彼はただ、ずっと長い間どうしても閉じることができずにいた柩の蓋に、今やっと手をかけて、お弔いを終えようとしているだけだ。
村山由佳『天使の柩』を読みました。
ふと思い立って、『天使の卵』からシリーズ作品を読み返し始めたわけですが、本作で完結となります。
『天使の卵』から『天使の梯子』まで十年、そこからさらに本作『天使の柩』まで約十年。
約二十年続いてきた天使の物語が、ついに終わりを遂げます。
そう思うと、感慨深いものがありますね。
本文に先立ち、これまでの記事を下記に置いておきます。
せっかくのシリーズ作品ですし、ブログの方もぜひ『天使の卵』からお楽しみください。
孤独な少女から始まる物語
シリーズ最終作となる本作は、『天使の卵』の主人公である歩太でも、『天使の梯子』のヒロインである夏姫でもなく、なんと初登場となる中学三年生の天羽茉莉。
彼女はとにかく複雑な事情を抱えた子です。
母親はフィリピン人で、彼女を生んで間もなく失踪。
育ての親となった祖母は母親への憎悪を孫である茉莉に容赦なく向け、事ある度に「いやらしい子だね」と叱責しながら育てました。
そんな祖母も亡くなり、現在は父親との二人暮らし。
しかしながら昔は秀才で謳われた父も、職場で上手く行かないのかどこか様子がおかしい。
実の娘の茉莉とも、互いを避けるようにして生活しています。
具体的には、父親が帰宅すると茉莉の部屋に外から鍵を掛けるという歪過ぎる親子関係。
そんな生活を送る中、茉莉はタクヤという男と出会います。
「チョータツ」と言っては手近な弱者から金を巻き上げて生活しているようなタクヤに、求められるがままに身体を捧げ、彼の部屋に入り浸るようにして爛れた生活へ。
茉莉は坂道を転げ落ちるように、どんどん悪い方へ、悪い方へと落ちていきます。
そんな茉莉の心の拠り所は、公園で見つけた野良の子猫。
折を見ては餌を上げて面倒を見ていたのですが、ある日子猫が知らない子ども達に虐められているところに出くわします。
少年達と言い争いになる茉莉でしたが、そこに現れたのが一人の逞しい男性――一本鎗歩太でした。
歩太は少年達に言って聞かせ、茉莉にもまた「どうしたい?」と問いかけます。
子猫を病院に連れて行きたいと言う茉莉の要望に答え、行きつけの動物病院を訪ね、その後も一人で暮らす自分の家で猫を預かると申し出ます。そこへ現れたのは、恋人のような仲良しの女性――こちらは夏姫。
まるで見返りを求める事もなく、善意の塊のように振る舞う歩太たちに、茉莉は戸惑いを隠せません。
いつでも訪ねておいで、という歩太の好意に甘えて彼らと会う度に、茉莉の心の中で少しずつ何かが変化していきます。
天使の卵シリーズ……?
ざっくり上のあらすじを読むと、首を傾げてしまいますね。
そうです。
天使の卵シリーズの完結編と謳われた本書『天使の柩』は、ほぼその全てが茉莉の物語なのです。
その茉莉も複雑すぎる生い立ちや家庭環境、タクヤとの関係等々、とにかく暗い設定が続きます。
あまりにも暗く、救いのないエピソードの連続に、読んでいるこちらまでどんよりと重い気持ちに苛まれてしまいます。
なんとなく「きっと歩太たちが幸せな最後を迎えるのだろう」と思い描いていたイメージとはあまりにも異なる作風に、読んでいて苦しさすら感じてしまいます。
しかし――これは作者である村山由佳が書き上げた、紛うことなき完結作品。
茉莉とのやり取りの中で、春姫を失ったあの日から止まっていた歩太の時が、少しずつ動き始めるのがわかるはずです。
もしかしたらそれは、僕達読者が望んでいた形とは違うかもしれません。
でもきっと、読後にはほんのりと温かな気持ちが胸に残るはずです。
シリーズを追い掛ける事の罪
今回の『天使の卵』シリーズを読んで、個人的にはとっても印象が重なる作品があって……。
というのは、当ブログでは度々紹介している大塚英志の『魍魎戦記MADARA』シリーズです。
改めて説明すると、『魍魎戦記MADARA』というのは元々ファミリーコンピューターのゲームソフトと連動した漫画作品として生み出された作品です。その後小説やラジオドラマ等々にも派生し、現在では主流となりつつあるメディアミックス化の礎ともなりました。
ですがこの『MADARA』、公式だけでも派生作編・続編と呼べるものが多い一方で、未完結のまま放り出されている作品も多いんですね。
うまくまとまったのは『MADARA壱』『MADARA弐』や『MADARA赤』といった辺りまでで、『転生編』はラジオドラマのみで小説・漫画版は冒頭のみ。さらに続く『天使編』は小説編すら途中で投げ出される始末。
完結を望むファンの声に対し、最終的に大塚英志が提示したのは『僕は天使の羽根を踏まない』という無慈悲に突き放すかのような作品。
これを持って、一応はMARARAは完結したものとされています。
その中で登場人物は、
「会えるはずはない。身体が違えばそれは別の存在でしかない。それなのに君達は始まりの時に帰ろうとした。」
と言います。
それは作中の人物にというよりは、読者に向けて諭すかのような言葉でした。
詳しくは『キャラクター小説の書き方』の記事に書きましたが、要するに最初の作品の感動や興奮、熱気を求めたところで同じものなんてもう二度と手に入らないんだよって話ですね。
それでもシリーズを追い続けてしまうのは、作者にとっても読者にとっても、罪と言えるかもしれません。
凡庸な恋愛小説と『天使の卵』が小説すばる新人賞で評されたのは二十年も昔の話。
そこから続編を重ねる度に、『天使の卵』とは作風やテイストが変化してしまっていくのは当然の事として、僕らは受け止めなければならないのだと思います。
もちろん、もし十代の僕が今『天使の卵』を読み、感銘を受けたからと『天使の梯子』『天使の柩』に続けて手を伸ばしたとしたら、あまりの変化に卒倒してしまうかもしれません。
作者は何が考えているんだと罵倒し、くそみそにレビューを残すかもしれません。
でもそこには、十年に一冊という非常に長い時間をかけて積み重ねられた重みが間違いなくあります。
もし上記のような不満を抱かれる方がいれば、いったん時間をおいて、落ち着いた頃にもう一度、村山由佳作品を発表順に振り返ってみて欲しいと思います。
それぞれの『天使の卵』シリーズが、彼女の作家人生においてどんなタイミングで、どういった意味を持ってきたのか、朧気ながら見えてくると思いますので。
その頃にはきっと、各作品に対するイメージも大きく変わっているはずです。
完結となる本作を読んで、少なくとも僕は満足しました。
ずっと昔に『天使の卵』に出会って以来抱き続けてきた想いのようなものに、一つの終止符を打てたように感じています。
本当に、出会えてよかったと思える作品の一つです。