて読んできて、僕はやっぱりこのドタバタ劇が苦手です。あまりにも描写が省かれ過ぎていて、頭の中でうまくイメージが膨らまないのです。

 

一例として、機動要塞の中の水耕農場へと逃げ込むシーンがあるのですが、追手の目を避けて、コンテナの下を匍匐前進していると言われても全景がさっぱり思い浮かばない。追手がどんな風に彼等を探していて、彼等がどんなに巧妙に追手から隠れているのかが伝わって来ないのです。圧倒的に情景描写が足りない!

 

終始こんな感じなので、次から次へと追手が現れ、ああでもないこうでもないと逃げまどっていても、「とにかくうまく逃げているんだろうな」という雰囲気でしか理解できません。

なのにその雰囲気でしか理解できないシーンが大半なので、五里霧中の中を手探りするように読み進める事しかできませんでした。

 

いずれにせよ目的となるのは当時の少年・少女にトラウマを植え付け、後年様々な作家にも影響を与えたという衝撃のラストを見届ける事なので、上記のようなプロセスに関しては半分諦めてとにかく読み進める事にしましたが。

 

小牧ノブと和紗結希

ネット上でよく話題になっているのは『妖精作戦』シリーズのラストシーンに繋がるノブの最後の決断と行動です。

これが本作に議論を巻き起こした一番の原因だとか。

 

当時は斬新だったのかもしれませんが、今読んでみるとそんなに驚きもなく。。。

 

別に『妖精作戦』シリーズに限らず、こういった終わりを選ぶ作品って今となっては結構あるからなぁ、と。

小説だけでなく、ドラマや映画、アニメといった映像作品、さらに漫画等々、「物議を醸すラスト」は今や枚挙にいとまがないくらいありふれていますし。

なので、正直当時の想い出補正のない僕にとってはそこまで衝撃もありませんでした。

 

それよりもやっぱり文章力や構成力の稚拙さに目が行ってしまいます。

ノブがそういう選択をするのであれば、事前にもう少し兆候や伏線があっても良かったんじゃないかな、と。悩んで悩んで悩みまくった先に、それしか手段がないと決断するに至った過程を感じさせられれば良かったんですが。

あまりにも唐突で、説得力に欠けますよね。他の選択肢の存在が一切提示されないのももったいないですし。

 

なので一応本書のメインディッシュとして期待しまくった本書のラストシーンにについては、正直肩透かしといったところです。

 

それよりも刮目すべきは和紗結希のラストシーン。

 

これもね、他の様々な作品で模倣・類似が見られる気はしますが、なかなかにショッキングなものでしたね。

ノブの決断については伏線も葛藤も何もなかった事が物足りなく感じられましたが、結希に関してはそれがかえって演出効果に繋がってしまっている。

作中の登場人物誰一人予想もつかなかったし、想像もしなかった。和紗結希本人ですら、そんな結果を招くなんて考えもしなかった。読者である僕らは、当然そんな予想を立てたりはしません。

だからこそミステリでいうどんでん返しにも似た胸に迫る衝撃を与えてくれました。

欲を言えば、もうちょっと和紗結希の人間味や愛嬌を描いてくれていれば衝撃は大きかったのかもしれませんが。

 

同時期だと機動戦士ガンダムララァ死亡シーンなどが似ているかもしれませんね。


僕個人として一番最初に脳裏を過ったのは新海誠ほしのこえ』でしたが。


 

総括

さて、『妖精作戦』から始まった全4作のシリーズ作品もようやく読み終える事ができました。

冒頭に「SF金字塔」「ライトノベルの元祖」ライトノベルの歴史を語るには避けては通れない一冊」 といったうたい文句を紹介させていただきましたが、実際のところ、2020年の現在読んでみてどうなのか。

 

これははっきり言います。

読まなくても良かった。

 

レインツリーの国』や『涼宮ハルヒ』シリーズ、『イリヤの空、UFOの夏』との関連性を確かめたければ、有志が作ってくれたまとめ記事や比較サイトを見た方が良いでしょう。

