何の変哲もないこんな町は至るところにあって、そこには家も部屋も数えきれないほどあり、そこで暮らす家族も掃いて捨てるほどある。どんなに自分が特別だと思いたくなって無理がある。私たちが大多数なのだ。そう思ったら、腑に落ちた。じたばたしてあたりまえだし、じたばたしてもしょうがない。
『田舎の紳士服店のモデルの妻』を読みました。
久しぶりの宮下奈都作品です。
彼女を語る上では第13回本屋大賞を受賞し、映画化も果たす大ベストセラーとなった『羊と鋼の森』を避けては通れません。
僕も『羊と鋼の森』をきっかけに、次々と宮下奈都作品を追い求めた読者の一人です。
『鋼と羊の森』という作品についてや、宮下作品の魅力については上記過去記事で再三触れてきましたので、本記事においては割愛させていただきます。
鬱発症からの退社・家族で田舎への移住
容姿端麗・将来を嘱望される同僚男性への一目惚れから結婚、二人の男の子の出産という順風満帆な人生を歩んでいたはずの主人公・梨々子は、夫が鬱を発症し、会社を辞めた事から一変。夫の実家のある田舎に家族全員で移住する事になります。
梨々子の中ではあくまで夫の鬱が治るまでの一時しのぎであり、地方ならではの人間関係や文化を煙たがって馴染もうとせず、都落ちの現実から目を背け続ける日々が続きます。
一方で夫は実家の経営する会社で、昼近くなってようやく出社するといった自由な勤務をし、馴染みの紳士服店からチラシのモデルと頼まれたと嬉しそうに報告する始末。
そんな悠々自適な生活ぶりに、梨々子のストレスは溜まる一方。
……なのですが、30歳で移住し、1年2年と月日が流れ、子どもたちも成長していく中で梨々子の心もだんだんと変わっていきます。変わっていくというよりは、田舎の空気に染まっていく、というべきでしょうか。
本書では移住からの約10年間を追った物語。
梨々子にとっても苛立ちや苦悩、嫌悪といった対象がどんな風に変化していくのかを、著者お馴染みの精緻な心理描写でもって書き出しています。
否定的な主人公
びっくりした事に、宮下奈都作品には珍しく主人公・梨々子が❝嫌な感じ”の女性です。
宮下作品の登場人物って、純粋さやひたむきさが輝くタイプのキャラクターが多い印象なのですが、梨々子はだいぶ毛色の違うキャラクターなのです。
冒頭、「会社を辞めてもいいかな」「田舎に帰ろうと思う」と鬱で苦しむ夫が相談を持ち掛けるのに対し、梨々子は「辞めてどうするの」「帰ってどうするの」と冷血さすら感じさせる言葉を返します。そのまま大して相手もせず、「明日バザーだから」と切り上げる始末。子どもが小さく、手がかかるとはいえ、あまりにもひどい仕打ちです。
達郎がうつだと診断されて帰ってきたとき、裏切られたような気持ちになってしまった。 一緒に暮らしているのに気づいてあげられなかった負い目と、ほんとうに裏切られたのか、どこかで自分のほうが裏切っていたんじゃないかという恐れが、思いのほか強くのしかかってきて梨々子は狼狽した。
世の中の奥様方というのは、こんなものなのでしょうか?
