『妖精作戦』笹本祐一
「問題はいかに騒ぎを起こさずにあれをかっぱらうか、だ」
1984年の発売ながら、現在でも様々なキュレーションサイト等で「絶対に読むべきライトノベル〇選!」的なまとめには時々混ざっている稀有な作品です。
そこに書かれている紹介文は大概「SF金字塔」「ライトノベルの元祖」といった魅力的な文言であり、「ライトノベルの歴史を語るには避けては通れない一冊」といった具合。世代ではないのでわかりませんが、当時の青少年たちにとっては一大センセーションを巻き起こした作品であったのは間違いないのでしょう。
とはいえこの辺りの定義づけにはちょっと異論があったりもしますが。
例えば同様に「ジュブナイル小説の草分け」であり「SF金字塔」と言われる筒井康隆『時をかける少女』は1967年の発売と遡る事15年ほど前に登場しています。
純粋なライトノベル関連でいえば、ドラクエやファイナルファンタジーにも通じる世界観の栗本薫『グイン・サーガ』は1979年と本作よりも5年前、田中芳樹『銀河英雄伝説』が3年前の1981年、菊地秀行『魔界都市〈新宿〉』がその翌年1982年、いのまたむつみのイラストが美しい 藤川桂介『宇宙皇子』も同年1982年のスタートとなっています。
いずれもライトノベル黎明期を代表する作品であり、『妖精作戦』以前である1980年前後からちょっとずつライトノベルに近いファンタジー小説の大作が次々と産声をあげていたことがわかります。ただしこれは著者の力量はもちろんですが、本書『妖精作戦』や『魔界都市〈新宿〉』を輩出した朝日ソノラマ文庫というレーベルの果たした役割が大きいように思えます。
ただし、上に挙げた4作はいずれも大人(宇宙皇子は子どもから)が主人公となっていますので、ライトノベルを「少年少女を主人公とした少年少女向けの小説」と定義するのであれば、あくまで大人も楽しめるファンタジー作品の範疇であり、ライトノベルと呼べる段階には至っていないのかもしれません。
では本書『妖精作戦』がライトノベルの元祖と呼ばれる理由は何なのか。
本書に登場する主人公たちはいずれも現役の高校生であり、読者と同じ年齢層の主人公たちが、バイクでカーチェイスや銃や爆弾を駆使したドンパチを繰り広げ、挙句の果てに宇宙にまで飛んで行ってしまうというぶっ飛んだ物語となっています。さらにその舞台には自分たちが通う学校が入ってくるところも特筆すべき点です。
全くの異世界ではなく、日常の延長線上で繰り広げられるSF(学園)ファンタジー。
これこそが、同年代の少年少女たちの心を鷲掴みにした理由なのでしょう。
上述の通り1980年代前後からライトノベルの兆候のようなものが見えてきますが、本格的にライトノベルが世の中に浸透していくのは、1988年の角川スニーカー文庫・富士見ファンタジア文庫という2大レーベルが誕生し、水野良『ロードス島戦記』や 深沢美潮『フォーチュン・クエスト』、さらに神坂一『スレイヤーズ!』などを輩出してからという事になろうかと思います。
なお、『妖精作戦』と並び「当時の少年たちに強烈な印象を植え付けたトラウマ本」とされる王領寺静(=藤本ひとみ)『異次元騎士カズマ』が登場するのも1988年。
僕は兄が借りてきた『異次元騎士カズマ』を読んでモロにそのトラウマを食らった世代だったりしますので、『妖精作戦』を読んだ当時の少年たちが受けた衝撃も、同様のものだったのだと考えればなんとなく気持ちや、未だに名作として引きずり続ける感情もよくわかる気がします。
残念ながら『異次元騎士カズマ』は未完のままで終わってしまっているんですけどねー。
そしてこの二冊、『妖精作戦』と『異次元騎士カズマ』はいずれも既に絶版となっていました。
当時リアルタイムで作品を手にした世代にしかわかり得ない幻の作品だったのです。
「今では手に入らない」「当時の世代しか知らない」という希少性もまた、本書の名声を高めるのに一躍買っているのは間違いありません。
そんな『妖精作戦』が再び世の中で見直されるきっかけになったのが2006年に発表され、映画化もされた有川浩『レインツリーの国』。
作中に登場する主人公たちの出会いのきっかけとなる作品こそ、明らかに本書を連想させる『フェアリーゲーム』という物語。
『レインツリーの国』を読んだ読者の間では『フェアリーゲーム』=『妖精作戦』が話題となり、有川浩自身も肯定し、自身へ与えた影響を語りはじめたあたりから、『妖精作戦』を一度読んでみたいという読者が一気に増えました。
そうした後押しもあってか、絶版状態にあった『妖精作戦』は2011年に復刊。
幻のライトノベルはついに僕らの手の届くところとなったのです。
……オタの脳内空想物語?
