その娘の左の目は、魔法の瞳であり、異界への鍵だった。
その娘はただの村娘であったのだけれど、年を経た妖精をその手ですくったことから、左の目に魔法の祝福をうけた。
その瞳は、この世のものならぬものを見ることができ、その存在を知ることができ、そうすることによって、異界のものの助けをうけることができた。
さまざまなあやかしたちが、娘の友となり、願い事を聞いた。ひとの子にとっては未知の知識を与えた。娘は大きな力と、望む限りの知恵を得た。
村山早紀『竜宮ホテル』を読みました。
彼女の作品は以前『桜風堂ものがたり』を読んで以来二度目です。
2017年本屋大賞にノミネートされ、残念ながら受賞は逃しつつも大ベストセラーとなった『桜風堂ものがたり』。
それもそのはず2017年の本屋大賞は受賞した恩田陸『蜜蜂と遠雷』をはじめ、森絵都『みかづき』、塩野武士『罪の声』、小川糸『ツバキ文具店』、村田沙耶香『コンビニ人間』とかなりの激戦となった年でした。
どの作品も、そしてどの作家さん達もその後も大活躍されていますよね。改めて見返してもヤバい年です。
村山早紀さんも続く『百貨の魔法』や『コンビニたそがれ堂』シリーズなど、続々と話題作を発表し続けている印象があります。
そんな中僕が今回選んだのは、彼女の作品の中では比較的知名度が低いであろう『竜宮ホテル』。
というのも『桜風堂ものがたり』をはじめとする〈風早の町の物語〉シリーズの中でも、本書はだいぶ異色の作品に感じられたからでして……。
見えないモノを見る能力とあやかしホテル
冒頭は、小説家である“わたし”こと水守響呼があれこれ思いを巡らせながら仕事に取り組む様子から始まります。
高校生の頃から住み続けているというアパートから突然出ていかなければならなくなり、途方に暮れるばかりでなかなか仕事が捗りません。
気分転換にと外出を試みる響呼でしたが、少しずつ彼女の持つ不思議な能力が明らかになっていきます。
響呼は遠い祖先が妖精からもらった力として、この世には存在しない不思議なものを見る事ができてしまうのです。その力の存在を知りながらも、ずっと見ないふりをして生活してきたのでした。
出先のカフェで以前一度だけ会った事のある編集者の寅彦と再会した響呼は、その帰り道、自分の住んでいたアパートが倒壊しているのを目撃します。倒壊の衝撃と行き場を失ったショックで言葉を失う響呼に、「実家で経営している『竜宮ホテル』に住みませんか」と提案する寅彦。さらに「アパートに住んでいるはずのお姉さまに会いに来た」という猫耳の少女と出会い、気を失ってしまった少女とともに『竜宮ホテル』を訪ねる事になるのです。
このホテルというのが本書の舞台。
「そういうわけで、あのホテルでは昔から不思議なことがおこっていたし、いまも――幽霊や妖怪や、それから妖精なんかも、ひきよせられてくるっていうんです」
というなかなかのトンデモなホテルなのです。
この不思議な、もとい幻想的なホテルを舞台に、響呼と猫耳少女ひなぎくを中心に進んで行く連作短編集が、本書の構成となっています。
第一話はひなぎくとの出会いや竜宮ホテルへの入居するまでの過程を描いた、いわばプロローグ的なお話です。
第二話は響呼の元同級生でストリートミュージシャンの愛理が登場。彼女は死んだ動物たちの魂を引き寄せてしまうという変わった性質の持ち主です。しかし、動物たちが彼女に心を寄せるのには彼女らしい理由があるのでした。
第三話では植物を愛する中学生、日比木君が登場。響呼の大ファンでもあるという日比木君はまだ出版していない作品の内容や装丁まで知っていたりする不思議な人物。体調を崩した彼を介抱しようと部屋に運ぶと、部屋の中にはあるはずのない巨大な木が。
そしてその三話を貫くように、主人公である響呼が幼い頃に別れ、複雑な事情と感情を抱えたままの父親に対する想いとエピソードが詰まっています。
あとがきに「幸せな話」を書きたい、と書いてある通り、どれもほっこりと胸が温かくなるようなハートフルな物語となっています。
児童文学作家がすごい
村山早紀さんも元々児童文学作家だったそうです。
1993年に『ちいさいえりちゃん』で第15回毎日童話新人賞最優秀賞と第4回椋鳩十児童文学賞を受賞してから作家としての活動が始まったようですが、wikipediaを見てみると、その後今日までの著作の量がものすごく多いのに驚きます。
三月に一冊、もしくはそれを上回るペースで次々と作品を発表されています。
驚きの創作ペースです。
これだけの作品量を、しかも児童文学で書かれている作家さんが上手くないわけがない。
というのは同じく児童文学出身である森絵都さんや笹生陽子さんの作品を読んでの僕の勝手な印象ですが、児童文学で物語を書かれていた作家さんの文章はとてもとても読みやすいのです。
良く言われる感じとひらがなの使い分けの妙などは常識の範疇で、意図的か無意識かまではわかりませんが漢字を少なく・ひらがなを多くする事で文章全体がとても柔らかくなる。
さらに、文筆家にありがちの難しい言い回しや難解な言葉といったものが皆無です。誰もが一度読めばすっと頭に入るような優しい言葉で文章全体が作られているので、理解に要する脳の負荷がとにかく少ない。
読めば読んだだけ、するすると頭の中に情景が広がっていくのです。
一例をぬき出してみましょう。
わたしはその後、普通の人間らしく生きることがうまくなった。誰かといるときは、なんとか笑顔でいることもできるようになったし、その気になれば、ひとの輪に入ることもできるようになった。多分人並みに冗談もいえるし、会話も楽しめはする。そんなわたしのことを友達と呼んでくれるひとも多い。ありがたいことだと思う。
いかがでしょう?