いやいや、僕の周りの人たちは流石にもうちょっと心配したり一緒に悩んだりしていると思うのですが。
この後もずっとそうなのですが、この梨々子という女性は一切夫の心に寄り添おうとはしません。というより、周囲の人々に心を開いたり、受け入れようとする姿勢が見られないのです。
夫に連れられた田舎の写真館で、毎年撮影しているという家族の写真を見せられた時、梨々子はこう感じます。
写真館にあった見本の家族写真はまるでホラーだったから。
あの写真には、十年後のわが家が映っていたのではないのか。太って生気がなく服にも頓着しなくなった夫、思春期に入った長男の不機嫌そうな表情、頑固に眉を顰めたままの次男、そして、二の腕に脂肪がついてぺたんこの靴を履き、それでもつくり笑いをしている自分。
いやー、ヒドい笑
こんな風に受け取る人もいるんだと、逆に目から鱗です。
確かに描写を見る限り楽しそうに撮った写真ではなさそうですが、それでもわざわざ写真撮影のために一家揃って写真館に出かけるあたり、決して家族の仲や結束は悪くなさそうだと思うのですが。
きっと不機嫌そうな表情や頑固そうな顔も、やがて笑って話せる良い記念写真になると思うんですけどねー。
隣人を引っ越しの挨拶に訊ねるシーンでも同様です。
現れた島原という主に対し、
笑わない人は苦手だ。
と初っ端から拒絶反応を示します。
しかし、どうしてこの人はにこりともせず、こんなふうにじろじろと私たちを眺めているのだろう。
「いくつ」
目の前の笑わない人がそういったときも、あまりに不愛想な声だったので、それが自分たちに向けられた質問だとは思えなかった。
この一文だけ読むといかにも「隣人の島原という人は無愛想で感じの悪そうな人だ」と感じるのですが、読み進むにつれてそうではない事がわかってきます。
逆なんです。
感じが悪いのは主人公である梨々子の側なんです。
相手に対しある種のフィルターをかけ、レッテルと貼り付け、決して自分のエリアに踏み入って来ないように周囲にバリアを張り巡らすのは梨々子の癖というか人間性なのかもしれません。
驚くべきことに、これは初対面の人だけではなく、長年付き合っている相手に対しても同様です。
東京から離れた後も、唯一連絡をくれる筒石さんというママ友に対しても、一方的に劣等感や嫌悪感を漲らせます。旦那の都合でシアトルに家族で移住したと聞けば腸がねじれる程嫉妬し、デコパージュに熱中していると聞けば、
自分が描いたわけでもない絵を切って貼ってどこが楽しいの?
と貶めます。
梨々子は常に他人に対して優越感を感じていたいタイプの人間です。
ですから都落ちを受け入れようとはしないし、田舎くさい人々に心を開こうとはしません。子どもの事で教師から何度呼び出しを受けようと、身勝手な自論で都合よく解釈するばかりで具体的な対策に乗り出す様子も見られません。
……とこう書いていくと、ものすごく本書に対して批判的に受け止められてしまいますよね。
嫌な人を描く筆力
逆なんです。
こんなに嫌な人を嫌らしく描き上げるその筆力に、脱帽でした。
梨々子は実在したらすごく嫌なタイプの人間です。
でも実際、こんな人いますよね。
よくよく想像してみると、そもそも都会から都落ちしてくる人の仲には梨々子のようなタイプの人の方が多いかもしれません。田舎の人を見下し、「私は元々東京の人だから」という驕りが鼻につくタイプ。
恋愛当初は憧れていたはずの夫に対しても、常に鼻白んだ態度しか取れないタイプ。
でも梨々子の傲慢さが一体どこから来ているのか、何のためのものなのかは、本人ですらわかっていません。いつでも人生をリセットしてやり直せるような才覚や美貌があるわけでもなく、どう考えても今後の人生も取り立てて特徴のない一人の中年女性として生きていく事しかできない平凡な人物。にも関わらず、常に他者と比べて優位であろうとしますし、見下す姿勢を取り続ける。
いや、これってスゲーな、と。
30代という女性の心理をあまりにも浮彫にしてしまっていますよね。
うら若き10代・20代の頃の高い意識を引きずりつつも、平凡な主婦に落ち着きつつある自分という現実を認識し始めるという微妙な心情変化を、10年というスパンで見事に描き出しているのです。
ただまぁ、夫に対する冷たさは終始相変わらずの感じもするので、もうちょっと夢を見せてくれてもいいかなぁ、と思ったりするのですけれど。
昨今の世の中、結婚に対するネガティブイメージが多すぎますからね。
本書の夫婦はまさにそのネガティブイメージ通りの夫婦像。
ここまで冷え切っているのなら別れてもいいんじゃないかな、と思うのですが、離婚のりの字も出ないあたりもこれまた現実的な夫婦です。
現実にはいちいち別れる、別れないと言い争ったり、話し合ったりする事もなく、ただただ流されるように日々生活している夫婦も多いでしょうからね。
なお、本書について書かれたインタビュー記事を見つけました。
そこでも作者は
「日常生活の話に徹しようと思っていたので、あまり派手な見せ場を作らないように、“ここで盛り上がる”みたいなドラマチックさは抑えて書きました。そういうシーンって普通の主婦の日常生活にはそんなにないですからね」
と語っています。
急展開でハラハラドキドキ、一喜一憂した挙句の大どんでん返し、といったエンタメ小説とは異なりますが、深く考えさせられる事も多い良書でした。
正直梨々子が嫌い過ぎて、読み返す気にはなれないんですけど笑