『妖精作戦』は、夏休み明けの新宿で榊という少年とノブという少女が偶然出会うところから始まります。ノブは同じ学校の転入生だった、という典型的なボーイ・ミーツ・ガール。
授業中のノブを狙って飛んできたヘリコプターを、ノブが不思議な力を使って撃退・墜落。ノブはとんでもない超能力を持っており、そのためSCFという組織からその身を狙われているのです。
ノブの護衛を引き受けた探偵平沢が駆け付けたところ、謎の車にノブがさらわれます。バイクで追う平沢と、さらにそれをバイクで追う榊の友人・沖田たち。
カーチェイスと銃撃戦の果て、平沢はノブの救出に成功。
しかしその後まもなく再びノブはさらわれ、今度は東京湾の原子力潜水艦へ。ノブを救出に東京湾にダイブした榊や沖田らは無事潜水艦に潜入。そこへ平沢が飛行機で突撃。
全員まとめてスペースシャトルに乗り、月に向けて発射。
……とまぁまとめて書くのも難しいぐらい、斜め上な展開が繰り広げられていきます。
「読者と同じ年齢の主人公たち」と書きましたが、プロのレーサー並みにバイクを操り、銃を扱い、海にダイビングし、宇宙服で無重力空間をバトル……とまぁ、荒唐無稽も甚だしいトンデモ展開だらけです。
なお、ストーリーも滅茶苦茶なのですが、文章もかなりのシロモノ。
大した説明や描写もなく次々と新たな登場人物が投入され、読者がその人物像を把握しきれない内に「知っていて当然」とばかりに物語は進んでしまいます。読み進める中で、「ははぁ、こいつはこういう特技を持っていて、誰と彼とはこういう関係性にあるんだな」という事を後追いでなんとか理解していく、という状況。
その割に、バイクや銃についてはやたらと細かい描写や固有名詞が頻出したり。750SSとかCB1100Rというカタログスペックで書かれて、昔の人は理解できたんですかねぇ?今ならインターネット検索で一発ですが、当時だと辞書や広辞苑にも載っていないであろうこういった商品名をどうやって理解していたのか、理解しがたいところです。こういった製品やスペックをそのまま記述するのは当時の流行なのだとは思いますが。
さらに見開き2ページ待たずして場面が切り替わる事も日常茶飯事なので、状況を理解できず戸惑うことしきり。
漫画をそのまま文章化したらこうなるのかな、と思うような構成です。
漫画だと離れている場所にいる登場人物が途中で数コマ描かれても理解に苦労はしませんが、それを小説でやられると混乱不可避ですよね。
要するに昔のライトノベルだけあって、小説としてはかなり完成度の低いものになってしまっているのです。現代の洗練すら感じられるライトノベルというよりは、ふた昔ほど前に一世を風靡したあかほりさとるに近いものを感じます。もう少し具体的に言えば、オタの頭の中で繰り広げられる漫画的イメージをそのまま文章化したような代物。今なら新人賞の一次すら通過できず、初見で切り捨てられてしまうのは間違いありません。
とはいえこれは昔のライトノベルを読む場合には避けて通れないハードルのようなものなので、甘んじて読むしかありません。文章や構成の稚拙さはジャンルの未成熟さに比例しますし、描写云々に関しては時代性に左右されるところも大きいですから。
ただまぁ『妖精作戦』を読んで感じたのは、「読者と同じ高校生が主人公」「オタ知識・技術を駆使」「超能力から宇宙戦争まで破天荒なストーリー」といった当時における斬新さがウケたのだろうな、というとても客観的な感慨ばかりでした。
時代を超越して楽しめるような要素があったか……というと個人的に感じるものはありませんでした。
シリーズ作品だった
そんなわけで『妖精作戦』が「ライトノベルの元祖」と言われるような理由も自分なりに理解したつもりで読了したのですが……読後に背表紙のあらすじを見たら、気になる一文が。
歴史を変えた4部作開幕!