ラストのトラウマ云々も、ネタバレサイトを確認すればそれで良い。最初から最後まで読んだとしても、ネタバレサイトで受ける感覚を上回る衝撃にあずかれるとは到底思えません。

 

これはやっぱり、当時の少年少女が当時の空気感の中で読むからこそ熱狂できた作品でしょう。または、大人になった彼等が想い出補正とともに懐古しながら読むべき本か。

有川浩谷川流が影響を受けたと言っても、それはそれです。今更読み返したとしても、彼等の青春時代の興奮まで追体験できるわけではないのです。

 

 

本書をおすすめするサイトの中には「時代を超えて今でも愛される」といったうたい文句を掲げるところも少なくありませんが、これもはっきりしておきましょう。

そんな作品ではありません。

ライトノベルのはしり、という時点で覚悟しておきましょう。

その世代でなければ愛す事は難しい。高評価をしたとしても、それは作品自体への愛ではなく、作品がもたらした影響やそれを加味した古典的価値に対しての敬意なのでしょう。

 

僕は本書が後世に与えた影響というのを確認したくて読みましたが、そういう興味本位でもない限りわざわざ読む事はおススメしません。

ただし、現在は無料で公開されていますので、手に取るハードルはゼロに等しいくらい低いです。試しに第一巻『妖精物語』を読んでみても良いのかも。

もし読んでいて「なんか読みにくいなぁ」「ちっとも面白くないなぁ」と感じたら、その時点でやめる事をおすすめします。最後まで読み続けても、その感覚が変わる事はないでしょう。

 

唯一、『ハレーション・ゴースト』のレディ・プレイヤー感は面白かったけどなぁ。

いまさら「ラムちゃんだっちゃ」なんて言っても通じない人、多いだろうしなぁ。

https://www.instagram.com/p/CBO8-sTjK_w/

#妖精作戦 #笹本祐一 読了#現役最古のライトノベル作家 の処女作シリーズであり、 #ライトノベルの元祖 #SF金字塔 と言われ、さらには #有川浩 や #谷川流 #秋山瑞人 ら数々の作家に影響を与えたという作品。写真は一枚ですが、全4巻のシリーズ作品であり ハレーションゴースト #カーニバルナイト #ラストレター まで全て読破しました。というのも #マンガ図書館Z で無料公開&無料ダウンロードしてるんですよね。これは太っ腹。本シリーズに関しては愛好者も多いものの、話題になるのはシリーズ4作目のラストなのです。これがいわゆるトラウマとして、当時の少年少女たちの胸に深く突き刺さったとか。有川浩の『レインツリーの国』や谷川流『涼宮ハルヒ』シリーズは本作へのアンチテーゼとして生まれたとかなんとか。とにかく"いわく"の多い作品だけに常々一度読んでみようと思っていたのでした。ですがまぁ……要するに昔書かれたライトノベルですから。過度の期待は禁物でしたね。いろいろと後世に営業を与えてそうな設定やエピソードもありますが、それ以前に文章や構成に粗が多く……期待していたラストシーンについても、当時は斬新だったのかもしれませんが今となっては手垢のついたネタというか、もっとうまく使いこなしている作品が沢山あったりして。ファンの方には申し訳ありませんが、当時を知らず思い出補正もない僕らの世代にとってはあくまで物の種として読むべき作品でした。なんせ無料なので興味のある方はご一読を。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『天と地と』海音寺潮五郎

「小僧! くらえ!」

という呶声は、斬りつけてから出た。

あまりの急なことに、信玄は立ち上がるすきがない。まして刀をぬくひまはない。床几にかけたまま、軍配うちわで受けた。うちわは薄金づくりだが、鋭い切っ先は半ばまで切り裂いた。

「しぶとい!」 

 再び長らくブログの更新が途絶えていましたが、今回読んでいたのは海音寺潮五郎の『天と地と』。文庫本で上・中・下と三冊組の長編小説です。

 

