かれは将来の希望にのみ生きている快活な友だちと、これらの人たちとの間に横たわっている大きな溝を考えてみた。
「まごまごしていれば、自分もこうなってしまうんだ!」
大好きな田山花袋です。
いまいち読書が進まない中でも、スマホのKindleアプリで細々と読み続けていたのがこちら。
実は昨年年初にも一度手をつけていた作品だったんですが、環境の変化やら何やらでばたばたしている内に中途半端になってしまっていました。
先日長い時間をかけて『私本太平記』を読み終えた後、Kindleに何も入っていないのがどうにも落ち着かなく、何かないかなと探している中でふと思い出し、改めて読み直してみる事にしました。
田山花袋と言えばとにもかくにも『蒲団』が有名です。
作家である自分にあこがれてやってきた女弟子にほれ込んでしまった上に失恋。勝手に抱いた裏切られた感と嫉妬心に燃えて追放した挙げ句、弟子が使っていた蒲団に顔をうずめてのた打ち回るという「決して人には見せられない姿」をさらけだした今読んでもとてつもないインパクトを与えてくれる作品。
ただ、あまりにも『蒲団』が有名過ぎて、他の作品の話題が聞こえてこないんですよねー。
その中においても、田山花袋の代表作として名高いのがこの『田舎教師』。
今回は途中で投げ出す事なく最後まで読み切りましたので、しっかりとブログに残したいと思います。
あらすじ
学校を出たばかりの文学青年林清三は、生活の為に羽生の田舎の教師として働き始めます。当時の教員は今よりもずっと位も低く、免許も「必要ならとればいい」ぐらいのものでしかありません。
かれは将来の希望にのみ生きている快活な友だちと、これらの人たちとの間に横たわっている大きな溝を考えてみた。
「まごまごしていれば、自分もこうなってしまうんだ!」
同僚・先輩である教師たちの酒飲み話を聞きながら、一方で清三は上記のように危機感を募らせます。今ある現状は、清三にとって納得できるものではないのです。
友人の父の紹介で職に就いたにも関わらず、清三は文学への情熱を捨てきれません。むしろ教員はあくまで一時的な仮の姿であって、いつかは一旗揚げてやろうという若者特有の希望に満ち溢れています。
度々学生時代の友人たちと集まっては、今でいう同人誌のような「行田文学」の発行に関わったりと、精力的に活動していきますが、僅か四号で廃刊となったのをきっかけに、友人たちも少しずつ離れて行ってしまいます。夢見心地な学生気分からようやく目が覚めて、各々が現実的な着地点へと半ば強制的に落ち着いていくようにも感じられます。
また、友人である郁治が「Artの君」と呼ぶ美穂子に想いを募らせている事を知ります。実は清三もまた、美穂子に対しては以前から恋心を抱いていました。親友から相談を受け、自分の心を言い出せない清三。清三の心をよそに、郁治と美穂子の恋は進展していきます。これをきっかけに、清三は郁治と距離をおくようになり、やがては故郷である行田からも疎遠になっていってしまいます。
文学の道がとん挫し、失恋も重なった清三は女遊びに手を出し、周囲から借金を重ねる腐敗した生活へと陥ってしまうのです。
ところが入れあげていた遊女が何も告げずに身ぬけし、志した音楽学校の試験においても失敗した清三は、突如心を入れ替え、品行方正な田舎教師へと立ち直りを見せます。貧困にあえぐ実家の両親を支えながら、教師として勉学と研究に励む清三でしたが、彼の身にはいつしか病魔が迫っており……
ここではないどこかを夢見る若者
清三の姿は、現代の若者にも通じるところが多いようです。
当時の文学者とは、現代でいうアーティストや芸能人といった意味合いに近いでしょう。
いつか名をあげて有名になってやる、という想いを抱きながら、明確に挫折するわけでもなく、フェードアウトするかのように人並みの生活に落ち着いていく人々は、今も昔も多かったわけです。
そうして夢見た世界とは大きく異なる小さな現実の中で短い一生を終えていく一人の若者の姿を、田山花袋は書きたかったのでしょうね。