なんですって!!!
最初の方にごちゃごちゃ長々と書きましたけど、『妖精作戦』が4部作だなんてこの瞬間まで本当に知らなかったんです。
しかもよくよく調べてみると、どれもこれも「4部作のラストがトラウマ」と判を捺したように書かれる始末。
『妖精作戦』を語るには、『妖精作戦』だけじゃ足りなかったんです。続編である『ハレーション・ゴースト』『カーニバル・ナイト』『ラスト・レター』までシリーズ通して読まないと。
実際、『妖精作戦』を読んだだけでは取り立てて語るべき内容もあるようには思えなかったですし。
とはいえ、正直迷ってしまいました。
わざわざあと三作も追加で買って読むべきなのか。
しつこいようですが『妖精作戦』を読む限り、「続きが気になる」「もっと読みたい」と思える作品では到底なかったですから。
中古で安く買うか、とヤフオクやらメルカリやらで検索し、迷っている中で再び発見しました。
……全巻無料?
なんと、マンガ図書館Zというサイトで『妖精作戦』シリーズ全4作が無料公開されていたのです。
しかもこれはサイト上で読むだけではなく、PDFデータのダウンロード配布までしているという大盤振る舞い。スマホの電子書籍ビューアーで読めてしまうのです。
調べてみるとどうやら2011年の復刊と同時に旧版(※初版に修正を加えた94年版)の無料公開に踏み切ったとの事。
そのあたりの事情は下記リンクをどうぞ。
無料で配布されているとなれば、読み始めるまでのハードルはぐっと下がります。
ですので当初は『妖精作戦』だけを取り上げる予定であった当ブログも予定を変更し、以下三作もまとめて掲載する事とします。
『ハレーション・ナイト』
2作目である『ハレーション・ナイト』はファンの間では番外編的な位置づけとされています。
『パターンA ハレーション・ナイト』と『パターンB YOU MAY DREAM』の二本立てとなっていますが、いずれも前作『妖精作戦』の主人公である榊とノブではなく、沖田を主人公として進んで行きます。
『パターンA ハレーション・ナイト』は全身黒づくめの男たちに少女が襲われているところに沖田が遭遇するところから始まります。前作でさんざん繰り返されたノブの誘拐シーンと重なり「またか」と辟易してしまうところもありますが、突如男たちの上に巨大な岩の塊が落ち、少女とともに跡形もなく消えてしまうという不思議な現象が起こります。
その後、学園祭のための映画撮影に臨む沖田たちでしたが、撮影フィルムの中にも例の少女が映り込んでいたり、寮の建物だけ局地的な地震に襲われたりといった怪奇事件が続発。
さらには映画のヒロイン役だった深雪がドラキュラらしき謎の黒い男にさらわれるという事件が発生。数階層に及ぶ巨大なジャングルのような大温室の中を、スズキRH250というオフロードバイクで追跡する沖田。途中出会った先の不思議な少女・氷島陽子を後ろに乗せて男を追い、最終的に大温室の屋根上まで追跡劇は広がりながらも、なんとか深雪の救出に成功します。しかし終わってみると、陽子の姿もやはり跡形もなく消えてしまい……。
しかしながら事件はこれで収まらず、男子寮内部は雪山のような悪天候に襲われ、巨大なドラゴンや狼男、雪女、播州皿屋敷のお菊さんやお岩さん、羽の生えた妖精の大群などありとあらゆる怪奇現象が起こり続けるように。
そんな中、消えた陽子について引っ掛かる沖田は彼女について調べてみることに。すると彼女の意外な素顔とともに、怪奇現象の原因へとたどり着く事になります。
続く『パターンB YOU MAY DREAM』では再び学園祭三日前の日常へ。
自主映画は撮影からアテレコへと工程が進み、残り日数が限られた中ドタバタと準備を進める様子が描かれますが、そんな中、ふと視線を感じる沖田。誰かが窓の外から覗いていた気がする。でもそこは4階……とまるで『パターンA ハレーション・ナイト』のエピソードを彷彿とさせる始まり。
ニュースでは日本各地で天変地異的な事件が起きたり、お馴染みのメンバーも原爆が落とされたかのような幻覚症状を見たり、妖怪らしきものが散見されたりと、どうやら『パターンA ハレーション・ナイト』でのお化け騒ぎが終結していない事がわかってきます。
それどころか事態はどんどん深刻化していき、ペガサスが走り回ったり、スターウォーズの宇宙船同士がレーザー砲を撃ち合ったり、キングギドラやゴジラが町を破壊し、『うる星やつら!』のラムちゃんが「ダーリン知らないっちゃ?」と尋ねてきたり、『風の谷のナウシカ』の王蟲が大量に押し寄せたりと、お化けどころではない騒ぎに発展するのです。
これって……
『レディ・プレイヤー1』!!!
