こみ合った電車の中の美しい娘、これほどかれに趣味深くうれしく感ぜられるものはない
花袋です。
今回読んだ『少女病』は代表作『蒲団』と並び、田山花袋の“変態”を大いに確立した作品の一つ。
こんなものが青空文庫なら無料で読めちゃうんだからすごいですよね。
分量的にも少し長めの短編というところで、サクッと読み終えてしまえます。
できる事なら、毎日揺られる通勤電車の中ででも読んで欲しい作品です。
どんな変態?
『蒲団』では自分に憧れてやってきた女弟子に恋心を抱き(妻子ある身←)、大作家に対する尊敬と男女の愛情とを自分に都合よく解釈して勝手に盛り上がった後、女弟子に彼氏がいるとわかっては国元の親まで呼びつけて糾弾・破門・追放した挙げ句、女弟子が使っていた蒲団の匂いを嗅いでもだえ苦しむというどうしようもなく醜い中年男性の姿が描かれていました。
『蒲団』はとにかく読んでいて最初から最後まで主人公である作家(花袋自身の投影と言われる)の気持ち悪さがにじみ出る変態本でした。
さて、本書ではどうか。
主人公の杉田古城は出版社に勤めるサラリーマン。自らも筆を取る作家の端くれだったりもします。
年のころ三十七、八、猫背で、獅子鼻で、反歯で、色が浅黒くッって、頬髯が煩さそうに顔の反面を蔽って、ちょっと見ると恐ろしい容貌、若い女などは昼間であっても気味悪く思うほど
という、見た目はいわゆる“キモいおじさん”そのものです。
この主人公もまた、『蒲団』の主人公同様、結婚して家庭を持つ立場にあります。
しかし彼の趣味というのが、冒頭に引用したような少女観察。
主に通勤電車の中で遭遇する女学生たちに目を走らせては、ああでもないこうでもないと批評眼を働かせるのです。その内容というのが、下記のようなもの。
縮緬のすらりとした膝のあたりから、華奢な藤色の裾、白足袋をつまだてた三枚襲の雪駄、ことに色の白い襟首から、あのむっちりと胸が高くなっているあたりが美しい乳房だと思うと、総身が搔きむしられるような気がする。
はい、変態決定!
だいぶヤバいですよね。
読んでいて寒気がします。
何がヤバいってこの主人公の場合、若い女の子を「きれいな顔してるなぁ」「笑顔の可愛らしい子だなぁ」と愛でるといった生易しいものではなく、明らかに性的な目で見ている。
その上で、美しい少女たちが、妻子がいて魅力も損なわれてしまった自分のものになる事はもう絶対にないと絶望したりもします。そもそもの外見描写を見る限り、例え若かったとしてもこの男のものにはなりそうもない気がしますが。
そんな彼にも、ただ一人、特に心に残る少女がいます。以前一度だけ電車で乗り合わせた少女で、そのあまりの美しさにもう一度会いたいと願いますが、どうしてかその少女を再び見る機会はありません。
ある日のこと、ついに少女を発見します。夢中になって少女を観察する杉田古城でしたが、あまりにも没頭するあまりに気が緩み、そこにアクシデントも重なって……物語の最後は、非常にあっけない幕切れを遂げてしまいます。
今もいる、よね
『蒲団』にも負けず劣らず、本書の主人公である杉田古城は最初から最後まで変態度MAX、不快感全快の気持ち悪さを感じさせてくれるのですが、でも、ふと改めて思い返してみると、杉田古城のような人物、現代においてもごくごく日常的に見られるような気がします。
電車やバスの車内で、道端で、たまたま通りがかった少女たちをなんとも言えぬいやらしい視線で追いかけるおっさん。そのおっさんの視線に気づき、「ねえ、あの人……」とひそひそ耳打ちしあう別の女性グループ。