今をさかのぼること50年以上前、1969年に7作目のNHK大河ドラマとして放映された原作作品。

 

僕もなんとなく作品名は聞き覚えがあったのですが、実際に読むのは初めてになります。

 

時代としては人気の戦国時代ですが、基本的に信長・秀吉・家康が中心に語られる事が多く、室町末期から信長上洛以前というのはいまいち影の薄い時代に感じています。同時代だと信長絡みで義理の父である斎藤道三が頻繁に登場するぐらいで、それ以前の武将にはなかなかスポットライトが当たる事が少ない。

 

具体的に言えば本作の主人公である上杉謙信武田信玄もそうですが、今川義元、北条 氏康も同様に感じています。今川義元なんて、信長の噛ませ犬的な扱いに終始している作品も多いですよね。

 

現在放送(休止?)中の大河ドラマ麒麟がくる!』においては、今川義元が家康や信長との絡みで地味に触れられるぐらいで、信玄・謙信の名前はほとんど出てきていません。

信長が今川義元を討ち果たした頃、謙信と信玄の争いも佳境を迎えていたわけで、当時時の情勢を考えればどちらも名前ぐらい出てきてもおかしくないぐらいの存在のはずなのですが。

 

僕自身、信長以降の武将ものの作品についてはだいぶ読んだつもりなのですが、考えてみると上杉謙信武田信玄という二人の武将についての作品にはこれまでに触れた事がなかったので、今回ついに読んでみる事にしました。

 

こうして一つ一つ、自分の中でピースが収まるように歴史のパズルが繋がっていくのは読書の醍醐味の一つでもありますよね。

 

父から迫害・兄との対立

本作は上杉謙信の父であり越後の守護代長尾為景から始まります。

足利時代末期の当時、既に全国各地は戦国の乱世に突入。為景も名のある武将として日常的に争いに明け暮れる日々が続いています。英雄色を好むという言葉の通り、為景は63歳にして四人目の妻、袈裟を迎えます。

 

問題が発生するのはその直後。

妻に娶って程なくして、袈裟は妊娠します。

それがあまりにも早すぎると、為景はいぶかしく思い始めるのです。

 

「お腹の子は本当に俺の子なのか」

「既に仕込まれた状態で嫁いできたのではないか」

 

という疑惑ですね。現代でも話題の❝托卵疑惑❞とでも言いましょうか。

 

生まれた子供は虎千代と名付けられ、為景は表面的には自分の子として育てますが、実際には虎千代を愛せず、遠ざけようとするばかり。

唯の保護者であった袈裟の早世も重なり、虎千代はまだ幼いうちから出家させられたり、春日山から遠く離れた他家に出されたり、といった迫害に遭うのです。

 

こうして父の愛情を知らずに育った虎千代こそが、後の上杉謙信

 

為景が栴檀野で討死した後、長尾家の家督は兄の晴景に承継されますが、この晴景も困った人物。

年若ながら徐々に名声を集めていく景虎(虎千代)と手を合わせ、協力して長尾家再興を目指せばよいのですが、一向に父の仇討ちに動く気配も見せず、周囲の豪族らは荒れるばかり。加えて、なにかと比較されがちな景虎を疎ましく思うばかりで、やる事なす事裏目に出ます。

 

最終的に景虎を攻め落とすつもりが逆に反撃に遭い、長尾家の家督景虎に譲るに至ります。

 

上巻~中巻中盤までは、こうした景虎の父からの迫害、兄との対立といった肉親との対立が中心に描かれていきます。

 

朝廷・幕府への忠誠

長尾家を継いでからというもの、景虎武田晴信(信玄)との度重なる領土争いや、北条氏との争い等、関東を舞台とした戦乱へと入っていきますが、本書において、主人公である景虎はあくまで「善の人」という立ち位置で描かれています