まぁこの手の「みんなが知ってる有名作品のキャラクターどんどん出演させちゃえ」的な手法は度々いろいろなメディアで使われていますので今更ではありますが、1980年代の作品である事を鑑みればかなり画期的で斬新な試みであったであろうことは想像に難くありません。
……というわけで、二作目『ハレーション・ゴースト』は一作目の『妖精作戦』と比べると段違いに楽しく読めてしまいました。展開の強引さは否めませんが『妖精作戦』によって各登場人物たちの個性も飲み込め、耐性が付いたことも奏功したのかもしれません。
作者のあとがきによると実際に一作目『妖精物語』よりも売上が上回っていた時期もあるようですから、やはり『ハレーション・ゴースト』が面白いという評価だったのでしょうね。
次々とSFやら怪奇やら色々な事件が起こるという意味では『涼宮ハルヒの憂鬱』を彷彿とさせるところも大きいですし。どうやら『涼宮ハルヒの憂鬱』は本書というか『妖精作戦』シリーズの影響をだいぶ受けているようですが。
こういう『レインツリーの国』→『妖精作戦』→『涼宮ハルヒ』のように影響のある作品を知る事で、読みたい本の対象が増えていくのも読書の醍醐味ですね。
惜しいのは『ハレーション・ゴースト』が外伝扱いという点。ノリ的にはこっちの方が好きなんですが。
自作『カーニバル・ナイト』からは再びノブを追うSCFとの戦いに戻るとか。
さて、どうなる事やら。
『カーニバル・ナイト』
さて、三作目となる本作では、再びSCFがノブの誘拐へと動き出します。
物語は主に二つの流れ、探偵平沢と初登場となる占い師沙織による場面と、沖田たち星南高校生の場面とが入れ違いに展開していきます。
そして何と言っても本書のキーパーソンとなるのが転校生である和紗結希。彼女はSCFから派遣されて星南高校に転校生として潜入する若干15歳。そしてテレパス(テレパシー・さとり)と重量級爆弾に相当するサイコ・クラッシュ(思念爆発)の能力を有する超能力者でもあります。
沖田達は彼女がSCFの一員である事を知りながら自分たちの方から近づこうとし、その姿を一目見ようと盗撮を試みたり、女子寮に忍び込んだり、ラブレターを書いてデートに誘ったりと学園コメディーを繰り広げます。
一方で平沢たちはバイクに乗ってSCFのバイクやヘリコプターとカーチェイスや銃撃戦の繰り返し。
やがてSCFは戦闘機や戦車などの兵器を星南高校に終結させ、小牧ノブの奪回へと乗り出します。沖田たちは学園中の男子生徒に徹底抗戦を呼びかけ、総力戦の様相を呈します。そんな中、遂にノブと結希が相対する事となり……。
文章にすると呆気ないですが、『カーニバル・ナイト』はそんな内容でした。
相手組織から自分たちと似たような人物が送られてくるという手法は昔から何度も繰り返し使われてきている古典的手法(例:エヴァンゲリオンの渚カヲル等)ですが、もしかしたら本書がハシリだったりするのでしょうか?