一応弁解しておくと、男たるもの、見目麗しい女性がいればつい目で追ってしまうのは仕方のない事です(断言)。男性だけではなく、女性にも同じような傾向は見られますよね。対象が異性に限らず、物にせよ事にせよ気になれば目で追う。当たり前の事です。
でも、なんですかねぇ。あの、他人から見てもわかるいやらしい目つき。絶対いやらしい事想像してるなぁ、ってわかっちゃう表情。あれって、本書に登場する杉田古城のような妄想を膨らませているんでしょうね。
繰り返しになりますが、大なり小なり、誰しも身に覚えのある事だとは思うんですけどね。
そういう醜さを包み隠さず文章化してしまうところこそが、田山花袋の凄さであり、人気の要因だと思うんですが。
青空文庫・古典文学の入門書として
前回の『田舎教師』に続き田山花袋の『少女病』をご紹介しましたが、花袋は普段本に読みなれない人にもぜひおすすめしたい作家のひとりです。
よく「本を読む」と志した若者がいきなり夏目漱石や太宰治に手を出してあっけなく撃沈、というエピソードを聞きますが、そういう人にも勧めたいですね。漱石や太宰に手を出すぐらいなら、花袋を読め、と。
また、今は青空文庫で気軽に古典名作を楽しめるようになりましたが、こちらもやはり無料に惹かれて手を出してみたにも関わらず、『こころ』や『人間失格』を数ページ読んで「やっぱり古典は合わない」と投げ出す人が多いようです。
正直、漱石とか太宰とかって、今の若者が読んで共感できるものだとは思えないんですよねー。やたらと死にたがる感じとか。書生とかいう意識高いニートの心情とか。
その点、好きな女の匂いの残る蒲団でもだえるとか、同じ電車に乗り合わせた女子高生に萌えるとか、そういう他人の様子を見て気持ち悪く感じるとかって、現代でも非常にわかりやすいテーマだと感じます。
現代社会だとスマホは基本的に常に持っていますし、日常生活の中で隙間時間というのもたっぷりあるので、Kindleに青空の無料本を突っ込んでおくっていうのは結構有意な気がします。
空き時間にスマホでやるSNS、ゲーム、ニュースサイトの閲覧、まとめサイトの閲覧に加えて、青空文庫で読書ってどうでしょう?
実本での読書が好きという人も、TPOによってはいちいち本を持っていってられない、本を開きにくいという場面も少なくないかと思いますが、スマホなら常に持っているし、本が開きにくいような場面でも普通に読めたりしますし。本が読めるところでは実本、読めない場面では電子と使い分け、併読するのも悪くないですよ。
田山花袋の他、芥川龍之介なんかもなかなか面白い短編がそろっていておすすめです。絵本でも読むような気分で読む事ができます。『鼻』や『芋粥』、『地獄変』の他、個人的には『蜜柑』も好きです。
梶井基次郎の『檸檬』はラストシーンにおいて、沢山の本の中にポツンと置かれる爆弾に見立てた檸檬の色彩の鮮やかさが有名ですが、それに似たような鮮やかな情景を、宙を舞う蜜柑に感じる事ができます。さらに言えば、『檸檬』は檸檬爆弾を置くに至った主人公の鬱屈した感情というのが現代においてはいまいち共感しにくいんですよねえ。その点、『蜜柑』は爽やかな青春の1ページが感じられてわかりやすいと感じられるはずです。
とはいえ、僕自身としては青空もちょっと打ち止めかなぁ、と。
短編だとあっさりしすぎてちょっと物足りなく感じるようになってきてしまいました。
『黒死館殺人事件』や『ドグラ・マグラ』に手を出そうかと思わなくもないのですが、それだとちょっと重すぎるし。『真珠夫人』も気になるけど、やっぱりちょっと重いかな。最近ご無沙汰気味の実本の方に注力してみようかと思ってます。
今は歴史小説読んでるんですけどね。
そちらももうすぐ読み終えるかと思いますので、次の記事はそちらになろうかと思います。