そもそも景虎が仕えている上杉家は関東管領、つまり関東を統べる官位であり、景虎は自ら京へと上り、朝廷や幕府に参内しています。末期の当時は既に名ばかりの存在であった、という但し書きは必要ですが、松永久秀ら幕府や朝廷を食い物にする連中とは異なり、朝廷や幕府に忠誠を誓う武士としての姿が描かれています。

まるで江戸末期の会津藩のような立ち居振る舞いです。

 

やがて景虎は上杉家の家督関東管領職を相続し、名を上杉政虎と改めます。

一方で武田晴信もまた、信濃守護に任じられたりしています。

落ち目の朝廷や幕府が求められるがままに衣冠が職をバラまいていたのが、当時の国が荒れていた一番の原因なんじゃないかと思えてきたりもするんですけどね。

「俺の領地はここからここまでだ!大義名分もあるぞ!」

と各々が好き勝手言う原因を、国の偉い人たちが自ら作っていたわけですから。

 

困った時代です。

 

そして第五次川中島の合戦が終わったところで、3巻に及ぶ壮大な歴史長編は終わりを告げます。

 

乃美との純愛

本書は史実を元にした歴史小説なのですが、一番印象に残っているのはという女性とのエピソードの数々でしょうか。

乃美は景虎の少年期の師となり、以後は軍師としても名高い宇佐美定行の娘です。

少年時代に宇佐美の屋敷でたまたま出会った乃美に心を惹かれ、度々彼女の下を訪ねる景虎の初々しさは清々しくさえありますし、年上ぶって景虎の身を案じる乃美に、感情的に一喝してしまうシーンもまた、ほろ苦い青春の1ページを感じさせるものです。

 

生涯独身を貫いた事から「女性説」や「男色説」が渦巻く謙信ですが、本書においては乃美という一人の女性への純愛が、一つの答えとなっているようです。

 

 

本書は第五次川中島の決戦を終え、戻ってきた謙信を宇佐美正行が迎える場面で終わっています。

 

史実としては以後、武田軍との抗争は収束するものの、北条との関東方面での争いが続き、やがては信長との争いの中で謙信は果ててしまうわけですが、やはり上杉謙信の武将としてのピークであった信玄との抗争で幕引きとするのは良い判断だと思います。

 

この後、信玄亡き後に滅亡の一途を武田家や、同様に衰退していく上杉家を描くのは寂しくなるばかりですしね。

 

一説によると武田信玄が強いとされてきた理由は、後に天下統一を果たす徳川家康が唯一大敗した相手でもあり、武田家滅亡以後は家臣団を大量に雇い入れた事もあって、「武田は強くなくてはならない」とする徳川家のお家事情が働いたとか。

となると武田と五分の戦いを繰り広げた上杉謙信も強くならねばならず。。。なんて邪推もあったりするわけですが。

 

本作においては上杉目線での作品でしたので、次は武田側から描いた作品も読んでみたいと思います。海音寺潮五郎の歴史解釈上、武田軍の名軍師・山本勘助も本作には登場していませんし。

 

いつもながら散文的・支離滅裂な文章ですが今回はこんなところで。

https://www.instagram.com/p/CA_6BLWjtbI/

#天と地と #海音寺潮五郎 読了1969年後、第7回のNHK大河ドラマを始め映像化・漫画化・ゲーム化と数々の派生作品を生んだ大作。上杉謙信の幼少期から第五次川中島の合戦までを描いた作品です。生涯未婚を貫いた事から女性説、男色説も取り沙汰される上杉謙信ですが、本書においては一人の女性への純愛という形で一つの答えが描かれています。これはこれでとても良い感じです。ただ全体的に主人公である上杉謙信寄りに書かれているので、今度は武田信玄側から描いた作品も読んでみたいところです。なので早速新田次郎の『武田信玄』を注文してしまいました。原発事故の時もそうだったですが、現実にとんでもない事件が起こっていると途端にフィクションが味気なく感じられてしまうんですよね。バイロンではないですが「事実は小説より奇なり」と。コロナもそろそろ落ち着いて来たので、いい加減フィクション系の本に戻ろうかなぁと思い始めたところです。#本が好き #活字中毒 #本がある暮らし #本のある生活 #読了 #どくしょ #読書好きな人と繋がりたい #本好きな人と繋がりたい..※ブログ更新しました。プロフィールのリンクよりご確認ください。

『黄泉がえり』梶尾真治

「実は、死んだ主人が帰ってきまして。今朝がたですよ。気がついたら帰ってきてて」

っっっっっ!!!!!