しかしながら和紗結希に関しては自分から感情を露にする事がありません。沖田達の様々な試みに対してノーリアクションながら、なすがまま、されるがままに応じるという状態ですので、読んでいてちょっと盛り上がりに欠ける感もあります。終盤、それとなく沖田に心を開いているような描写がある点は萌えポイントだったりするのかもしれませんが。
和紗結希は謎の転校生・寡黙・ユキという名前から、前述の『涼宮ハルヒ』シリーズにおける人気キャラクター・長門有希のモデルとして比較される事も多いようです。『涼宮ハルヒ』シリーズとの類似点は他にもかなり多数に上るようですね。考察記事などを描かれているブログやサイトもあるようなので、気になる方は探してみては。
ただ正直僕個人的には、『カーニバル・ナイト』に関しては食傷気味ですねー。
『妖精作戦』も同様ですが、探偵・平沢という人物の存在意義がいまいち理解できません。あくまでマニアックな重火器やバイク・車の名称とカーチェイスや銃撃シーンといったハードボイルドを描くためだけに存在しているキャラクターにしか感じられないのです。
本書でいえば平沢ターンはバッサリ全てカットしても全く問題はない脇役キャラ。そんな彼が突如として美女占い師などという新キャラクターを登場させ、まるでルパンと不二子のようなツンデレなやり取りをされても白けるばかり。
位置づけとしては宗田理『ぼくらの』シリーズにおける矢場勇のように、少年たちのよき理解者(協力者)としての大人という立ち位置なのかもしれませんが、矢場さんは主役級にしゃしゃり出るような事はしなかったんですよね。
探偵平沢、いらないよね。
いずれにせよ泣いても笑っても次作が最終巻。
当時の少年少女をトラウマに突き落としたというラストシーンを見届けるまで、一気に終わらせてしまいましょう。
『ラスト・レター』
『カーニバル・ナイト』で攫われた小牧ノブの奪還へ向け動き出す沖田たち。
どうやらノブは厚木基地にいるらしいと知り、潜入を試みようとするもあえなく失敗。
ノブを乗せたC-47(輸送機って書いてよ)は飛び立ってしまうものの、榊の想いが通じ、榊・沖田・真田・つばさの4人はC-47の船内へとノブの力でテレポーテーションしてしまいます。
一旦はノブとともに脱出し、無人島にたどり着いた5人は「南の島を満喫しよう」とばかりの日常シーンを展開しようとしますが、すぐさま追跡してきた潜水艦見つかり、逆に忍び込むという破天荒さを発揮。そして潜水艦に配備されていたロケットに乗って再び宇宙へ。
しかし、宇宙を漂うところをSCEの機動要塞ブルーサーチへと回収されてしまいます。
そこにはノブを連れ去った張本人である転校生・和紗結希の姿も。
ここからはガンダムで言うところの「スペースコロニー」的な宇宙基地兼生活拠点となる巨大な機動要塞の中を、地球への帰還のために逃げ回る5人を描くドタバタ劇が続きます。混乱のさ中、やがてブルーサーチには敵対勢力であるUFOたちが攻撃を仕掛けてきます。
追い詰められる5人の前に現れた和紗結希は、「逃がしてあげる」と脱出カプセルへと誘います。その後、彼女はUFO迎撃のために出動。
無事地球に向けて発射……と思われた脱出カプセルは、妨害によりすんでのところで引きとめられてしまいます。宇宙空間に無防備にむき出しになったカプセルに迫りくる一機のUFO。それを見た和紗結希は、咄嗟にサイコ・クラッシュの能力を発揮し――。
……とまぁ、終始相変わらずのドタバタ劇でしたね。
途中途中にユーモアを交えながら、追手のボブキャラたちをあの手この手で撃退し、すり抜け、走り回るという攻防というよりは逃亡劇が本書の大半を占めていました。
当時の読者がどう受け止めていたのかは知りませんが、シリーズ四作続けて読んできて、僕はやっぱりこのドタバタ劇が苦手です。あまりにも描写が省かれ過ぎていて、頭の中でうまくイメージが膨らまないのです。
一例として、機動要塞の中の水耕農場へと逃げ込むシーンがあるのですが、追手の目を避けて、コンテナの下を匍匐前進していると言われても全景がさっぱり思い浮かばない。追手がどんな風に彼等を探していて、彼等がどんなに巧妙に追手から隠れているのかが伝わって来ないのです。圧倒的に情景描写が足りない!