また、友人の心に気兼ねして自身の恋をひっそりと終えてしまう無常さにも心を打たれてしまいます。実際にこうして恋を恋にする事もできずに終えてしまう人は、いったいどれだけいる事でしょう。さらに清三には決して悪いとは思えない縁談が持ち込まれたりもしますが、他人から見ればなんとも小さなこだわり、葛藤によって無下にしてしまったりもします。当時は年頃になれば縁談が飛び交うのは当然の時代であり、清三が気のないそぶりを見せている内に、相手はさっさと別の相手の元へ嫁に出されてしまったりします。なんとももったいない、残念な選択ばかりしてしまう清三青年ですが、だからこそ妙にリアリティに溢れているように感じられます。
物語の終盤、かつて教え子であった一人の少女が、大人の女となって清三の前へと現れます。ひそやかに手紙等をやりとりする二人ですが、やはりここにも、煮え切らないまでも確かに存在する“ラヴ”が感じられます。病により清三が去った後、彼女らしき人物が羽生の同じ学校で教鞭をとっている様子が聞かれるのが、唯一の幸いでしょうか。
大望を抱きながら、何も果たせずに消えて行った清三青年。でも少なくとも一人の少女の胸には、彼の教師としての姿がしっかりと刻まれていたのでしょうね。
羽生に行きたい
『蒲団』にも見らえた事ですが、田山花袋の文章は非常に写実的というか、情景描写が鮮やかに描き込まれているのが象徴的です。
あんまり細かいので引用するのも憚られますが、とりあえず一文だけ。
役場はその街道に沿った一かたまりの人家のうちにはなかった。人家がつきると、昔の城址でもあったかと思われるような土手と濠とがあって、土手には笹や草が一面に繁り、濠には汚ない錆びた水が樫や椎の大木の影をおびて、さらに暗い寒い色をしていた。その濠に沿って曲がって一町ほど行った所が役場だと清三は教えられた。かれはここで車代を二十銭払って、車を捨てた。笹藪のかたわらに、茅葺の家が一軒、古びた大和障子にお料理そば切うどん小川屋と書いてあるのがふと眼にとまった。家のまわりは畑で、麦の青い上には雲雀がいい声で低くさえずっていた。
丁寧というか細かいというか。
とにかく一つのシーンを描くのに、目に映ったもの、起こった事を全て書いているという印象です。このため、読んでいて頭に浮かぶ映像が非常に明瞭となります。清三の過ごした当時の羽生の街並みや生活の様子等が、ありありと想像できるようです。
『蒲団』のイメージから私小説の印象がぬぐえない田山花袋ですが、本書については別のモデルが存在するというのも興味深いところ。
主人公・林清三のモデルは小林秀三という青年であったと言われています。若くしてこの世を去った小林青年の日記に目を留めた田山花袋が、小説として昇華したものです。田山花袋自身は、作中で原杏花という人物として登場しています。清三の住んでいた成願寺も、建福寺という名で今も実在し、小林青年の墓も残ってるそうです。その他、弥勒小学校の跡を示す石碑や作中に登場する小川屋の資料館等があり、羽生では町おこしとしてPRも行っているようです。
花袋麺や花袋せんべい、田舎教師最中といったお土産まであるとなると、一度行ってみたくまってしまいますね。
埼玉って正直言うとあんまり観光のイメージないんですけどね。秩父の方ばかりで。
でも羽生なら東北自動車道沿いですし、結構気軽に行けちゃいそうですよね。
ちなみに『田舎教師』を書くに至った経緯については、田山花袋自身が『『田舎教師』について』という随筆(エッセイ?)を残しており、こちらも青空文庫・Kindleで読む事ができます。
変態・田山花袋
さて、『田舎教師』を読み終えたとなると気になるのがKindle枠の空き。
吉川英治の『新・平家物語』がインストールされたまま放置されていたりするんですけどね。こちらは取り掛かるには覚悟が必要なので今しばらくおいておくとして。
やっぱり花袋を読むと、次も花袋にしたくなりますね。
青空文庫って今現在も大量の作品が作業中とされているものだから、ふと気づくと新しい作品がアップされていたりします。
そんな中で次に読むとすれば……やっぱり田山花袋らしい変態作品が良いですよね。
一体どの作品を選んだかは、記事にするまでお楽しみに。