 

思いがけず、二日続けての更新となってしまいました。

どれだけ怠けていたことか。

 

前置きはさておき、読んだのは梶尾真治黄泉がえり』。

2003年には当時SMAPの草彅剛主演で映画化もされた話題作。

 

 

映画は未鑑賞ですが、そこそこ評価の高かった作品という印象だけは残っていて、古本屋でタイトルを見た瞬間に衝動買いしてしまいました。

 

 

死者が“蘇る”

タイトルオチしてるので説明するのも憚られますが、文字通り次々と死者が蘇ってくるお話。

それを商社(?)に勤める雅人やその部下の中岡、警備会社に勤める義信らを視点に、様々な角度から描いています。

 

雅人の場合には、勤務先の先代社長が黄泉がえり、さらに実父も蘇ります。

中岡は少年時代に自分を救って死んだ兄が、さらにアプローチしていた未亡人の玲子の夫が蘇ってきます。

義信に関しては、昔から大ファンだった歌手のマーチン(女性)が蘇ります。全国的に知名度のあるマーチンの復活が、熊本を中心とした局地的な現象であった黄泉がえりを日本中に知らしめる結果となります。

 

それぞれが感動の再会に喜び、さらに蘇った者たちが社会活動を取り戻すために行政や世の中が変わっていく様が描かれていくのですが、後半からもたらされるターニングポイントに向かって、急激に物語は変容、収束していきます。

 

映画化も納得の思わず唸るようなプロットです。

 

 

素材を活かしきれなかった

ところが残念ながら、著者にせっかくの素材を活かしきるだけの腕が足りなかったのがもったいないところ。

 

一人称「私」にも関わらず語尾に「ッス」をつける謎の口調の中岡をはじめ、登場人物たちはやたらとキャラクター性(昭和的)の先行が目立ち、彼等からは日常生活のリアリティーが一切感じられません。

そのせいか、言動の一つ一つにも整合性が得られません。

 

序盤、市役所に多数の人々が詰めかけるシーンがあります。

彼等の目的は「死んだ人が帰ってきたから死亡届を撤回させて欲しい」というもの。

それにより市役所窓口は混乱に陥り、市長は黄泉がえってきた人に対する対策に迫られるというものです。

 

……おかしくないですか?

 

仮に死んだ肉親が突然戻ってきたとして、まず一番最初に取る行動ってソレですかね?

普通に考えるといくら本人に瓜二つだったとしても、まず信じませんよね。誰かの悪いいたずらか、何かの間違いだと思うはずです。どんなに似ていて、本人しか知らないはずの記憶を所持していたとしても、です。

 

なのでまず蘇った人が求められるのって、本人確認で間違いないと思うんですよ。蘇った本人にとっても、肉親にとっても。

とすると一番は死亡届けを出した病院ですよね。仮に本人だと確認できたとしたら「じゃあ葬式やって火葬場で燃やしたアレは誰なんだ? もしかしてよく似た他人の死体で葬式上げたのか?」となるでしょうから、とかく病院がらみの騒ぎになるのは間違いありません。

 

役所に届出を……なんて考えに及ぶのは、なんやかややって「とにかくどうやら目の前にあるこの人は死んだと思っていたあの人に違いないらしい」と医学的にも証明を得られてからになると思うんですよね。

だって本人確認取れないのに「先に戸籍を元に戻して」なんて言いませんし、役所側も「まず本人だと確認を取って下さい」と突っ返すのは間違いありませんし。

 