終始こんな感じなので、次から次へと追手が現れ、ああでもないこうでもないと逃げまどっていても、「とにかくうまく逃げているんだろうな」という雰囲気でしか理解できません。
なのにその雰囲気でしか理解できないシーンが大半なので、五里霧中の中を手探りするように読み進める事しかできませんでした。
いずれにせよ目的となるのは当時の少年・少女にトラウマを植え付け、後年様々な作家にも影響を与えたという衝撃のラストを見届ける事なので、上記のようなプロセスに関しては半分諦めてとにかく読み進める事にしましたが。
小牧ノブと和紗結希
ネット上でよく話題になっているのは『妖精作戦』シリーズのラストシーンに繋がるノブの最後の決断と行動です。
これが本作に議論を巻き起こした一番の原因だとか。
当時は斬新だったのかもしれませんが、今読んでみるとそんなに驚きもなく。。。
別に『妖精作戦』シリーズに限らず、こういった終わりを選ぶ作品って今となっては結構あるからなぁ、と。
小説だけでなく、ドラマや映画、アニメといった映像作品、さらに漫画等々、「物議を醸すラスト」は今や枚挙にいとまがないくらいありふれていますし。
なので、正直当時の想い出補正のない僕にとってはそこまで衝撃もありませんでした。
それよりもやっぱり文章力や構成力の稚拙さに目が行ってしまいます。
ノブがそういう選択をするのであれば、事前にもう少し兆候や伏線があっても良かったんじゃないかな、と。悩んで悩んで悩みまくった先に、それしか手段がないと決断するに至った過程を感じさせられれば良かったんですが。
あまりにも唐突で、説得力に欠けますよね。他の選択肢の存在が一切提示されないのももったいないですし。
なので一応本書のメインディッシュとして期待しまくった本書のラストシーンにについては、正直肩透かしといったところです。
それよりも刮目すべきは和紗結希のラストシーン。
これもね、他の様々な作品で模倣・類似が見られる気はしますが、なかなかにショッキングなものでしたね。
ノブの決断については伏線も葛藤も何もなかった事が物足りなく感じられましたが、結希に関してはそれがかえって演出効果に繋がってしまっている。
作中の登場人物誰一人予想もつかなかったし、想像もしなかった。和紗結希本人ですら、そんな結果を招くなんて考えもしなかった。読者である僕らは、当然そんな予想を立てたりはしません。
だからこそミステリでいうどんでん返しにも似た胸に迫る衝撃を与えてくれました。
欲を言えば、もうちょっと和紗結希の人間味や愛嬌を描いてくれていれば衝撃は大きかったのかもしれませんが。
同時期だと機動戦士ガンダムのララァ死亡シーンなどが似ているかもしれませんね。
僕個人として一番最初に脳裏を過ったのは新海誠『ほしのこえ』でしたが。
総括
さて、『妖精作戦』から始まった全4作のシリーズ作品もようやく読み終える事ができました。
冒頭に「SF金字塔」「ライトノベルの元祖」「ライトノベルの歴史を語るには避けては通れない一冊」 といったうたい文句を紹介させていただきましたが、実際のところ、2020年の現在読んでみてどうなのか。
これははっきり言います。
読まなくても良かった。
『レインツリーの国』や『涼宮ハルヒ』シリーズ、『イリヤの空、UFOの夏』との関連性を確かめたければ、有志が作ってくれたまとめ記事や比較サイトを見た方が良いでしょう。
ラストのトラウマ云々も、ネタバレサイトを確認すればそれで良い。最初から最後まで読んだとしても、ネタバレサイトで受ける感覚を上回る衝撃にあずかれるとは到底思えません。
これはやっぱり、当時の少年少女が当時の空気感の中で読むからこそ熱狂できた作品でしょう。または、大人になった彼等が想い出補正とともに懐古しながら読むべき本か。
有川浩や谷川流が影響を受けたと言っても、それはそれです。今更読み返したとしても、彼等の青春時代の興奮まで追体験できるわけではないのです。
本書をおすすめするサイトの中には「時代を超えて今でも愛される」といったうたい文句を掲げるところも少なくありませんが、これもはっきりしておきましょう。
そんな作品ではありません。
ライトノベルのはしり、という時点で覚悟しておきましょう。
その世代でなければ愛す事は難しい。高評価をしたとしても、それは作品自体への愛ではなく、作品がもたらした影響やそれを加味した古典的価値に対しての敬意なのでしょう。
僕は本書が後世に与えた影響というのを確認したくて読みましたが、そういう興味本位でもない限りわざわざ読む事はおススメしません。
ただし、現在は無料で公開されていますので、手に取るハードルはゼロに等しいくらい低いです。試しに第一巻『妖精物語』を読んでみても良いのかも。
もし読んでいて「なんか読みにくいなぁ」「ちっとも面白くないなぁ」と感じたら、その時点でやめる事をおすすめします。最後まで読み続けても、その感覚が変わる事はないでしょう。
唯一、『ハレーション・ゴースト』のレディ・プレイヤー感は面白かったけどなぁ。
いまさら「ラムちゃんだっちゃ」なんて言っても通じない人、多いだろうしなぁ。