漢字の使用を抑えられ、その分ひらがなの量が増えているのがわかりますよね?
全体的に柔らかいイメージの文章になっています。
そして、一つ一つの文が非常にシンプル。「普通の人間」「ひとの輪」「ありがたいことだと思う」。すごくストレートかつシンプルな言葉でしかないのに、言葉足らずにはならず、しっかりと主人公の想いは伝わってきます。
ですので”あやかし””幽霊””妖怪”のような不思議なもの、不思議な情景が頻出する物語ではあるのですが、おどろおどろした言葉や言い回しがなくとも、しっかりとその不思議さを感じることができます。
休業しているはずのホテルのその玄関の前で、車を待つ役割のひと――ドアマンのように、長いコートを着てたたずむあのひとは。そのひとは、わたしにむかってほほえみ、深くお辞儀をすると、そのとたんに、すうっと夜闇に紛れるようにして消えていった。
情景が目に浮かびますよね。
ちょっと背筋が寒くなるような感じもしますが、かといって怖さや不気味さは皆無です。怖いというよりは、幻想的な印象すら受けます。
いやこれホント、すごいですよ。
僕が元々大好きだった推理小説というジャンルが、やたらと衒学的だったり不要な脚色や華美な描写でゴテゴテと膨らましたような作品が多かっただけに、余計にそう感じてしまうだけかもしれませんが。
なので本書――と言わず、村山早紀作品を読む際にはそんな「普通の小説家とは違う読みやすさ」についても味わいながら読んでみることをおススメします。
カバーイラスト・遠田志帆
本書の見どころというのは他にもあって――実は本作、カバーイラストが遠田志帆さんのもの。
名前だけだとピンと来ないかもしれませんが、絵を見れば一目瞭然。昨今書店の平積みで見ない事はないというベストセラーご用達の人気作家さんなのです。
最近で有名なところだと、「このミステリーがすごい!」2020年版国内篇・「本格ミステリ・ベスト10」2020年版国内ランキング・「2019年ベストブック」(Apple Books)と推理小説のランキングを総嘗めにした話題作、相沢沙呼『medium 霊媒探偵城塚翡翠』、
今村 昌弘『屍人荘の殺人』や『魔眼の匣の殺人』
綾辻行人は『another』シリーズはじめ、新装版のカバーイラストは遠田志帆ばかりです。
ただ、上記の画像を見ればおわかりいただけると思うんです、遠田志帆さんが表紙を担当される場合、推理小説系が多いせいかどうもおどろおどろした、ちょっと不気味な雰囲気のイラストが多いんです。
その点、本書の表紙と見比べてみて下さい。
びっくり!!!
先生、こんな可愛い絵も描けるのか!!!
上の作品たちとは全然雰囲気が違いますよね。
可愛さ全振り、と言いたいところですが、よくよく見てみると可愛いだけではなく、どことなくもののけっぽさを感じさせる怪しさも醸し出ています。
「遠田志帆」で画像検索しても出てくるのはやはり上で紹介したようなシリアス系の作品が多いようなので、遠田志帆のこういった可愛い系のイラストが楽しめるのはもしかしたら『竜宮ホテル』シリーズだけかもしれません。
僕はその昔いのまたむつみ先生のイラストが大好きで、彼女のイラストが見たいがために『宇宙皇子』やら『風の大陸』といったシリーズを古本で探して買いあさっていた時期があったのですが、絵を目的に本を買うというのも、ライトノベル全盛の昨今では多い選択肢なのかもしれません。
なお、本書にはさらに逸話があって、僕が今回読んだのは以降『魔法の夜』『水仙の夢』とシリーズが続く徳間書店版なのですが、当初は「f-Clan文庫」という三笠書房が手掛けた女性向けライトノベルレーベルから刊行された作品なのです。
このあたりの経緯については、徳間書店版のあとがきにも少し触れられています。
f-Clan文庫の創刊は2011年10月。
東日本大震災があった年という事で嫌な予感しかしませんが、『竜宮ホテル』もまた、レーベルの創刊号として発表されました。
ところがf-Clan文庫は僅か7ヵ月後、2012年4月刊行分をもってひっそりと廃止となりました。
レーベルに参加していた様々な作家さんが当時の経緯や心境をブログ等に残していますが、村山早紀さんもTwitterでこんな風に漏らしています。
竜宮ホテルは、何年でも続けましょうね、なんて話を担当さんとしていたのですよ。f-Clan文庫の担当さんと、ずっと一緒にお仕事をしていくつもりだったのにな。同じレーベルの作家さんや画家さんたちとも、ずっと一緒に棚に並んでいるつもりだったのにな。ははは(T_T)
— 村山早紀 Saki Murayama (@nekoko24) June 27, 2012
作家さんたちにも寝耳に水の事件だったという事がなんとなく察せられます。
契約その他、色々と前時代的な点が多いとされる出版業界ですが、その悪しき一例と言えるのかもしれません。「担当さんがとっても泣いていた」という点は皆さん口を揃えておっしゃってるようなので、担当者の苦悩も推して知るべし、といったところですが。
何はともあれ、『竜宮ホテル』シリーズについては徳間書店に引き継がれ、続編も刊行されているという事で良かったですね。
ちなみにf-Clan文庫版の装丁は色合いや構図、文字レイアウト等がちょっと変わっています。
個人的にはうっすら紗の入ったようなf-Clan文庫版の方が好きですが。
遠田志帆さんファンであれば、両方手に入れたいところかもしれません。
そんなわけでだいぶ長くなりましたが、村山早紀、遠田志帆ともに新たな一面を見せてくれる『竜宮ホテル』、ぜひ一度お試しあれ。