一応補足しておくと本書の中にも、役所の対応として「戸籍に代わる登録の手段」や「認定」、「本人鑑定」という文字が出てくるのは出てくるのですが、それは記者の口から「そういう対応を取るらしいよ」という言葉として出てくるだけであり、実際にそれに伴う混乱等が描かれるわけではありません。現実的な手続きとして、本人確認だけでも数か月から半年はかかりそうな気がしますが。

基本的にほぼ全ての遺族は故人が現れた瞬間に本人である事を盲目的に受け入れ、次に取るべき行動として役所に戸籍を求めるとともに、日常生活への復帰を始めようとします。

雅人の会社の先代社長に至っては蘇って早々にお披露目パーティーを開催してしまいますし、マーチンは早々にアーティストとして復帰を果たし、作曲やレコーディングを始めてしまうのです。小学生姿の中岡の兄に至っては、翌日から近所の老人たちの手伝いを申し出て小遣い稼ぎを始める有様。

 

フィクションとしてある程度のご都合主義は否めないのかもしれませんが、最終的に二万人以上の黄泉がえり申請があったというのですから、世の中の混乱ぶりはある程度は描いてくれないと白けてしまいます。

 

 

描きたかった事とは

一番わからないのがコレですね。

一体何が描きたかったのか。

 

多分、「死者が蘇って、原因は〇〇で、クライマックスがこうなる」みたいなプロットが全てになってしまったのかな、と。

 

死者が蘇るというと辻村深月の『ツナグ』が真っ先に思い出されますが、書きようによっては同じようなじんわりとした感動を呼び起こす作品にもなり得たと思います。いや、スケールの大きさから言っても、『アルマゲドン』のようなハリウッド超大作になり得る題材だったのかも。

 

先代社長が突如蘇った会社、帰ってきた祖父、帰ってきた夫、帰ってきた兄、帰ってきた憧れのスターと、他にも様々なパターンの黄泉がえりが描かれているのですが、そのどれもが描き切れたとは思えません。

それもこれもステレオパターンな登場人物たちに起因しています。

 

蘇った先代社長は最初から最後まで先代社長でしかありません。

先代社長の父親としての顔、夫としての顔、生前やり残した悔恨等はほとんど描かれないのです。

 

同様に、マーチンも蘇った瞬間からアーティストであり、一人の女性としての彼女や生前の交友関係、両親や親族との邂逅といったものは一切描かれません。唯一彼女が所属していた事務所の社長が蘇った彼女を売り出そうと躍起になるばかりです。

 

あくまで「蘇った〇〇」というキャラクターを演じさせられるのみで、人間としての深みが一切ないのです。

 

もっと端的に言えば、死に対する深みが感じられない。

だから生き返ってきた事に対する喜びや感動も感じられない。

 

田舎で飼っていた猫がある日突然いなくなったと思ったら、数日後にふらっと戻ってきたという、そんな感じなんですね。「あれ?生きてたんだ。じゃあご飯の用意してあげなきゃ」みたいな受け止め方。

 

復活してきた時の感動を描き切れていないので、再度消えゆく際の感動も薄いままになってしまうのは必然です。

『ツナグ』的世界観であれば、「悔恨に悔恨を重ねて死んでいった人が奇跡的に蘇った数日間の間に未練を一つ一つ断ち切り、改めて清々しい気持ちで遺族に別れを告げてあの世へ旅立つ」感動巨編になったはずなんですが。

 

いずれにせよ題材としては非常に優れた作品なので、いずれ時間ができた際にでも映画版を観てみたいと思います。多分こういうのは、エンターテインメントのプロがリメイクして作品に仕立てた方がよくなるはず。そう期待して。

 

 

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Linus on Instagram: “#黄泉がえり #梶尾真治 読了 死んだはずの人がある日突然帰ってくる。しかも次々と。 一体何が起こっているのか。 彼らは一体どうなるのか。 2003年に草彅剛主演で映画化され大ヒットを記録したそうで、かなり魅力的な題材でした。…”

『小説立花宗重』童門冬二

「知ってのとおり、おれはおまえたちとともに徳川殿に歯向かい、石田三成に味方をした。しかし結果はわれわれの負け戦となった。にもかかわらず、徳川殿はかつての敵将に対し、昵懇な扱いをしてくれ、おれをお相伴衆に取り立てたのちに、たとえ一万石とはいえ棚倉の地で大名の座に復権させてくれた。そう思うと、おれは徳川殿の恩を忘れるわけにはいかない。これからは、徳川殿にご恩を奉ずる。」

童門冬二の『小説立花宗重』を読みました。

 

二月に読んだ葉室麟『無双の花』同様、戦国時代の武将立花宗重を描いた本。

いまいち知名度の低い立花宗重ですが、『無双の花』の中では並み居る大小名の前で豊臣秀吉「東国にては本多忠勝、西国にては立花宗茂、ともに無双の者である」と紹介したという逸話が紹介されています。

 

本書においても、同じく豊臣秀吉より、

 

「その忠義は、まさに鎮西一、武勇もまた鎮西一である。わが上方にも、このような若者があろうとは思われぬ。見事である。それぞれ、範とせよ」

と最大級の賛辞を披露する一幕が。

 

そんなエピソードの数々からも読み取れる通り、この立花宗重、実は戦国最強との呼び声も高い人物なのです。

 

 

ざっくりあらすじ

本書では主に立花宗重が元服してから死ぬまでの一生が描かれています。

ざっくりとあらすじを紹介すると、そもそも立花氏というのは北九州を拠点とする大友氏の家臣として仕えるお家柄でした。

その頃というのは、東では織田信長が激戦を制し、京へ上って天下統一まであと一歩という戦国真っただ中の時代。九州においても事情はよく似ていて、一時は九州の大半を手中に収めた大友氏でしたが、薩摩の島津氏を中心とする反大友派の抵抗と相次ぐ離反により勢力を盛り返されつつあるという状況にあります。

 

宗重は父・立花鎮種や舅・立花道雪とともに大友氏の家臣団として防戦を繰り広げますが、戦局は芳しくありません。島津氏の勢いを前に苦戦が続きます。

 

そこで宗重が頼ったのが、豊臣秀吉。秀吉は石田三成を射ち、次いで柴田勝家を滅ぼし、一気に天下取りを駆け上がる最中にありました。中国・四国を治めた秀吉にとって、九州討伐は必然の流れでもありました。そして九州討伐の最大の敵こそ、反感的な姿勢を崩さなかった島津に他なりません。

利害の一致した秀吉は島津と対抗する大友氏らに協力。宗重らは先鋒として大いに武功を治め九州討伐に尽力。秀吉の信頼も厚いものとなったのです。

大友氏の一家臣であった立花氏は、豊臣家の家臣として柳川十三万石の大名に取り立てられるに至ります。

 

……で、立花宗重の武勇伝を示す上で必ず語られるもう一つのエピソードが、秀吉の朝鮮出兵秀吉の急死により一斉退却が決まり、続々と武将たちが引き上げる中、敵陣にあった加藤清正らだけが取り残される事態に。その窮地を救ったのが立花宗重だった、というもの。

ただしこれ、文献等の資料が少ないのか、『無双の花』においても本書においてもかなりあっさりと描かれるに過ぎないのが残念なところですが。

 

そして秀吉の死により、世の中は再び戦国の世に。

関ヶ原においては、立花宗重は自分を引き立ててくれた秀吉の恩義に報いようと、豊臣秀頼を大将に掲げる西軍に与する宗重は、要衝である大津城の攻城戦へと加わります。

 

ところがそうこうしている内にあっけなく関ヶ原の勝敗が決してしまう。

再度の決戦に挑むため一旦伏見城に入り、大坂城にこもる秀頼に出馬を促す西軍の各武将らでしたが、一向に動こうとししない秀頼や総指揮者たる毛利輝元らの態度に郷を煮やし、単身柳川へと帰ってしまいます。

 

九州に戻った立花宗重を待っていたのは、豊臣方の敗軍を掃討しようと仕向けられた追手の数々。そこに割って入ったのが、前述の加藤清正。彼の仲介により窮地を救われた宗重でしたが、「徳川への恭順を示すためには同じく西軍に与した島津討伐の先鋒を務めるべき。元々島津は立花の仇のはず」という提案は頑として受け入れません。

一時は仇敵として争い合った島津とはいえ、つい先日までは同じ西軍として手を取り合って戦った間柄。その島津に刃を向ける事はできない、というのが宗重の主張です。

 

結果、柳川領十三万石は没収。

宗重は一気に浪人の身へと落ちてしまいます。

 

しかし、そこへすかさず手を差し伸べてくれたのが加藤清正。行き場所を失った宗重を自領に迎え入れ、手厚く遇します。

とはいえ清正の家臣に下るわけにはいかず、関ヶ原の敗将を匿う加藤家の体面もあり、宗重は数人の家臣だけを連れ、時世を探りに京へ、江戸へと移ります。

 

そうして江戸で暮らす中、ひゅんな事から徳川秀忠のご相伴衆(相談役のようなもの)に抜擢されます。

最初は僅かに五千石だった禄高も、程なく奥州棚倉藩(今の福島県棚倉町)一万石となり、立花宗重は徳川政権下においても再び大名へと返り咲きます。

 

そして大阪冬の陣・夏の陣を過ぎ、家康崩御の後は、二代目将軍となった秀忠により再び元の柳川藩十一万石へ移封を命じられるのです。

関ヶ原で西軍に与した武将で、旧領に復帰したのは立花宗重たった一人だけでした。

 

 

『無双の花』との違い

以前読んだ『無双の花』がなんとなく物足りなく感じられて、別の著者の描く立花宗重も読んでみようと本書『小説立花宗重』を手に取ってみたのですが。

 

正直、あんまり代わり映えしないなぁ、と。

 

歴史小説である以上、史実として残っている部分に関しては動かしようがないので似通ってくるのは仕方ない。

ところが妻である誾千代の男勝りな性質であったり、立花宗重のあまりさもしいところには頓着しない殿様気質なところなんかも、ほぼ一緒。これらもある意味史実に沿った結果なんですかねぇ?

 

義を重んずる“忠義の人”とされる立花宗重にも、ところどころドライな面もあったりします。

柳川藩復帰後、前領主である田中家の家臣を雇用するどころか、領内に留まる事すら認めなかったり。

 

盟友である石田三成を売ら切った田中吉政人間性が許せず、その不純な大名の家臣ですら許せない潔癖さ、と説明されていますが、今となってはちょっと理解しがたい感情ですよね。

M&Aした会社の従業員を全員解雇するのと似たような行為と言えるのではないでしょうか。もしくは新しい市長が職員を全部総とっかえするような感じか。大いに軋轢や遺恨を生み出しそうな措置ですが。

 

秀吉に愛され、秀忠からも重用された天下無双の武将、立花宗重と言えば聞こえはいいですが、大阪の陣で華々しく散った真田幸村らに比べるとやはり印象としては薄くなってしまいます。

同じく”仁”の人と言われる直江兼続にも共通して言える事ですが、”仁”や”義”を唱えるからには戦いの中に消えていく方が美しく感じてしまいますもんね。

 

だからこそ、彼等に負けないような逸話やエピソードを期待したかったのですが。

 

どこかに朝鮮の役を詳しく描いた小説とかないですかねぇ?

孤軍奮闘する加藤清正と、決死の救出劇を繰り広げる立花宗重を見てみたいものです。

 

 

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Linus on Instagram: “#小説立花宗茂 #童門冬二 読了 #無双の花 に続く #立花宗茂 もの。 秀吉にして「東国にては本多忠勝、西国にては立花宗茂、ともに無双の者である」と言わしめ、関ヶ原敗軍の将として一度は浪人の身に落ちながらも、徳川政権下でただ一人旧領への復帰を果たした唯一の人。…”